2009年12月12日土曜日

昭和十六年十二月八日②

去る6日(日)のNHKスペシャルで、「真珠湾の謎―悲劇の特殊潜航艇」が放映された。

1941年11月18日午後8時、大型巡洋潜水艦丙型の伊号潜水艦の4隻が、広島県倉橋島からハワイ真珠湾へ向かって出港した。各艦は特殊潜航艇を搭載していた。もう1隻は搭載する潜航艇の転輪羅針儀(ジャイロ・コンパス)が故障のため、翌19日午前2時16分出港した。
艦名・艦長:特殊潜航艇指揮官・同付は下記の通り。

伊22・揚田清猪中佐:岩佐直治大尉・佐々木直吉一曹
伊16・山田 薫中佐:横山正治中尉・上田 定(かみた・さだむ)二曹
伊18・大谷清教中佐:古野繁実中尉・横山薫範(しげのり)二曹
伊20・山田 隆中佐:広尾 彰少尉・片山義雄二曹
伊24・花房博志中佐:酒巻和男少尉・稲垣 清二曹

特殊潜航艇の10名の出身県は、岩佐大尉・群馬、横山中尉・鹿児島、古野中尉・福岡、広尾少尉・佐賀、酒巻少尉・徳島。佐々木一曹・島根、上田二曹・広島、横山二曹・鳥取、片山二曹・岡山、稲垣二曹・三重。(なお、母艦、伊16号の山田薫艦長も鳥取県出身である。)

士官の最年長は岩佐大尉の27歳、最年少は広尾少尉の22歳で、いずれも江田島の海軍兵学校出身
、艇付の最年長、最年少は佐々木一曹の28歳、片山二曹の24歳だ。

後で改めて紹介するが、『九軍神は語らず』の著者、牛島秀彦は「選別された十名は、いずれも申し合わせたように、…地方出身者であり、都会出身者は、一人もいない。」「彼等の大半は、農家出身で、子だくさんのなかで育ち、貧しく、寡黙で、剛毅木訥型だ。」と述べている。(23ー24ページ)

広島の倉橋島から出航した各潜水艦は、昼間は潜行、夜間は水上航行でハワイを目指した。開戦二日前の12月6日の日没までに、真珠湾湾口から185キロ圏に到達し、夜間に浮上して最後の特殊潜航艇発進準備を完了した。開戦前夜、5隻の母潜水艦は湾口を包むように逆扇型の隊形に並んでいていた。湾口までの距離は10~23キロであった。

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