2010年10月4日月曜日

おめでとう、阪神タイガース・M.マートン選手!


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先月30日の対横浜戦にまさかの逆転負け、翌1日には0-5で広島に完敗して試合のなかった中日の優勝を確定させた阪神タイガース。

2日、3日、11-4、7-4と広島カープを連覇して2位をキープしている。唯一うれしかったのは、今年からタイガースの戦列に加わったマートン(Matt Murton)が昨日210本目のヒットを打ち、イチローの記録に並んだことだ。明日からの最後の3連戦できっと記録を更新すると確信している。

◇阪神タイガース公式サイトより、マートン選手の略歴と昨日の試合の記録を載せておく。   (→http://hanshintigers.jp/game/score/index.html

図1.クリックすると拡大します。
図2.クリックして左上に現れた図を大きくできます。


図3.上の図2のようにすれば大きくなりますが、文字は読みづらいでしょう。上記本文の最後に
載せている「阪神タイガース公式サイトのアドレス」をクリックして、そのサイトに行けば、こういう記録も読めるのです。



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2010年9月21日火曜日

今週で終る「ゲゲゲの女房」



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「ゲゲゲの女房」はいよいよ今週末の25日(土)の全26週・156回をもって終る。これまでのNHK「朝ドラ」より視聴率がかなり高くなったという。
主演の松下奈緒、向井理をはじめ、多くのベテラン共演者たちの好演もあるが、山本むつみの脚本が非常に良かったことも大きい。

出雲地方や鳥取県西部の方言「だんだん=ありがとう」や、父親源兵衛(大杉漣)がよく使った「だらず=ばか」は県東部でも使われているがこのドラマでひろく知られるようになったことだろう。

来週からの連続テレビ小説は「てっぱん」になる。主人公の村上あかりを演じる瀧本美織は鳥取市内にある鳥取敬愛高校の卒業生だ。引き続き声援を送ることにしよう。
http://www9.nhk.or.jp/teppan/

「マイコミジャーナル」にこんな記事があったので、追加して紹介します(9/22)。




http://journal.mycom.co.jp/news/2010/09/18/008/index.html









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2010年9月7日火曜日

蔵書を増やさず減らすには(2)

読みたい本があってもすぐには買わない。メディアマーカーに記録して「待つ」と昨日書いた。いつまで待つのか。

本屋に行って、その本を手にとって実際に内容を吟味する。買いたくなっても我慢する。衝動買いなどしてはいけない。「家に帰れば、読まねばならぬ本が待っているではないか」と我慢する。一にも我慢、二にも我慢、三にも我慢だ。
人生は短い。我が家の書架にはまだ読むべき本が待っているではないか!

図書館にあれば、借りて読もう。メディアマーカーで、登録した図書館にその本があるかどうか調べることができる。ある場合は、昨日のブログの写真(2)にあるように、わたしの場合は、「☆県立図書館所蔵」というタグをつける。
最近、もっと簡単に図書館が所有しているかどうかを調べることができる「便利もの」を知ったので、ご紹介する。

1―2.Libron (リブロン)

すでに述べたように、特定の図書館を指定して、特定の書籍を所有しているかどうかを調べることはメディアマーカーでもできる。それをもっと簡単に、すばやくできるのが、アマゾン のページから最寄りの図書館の蔵書を検索できる便利なツール、リブロンだ。

ある本をメディアマーカーに登録する場合、その本のさまざまな情報を取得するために、必ずアマゾンのサイトにいくことになる。このリブロンを使うと、指定した本の情報と同時にその本が登録した図書館にあるかどうかを知らせてくれるのだ。
わたしの場合、自転車なら15分くらいで行ける県立図書館が一番便利なので、これを登録している。(ただ残念なことに現在、Chrome あるいは Firefox でなければ使用できません。)

写真 ① 「鳥取県立図書館で予約する」をクリック

写真 ② [予約]ボタンをクリックする。

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2010年9月6日月曜日

蔵書を増やさず減らすには(1)

ある本からの孫引きだが、書誌学研究家の庄司浅水が19世紀イギリスの歴史家、マコーリのこんな言葉を紹介しているという。
ひとたび書物を愛してこれに親しめば、日の長さを嘆ずるどころか、一生の短いことを嘆ずるだろう。
この言葉の真実を、己のような凡庸な者もかみしめてはいるが、ここでは物体としての書籍についての悩みとその解決法を考えてみたい。と言ってみても、改めて言うまでもなく解決法は二つだ。
1.なるべく本を購入しない。
2.すでに所有している本をできるだけ処分して減らす。
―――――――――――――――――――――――
1―1.Media Marker(メディアマーカー)

この歳になると、これ以上蔵書を増やしても自分の死後、残されたものが処理するのに困るだろうと思う。わたしは欲しくて買ったわけだが家人にとっては狭い家の中でただ場所を占めているだけの無用の長物になりかねない。
そこで、先ず第一になすべきことは、できうる限りこれ以上蔵書を増やさぬことだ。具体的にはどうするか? Media Marker を活用する。

写真①図書についての各項目の最下段の緑色の文字がタグ。

写真② 個別のページ

むろん蔵書の登録、整理に活用できるが、これを蔵書を増やさぬために使うのだ。
改めて説明するまでもないだろうが、このメディアマーカーは、書名やISBN などを入れて検索すれば Amazon にとんで表紙の画像その他をたちどころに取得してくれる。下の写真の通りだ。アマゾンで目次をコピーしてメディアマーカーの記録欄に貼り付けることも簡単にできる。とにかく、1冊の本について必要な情報をすべて記録することができる。

本題にもどろう。
蔵書を増やさないためには、本を買わないことだ。できるだけ、図書館を活用する。

毎日手にする新聞には必ず本の広告が載っている。週に一度は読書欄もある。もっとも「危険な」場所、書店も街のあちこちにある。出版社や新聞社が発行している月刊誌(書店では無料で貰えるし、予約すれば年間千円くらいで購読できる)も「危険」だ。
日々こういう危険に身をさらしながら、この本をすぐに読みたい、買いたい、という衝動をぐっと我慢する強い意志と、家内の愚痴という力強い支援が必要だ。

どういう「場」であれ、読みたい、買いたい、という気持ちをぐっと我慢する。ただちに、書名なり、ISBN なりを手帳にメモする。そして、メディアマーカーに登録して、じっと「時が来る」のを待つ。

とにもかくにも、メディアマーカーに記録するだけでとりあえず満足する。「忍」の一字で我慢する。


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2010年9月4日土曜日

「ゲゲゲの女房」 いよいよ終盤へ

NHKの連続テレビ小説「ゲゲゲの女房」は、来週、第24週に入り、いよいよ今月
25日に終了する。

このドラマがクランクアップして、そのセレモニーが行われたのは8月18日だった。ブログの右サイドバーに、このドラマのガゼットを一か月ばかり前から置いていた。これをクリックしていただけばその動画をご覧いただけたのだが、現在はできない。
    ↓ をクリックしてください。セレモニーの動画をご覧になれます。
http://www.nhk.or.jp/pr-movie/index.html?id=0383
 
『ゲゲゲの女房』の著者、武良布枝さんへのインタビューも、8月22日のラジオ深夜便で放送された。(午前4時台の明日へのことば「終わりよければ、全てよし」)


2010年8月19日木曜日

トランクの中の日本 (2/2回)

紹介したい写真はいろいろあるが、少年少女を撮った2枚の写真をご紹介する。カメラを扱う私の技術が未熟なためでもあるが、写真に付された文章も読んでいただきたいと思うからだ。
最初は例の「直立不動の少年」。




