2007年2月24日土曜日

ボズウェルの『ジョンソン伝』

イギリス人だったら誰でも知っているとされているサミュエル・ジョンソン。歴史の中のイギリス民衆の生活を描いたトレヴェリアンは、著書『イギリス社会史』の中で、約1740―1780年を「ジョンソン博士時代のイングランド」と名付けて三つの章を書いている。
日本では、ボズウェルの『ジョンソン伝』によって、彼の名前は知られていると言っていいだろう。
吉田松陰の伝記も書いたR・L・スティーヴンソン(そう、『宝島』の作者です)はこう言っている。

《私は聖書を読むと同じように、毎日少しずつボズウェルを読む。私はわが死の日まで、ボズウェルを読むつもりだ。》


ボズウェルは、ジョンソンといっしょにいるときはいつでも、彼独特の速記法でジョンソンの言葉を一言一句ももらさずに書き留めた。「偉大なる常識人」とも呼ばれるジョンソンの言葉を、伝記のいたるところにつめこんだ。
この本が、世界の伝記文学中の最高峰の一つとされていて、イギリス人は「ドクター・ジョンソンもこう言っている」と聞けば、納得すると言われる所以だ。

岩波文庫の神吉三郎訳『サミュエル・ヂョンスン傳』は、上巻が1941年、中巻が1946年、下巻が1948年に出版された。
ところが、この岩波文庫本は、わたしの大学生時代でも、神田の古書街をはじめ、どこへ行っても、下巻を見つけることができなかった。ウェブで見ても、この状況に変わりはないようだ。

岩波文庫本は抄訳であるが、1981―1983年に、中野好之訳『サミュエル・ジョンソン伝』全3巻がみすず書房より発行された。これは本邦初の全訳であるが、各巻8000円の高価本だ。(前に引用したスティーヴンソンの言葉は、この本の第1巻の箱の裏面に印刷されたものの写しである。)

こういう古典を若い人たちにも読んで欲しいと思うが、現状では図書館を利用してもらうしかしようがないだろう。Amazon あたりで調べてみると、ペーパーバックなら、原書が千数百円で手にはいる。英語を勉強している人は挑戦してみてはどうだろう。
後で原文と翻訳を少しだけご紹介するが、岩波文庫本はリクエスト復刊されても、若い人には読みづらいかもしれない。新訳で出してもらえないだろうか。
あるいは、全訳本をどこかで文庫本にできないだろうか。
日本の出版界の現状に一抹のさびしさを覚えるのは、決してわたしだけではあるまい 。

ボズウェルによるジョンソンの伝記が出版されたのは18世紀の末。日本では、寛政時代の終わり頃で、本居宣長が古事記伝を完成させた頃である。今から200年以上昔の英文ということになるが、英語は、日本語ほど変化していないから恐れることはない。
では、原文と二つの翻訳文をご紹介しよう。まず、教育もしくは躾について。

《Mr.Langton one day asked him how he had acquired so accurate a knowledge of Latin,in which, I believe, he was exceeded by no man of his time;he said,‘My master whipt me very well. Without that,Sir,I should have done nothing.’He told Mr.Langton,that while Hunter was flogging his boys unmercifully, he used to say,‘And this I do to save you from the gallows.’Johnson,upon all occasions,expressed his approbation of enforcing instruction by means of the rod.‘I would rather(said he)have the rod to be the general terrour to all,to make them learn,than tell a child,if you do thus,or thus,you will be more esteemed than your brothers or sisters. The rod produces an effect which terminates in itself. A child is afraid of being whipped,and gets his task, and there's an end on't;whereas, by exciting emulation and comparisons of superiorities, you lay the foundation of lasting mischief; you make brothers and sisters hate each other.’
When Johnson saw some young ladies in Lincolnshire who were remarkably well behaved,owing to their mother's strict discipline and severe correction, he exclaimed, in one of Shakespeare's lines a little varied,
‘Rod,I will honour thee for this thy duty.’ 》

《或る日ラントン氏が彼(引用者注:ジョンソン)に、どうして彼が間違いなくその時代に比肩する者のないあの正確なラテン語の知識を身につけたのか、と聞いたのに対して彼は答えた。「僕の先生はよく鞭で僕を打った。君、それがなければ僕は何一つまなばなかったろう。」彼がラントン氏に伝えた話によると、ハンター氏は自分の生徒を容赦なく鞭打つ度毎にいつも必ず、「俺はお前たちを絞首台から救うためにこうするのだ」と叫んだという。ジョンソンは機会あるごとに、鞭の力を借りて躾を強制する方法の是認を表明していた。「彼らに勉強をさせるためには(と彼は言った)鞭を揮って皆を恐がらせる方が、子供に向かってお前はこれこれのことをすればお前の兄弟姉妹よりも先生に賞められるぞ、と言うよりもよいと思う。鞭が生み出す効果はその当座に限られる。子供は鞭打たれるのを恐れて勉強をする。それでお終いになる。ところが競争や優劣の比較の気持ちを刺激すれば、持続的な弊害の種が蒔かれる。君は兄弟や姉妹を互いに憎しみ合わせるわけだ。」
リンカンシャでジョンソンは、母親の厳しい規律と喧しい躾によって上品で非常に行儀のよい何人かの若い淑女たちと会合した席で、シェークスピアの詩行の一つを少し変えた言葉でこう叫んだ、
鞭よ、汝のこの職分の故に我は汝を讃える。》(中野訳)


蛇足ではあるが、この訳文では、1行~2行目の「間違いなくその時代に比肩する者のない」と考えているのはラントン氏であるように受けとれる。そのように信じているのは「わたくし」、すなわちボズウェルである。

