2010年1月22日金曜日

縦書きで読みたい

ブログは横書きの世界だ。横書きでなければ書けない言語が多いから、当然と言えば当然だが、縦書きでブログが書けたら、と思うことがある。
短歌や俳句のブログをやってる人は、縦書きを望んでいるだろう。どちらもやらないわたしも、縦書きで読めたらいいな、と思うことがよくある。
なによりも困るのは、何回かに分けて連続するブログを書くときだ。15回の続きものを書くと、初回のブログは15回分を下って読むことになる。しかも、1回分ごとに[上→下]、2回目の上までいって、また1回分を[上→下]……。このくり返しだ。

縦書きのブログがまったくないわけではない。たとえば、

こういうのは、フリーではないよね。
今日もグーグル検索をやって70ページばかり見たが「縦書きブログサービスは企業さま向けのものです。現在、個人さま向けには行っておりません。悪しからずご了承をお願いいたします」みたいなのが、二、三あっただけだ。

そこで、ブログの中から15回続けた「米原万里の父」のテキスト・ファイルを、縦書きができるエディタ(Virtical Editor) に流し込み、ひとつのテキスト文書にまとめた。このエディタでは、ルビも簡単につけることができる。これで新しい縦書きの文書「米原万里の父と祖父」ができた。

ご存知のように、漱石や子規などの作品をはじめ多数の文学作品などを無料で提供している「青空文庫」のようなものがある。「青空文庫」形式に対応の縦書きテキストビューワーがいくつもあって、縦書き、ルビつきの文章を楽に読むことができる。 ほんとうにありがたいことだ。わたしはその中のひとつ、「窓の中の物語」を愛用している。ぜひこれをインストールしていただきたい。(無料だし、気に入らなけばアンインストールしていただけばいい。) ↓ 下のいずれからでも,インストールできます。(わたしのブログを読まなくても、青空文庫などを読むことができますからネ。)

そうは言っても、わたしのブログを読んでほしいわけです。そのためには15回分の新しい「米原万里の父と祖父」をお渡ししなければなりません。

クラウドの時代になりました。「雲!」のなかから受け取っていただくのがいいと思います。クラウドもいろいろありますが、わたしは DropBox の中に置きました。

友人、知人にメールで案内をする予定ですが、こういうかたちで読んでみてやろうという方がいらっしゃれば、下記にメールをいただければ、ご案内します。
 gauna@helen.ocn.ne.jp

そんなややこしいことをしなくても、いいじゃないか、という方はぜひご教示ください。(下の写真は、クリックすれば、大きくなります。)

        ↑「設定」をクリックし、下の「各種設定」をクリックすれば ↓
      
↑右下の、□”青空文庫”ルビ対応 には必ずチェックを入れてください。

2010年1月5日火曜日

『昭和二十年夏、僕は兵士だった』

梯久美子(かけはし・くみこ)の『昭和二十年夏、僕は兵士だった』を「まえがき」の最初および最後と、目次だけを引用してご紹介する。
↓下の画像をクリックしてください。梯さんが直接、あなたに語りかけます。

 昭和二〇年夏。戦争は、敗けて終わった。二〇代の若者の多くが、兵士として終戦を迎えた(本書でいう兵士とは、兵卒の意味ではなく、戦うための人員として戦争に動員された人のすべてを指す)。生き残ったかれらは、仕事を見つけ、あるいはもう一度学校で学び直し、社会へと出ていった。
 廃墟の中から新しい日本を作ったのは、かれら若い兵士だった世代である。敗戦国の兵士たちが、戦後を生きるとはどういうことだったのか。戦争の記憶は、かれらの中に、どのような形で存在し、その後の人生にどう影響を与えてきたのだろうか。
 …………
 この本の中で話を聞いた……五氏は、終戦時に一八歳から二六歳だった。現在はそれぞれの分野の第一人者であり、功成り名を遂げた人たちと言っていいだろう。
 かれらもまた、あの夏、ひとりの兵士だった。ゼロからスタートして、何者かになったのである。その半生は、戦争に敗けた国が、どのようにして立ち上がっていったかの物語でもある。

(もくじ)
賭博、男色、殺人―――。
南の島でわたしの部下は、何でもありの荒くれ男たち。…………金子兜太
でもわたしは彼らが好きだった。

脚にすがってくる兵隊を
燃えさかる船底に蹴り落としました。         …………大塚初重   
私は人を殺したんです。一八歳でした。

逃げるなら大陸だ。
私は海峡に小舟でこぎ出そうと決めました。     …………三國連太郎
徴兵忌避です。女の人が一緒でした。

もうねえ、死体慣れしてくるんです。
紙くずみたいなもんだな。               …………水木しげる
川を新聞紙が流れてきたのと同じです。

マリアナ沖海戦、レイテ沖海戦、そして 沖縄特攻。
二〇歳の頃に経験したことにくらべれば、      …………池田武邦
戦後にやったことなんか大したことない。

以上の五氏について、改めてご紹介する必要もあるまいが、簡単に記しておく。

金子兜太(かねこ・とうた)1919年生まれ。俳人。句集多数。
大塚初重(おおつか・はつしげ)1926年生まれ。日本考古学会の第一人者として、登呂遺跡をはじめ、多くの発掘を手がける。
三國連太郎(みくに・れんたろう)1923年生まれ。1951年映画「善魔」で主演デビュー(当時わたしは高1で、この映画を見た。)
水木しげる(みずき・しげる)1922年生まれ。今年の3月からNHKの連続テレビ小説『ゲゲゲの女房』が始まりますネ。
池田武邦(いけだ・たけくに)1924年生まれ。戦後、霞ヶ関ビル、京王プラザホテル、新宿三井ビル、ハウステンボス等を手がけた建築家。いずれ、このブログであらためて取り上げたいと思っている。

2010年1月1日金曜日

迎春

2010年 明けましておめでとうございます!


今朝の鳥取はこの冬初めて、積雪25センチを越えました。

(写真はいずれも中3の孫が今朝撮影したものです。)