………
 焼き場に一〇歳くらいの少年がやってきた。小さな体はやせ細り、ぼろぼろの服を着てはだしだった。少年の背中には二歳にもならない幼い男の子がくくりつけられていた。その子はまるで眠っているようで見たところ体のどこにも火傷の跡は見当たらない。
少年は焼き場のふちまで進むとそこで立ち止まる。わき上がる熱風にも動じない。係員は背中の幼児を下ろし、足元の燃えさかる火の上に乗せた。まもなく、脂の焼ける音がジュウと私の耳にも届く。炎は勢いよく燃え上がり、立ちつくす少年の顔を赤く染めた。気落ちしたかのように背が丸くなった少年はまたすぐに背筋を伸ばす。私は彼から目をそらすことができなかった。少年は気を付けの姿勢で、じっと前を見つづけた。一度も焼かれる弟に目を落とすことはない。軍人も顔負けの見事な直立不動の姿勢で彼は弟を見送ったのだ。
私はカメラのファインダーを通して、涙も出ないほどの悲しみに打ちひしがれた顔を見守った。私は彼の肩を抱いてやりたかった。しかし声をかけることもできないまま、ただもう一度シャッターを切った。急に彼は廻れ右をすると、背筋をぴんと張り、まっすぐ前を見て歩み去った。一度もうしろを振り向かないまま。係員によると、少年の弟は夜の間に死んでしまったのだという。その日の夕方、家にもどってズボンをぬぐと、まるで妖気が立ち登るように、死臭があたりにただよった。今日一日見た人々のことを思うと胸が痛んだ。あの少年はどこへ行き、どうして生きていくのだろうか?(pp.96-97)
[長崎の小学校にて]
この教室を訪れたとき、私は壊れた窓や校庭であったはずの場所が完全に破戒されている様を見て、深い悲しみに襲われた。子供たちは驚くほど規律正しく手も動かさずに静かに座っていた。私は教室に侵入者のように現れたが、子供たちは私に目を向ける様子もなく、ただじっと先生の話を注意深く聞いていた。そして先生も私を無視して、授業を続けているのであった。疎外感がこみ上げ、私はさっさと写真を撮るとそこを後にした。(pp.94-95)







上の説明文のタイトルが「小」学校となっているが、「国民」学校が正しい。昨日のブログで紹介したオダネルの文中にも書かれているように、彼が日本に滞在していたのは1945年9月から翌年の3月までの7か月間であった。1941年4月から1947年3月までは国民学校であった。
この写真の最前列左の女の子の服に縫いつけられている名札には「奈(?)○○國民學(校)」と書かれている。○○の部分の漢字は判読できない。ネットで調べてみたが具体的な学校名は確認できなかった。

ただ、この写真をもう一度アップしたのは、子どもたちの目を見て欲しかったからだ。写真に写っている最前列の子どもたちの足は男女ともみな素足だ。机の上には教科書やノートもない生徒もいる。なんの授業かも分からない。しかし、教師の顔を見上げている、子どもたちの真剣な目を見てほしい。

わたしも6年間国民学校に通った世代だ。焼き場に立っている少年も、この教室の少年少女たちもたぶん同じ年齢だ。違っていても2歳は違っていまい。これらの写真を見るたびに、熱いものがこみあげてくる。

これらの写真を残してくれたジョー・オダネルさんは、奇しくも、2007年の8月9日、長崎・原爆の日に亡くなった。85歳だった。



2010年8月18日水曜日

トランクの中の日本 (1/2回)

あれはいつのことであったか? 正確には思い出せない。後で述べることから、推測すると、1992年か、その翌年のことであったと思われる。
新聞の記事、というより記事とともに掲載されていた一枚の写真に衝撃を受け、心を打たれた。この写真は一昨年の夏、NHK総合テレビでも放映され、多くのブログがとりあげた。

2008年8月7日(木) 午後8時~8時49分、「解かれた封印~米軍カメラマンが見たNAGASAKI~」
(→http://www.nhk.or.jp/special/onair/080807.html

1995年6月に『トランクの中の日本 米従軍カメラマンの非公式記録』が小学館から発行され、「あの少年に会える」とすぐに買った。

冒頭で推測したのは、この写真集の帯にこう書かれているからだ。
1990年からアメリカで、ついで1992年から日本各地で彼の写真展は開催され、話題を集める。しかし、この夏に予定されていたワシントンのスミソニアン博物館での原爆写真展は、すでに報道されたように在郷軍人の圧力でキャンセルされた。ここにおさめられた57点の写真は、スミソニアンではついに展示されなかった真実の記録である。
さらに同じ帯に「1993年、日本で開かれた写真展で食い入るように写真を見つめる人々。」という説明と写真も載っている。

この写真集は現在でも入手できるので、ここで紹介しておきます。


この写真集に、なぜこのような題名が付けられたのか?
寫眞の撮影者、ジョー・オダネル(Joe O'Donnell)自身の言葉「読者の方々へ」を引用しよう。

私ジョー・オダネルは、アメリカ海兵隊のカメラマンとして、1945年9月2日に佐世保に近い海岸に上陸した。空襲による被害状況を記録する命令を受け、23歳の軍曹だった私は、日本各地を歩くことになった。
私用のカメラも携え、日本の本土を佐世保、福岡から神戸まで、そしてもちろん広島、長崎も含めた50以上の市町村に足をのばした。カメラのレンズを通して、そのとき見た光景の数々が、のちに私の人生を変えてしまうことになろうとは知る由もなかった。
1946年3月、本国に帰還した私は、持ち帰ったネガをトランクに収め、二度と再び開くことはないだろうと思いながら蓋を閉じた。生きていくためにすべてを忘れてしまいたかったのだ。
しかし45年後、戦後の日本各地で目撃した悪夢のような情景からどうしても逃れられないと思うようになった。私はトランクを開けると、湿気からもネズミの害からも奇跡的に無傷だったネガを現像し、写真展を開催した。
この本は私の物語である。私自身の言葉で、私の撮影した写真で、戦争直後の日本で出会った人々の有り様を、荒涼とした被爆地を、被爆者たちの苦しみを語っている。胸をつかれるような寫眞を見ていると、私は否応なく、辛かった1945年当時に引き戻されてしまう。そして、私のこの物語を読んでくださった読者の方々には、なぜひとりの男が、終戦直後の日本行脚を忘却の彼方に押しやることができず、ネガをトランクから取り出してまとめたか、その心情を理解していただけると思う。
1995年4月 ジョー・オダネル

2010年8月3日火曜日

平和な夏は甲子園だ!

平和な夏は甲子園での全国高校野球選手権大会だ。
鳥取県予選では、母校、鳥取西高は初日の第二試合で米子西高に7対2で敗れ、早々と姿を消してしまった。
決勝戦では、昨年城北高校に初の甲子園出場を阻まれた米子北高を、今年も東部の八頭高が4-1で破り、7度目の甲子園を決めた。

8月1日、全国の49代表校が決まった。
昨日、こんなブログを見つけた。
http://d.hatena.ne.jp/rationality/20100730/1280454982


49代表校の中で初出場は、昨年の半数、6校だ。その中に茨城県代表、水城(すいじょう)高校がある。ブログは、この高校の野球部のことではなく、現校長さんが若かった頃、水戸の定時制・通信制高校で「硬」式野球部を監督、指導なさったときの話だ。

このサイトに多くの人が感想を述べている。感銘を受けたという人もあれば、否定的な声もある。わたしはいい話だと思うから、ご紹介した。

2010年8月1日日曜日

會津八一と戦没学生たち

毎年夏がくると、蝉の声とともにあの戦争の時代を思い出す。子ども時代の体験もあるが、さまざまなメディアがさまざまな視点からあの時代をとりあげるからでもある。

先月28日の夜、NHK-ETVで放映された日曜美術館ー「広目天のまなざし・會津八一と戦没学生が見た奈良の仏」ーを見た。7月18日(日)9:00~9:45に放映されたものの再放送だ。

1943(昭和18)年10月21日午前8時、東京の明治神宮外苑陸上競技場(現・国立競技場)で、文部省主催の「出陣学徒壮行会」が開かれた。
夜来の雨の中、東京及び近県七十七校の学生が制服制帽にゲートルを巻き、剣つき銃を肩にかつぎ、各校の校旗を先頭に行進していく。
東條英機首相、岡部長景文相らの激励を受け、出陣学徒代表が「……生等もとより生還を期さず」と答辞を述べ、観覧席からは各校の校歌が沸き上がり、それらの歌声はいつしか「海ゆかば」「紅(くれない)の血は燃ゆる」の大合唱となり、神宮の杜(もり)にこだました。(『昭和二万日の全記録』講談社などによる)

当時、わたしは国民学校の三年生であったが、大学卒業後、郷里の高校の教壇に立つようになったとき、先輩である同僚のなかには、戦地に向かう大学生としてあの雨中を行進した人、スタンドで雨に濡れた小旗を振りながら涙ながらに歌をうたった女子学生であった人がいたのである。

