2010年8月18日水曜日

トランクの中の日本 (1/2回)

あれはいつのことであったか? 正確には思い出せない。後で述べることから、推測すると、1992年か、その翌年のことであったと思われる。
新聞の記事、というより記事とともに掲載されていた一枚の写真に衝撃を受け、心を打たれた。この写真は一昨年の夏、NHK総合テレビでも放映され、多くのブログがとりあげた。

2008年8月7日(木) 午後8時~8時49分、「解かれた封印~米軍カメラマンが見たNAGASAKI~」
(→http://www.nhk.or.jp/special/onair/080807.html

1995年6月に『トランクの中の日本 米従軍カメラマンの非公式記録』が小学館から発行され、「あの少年に会える」とすぐに買った。

冒頭で推測したのは、この写真集の帯にこう書かれているからだ。
1990年からアメリカで、ついで1992年から日本各地で彼の写真展は開催され、話題を集める。しかし、この夏に予定されていたワシントンのスミソニアン博物館での原爆写真展は、すでに報道されたように在郷軍人の圧力でキャンセルされた。ここにおさめられた57点の写真は、スミソニアンではついに展示されなかった真実の記録である。
さらに同じ帯に「1993年、日本で開かれた写真展で食い入るように写真を見つめる人々。」という説明と写真も載っている。

この写真集は現在でも入手できるので、ここで紹介しておきます。


この写真集に、なぜこのような題名が付けられたのか?
寫眞の撮影者、ジョー・オダネル(Joe O'Donnell)自身の言葉「読者の方々へ」を引用しよう。

私ジョー・オダネルは、アメリカ海兵隊のカメラマンとして、1945年9月2日に佐世保に近い海岸に上陸した。空襲による被害状況を記録する命令を受け、23歳の軍曹だった私は、日本各地を歩くことになった。
私用のカメラも携え、日本の本土を佐世保、福岡から神戸まで、そしてもちろん広島、長崎も含めた50以上の市町村に足をのばした。カメラのレンズを通して、そのとき見た光景の数々が、のちに私の人生を変えてしまうことになろうとは知る由もなかった。
1946年3月、本国に帰還した私は、持ち帰ったネガをトランクに収め、二度と再び開くことはないだろうと思いながら蓋を閉じた。生きていくためにすべてを忘れてしまいたかったのだ。
しかし45年後、戦後の日本各地で目撃した悪夢のような情景からどうしても逃れられないと思うようになった。私はトランクを開けると、湿気からもネズミの害からも奇跡的に無傷だったネガを現像し、写真展を開催した。
この本は私の物語である。私自身の言葉で、私の撮影した写真で、戦争直後の日本で出会った人々の有り様を、荒涼とした被爆地を、被爆者たちの苦しみを語っている。胸をつかれるような寫眞を見ていると、私は否応なく、辛かった1945年当時に引き戻されてしまう。そして、私のこの物語を読んでくださった読者の方々には、なぜひとりの男が、終戦直後の日本行脚を忘却の彼方に押しやることができず、ネガをトランクから取り出してまとめたか、その心情を理解していただけると思う。
1995年4月 ジョー・オダネル

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