2007年6月16日土曜日

鶴見祐輔を尋ねて…/『成城だより』

1949(昭和24)年10月1日の日記によれば、一週間ほど前に太平洋出版社へ送金していた『成城だより』の[第五巻 永遠の師〕と〔第六巻 筆は剣よりも強し〕を入手し、早速前者を100ページほど読んでいる。
翌日には、246ページまで読了、後者を80ページ読んでいる。5日には、240ページまで読了。気に入って、第一巻から第四巻まで発注している。
それらがいつ届いたか、記録していないが、
第一巻 冬来たりなば 10月23日読了。
第二巻 自由への闘ひ 10月26日読了。
第三巻 夢を抱いて  10月28日読了。
第四巻 文明の行くえ 10月29日読了。さらに、翌1950年、〔第七巻 感激の生活〕を1月3日読了。

中学3年の夏から、毎日日記をつけるようになったが、高校入学までの間に、新渡戸稲造『修養』を毎日のように筆写し、『世渡りの道』や『自警録』を読み、『内村鑑三 思想選書』を何冊か、尾崎行雄の著作、漱石、露伴の小説なども読んでいるから、かなり精力的に読書している。

さて、『成城だより』は何巻まで発行されたか、〔第八巻 自由と秩序〕が出版されていることはわかっているが、この巻は購入の記録もない。高校入学後かもしれないと思い、日記に当たってみた。どうやら、『成城だより』を購読したのは第七巻までであったらしい。新しい高校生活を始めて読書するゆとりもなかったのだろう。日記の記述は日々の授業についての記述ばかりといっていい。

ただ一つ、大きな記憶違いをしていたことに気付かされた。
はじめての中間考査の最終日である6月12日の午後、映画『母』を見て、感激したという記述があったのだ。
14日のブログで書いた、この映画の字幕であのカーライルの言葉を覚えた、というのは間違いだったことになる。映画の終わりにこの言葉を見た記憶は間違いないとおもう(小説の序文に引用されていることからしても)。そうだとすれば、
『成城だより』のいずれかの巻で、著者はこの言葉を再び記述していた→自己紹介の時引用した→映画でこの言葉を再確認した
ということではなかったか、と思う。
この推測を今確かめることはできない。所有していた『成城だより』は1952年の鳥取大火ですべて焼失してしまったから。

ごうなのおすすめ本棚 1


修養







0 件のコメント:

コメントを投稿