剣つき銃を肩に雨中行進した学生たちのなかには、当然、早稲田大学の学生たちもいた。
彼らに日本美術を教えていたのが、會津八一(1881年―1956年)であった。


     ↑http://www.nhk.or.jp/nichibi/weekly/2010/0718/index.html

秋艸道人、渾斎の雅号をもち、歌人・書家・美術史家として有名だが、新潟尋常中学校(現県立新潟高等学校)を経て、東京専門学校(早稲田大学の前身)に入学し、坪内逍遙や小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)らの講義を聴講し、1906年早稲田大学英文科卒業。卒業論文にはキーツをとりあげた。1934年、文学博士。1948年、早大名誉教授。戦後は故郷の新潟に在住。(同じ大学学部に学び、卒論に同じキーツを選んだはるか下の後輩として、ただただ、小さくなって平伏するのみである。)


會津八一自身「一回読み切り講義」と称していた美術史の講義は、しばしば、脱線もしたが、最後の決まり文句は「理屈を言わずに、奈良を歩いて来い!」であったという。

前述の学徒出陣の年、昭和十八年の秋、これが最後となる10日間の奈良旅行を行うことになった。會津は半紙を50枚の短冊に切って寺の名前を書いたものを畳に並べて、計画を練った。宿はいつも決まっていて、會津教授の定宿、奈良公園前の「日吉館」だった。



    ↑http://www.nhk.or.jp/nichibi/weekly/2010/0718/index.html

テレビではその旅行に参加した学生の一人、89歳の金田 弘(かなだ・ひろし)さんが登場した。戒壇院四天王像のうち、會津八一に似ているといわれていた廣目天を身近に見たとき、いつでも出征できると思ったという金田さんは、この旅の途中で入隊することになった。別れのあいさつに會津の部屋を訪れたとき、彼はこう言ったという。
君は今でも歌を作っているか。作りたまえ。
良寛や芭蕉も君らの歳では大した歌や句はまったくない。
長生きして実らせよ。井戸水をどんどん汲み出したあとで、本当の地下水が現れる。
命を無駄にするな。学問を続けよ。
金田さんは、姫路の師団に入隊したが、病を得て除隊になった。

奈良の航空部隊に入隊した別の学生は、毎朝のジョギングの途中に、日吉館の看板を手でさすっては走り続けたという。その看板の文字は師の書いたものであった。この学生はフィリピン沖で戦死した。
けふも また
いくたりたちて
なげきけむ
あじゅらがまゆの
あさき ひかげに
この番組の中で會津八一として何度か登場する寺田 農(てらだ・みのり)は、「先生は学生たちが生きて帰ってくることを願っていたのではないか。みずからも守り、生徒たちにも示した學規の最初には、この生を愛すべし、と書かれているし…」と言う。また言う。「なんども見ているうちに先生が廣目天に似てきたのではないか。」


 

戦地に向かう学生たちの多くが小さな仏像の写真を買い求めたという。弥勒菩薩が人気だった。学生たちは母の写真の代わりに仏像の写真を持って往ったのではあるまいか、とも。

唐招提寺に會津八一の遺骨の一部がおさめられている。
おほてらの 
まろき はしらの
つきかげを
つちに ふみつつ
ものをこそ おもへ

付記:実物重視の学問、実学を重んじた會津八一は、3000点もの東洋美術の資料を自らの給与の半分以上を使って集めた。現在は早稲田大学會津八一記念博物館に収められているという。かつて文学部の図書館だったところだ。
http://www.waseda.jp/aizu/index-j.html

久しく、早稲田の杜を訪れていないよなぁ。

2010年7月14日水曜日

父子男旅・鳥取県

昨13日の朝日新聞「天声人語」の左横にある小さな広告欄(TOYOTA)に、[父子男旅]という文章だけの広告がある。第2回とあるから最近にはじまったものらしい。その文章の後半に、
「男をデカクする景色は、自然とは限らない」。…中略…〈PCで男旅〉男旅サイトの閲覧数が15万を越えた。全国47の男旅MAPと紹介文が面白い。男旅しよう。
とあったから、鳥取県ではどこを取り上げているのか、とのぞいてみた。
下の写真をクリック、拡大してご覧頂きたい。

この文中に紹介されている計画が完成する頃には、わたしは城跡から見下ろすことができる公園墓地の墓石の下に入っているであろうし、寫眞の地図にある[西中―醇風小―西高]を結ぶ線上にある我が家もどうなっていることやら?
いやいや今、現在でも鳥取西高を現在地に置くのかどうか、結論は出ていない。

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2010年7月10日土曜日

もっと簡単に、縦書き

もっと簡単に、三木露風の次の詩を縦書きで読んでみましょう。


ふるさとの
小野の木立に
ふえの音の
うるむ月夜や。

少女子は
熱きこゝろに
そをば聞き
涙ながしき。

十年徑ぬ、
おなじ心に
君なくや
母となりても。

次のアドレスをクリックすると、

http://taketori.org/index.html

下の写真のような竹取の画面が出ます。このサイトのアドレスが入っているところに、下記の同じアドレス(つまり、今ご覧になっている、この画面のアドレス)
        http//wwwgauna.blogspot.com/

をコピペしていただき、右のボタン[このURLを縦書きで表示する]をクリックすれば、今ご覧の画面がたちどころに縦書きになります。


変わりましたか?

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2010年7月9日金曜日

三度目、縦書きで読みたい

6月31日以来ブログがひと月以上「開店休業」状態になっていた。
こんなことは「開業」以来はじめてのことだ。このグログを訪れる人はたしかに少ない。だからと言って「閉店」する気持ちはさらさらない。

最近、この国では電子書籍が話題になって出版業界も騒がしくなってきた。わたしも大きな関心を持って現状を見つめている。何冊か本も読んでみたし、Web上でもさまざまな情報に目を通している。いささか大げさな言い方をすれば、グーテンベルグ以来の大革命が起こりつつある。
昨日76歳になったが、この歳まで生きたおかげで、この変革を体験できることをよろこんでいる。今後、変革の体験を自分なりに書いていきたい。

とりあえず、今日はこのブログの縦書き表示について書いておく。日本語のブログを縦書きにすることは、(わたしのような者にとっては)難しい。わたしの知るかぎりでは、現在、二つある。

1.涅槃(ねはん)

これには、わたしの使っているブロガー用のものもあるが、わたしのようなプログラミング言語についての知識が皆無の者には難しい。
これを使ってブロガーで縦書きのブログを書いているサイトを二つばかり知っている。

2.竹取JS(たけとりJS)

これは読者の方の協力が必要であるが、今ご覧のサイトをたちどころに縦書き表示してくれる。

上記のアドレスへいって、下の画面のところへ移動して(縦書きの画面だから左へ移動して)、「縦書きにする」(青色文字)をクリックしたままブックマーク・バーまで引っ張ってはなす(drag and drop)と、あとはこのブックマーク「縦書きにする」をクリックすると2番目の画面のようにたちどころに縦書きになります。
パチパチ(拍手) では、本日はこれまで。







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2010年5月31日月曜日

世界禁煙デー

ご覧の通り、今日は世界禁煙デーだ。それでふと思い出して久しぶりにブログを書くことにした。

タバコを始めたのは二十歳になってからだったが、当時から一日二〇本ではおさまらなかった。タバコ銭がなくなると、学生協で五本、十本とバラ売りのたばこを買って、キャンパスのベンチでむさぼるように、吸った。                                          
一度だけ禁煙をしたことがあったが、タバコの煙や匂いがしてくると、どうしてもそちらの方へ顔が向いてしまう。なにかさもしいような気がして、禁煙は一週間あまりでやめてしまった。以来、禁煙しようと思ったことは一度もなかった。喫煙は半世紀以上続いた。

古稀も過ぎたある日の朝、ふと書棚に目をやると、並んだ本の背文字が読みづらいことに気づいた。コーティングされた本のカヴァーの背をウェットティッシュで拭いてみると、くっきりと背文字が現れた。ティッシュを見ると、ベッタリとニコチンで汚れていた。タバコをやめなきゃだめだ、と思った。
ダンヒル・ロングの箱には十本前後のシガレットが残っていた。それは全部吸った。そして喫煙をやめた。

