2010年4月19日月曜日

龍馬と海舟

昨夜のNHK大河ドラマ「龍馬伝」第16回で、勝海舟が登場した。
時代背景を年表で大雑把に見てみよう。

1860(万延1)年、2年前日米間で結んだ修好通商条約批准のため渡米した幕府の使節団に随行し、咸臨丸船長として太平洋横断に成功したのが、 勝海舟(1823-1899)である。
坂本龍馬(1835-1867)が脱藩したのは、1862(文久2)年だった。この年、海舟を切りに行ったが、説き伏せられて入門した。
後年、海舟は龍馬について、こう語っている。
坂本龍馬。彼(あ)れは、おれを殺しに来た奴だが、なかなか人物さ。その時おれは笑って受けたが、沈着(おちつ)いてな、なんとなく冒(おか)しがたい威権があって、よい男だったよ。(p.85)
坂本龍馬が、かつておれに、先生しばしば西郷の人物を賞せられるから、拙者も行って会ツて来るにより添書をくれといツたから、早速書いてやったが、その後,坂本が薩摩からかへつて来て言ふには、成程西郷といふ奴は、わからぬ奴だ。少しく叩けば少しく響き、大きく叩けば大きく響く。もし馬鹿なら大きな馬鹿で、利口なら大きな利口だらうといつたが、坂本もなかなか鑑識のある奴だヨ。西郷に及ぶことの出来ないのは、その大胆識と大誠意とにあるのだ。おれの一言を信じて、たつた一人で、江戸城に乗込む。おれだつて事に処して、多少の権謀を用ゐないこともないが、たゞこの西郷の至誠は、おれをして相欺(あいあざむ)くに忍びざらしめた。この時に際して、小籌浅略(しょうちゅうせんりゃく)を事とするのはかへつてこの人のために、腹を見すかされるばかりだと思つて、おれも至誠をもつてこれに応じたから、江戸城受渡しも、あの通り立談の間に済んだのサ。(p.70)
上の二つの引用は、明治になって新聞や雑誌に載った海舟の談話をまとめた『海舟談話』による。これは、下に示すように、文庫本で容易に手に入る。
ただ、もしお買い求めになるのであれば、左の講談社学術文庫をおすすめする。その理由は、同書の松浦玲による前書きないしは解題により瞭然だ。

  

0 件のコメント:

コメントを投稿