2009年12月10日木曜日

昭和十六年十二月八日①

12月8日。「天声人語」は次のように結ばれていた。
▼今日が何の日か知らない若い世代が、ずいぶん増えていると聞く。わが身も含めて4人に3人が戦後生まれになった今、風化はいっそう容赦ない。伝える言葉に力を宿らせたいと、かつて破滅への道を踏み出した日米開戦の日に思う。
翌9日の「朝日川柳」にはこんな句が採られている。
   語りたい八日聞く人誰もいず

天声人語子に励まされ、この川柳に苦笑いしながら、このブログ記事を書く。

昭和16年12月8日(以下日時は東京時間)、午前7時、ラジオは臨時ニュースを伝えた。「臨時ニュースを申し上げます。臨時ニュースを申し上げます。大本営陸海軍部午前六時発表―帝国陸海軍は本八日未明、西太平洋においてアメリカ、イギリス軍と戦闘状態に入れり」のアナウンスが二度繰り返された。この日は月曜日であったから、醇風国民学校でも宮代校長が朝礼の壇上で開戦を告げ、少国民としての心構えを訓示したはずである。
「はずである」と書いたのは、ラジオの臨時ニュースも校長訓話もまったく記憶にないからだ。

当時の校長訓話がどのようなものであったか、兵庫県の加古川国民学校の「式日訓話記録」から冒頭部分を引用してみよう。12月11日に行われた「対米英戦争宣戦の大詔奉読式訓話」である。
何時になったらば、アメリカ、イギリスに対する宣戦の大詔を拝する事が出来るのかと、我々一億の国民は、実に待ちに待って今日に至りましたが、勿体無くも去る八日、アメリカ合衆国及イギリスに対し、宣戦の大詔を御煥発になりました。
我々国民として、感激此の上もない次第であると存じます。恐らく皆さんや私共が一生を通じて、こうした大詔を拝する事は、これが最後であろうと思います。私はこれで大詔を拝する事は三回目であります。日清日露両戦争と、此の度の対米英戦争と三回であります。
一昨日に、即ち十二月八日、午前十一時三十分、ラジオを通じて、宣戦の大詔が御煥発になった事を知って、只それだけの事を皆さんにお知らせしました。続いて十一時四十五分、宣戦の大詔の奉読あり、東條首相の「宣戦の大詔を拝して」と題する涙のこぼれる様なお話があったのでありました。
幸に十時頃にサイレン吹鳴禁止の命令(引用者注:空襲警報などをサイレンで知らせるため、学校の授業の開始、終了などをサイレンで知らせることを禁止したと思われる。)があったのと同時に、校長室のラジオをかけておいて、仕事をしていたので、この事が一早く知る事が出来、皆さんにお知らせもし、詔書の拝読や、首相のお話も、校内放声装置のお蔭で、聞く事が出来ました事は、他の学校でも数多く無い事でしょう。
……国力からいっても、軍備からいっても、経済力からいっても、世界一々々々と自分から誇っているし、又実力も持っているアメリカ合衆国並に地球上太陽の没する事のないという、広い領地を持つイギリスが、この太平洋方面の作戦の大事な基地にしている、アメリカのハワイや、ミッドウエイや、ウエイク、フィリッピン、又イギリスの香港、マレー、シンガポール等を電光石火の如く、八日午前三時を期して、米英両国の軍隊が立上がるひまもない程に爆撃し、又軍艦を轟沈する等、陸海軍の手ぎわのよさ、このニュースを聞いた皆さんの嬉しさ、私共の感激は死んでも忘れる事は出来ないと思います。(後略)注1.pp.270-271
長い引用になってしまったが、これで全体のざっと三分の一である。なお、原文は旧仮名遣いになっているが、現代仮名遣いに改めた。(続く)

注1.『加古川市史料2 加古川小学校式日訓話記録』加古川市史編さん室
   平成5年3月31日

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