その後も、飲み屋へ行ったときなど、ダンヒルを買って、酒のつまみのようにしてチェーン・スモーキングをやって一箱開けてしまうことをなんどもやってみた。それでも、翌朝以降、禁断症状的なものは現れなかった。現在、喫煙は克服できたと思っている。いわば、その報償状が下の【卒煙式】の記録なのだ。

 
http://sotsuen.jpn.org/ ↓

 






2010年5月9日日曜日

再び、縦書きで読みたい

今年の1月22日の記事に続き、PCで縦書きの文章を読むソフト(すべてフリー)をもう一度ご紹介する。
①【窓の中の物語】これが一番気に入っているのだが、残念ながらWindows XPでないと使えない。わたしはまだまだXPを使うつもりだが、以降の新しいWindowsでも使えるようにしてほしい。
こちらから→http://www.vector.co.jp/magazine/softnews/010303/n0103032.html


②【PageOne】
こちらから→http://www.vector.co.jp/magazine/softnews/090421/n0904212.html?ref=search

③smoopy
こちらから→http://www.vector.co.jp/magazine/softnews/030312/n0303124.html?ref=search

④扉~とびら~
こちらから→http://www.vector.co.jp/magazine/softnews/040310/n0403103.html?ref=search

⑤小町文庫
こちらから→http://www.vector.co.jp/magazine/softnews/031101/n0311013.html




2010年4月30日金曜日

iPad is tangible !

昨日の朝日新聞(p.17 論壇時評)の「あすを探る[科学]」に、【触れてわかる「媒体」の実体】と題した、福岡伸一さんの一文が掲載された。
日本では発売が来月末になる、米国アップル社の新型携帯端末のiPad を在米の知人や友人に頼んで手に入れた人々がその使用感を述べている文章をウェブ上でいくつか読んできたが、この文章に心をうたれた。
iPadで電子書籍iBooksをさわってみて驚いた。文字はくっきり鮮やかで読みやすい。挿絵もカラーで美しい。そして指先で画面に触れると、まるでほんとうの紙のページをめくるような感覚で自由自在に操れるのだ。無線でネットとつながり、好きな本を随時購入できる。それをiPadの中に作った自分の本棚に並べられる。この小さな装置の中に蔵書のすべてがすっぽりおさまり、本を探したり、単語やフレーズを検索することもたやすい。メディアというものの明日に、私はあらためて思いをはせた。
シャーレの中で培養される細胞、水中に棲む魚、地上に生きる人間、それぞれを取り囲んでいる培養液、水、空気・重力・温度などを生物学では媒体=メディア(単数形はメディウム)と呼ぶ。培養細胞、魚はそれぞれの媒体の存在を知らないし、人間は媒体の存在を気にせず、自覚していないが、それぞれがその媒体と確実に接しており、その接点で媒体に支えられている。
   先に、私は、細胞がメディアの存在に気づかないまま、しかしそれに確実に接していると記した。その接し方を(より正確にいえば、生命という球体が媒体とある一点で接していることを)科学用語では、タンジェントという。タンジェントはまた、形容詞タンジブル(tangible)につらなる。触れてわかること。手ざわり感がもてること。
    細胞にとってメディアとは、単に栄養素や酸素や成長因子を溶かしこんだ溶液(ストック)ではない。接する時、接した点で物質とエネルギーと情報の交換が行われる。それが生化学反応を引き起こし、生命という動的な平衡を支える。そのとき初めて細胞にとってメディアはメディアとしての意味を持つ。
  そのように考えると私たちにとってメディアとは何かが見える。…(中略)…それに接すると流れが導かれ、反応を引き起こすもの……そのとき初めて意味を持つ動的なものとしてある。そして、接するときのタンジブルさこそがその実体を示す。
   残念なことに、私は接点としてのiPadをとてもタンジブルなものに感じた。なぜ残念かといえば、紙の書籍や紙の新聞に、私はずっと特別な手触りと愛着を感じてきたからである。
でもそれは私たち旧世代の感傷であろう。これから生まれてくる世代にとって、iPad(あるいはそれに類するもの)は、ハイテクでもなくローテクでもない。アナログでもなくデジタルでもない。彼らにとってそれはタンジブルな第一言語(ネイティブラングエッジ)としてそこにある。
  ヒトが地球上に出現しておよそ700万年。紙がタンジブルだった数千年は、その中の一瞬として、まもなく確実に終わる。しかし、流れとして、その流れ方としてのメディアは私たちとともにあり続ける。

うーん、早く実際にiPadに触れて、そのタンジブルさを実感してみたい。

  参考サイト→  http://www.bloom-cafe.com/archives/221

2010年4月25日日曜日

当世キーワード(最終回)

今日の当世キーワードをアップしようとしたところ、今月からNHKのサイトに、ご覧のように放送の内容が紹介されるようになっていた。
もはや、放送を録音し、テープ起こしをして紹介する必要はないわけだ。これからは下記のサイトに接続すれば、毎週の当世キーワードを読むことができます。

サイトのアドレス→http://www.nhk.or.jp/r1/asa/keyword.html


2010年4月20日火曜日

本のPDF化

我が家で購読している新聞は朝日新聞だが、どの新聞でも元旦には様々な特集のページが組まれていただろう。今年の朝日の場合、その第4部[読むスタイル]の第5ページは、[読むワザ]と題して、大江健三郎(作家)、吉岡忍(作家)、小飼弾(ブロガー)の三人が登場している。大江の欄には本人と書斎の写真、後の二人は書棚をバックにした肖像写真が掲載されている。しかし、3人の蔵書がこんなものでないことは想像に難くない。

いささか枕が長くなったが、ここで取り上げたいのは吉岡さんの記事だ。
約2万冊の蔵書を持つ吉岡さんは、PDFが普及し始めた5年ほど前から本をパソコンに保存しているという。
「まずスキャナーで表紙を取り込み、次に専用カッターで背表紙を裁断して扉から奥付までカード状にする。暑さ1センチずつ両面スキャンができる高速のドキュメントスキャナーにかけると約1分半、3センチの本でも5分以内です」
現在、外付けのハードディスクに約50ギガ分、1500冊ほど入っているそうだ。
「地球の歩き方」シリーズの1冊をクリックしてみると、画面左側に中身の一覧が表示され、読みたいページをクリックすれば、そのページが開く。地図や写真をクリックして拡大表示することもできる。
「目が悪いので仕事場では27インチの画面で本や雑誌を読みます。昔の小さな活字の文庫や漫画も拡大して読めるからとても便利」と吉岡さんは語っている。
デメリットとしては、A4サイズを超える大型本は取り込めないこと、カード化、つまりばらした本は処分せざるを得ないことの2点を挙げているが、最後にこう語っている。
「でも面白いことに、前より本をたくさん読むようになりました。その意味では本が生きたといえる。本は記憶の手がかり。本自体がなくなることはないでしょう」

(以上、新聞を見ながら引用したが、朝日のサイトにみな載っていた!
http://book.asahi.com/special/TKY201001050299.html 

このブログの終わりに Amazon の広告も掲載しておくが、本のPDF化もそれなりにお金がかかることも事実だ。

そこで新たな商売も生まれてくる。
http://www.bookscan.co.jp/

これはありがたい、とわたしは喜んでいるが、これは違法だ、いや合法だ、とかしましい。
ツイッターでもツイッた通りだ。

◇昨日,本を1冊100円でPDF化しますというBOOKSCANのサイトを見て、gaunaのような貧乏人はこりゃいいなと単純に喜んだが、今朝になってみれば著作権法違反じゃねえか、とカンカンガクガクがtwitter上でも始まっている。
10:04 AM Apr 17th webから
◇ BookScan代行問題。mehoriさんも合法とtwitしているし、404 Blog Not Found も違法じゃないと言ってるぞ。
6:28 AM Apr 19th webから

冒頭にも名前を挙げた小飼弾さんの意見はこちらから、
http://blog.livedoor.jp/dankogai/archives/51434363.html

最後に一言。最初に引用した吉岡さんは「昔の小さな活字の文庫」本も拡大して読めるといっているのに、BookScan はこういう古い文庫本などを扱わないとしているのは残念至極だ。書棚の大整理をするには7万円は必要か(ため息)。

