2009年12月30日水曜日

昭和十六年十二月八日⑥

5隻の特殊潜航艇のうちい4隻については確認できているのだから、今回発見されたのは、当然、横山艇である。これまで引用してきた『九軍神は語らず』のなかでも、横山艇が開戦日の午後10時41分に「トラトラトラ」を打電したとき、その艇は確かに、「真珠湾内に在ったが、爆雷に悩まされ、二本の魚雷は、すでに発射されていた。死場所を求めて…湾内を三日間さまよったあげく、壮烈な最期を遂げた。」と、牛島秀彦は書いているだけである。

横山艇の母潜水艦、伊十六潜(艦長、山田薫中佐 http://74.125.153.132/search?=cache:DxFqjklK4pQJ:www2.ocn.ne.jp/~srekishi/sensuikantyou.html+%E4%BC%8A%EF%BC%91%EF%BC%96%E5%8F%B7%E6%BD%9C%E6%B0%B4%E8%89%A6%E3%80%80%E8%89%A6%E9%95%B7%E3%80%80%E5%B1%B1%E7%94%B0%E8%96%AB&cd=1&hl=ja&ct=clnk&gl=jp)の電信兵だった岡山在住の出羽吉次さん(90歳)が、このテレビで次のように証言した。

横山さんとは階級は違うが、同い年で、潜水艇の建設段階からいっしょに仕事をした。横山艇が母潜を離れるとき、自分が最後に電話で話をした。元気で帰って来て下さいと言ったら、母潜に戻って「送り狼」
を連れてくるようなことはしない。こちらは二人ですむ。親艦の100人を助けるためにも、絶対に帰ってこない、と答えたという。
出羽さんは、その日ずっと横山艇に波長を合わせて待機していた。夜、10時41分、突然、「キラ」と一回だけ受信した。出羽さんは、日誌に、「キラ」(「トラ」)完受ス、と記入し、その旨通信長に報告して判断をまかせた、という。

映画の題名にもなってみなさんがご承知のように「トラトラトラ」は、「ワレ奇襲ニ成功セリ」の暗号電文でった。モールス信号ではトラは「・・―・・/・・・」だ。キラは「―・―・・/・・・」。つまり、トとキのちがいは、最初の「・」と「―」の1音の違いだ。
いずれにせよ、このキラを大本営はアリゾナ撃沈と結びつけ「九軍神」をでっち上げたのだ。

牛島秀彦も、アリゾナ撃沈は、時間的にも、特殊潜行艇によるものではないことを、ハッキリ言っているが、牛島の死の9年後に、出版された自叙伝のなかで、真珠湾攻撃の総指揮官だった淵田美津雄は次のように書いている。
 私が、十二月二十六日(引用者注:昭和十六年)拝謁で上京していたとき、大本営の潜水艦主務参謀の有泉龍之介中佐が、私のところへやって来て、「淵田中佐、アリゾナの撃沈を特別攻撃隊の戦果に呉れないか」と、もちかけたのである。私は苦笑した。
「別に功名争いするわけではないし、特殊潜航艇は特攻だから、その功績を大々的に吹聴してあげたいのはやまやまだけれどね、アリゾナは無理だよ。それはね、アリゾナはフォード島東側の繋留柱にかかっていたのだが、その外側にヴェスタルという工作艦が横付けしていたので、アリゾナには魚雷は利かなかったのだよ。従って特殊潜航艇の魚雷による轟沈などと発表したのでは、あとあと世界の物笑いになるよ」
 有泉中佐…は憤然として出て行ってしまった。(注1)
今回の調査の際、特別の許可を得て、二人の潜水夫が沈んでいるアリゾナの側面を調べたが、魚雷の当たった痕跡は発見できなかった。
また、横山艇についての記録はアメリカ側には全くない、というか残されていなかった。次回、最終回で述べたい。

注1 中田整一編/解説『真珠湾攻撃総隊長の回想 淵田美津雄自叙伝』
  講談社 2007年12月8日発行 p.140
  テレビでは、淵田の自筆原稿を紹介していた。




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