2010年4月15日木曜日

NHKラジオ&テレビから

NHKラジオ第1の5時台からの番組[ラジオあさいちばん]では、6時40分過ぎから10分間ほどの[ビジネス展望]という番組がある。
毎週、火曜日は内橋克人さんの担当だが、今週は9日に他界した井上ひさしさんを追悼する内容だった。以下は、山下信アナの質問に答えた内橋さんの話の概要である。

井上さんは膨大な作品を書き続けた作家と言うだけではなく、ひたすら、人間が人間らしく生きられる社会を求めて献身し続けて来られた方です。何よりも、社会が平和であること、平穏であること、人が人として遇される社会であること、そのようなあり方を、どうすればこの厳しい現実の中に実現できるのか、また何が、誰が、どのようでなければならないか、自ら懸命に探し求め、かつその道筋を人々に示してきた、数少ない先達であったと思います。
井上ひさしさんという存在そのものが私たち日本人にとっての。心の基盤というか、道路や水道などのようなインフラストラクチャー、心のインフラだったと思います。井上さんが亡くなったことを知ってから、もう、ポッカリと心に空洞を抱えたままなんです。涙が止まらないんです。

――内橋さんと井上さんはどういう交流がおありだったんでしょうか?
直接的には、鎌倉・九条の会の呼びかけ人に、井上さん、なだいなださん、そして私の3人がなっているんです。私の場合は井上さんから呼びかけていただいたものです。この会は、例の全国的な九条の会の鎌倉版といえると思います。
(その会についての話は省略する。次のサイト参照→http://www.kamakura9-jo.jp/)

(昨年5月30日の)会が終わって、井上さんと控え室で歓談し、そこを出てぐるっと廻って海岸の正面玄関の方へ出るんですが、二人で一緒に歩いたんです、夜の道を。鼎談の中で私は、人が人として生きられる世の中とは、ということで、その条件を五つほど挙げたのですが、その言葉をよく覚えていてくれましてネ、あの言葉に共感したと、具体的に口にして頂きました。忘れられない思い出となってしまいました。
井上さんは、いざ、というときには自ら行動を起こされるんですネ。それも、何でもない、そんなたいそうなことじゃないよ、といった日常の感覚のなかで、行動を起こされるんですね。しかし、底光りのするような、ものすごい社会批判の目と思想性ですね、それに胆力というものを私ははっきりと感じてきました。井上さんという存在そのものが支えだっ
たと思います、多くの人々にとっても。

(次いで、山下アナの求めに応じて、井上の二つの作品を挙げているが、題名だけの紹介にとどめておく。『吉里吉里人』と編著の『社史に見る太平洋戦争』新潮社 1995年 )

――心に残る井上さんの言葉は?
たくさんあるんですが、長い間、私の心に刻まれてきた言葉があります。
「むずかしいことをやさしく、やさしいことを深く、おもしろいことを真面目に、真面目なことを愉快に、そして愉快なことはあくまで愉快に。」
こういうお言葉です。
ある出版社へ参りますとネ、その編集室に長い間、井上さん直筆の原稿を額縁に入れて飾っておりました。たくさんの色鉛筆、赤だけでなく、緑や紫などの色鉛筆で何度も何度も推敲された原稿を額縁に入れていました。
深い交流ではありませんでしたけれど、2歳違いの井上さんに私は支えられてきた、支えられていると感じ、思っております。
(2歳年上の市橋克人さんはそう、締めくくった。)

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第3週目に入っている朝ドラ「ゲゲゲの女房」は、今朝、無事見合いを終わって5日後に挙式と決まった。メールを見ていたら、白無垢の花嫁姿の写真が紹介されていたので、ご覧あれ。

http://journal.mycom.co.jp/news/2010/04/14/050/index.html
     




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