上の引用文をパソコンに打ち込みながら、昔、あるユーモア作家に『賢兄愚弟』というタイトルの小説があったことを思い出した。いや、そんなことより、妹にバカ呼ばわりされた浪人中の兄が彼女を惨殺したという、まことに悲惨な最近の事件を思わずにはいられない。家庭内に、ジョンソンが指摘しているような問題があったかどうか、分からないけれども。

さて、どうしてわたしが次の文章を引用するのか、みなさんにはすぐにお分かりいただけるでしょう(笑)。

《Johnson was, I think, not very happy in the choice of his title,―“The Rambler;”which certainly is not suited to a series of grave and moral discourses; which the Italians have literally,but ludicrous-ly, translated by Il Vagabondo; and which has been lately assumed as the denomination of a vehicle of licentious tales,“The Rambler's Magazine.” He gave Sir Joshua Raynolds the following account of its getting this name:“What must be done, Sir, will be done. When I was to begin publishing that paper, I was at a loss how to name it. I sat down at night upon my bedside, and resolved that I would not go to sleep till I had fixed its title. The Rambler seemed the best that occured, and I took it.”》

《ヂョンスンの『漫歩者(引用者注:ルビ/ラムブラ―)』といふ題名の選び方はあまり感服できないと思ふ。それは眞面目な道徳的説話の連續にとつては確かに適切でない。イタリー人はこれを文字通り「イル・ヴァガボンド(譯者註、『放浪兒』の意)」と譯してゐるが、滑稽を免れない。又近頃は如何がわしい物語りを載せる機關に『ラムブラーズ・マガジーン』といふ標題が採用されてゐる。ヂョンスンはサー・ヂョュア・レノルヅにこの名をつけた由来を語った、「どうでもしなくてはならぬことは、どうにかできるものだよ、君。わしがあの雑誌を始めることになつた時、何といふ名をつけたらよいか解らなくて困つた。わしは夜、ベットの前に坐り込み、題名を定めてしまはないうちは眠らないことに決心した。思ひ浮かんだうちで『ラムブラー』が一番良ささうに思へたのでそれに決めた。」》(神吉訳)


そうなんです。「ランブラー」とは、この偉大なるジョンソン博士が自ら作った雑誌に自ら付けた名前だったのです。

rambler という言葉は、たとえば、中・高生から使える学習研究社の「ニュー ヴィクトリー 英和辞典」(これはとてもいい辞書です)にも出ていて、

ぶらぶら歩く人;漫然と話す[書く]人;

と説明されている。さらに、動詞の ramble についても、

ぶらぶら歩く(かなり長い距離を歩くことを含意する);取り止めもなく話す;漫然と書く(on)

と、ていねいに書かれている。

さて、このブログの名前は、こうこうだ、と2,3行ですむことを、このようにだらだらと書き連ねるのだから、ふさわしい命名だと思いながらも、(また、いくらボズウェルがケチをつけていようとも)この有名な誌名を借用することにはためらいがあった。

グランブル(grumble:ぶつぶつ不平不満を言う)という動詞もあるので、グランブラー(不平不満居士)にしようとも考えていたのだが、亀井さんの放送を聞いて、流行に便乗することにした次第。

しかし、こんな風にダラダラと書き連ねるのは、やっぱり当世風ではないですよ、ねえ。

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流行語「ランブラー」

毎週日曜日、NHKラジオ第1の朝6時台に「当世キーワード」という短い番組がある。新語アナリストの亀井肇が今の流行語をいくつか取り上げて、解説してくれる。
10年ほど前、「チョベリバ」(超ベリーバッド→最悪)、「ルーズソックス」(現在は膝上の「オーバー・ニール・ソックス」が流行の由)などが流行語であった時代から、亀井さんにはお世話になっている。

昨年12月の第一日曜日の朝、たまたまこの番組を聞いていたところ、「ランブラー」という言葉が出てきて、一瞬わが耳を疑った。
ブログを始めてみようかな、と考えていて、サイトの名前の候補にしていたからだ。
念のため、ウェブ検索にかけてみた。
「新語探検」というサイトがあって、(2006年12月08日)の日付で亀井さんが次のように書いていた。

《イギリスで「ぶらぶら歩く人」を意味する。もともとはよい意味ではなかったが、自然のなかでの行動が見直されるようになり、ウォーキングやトレッキングが盛んになるとともに「大切な人、仲のいい人と話しながらウォーキングする人」という意味に変わってきている。「ランブラー」には「とりとめもなく話す人」という意味もあり、その2つの意味がつながったとも解されている。……気楽にウォーキングに出かけることができる。急がず、ゆっくりと、仲間と楽しく喋りながら、風景を楽しんだり、リラックスしながら歩く人が多い。アウトドア雑誌『BE-PAL』(小学館)で特集されてから注目を浴びるようになった。iBE-P@L著者:亀井肇 / 提供:JapanKnowledge》

はじめまして、どうかよろしく

ブログとは「現代の新しい日記」、と聞く。
高校時代に習った紀貫之の『土佐日記』の冒頭を思い出す。

《男もすなる日記といふものを、女もしてみむとてするなり。》

懐かしいですねえ。
わたしの場合は、「今はやりのブログといふものを、古希を過ぎたる
じいじいもしてみむとてするなり」といったところでしょうか。

「古希を過ぎたるじいじい」にはちがいないが、平均寿命が延びて
きたせいか、こんな英語が使われはじめたらしい。
65~74歳を young old (若年老人、前期高齢者)、75歳以上を
old old (後期高齢者)と呼ぶという。わたしは young old です!