2010年4月19日月曜日

龍馬と海舟

昨夜のNHK大河ドラマ「龍馬伝」第16回で、勝海舟が登場した。
時代背景を年表で大雑把に見てみよう。

1860(万延1)年、2年前日米間で結んだ修好通商条約批准のため渡米した幕府の使節団に随行し、咸臨丸船長として太平洋横断に成功したのが、 勝海舟(1823-1899)である。
坂本龍馬(1835-1867)が脱藩したのは、1862(文久2)年だった。この年、海舟を切りに行ったが、説き伏せられて入門した。
後年、海舟は龍馬について、こう語っている。
坂本龍馬。彼(あ)れは、おれを殺しに来た奴だが、なかなか人物さ。その時おれは笑って受けたが、沈着(おちつ)いてな、なんとなく冒(おか)しがたい威権があって、よい男だったよ。(p.85)
坂本龍馬が、かつておれに、先生しばしば西郷の人物を賞せられるから、拙者も行って会ツて来るにより添書をくれといツたから、早速書いてやったが、その後,坂本が薩摩からかへつて来て言ふには、成程西郷といふ奴は、わからぬ奴だ。少しく叩けば少しく響き、大きく叩けば大きく響く。もし馬鹿なら大きな馬鹿で、利口なら大きな利口だらうといつたが、坂本もなかなか鑑識のある奴だヨ。西郷に及ぶことの出来ないのは、その大胆識と大誠意とにあるのだ。おれの一言を信じて、たつた一人で、江戸城に乗込む。おれだつて事に処して、多少の権謀を用ゐないこともないが、たゞこの西郷の至誠は、おれをして相欺(あいあざむ)くに忍びざらしめた。この時に際して、小籌浅略(しょうちゅうせんりゃく)を事とするのはかへつてこの人のために、腹を見すかされるばかりだと思つて、おれも至誠をもつてこれに応じたから、江戸城受渡しも、あの通り立談の間に済んだのサ。(p.70)
上の二つの引用は、明治になって新聞や雑誌に載った海舟の談話をまとめた『海舟談話』による。これは、下に示すように、文庫本で容易に手に入る。
ただ、もしお買い求めになるのであれば、左の講談社学術文庫をおすすめする。その理由は、同書の松浦玲による前書きないしは解題により瞭然だ。

  

2010年4月15日木曜日

NHKラジオ&テレビから

NHKラジオ第1の5時台からの番組[ラジオあさいちばん]では、6時40分過ぎから10分間ほどの[ビジネス展望]という番組がある。
毎週、火曜日は内橋克人さんの担当だが、今週は9日に他界した井上ひさしさんを追悼する内容だった。以下は、山下信アナの質問に答えた内橋さんの話の概要である。

井上さんは膨大な作品を書き続けた作家と言うだけではなく、ひたすら、人間が人間らしく生きられる社会を求めて献身し続けて来られた方です。何よりも、社会が平和であること、平穏であること、人が人として遇される社会であること、そのようなあり方を、どうすればこの厳しい現実の中に実現できるのか、また何が、誰が、どのようでなければならないか、自ら懸命に探し求め、かつその道筋を人々に示してきた、数少ない先達であったと思います。
井上ひさしさんという存在そのものが私たち日本人にとっての。心の基盤というか、道路や水道などのようなインフラストラクチャー、心のインフラだったと思います。井上さんが亡くなったことを知ってから、もう、ポッカリと心に空洞を抱えたままなんです。涙が止まらないんです。

――内橋さんと井上さんはどういう交流がおありだったんでしょうか?
直接的には、鎌倉・九条の会の呼びかけ人に、井上さん、なだいなださん、そして私の3人がなっているんです。私の場合は井上さんから呼びかけていただいたものです。この会は、例の全国的な九条の会の鎌倉版といえると思います。
(その会についての話は省略する。次のサイト参照→http://www.kamakura9-jo.jp/)

(昨年5月30日の)会が終わって、井上さんと控え室で歓談し、そこを出てぐるっと廻って海岸の正面玄関の方へ出るんですが、二人で一緒に歩いたんです、夜の道を。鼎談の中で私は、人が人として生きられる世の中とは、ということで、その条件を五つほど挙げたのですが、その言葉をよく覚えていてくれましてネ、あの言葉に共感したと、具体的に口にして頂きました。忘れられない思い出となってしまいました。
井上さんは、いざ、というときには自ら行動を起こされるんですネ。それも、何でもない、そんなたいそうなことじゃないよ、といった日常の感覚のなかで、行動を起こされるんですね。しかし、底光りのするような、ものすごい社会批判の目と思想性ですね、それに胆力というものを私ははっきりと感じてきました。井上さんという存在そのものが支えだっ
たと思います、多くの人々にとっても。

(次いで、山下アナの求めに応じて、井上の二つの作品を挙げているが、題名だけの紹介にとどめておく。『吉里吉里人』と編著の『社史に見る太平洋戦争』新潮社 1995年 )

――心に残る井上さんの言葉は?
たくさんあるんですが、長い間、私の心に刻まれてきた言葉があります。
「むずかしいことをやさしく、やさしいことを深く、おもしろいことを真面目に、真面目なことを愉快に、そして愉快なことはあくまで愉快に。」
こういうお言葉です。
ある出版社へ参りますとネ、その編集室に長い間、井上さん直筆の原稿を額縁に入れて飾っておりました。たくさんの色鉛筆、赤だけでなく、緑や紫などの色鉛筆で何度も何度も推敲された原稿を額縁に入れていました。
深い交流ではありませんでしたけれど、2歳違いの井上さんに私は支えられてきた、支えられていると感じ、思っております。
(2歳年上の市橋克人さんはそう、締めくくった。)

             ★    ☆     ★     ☆     ★

第3週目に入っている朝ドラ「ゲゲゲの女房」は、今朝、無事見合いを終わって5日後に挙式と決まった。メールを見ていたら、白無垢の花嫁姿の写真が紹介されていたので、ご覧あれ。

http://journal.mycom.co.jp/news/2010/04/14/050/index.html
     




2010年4月12日月曜日

当世キーワード(4月②)

昨日のNHKラジオ第1、亀井肇さんの当世キーワードです。

(1) 葬式鉄
「お弔い鉄」ともいう。
JRや私鉄の鉄道の路線や列車が、ダイヤ改正などで廃止されるときに、その最後の日に集まる鉄道マニアたちのこと。廃止される路線の出発ホームの写真を撮ったり、ダイヤ改正で運転されなくなる列車の姿を撮影するために集まってくる。
そうすることで、友人や知人が亡くなったときと同じような、お別れの気持ちを表明するわけ。


(2)タクシー料金節約サイト
タクシーに乗車する前に、インターネットで、目的地までの最短距離の運賃で予約したり、相乗り相手を探すことで運賃を安くすることができるサイトのこと。
ケータイ電話上のあるサイトでは、全国的に約250のタクシー業者が加入していて、出発地と目的地を入力すると、自動的に運賃と所要時間が算出されてタクシーの予約もできる。
運賃は最短ルートで決まり、渋滞でも加算されないことになっていて、通常のメーター料金よりも安くなることが多い。相乗り相手を探す会員制サイトでは、出発地、目的地と出発日時を入力すると、よく使う出発・目的地として近い地域で登録している会員向けに相乗り募集のメールが送られる。相乗りのインターネット版ともいえよう。

(3)台湾紅茶
ウーロン茶で有名な台湾で生産される紅茶。
台湾を日本が統治していた1920年代後半に、総督府中央研究所に勤務していた技師が,海抜約800メートルの盆地にある、南投県魚池郷の、寒暖の差が大きい気候条件などが紅茶の栽培に適していると判断して、インド産のアッサムなどと台湾の原種を交配させるなどして、独自の紅茶をつくりあげた。
1930年代から60年代まで隆盛を極めていたが、1970年代以降、安い茶葉を混合した粗悪品が出まわって、一挙にその信用を失い、1980年代以降は市場からほとんどその姿を消してしまっていた。
1999年の台湾大地震後の復興策の一環として紅茶復活が提案され、それが新しいお茶として人気を集めるようになった。

