今年は1月1日が満月だったから30日も満月、すなわちブルームーンであった。
だから、明後日、月曜日の3月1日がまた満月で、3月30日もまた満月になる。
今年は1年に二度、ブルームーンを仰ぐことのできる珍しい年なのだ。
この両日の夜空が晴れることを祈りましょう。
このごうな百態は、数年前、「寄居虫のつぶやき」という個人紙を発行していた頃、坂田ひとみ(鳥取在住)さんに描いていただいたものだ。今後もウェブ上で使おうと思い、画像をスキャナで取り込んだ。
これらの画像を取り込むのに、画像つめこまーというフリーのソフトがあって、簡単に8枚の画像をこのように1枚にまとめることもできるし、2枚や4枚をまとめることもできる。
http://www.vector.co.jp/soft/win95/art/se413407.html
こういう便利なフリーソフトを作ってくださる方に感謝!
足元の石くれをよけるのが精一杯道を選ぶ余裕もなく 自分を選ぶ余裕もなく目にしみる汗の粒をぬぐうのが精一杯風を聴く余裕もなく 人を聴く余裕もなくまだ空は見えないか まだ星は見えないかふり仰ぎ ふり仰ぎ そのつど転けながら重き荷を負いて 坂道を登りゆく者ひとつ重き荷も坂も 他人には何ひとつ見えはしないまだ空は見えないか まだ星は見えないか這いあがれ這いあがれと 自分を呼びながら 呼びながら
…どんなに 祖父が怒っても戦争は拡大し、中国各地に兵は進められて行った。親類の甥達は召集を受け、近所で毎日のように御用聞きに来ていた魚屋の息子も炭屋の跡取りも佐倉の連隊へ集められ外地へ行く先も知らされず送り出されて行った。祖父は自身老いて力なく、国を守るべき息子はとうに先立っている。たまらなかったに違いない。古書を扱っていた人に中国の雲南の地図を取り寄せさせて、新聞やラジオのニュースを聞いて、どこへ兵士が派遣されたか自分も地図の上で道を辿った。この地方はどんな気候で地形はどうなっている。今の季節はどんな風が吹き、雨はどんな降り方をするか、炎熱酷暑、洪水泥濘、ろくな食べ物もなく、風土病に冒されれば全滅の憂き目に逢う。軍を預かる者は何を考えているのだ。古くからこの地であった戦さに、かくも無謀な兵の進め方をした者は無い、と怒りと悲しみで活火山のようになった。遂に真珠湾攻撃の特攻隊、人間魚雷、病んで仰臥したまゝ白髪も、白くなった鬚も震えて、「ああ若い者がなあ、若い者が」と号泣し 、私は居たたまれず部屋から飛び出してしまった。(pp.124-125)
私が、十二月二十六日(引用者注:昭和十六年)拝謁で上京していたとき、大本営の潜水艦主務参謀の有泉龍之介中佐が、私のところへやって来て、「淵田中佐、アリゾナの撃沈を特別攻撃隊の戦果に呉れないか」と、もちかけたのである。私は苦笑した。「別に功名争いするわけではないし、特殊潜航艇は特攻だから、その功績を大々的に吹聴してあげたいのはやまやまだけれどね、アリゾナは無理だよ。それはね、アリゾナはフォード島東側の繋留柱にかかっていたのだが、その外側にヴェスタルという工作艦が横付けしていたので、アリゾナには魚雷は利かなかったのだよ。従って特殊潜航艇の魚雷による轟沈などと発表したのでは、あとあと世界の物笑いになるよ」有泉中佐…は憤然として出て行ってしまった。(注1)
オアフ島に向かう第一波空中攻撃隊の進撃隊形は、私の総指揮官機が先頭に立って、その直後に、私が直率する水平爆撃隊四十九機が続いている。右側に五百米離れて、…雷撃隊四十機…。左側には…降下爆撃隊五十一機…。そして…制空隊四十三機の零戦が、これら編隊軍の上空を警戒援護しながら、随伴しているのであった。(p.110)
▼今日が何の日か知らない若い世代が、ずいぶん増えていると聞く。わが身も含めて4人に3人が戦後生まれになった今、風化はいっそう容赦ない。伝える言葉に力を宿らせたいと、かつて破滅への道を踏み出した日米開戦の日に思う。
何時になったらば、アメリカ、イギリスに対する宣戦の大詔を拝する事が出来るのかと、我々一億の国民は、実に待ちに待って今日に至りましたが、勿体無くも去る八日、アメリカ合衆国及イギリスに対し、宣戦の大詔を御煥発になりました。我々国民として、感激此の上もない次第であると存じます。恐らく皆さんや私共が一生を通じて、こうした大詔を拝する事は、これが最後であろうと思います。私はこれで大詔を拝する事は三回目であります。日清日露両戦争と、此の度の対米英戦争と三回であります。一昨日に、即ち十二月八日、午前十一時三十分、ラジオを通じて、宣戦の大詔が御煥発になった事を知って、只それだけの事を皆さんにお知らせしました。続いて十一時四十五分、宣戦の大詔の奉読あり、東條首相の「宣戦の大詔を拝して」と題する涙のこぼれる様なお話があったのでありました。幸に十時頃にサイレン吹鳴禁止の命令(引用者注:空襲警報などをサイレンで知らせるため、学校の授業の開始、終了などをサイレンで知らせることを禁止したと思われる。)があったのと同時に、校長室のラジオをかけておいて、仕事をしていたので、この事が一早く知る事が出来、皆さんにお知らせもし、詔書の拝読や、首相のお話も、校内放声装置のお蔭で、聞く事が出来ました事は、他の学校でも数多く無い事でしょう。……国力からいっても、軍備からいっても、経済力からいっても、世界一々々々と自分から誇っているし、又実力も持っているアメリカ合衆国並に地球上太陽の没する事のないという、広い領地を持つイギリスが、この太平洋方面の作戦の大事な基地にしている、アメリカのハワイや、ミッドウエイや、ウエイク、フィリッピン、又イギリスの香港、マレー、シンガポール等を電光石火の如く、八日午前三時を期して、米英両国の軍隊が立上がるひまもない程に爆撃し、又軍艦を轟沈する等、陸海軍の手ぎわのよさ、このニュースを聞いた皆さんの嬉しさ、私共の感激は死んでも忘れる事は出来ないと思います。(後略)注1.pp.270-271