(4)婚前契約
結婚する男女が、一緒に暮らす前にお互いが合意した約束が守られなかった場合には、賠償金を支払うことを明記した契約書を交わす結婚の方式をいう。慰謝料や遺産目当ての結婚を防ぐために、考えられたと言われている。
アメリカの有名プロゴルファー、タイガー・ウッズの浮気が発覚したとき、夫婦がそれを取り交わしていたことがわかり、注目されるようになった言葉。
5年前に結婚したウッズ夫妻は婚姻が10年以上続いたら、それ以降に万一別れることになったら、妻のエリンさんに2000万ドル、約18億円を支払うという内容の契約だったといわれてるそうな。

(5)調査器具付きレシピ本
料理のレシピ本を読んでも、調査器具がないので、その料理を作ることができない、といった主婦の声に答えた料理本。こっちを見ていただく方が早いかも。

http://www.onsen-tamago.net/korehoshii/1817.html/trackback

レシピ本と器具を別々に買うよりは割安になる、と亀井肇さんは言ってました。





2010年4月10日土曜日

NHK朝ドラ「ゲゲゲの女房」

先週の月曜日(三月二十九日)、NHKテレビで朝の連続ドラマ「ゲゲゲの女房」が始まった。水木しげるの奥さん、武良布枝(むら ぬのえ)の同名の作品のドラマ化である。

今や世界の共通語となった「マンガ」だが、戦前の日本のこどもたち(とくに男の子たち)が夢中になったマンガは、阪本牙城の「タンクタンクロー」(大日本雄弁会講談社の雑誌「幼年倶楽部」1934年(昭和9)1月号から1936年12月号にかけて連載)、島田啓三の「冒険ダン吉」(1931-1939年「少年倶楽部」)、田河水泡の「のらくろ」(1931-1941年「少年倶楽部」)などであった。
1934年生まれのわたしには、幼稚園時代に買ってもらった「キンダーブック」や講談社の絵本はあったが、これらのマンガを掲載している雑誌や布装丁の単行本を読むためには、それらを所有している兄や姉がいる同級生に借りるほかなかった。
その後のマンガで記憶に残っているのは、戦後まもなく、「小学生新聞」(正確な紙名は失念)に連載がはじまった医学生のお兄さんの作品と紹介されていたマンガ(題名はこれまた失念)の絵を好ましく思って、その絵をまねて描いたりしたことがある。そのお兄さんが手塚治虫だった。以来、マンガを読んだことはない。
前世紀の90年代に、たとえば、呉智英や関川夏央たちがマンガを論じているのを読んで、ふーん、と思ったことがあっても、マンガを読んだことはない。

昨年の十一月末に、再放映されたNHKの「プロフェッショナル 仕事の流儀 /闘いの螺旋、いまだ終わらず~漫画家・井上雄彦」を偶然見て驚いた。『バガボンド』と言うマンガが吉川英治の『宮本武蔵』であることもはじめて知ったが、武蔵の大写しの顔を描くためにあれだけ考え、悩み、意を決して一気に描く仕事ぶりと描き上げた絵を見て、さらに驚いた。これもマンガか!

そんなわたしも、娘たちが見ていたテレビを通してであろうか、
ゲッゲッ、ゲゲゲのゲー/朝は寝床で グーグーグー/たのしいな たのしいな/おばけにゃ 学校もしけんも/なんにもない/…
という歌を憶えている。
何年か前、境港市に用事で出かけた折に、妖怪たちのブロンズ像が並ぶ通りを歩いたこともあった。しかし、いまだにそのマンガを読んだことはない。

先週の月曜日(3月29日)から、NHKのテレビ、ラジオの番組が新年度の番組に変わった。番組名の変わったものもあるし、新番組もスタートした。連続テレビ小説、いわゆる「朝ドラ」も、8時から「ゲゲゲの女房」が始まった。脚本は山本むつみ。原作は、ドラマの題名からいっても、水木しげる(武良茂)の妻、武良布枝(むら・ぬのえ)の『ゲゲゲの女房』といっていいだろう。  

水木しげるについては、かつてこのブログでも紹介した『昭和二十年夏、僕は兵士だった』
にあるように、九死に一生を得た体験の持ち主であることも承知していた。(ただ、このドラマが始まった日の早朝、午前0時台から再放映されたNHKスペシャル「鬼太郎が見た玉砕」
http://www.nhk.or.jp/nagoya/kitaro/midokoro.html

を見逃したのは、まことに残念であった。)

このドラマが始まる前に、原作の『ゲゲゲの女房』を読んでみた。さきほど述べたように、
歌の文句は多少覚えてはいたが、どうして「ゲゲゲの鬼太郎」や「ゲゲゲの女房」なのか、まったく分かってはいなかった。鳥取県西部の米子や境港ではどうか知らないが、東部の鳥取では、子供のころ、(いちばん)ビリのことを「ゲゲ」といっていた。「下々」とか「下の下」の意であろうか。現在のこどもたちが使っているか、どうかは知らない。
この本を読んでやっとわかった。

『ゲゲゲの鬼太郎』というタイトルも水木の発案でした。
「オレが小さいころ、シゲル」といえず、自分のことをゲゲルといっていたから、「ゲゲ」とガキ大将仲間から呼ばれていた。だからゲゲゲの鬼太郎でもいいんだ」
水木はそういって笑っていました。(p.152)

これなら「ゲゲゲの女房」すなわち「(みずき)あるいは(むら)しげるの女房」だ。

さて、朝のドラマがはじまって、ちょうど2週間になった。先週は布美枝の子供時代。7歳の布美枝役の菊池和澄(あすみ)、10歳の布美枝(佐藤未来)、祖母役(ナレーションも)の野際陽子らが好演。今週はのっぽのヒロイン、布美枝役の松下奈緒登場。なかなかいい。ワンマン亭主の大杉漣は流石、もの静かで控えめの妻役、古手川祐子もいい。
この2週間のドラマは、原作では[第1章 静かな安来の暮らし]で、20ページあまりのなんの事件もない序章的な部分だ。
脚本の山本むつみは、金曜時代劇「御宿かわせみ」でデビュー以来、幅広いジャンルの作品を手がけてきただけあって、さすがと思わせる。来週からが楽しみだ。

最後に、「NHKウィークリー ステラ」4/2号に掲載されている武良布枝さんの談話の一部をご紹介しておこう。
主人は、何ひとつ私に甘い言葉をかけてくれるわけではないし、ロマンチックなこともぜんぜんなかったですね。でも、一生懸命仕事に打ち込んでいる彼の姿は、私の中では輝いていたんです。本当に努力の人でしたから。あれだけ努力した人間が報われないことはないと、心のうちでは思っていました。(中略)私はもちろんですが、主人も、『ゲゲゲの女房』が朝ドラの原案になったということは、心の中で大いに喜んでくれていると思います。ここまで元気でやってこられて、こうして喜ばしいことがまた生じて――。本当にみなさまに感謝しております。このうえは、多くの方にこのドラマを見ていただけるよう、お祈りしております。(p.11)
  

2010年4月4日日曜日

当世キーワード(4月①)

今朝のNHKラジオ第1、亀井肇さんの放送から。

1)ママデスク
愛知県に本社がある家具メーカーが昨年から売り出した。
子どもの机の隣に親の座るスペースのある机。親が家事の合間に隣に座って子どもの勉強の手伝いなどをしてやることができる。最近の傾向として、子ども部屋でなく、親がいるリビングルームで勉強するケースが増えている。
共働きで、親が子どもとふれあう時間が少ない、という背景もあるらしい。

2)顔が見える野菜
あるスーパーの大手が、生産履歴を開示して販売している野菜。
2002年から扱っているが、安全の観点から、生産時に使用する農薬の量を3割削減することを前提に、その上で、個別の生産者の名前や顔、栽培方法、商品へのこだわりなどをパソコンやケータイなどを通じて、ネットで提供している。
例えば、熊本県のJAから出荷されているトマトの場合、生産者からのメッセージとして、土壌診断の結果をもとに、ミネラル資材を多く使用して土作りを行う栽培方法を導入、農薬の使用回数を抑えるように努力している、といったメッセージが伝えられている。
価格は通常商品よりも10~20%ていど高いが、消費者は安全を評価して購入することが多い。

3)メディカル ツーリズム
医療サービスと観光とを組み合わせたパッケージ・ツアーをいう。
医療機関がホテル並みの施設とサービスを用意して患者を迎え入れ、高度の医療技術も低価格で提供する。
欧米の医療費があまりにも高額になりすぎたため、医療費の安いアジア諸国に渡航して、現地の病院で治療を受けるケースが増えているといわれている。とくに、インドへのメディカルツーリズムが増えているという。有名で医療技術が高いことに加えて、かつてイギリスの植民地であったために、英語が通じる気楽さがアメリカ人やイギリス人などに受けたようだ。
欧米のみならず、中国やアラブなどの富裕層をターゲットとして、各国政府ともお客獲得に懸命になっている。
日本でも、千葉県の病院や福島県のクリニックなどが、今春から参入しているらしい。

4)コリア ヘチ
野球の関西独立リーグに参入するために結成された、韓国人と在日韓国人の球団。選手は21人で、監督は、韓国プロ野球団の4番打者だったパク・チョルーさん。大阪市内で寮生活を送りながら、今シーズンは72試合を戦うことにしている。
「ヘチ」は、朝鮮王朝を守護した神獣で、ソウル市のシンボルマークともなっている。国際親善と宣伝にも使えるということから、ソウル市が使っているマスコットの無料使用も認められている。
関西独立リーグは、ソウルでも6試合が行われることになっている。

5)ちょっと暮らし
北海道庁が2005年から始めた北海道移住促進のプロジェクト。北海道への移住とか、2地域居住を考えている人たちに、そのきっかけを経験してもらおうというもの。
北海道で暮らしたいと考える人がそのまますぐに移住してくれればいいが、住宅の購入、家族の同意など、乗り越えねばならないハードルがいくつもある。
そこで、学校統廃合で空き家になった教職員住宅に目をつけて、市町村が主体となって、住宅や体験メニューを用意して、希望者に「試住」してもらい、一定期間過ごしてもらおうというプロジェクト。
2005年に14の市町村が道移住促進協議会を設立し、現在は83市町村が参加するまでになっている。「ちょっと暮らし」の参加者は、昨年度の上半期だけで、875人になっているという。

2010年3月30日火曜日

ブルームーン

今夜の月は、1月につづいて今年二度目のブルームーン。昨日は雨。今日も午前中は晴れていたが午後からは,曇りがち。それでも、夜の空は晴れて、再びブルームーンを眺めることができた。写真は失敗だが、午後9時半頃にケータイで撮影したもの。

http://www12.plala.or.jp/m-light/notebook/BlueMoon.htm


2010年3月23日火曜日

『ライフログのすすめ』

  *****とは、個人が自分の本・記録・手紙類をたくわえ、また、それらを相当なスピードで柔軟に検索できるように機械化された装置である。
*****は個人的な記憶を拡張するための補助装置である。
…………(中略)…………
*****にたくわえられる資料の大半は、機械にすぐ入力できるマイクロフィルムの形で購入される。あらゆる種類の書籍、写真、最新の雑誌、新聞などがマイクロフィルムで入手され、記憶される。ビジネス書簡類も同様だ。また、直接入力も可能である。(p.61)

いきなり引用文を掲げたが、これは何について、いつごろ、だれによって、書かれたものであろうか? *****とは?

答はこの引用文の前に次のように書かれている。(本書の末尾にある[注釈および出典]により原名を付す)
コンピューターがビルほどの大きさだった一九四五年に、連邦科学研究開発局の局だったヴァネヴァー・ブッシュ(Vannevar Bush)が『アトランティック・マンスリー(Atlantic Monthly ,July)』誌に「われわれが思考するごとく(As We May Think)」というエッセイを寄稿している。その中でブッシュは、人々が、個人的な素材を集めた自分専用のライブラリーを持てるようになる方法を示し、革新的な未来像を描き出した。ブッシュはこれをメメックス(Memex)と呼んだ。(pp.60-61)
☆ Memex  http://www.yamdas.org/column/technique/ow_memexj.html

改めていうまでもないが、この文章が発表されたのは日本が降伏するひと月ほど前のことだ。九月には占領軍が進駐し、『日米会話手帳』が爆発的な勢いで売れ始め、十月には並木路子の「リンゴの歌」が全国に流れ、わたしは、教科書のあちこちに墨を塗っていた。

この本の著者の一人、ゴードン・ベルも、わたしと同じ、1934年生まれである。表紙カヴァーの著者紹介によれば、こちらはパソコン界の大御所で、この世界のノーベル賞「ゴードン・ベル賞」を設立するなど、現代のコンピューター産業の礎を築いた大物である。生年は同じでもまさに「月とスッポン」だ。(もっと詳しい記述は、本書の「訳者あとがき」にある。)

このお月さんが、自己の人生のありとあらゆる記録をパソコンにぶち込んで電子記録の集大成、ライフログを作り上げようと、スッポンたちをも激励しているのが本書だ。スッポンにもスッポンの生涯があるということだ。

ビル・ゲイツが序文を書いているように、マイクロソフトにかかわってきた人だから、ライフログづくりの道具は、たとえば、マイクロソフトのワンノート(onenote)を使っているがエヴァーノート(Evernote)も取り上げている。

次のサイトも、ご参考までに。→http://news.livedoor.com/article/detail/2853942/

2010年3月21日日曜日

当世キーワード(2009年10月③)

亀井肇さんの当世キーワード(NHKラジオ第1)。

1)ガンブラー
現在も猛威を振るっているコンピュータ・ウィルス。当ブログ、「らむぶらー」と似た名前で気になっておりますが、みなさん、くれぐれもお気をつけください。

http://dic.yahoo.co.jp/newword?index=2010001605&ref=1

2)ドラペディア


http://www3.u-toyama.ac.jp/doraemon/


http://knol.google.com/k/%E3%83%89%E3%83%A9%E3%81%88%E3%82%82%E3%82%93-knol-%E3%83%89%E3%83%A9%E3%83%9A%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%A2-%E7%9B%AE%E6%AC%A1#

3)炊飯蒸篭(すいはんせいろ)

http://dic.yahoo.co.jp/newword?category=&pagenum=21&ref=1&index=2010001595

4)ご当地プレート


http://dic.yahoo.co.jp/newword?category=&pagenum=21&ref=1&index=2010001603


5)旅チャリ


http://dic.yahoo.co.jp/newword?index=2010001614&ref=1



2010年3月14日日曜日

当世キーワード(2010年03月②)

NHKラジオ第1の当世キーワード。今回は下記の5つの言葉であるが、いずれも亀井肇さんが、YAHOO! 辞書の【新語探検】に執筆しているのと同じなので、ズバリ、そのサイトのアドレスのみ紹介する。

①メタボ予防茶
  http://dic.yahoo.co.jp/newword?index=2010001566&ref=1

②未利用魚

 http://dic.yahoo.co.jp/newword?index=2010001568&ref=1

③ホワイト エレファント パーティー

 http://dic.yahoo.co.jp/newword?index=2010001587&ref=1

④電子教科書

http://dic.yahoo.co.jp/newword?index=2010001586&ref=1

⑤3R(スリー アール)節約術

http://dic.yahoo.co.jp/newword?index=2010001593&ref=1

2010年3月4日木曜日

高校入試

今日は鳥取県立高校入試の第1日である。
最初の孫がわたしの母校を受験した。
やっぱり、気になってしょうがない。

Posted via email from gauna's posterous

2010年3月2日火曜日

こりゃ、驚いた!!

先月末、iGoogle へいったら、こんなロゴが出ていた(現在は出ていない)。

正月でもあるまいに、どうして? と思ったが、追求することもなく、そのままにしていた。

ところが、昨日の「マイコミジャーナル」にこんな記事が載っていた。

本日3月1日、Google (google.co.jp) のトップページを飾っている"和風のロゴ"は、小学6年生の川島寛乃さんが描いたものだ。ロゴデザインコンテスト「Doodle 4 Google」のグランプリ作品で、日本の優美さと繊細さを表現した作品として高い評価を受けた。

驚いた。感心した。すばらしい 

Posted via email from gauna's posterous

2010年2月27日土曜日

今年二度目のブルームーン

今年は1月1日が満月だったから30日も満月、すなわちブルームーンであった。
だから、明後日、月曜日の3月1日がまた満月で、3月30日もまた満月になる。
今年は1年に二度、ブルームーンを仰ぐことのできる珍しい年なのだ。
この両日の夜空が晴れることを祈りましょう。

2010年2月25日木曜日

posterous を始める

ながらく、投稿もしないままになっていたが、そろそろこのサイト(posterous)
を活用しなければ、と思う。
今回は、メールで投稿してみるトライアルだ。
この Rambler にもアップされている。

Posted via email from gauna's posterous

2010年2月18日木曜日

こりゃ便利! ごうな百態

このごうな百態は、数年前、「寄居虫のつぶやき」という個人紙を発行していた頃、坂田ひとみ(鳥取在住)さんに描いていただいたものだ。今後もウェブ上で使おうと思い、画像をスキャナで取り込んだ。 

これらの画像を取り込むのに、画像つめこまーというフリーのソフトがあって、簡単に8枚の画像をこのように1枚にまとめることもできるし、2枚や4枚をまとめることもできる。

 http://www.vector.co.jp/soft/win95/art/se413407.html

こういう便利なフリーソフトを作ってくださる方に感謝!

新規詰め込み画像

新規詰め込み画像012 新規詰め込み画像4枚

2010年1月22日金曜日

縦書きで読みたい

ブログは横書きの世界だ。横書きでなければ書けない言語が多いから、当然と言えば当然だが、縦書きでブログが書けたら、と思うことがある。
短歌や俳句のブログをやってる人は、縦書きを望んでいるだろう。どちらもやらないわたしも、縦書きで読めたらいいな、と思うことがよくある。
なによりも困るのは、何回かに分けて連続するブログを書くときだ。15回の続きものを書くと、初回のブログは15回分を下って読むことになる。しかも、1回分ごとに[上→下]、2回目の上までいって、また1回分を[上→下]……。このくり返しだ。

縦書きのブログがまったくないわけではない。たとえば、

こういうのは、フリーではないよね。
今日もグーグル検索をやって70ページばかり見たが「縦書きブログサービスは企業さま向けのものです。現在、個人さま向けには行っておりません。悪しからずご了承をお願いいたします」みたいなのが、二、三あっただけだ。

そこで、ブログの中から15回続けた「米原万里の父」のテキスト・ファイルを、縦書きができるエディタ(Virtical Editor) に流し込み、ひとつのテキスト文書にまとめた。このエディタでは、ルビも簡単につけることができる。これで新しい縦書きの文書「米原万里の父と祖父」ができた。

ご存知のように、漱石や子規などの作品をはじめ多数の文学作品などを無料で提供している「青空文庫」のようなものがある。「青空文庫」形式に対応の縦書きテキストビューワーがいくつもあって、縦書き、ルビつきの文章を楽に読むことができる。 ほんとうにありがたいことだ。わたしはその中のひとつ、「窓の中の物語」を愛用している。ぜひこれをインストールしていただきたい。(無料だし、気に入らなけばアンインストールしていただけばいい。) ↓ 下のいずれからでも,インストールできます。(わたしのブログを読まなくても、青空文庫などを読むことができますからネ。)

そうは言っても、わたしのブログを読んでほしいわけです。そのためには15回分の新しい「米原万里の父と祖父」をお渡ししなければなりません。

クラウドの時代になりました。「雲!」のなかから受け取っていただくのがいいと思います。クラウドもいろいろありますが、わたしは DropBox の中に置きました。

友人、知人にメールで案内をする予定ですが、こういうかたちで読んでみてやろうという方がいらっしゃれば、下記にメールをいただければ、ご案内します。
 gauna@helen.ocn.ne.jp

そんなややこしいことをしなくても、いいじゃないか、という方はぜひご教示ください。(下の写真は、クリックすれば、大きくなります。)

        ↑「設定」をクリックし、下の「各種設定」をクリックすれば ↓
      
↑右下の、□”青空文庫”ルビ対応 には必ずチェックを入れてください。

2010年1月5日火曜日

『昭和二十年夏、僕は兵士だった』

梯久美子(かけはし・くみこ)の『昭和二十年夏、僕は兵士だった』を「まえがき」の最初および最後と、目次だけを引用してご紹介する。
↓下の画像をクリックしてください。梯さんが直接、あなたに語りかけます。

 昭和二〇年夏。戦争は、敗けて終わった。二〇代の若者の多くが、兵士として終戦を迎えた(本書でいう兵士とは、兵卒の意味ではなく、戦うための人員として戦争に動員された人のすべてを指す)。生き残ったかれらは、仕事を見つけ、あるいはもう一度学校で学び直し、社会へと出ていった。
 廃墟の中から新しい日本を作ったのは、かれら若い兵士だった世代である。敗戦国の兵士たちが、戦後を生きるとはどういうことだったのか。戦争の記憶は、かれらの中に、どのような形で存在し、その後の人生にどう影響を与えてきたのだろうか。
 …………
 この本の中で話を聞いた……五氏は、終戦時に一八歳から二六歳だった。現在はそれぞれの分野の第一人者であり、功成り名を遂げた人たちと言っていいだろう。
 かれらもまた、あの夏、ひとりの兵士だった。ゼロからスタートして、何者かになったのである。その半生は、戦争に敗けた国が、どのようにして立ち上がっていったかの物語でもある。

(もくじ)
賭博、男色、殺人―――。
南の島でわたしの部下は、何でもありの荒くれ男たち。…………金子兜太
でもわたしは彼らが好きだった。

脚にすがってくる兵隊を
燃えさかる船底に蹴り落としました。         …………大塚初重   
私は人を殺したんです。一八歳でした。

逃げるなら大陸だ。
私は海峡に小舟でこぎ出そうと決めました。     …………三國連太郎
徴兵忌避です。女の人が一緒でした。

もうねえ、死体慣れしてくるんです。
紙くずみたいなもんだな。               …………水木しげる
川を新聞紙が流れてきたのと同じです。

マリアナ沖海戦、レイテ沖海戦、そして 沖縄特攻。
二〇歳の頃に経験したことにくらべれば、      …………池田武邦
戦後にやったことなんか大したことない。

以上の五氏について、改めてご紹介する必要もあるまいが、簡単に記しておく。

金子兜太(かねこ・とうた)1919年生まれ。俳人。句集多数。
大塚初重(おおつか・はつしげ)1926年生まれ。日本考古学会の第一人者として、登呂遺跡をはじめ、多くの発掘を手がける。
三國連太郎(みくに・れんたろう)1923年生まれ。1951年映画「善魔」で主演デビュー(当時わたしは高1で、この映画を見た。)
水木しげる(みずき・しげる)1922年生まれ。今年の3月からNHKの連続テレビ小説『ゲゲゲの女房』が始まりますネ。
池田武邦(いけだ・たけくに)1924年生まれ。戦後、霞ヶ関ビル、京王プラザホテル、新宿三井ビル、ハウステンボス等を手がけた建築家。いずれ、このブログであらためて取り上げたいと思っている。

2010年1月1日金曜日

迎春

2010年 明けましておめでとうございます!


今朝の鳥取はこの冬初めて、積雪25センチを越えました。

(写真はいずれも中3の孫が今朝撮影したものです。)

2009年12月31日木曜日

サヨナラ、2009年

今年もいよいよ暮れていく。
「昭和十六年十二月八日」は、今日で終えることができたけれど、「鳥取を愛したベネット父子」は未完のままである。新年の1月中には終えたいと思う。

今夜は、NHKテレビで恒例の「紅白歌合戦」があるけれど(もう60回にもなるんだね)、
中島みゆきの「重き荷を負いて」でもPCで聞くとしょう。
足元の石くれをよけるのが精一杯
道を選ぶ余裕もなく 自分を選ぶ余裕もなく
目にしみる汗の粒をぬぐうのが精一杯
風を聴く余裕もなく 人を聴く余裕もなく
まだ空は見えないか まだ星は見えないか
ふり仰ぎ ふり仰ぎ そのつど転けながら
重き荷を負いて 坂道を登りゆく者ひとつ
重き荷も坂も 他人には何ひとつ見えはしない
まだ空は見えないか まだ星は見えないか
這いあがれ這いあがれと 自分を呼びながら 呼びながら
【映像】↓
【歌詞】↓

そうだ、大川栄策の「昭和浪漫~第2章~」もまた聞いてみよう。

では、よいお年を!!