2007年6月14日木曜日

鶴見祐輔を尋ねて…/映画『母』

あれは還暦同窓会(正確に言えば、高校時代の同期生会)でのことであったから、今から十二三年前のことだ。市内湖山で開業医をしているN君に会った。高校卒業以来だから、40年(以上)ぶりになる。彼とは出身中学が異なっていたから、鳥取西高ではじめて出会い、1年生で同じクラスになった。
最初のホームルームで、全員が自己紹介をした。
N君はその時のことを覚えていて、そっくり繰り返した。

自分の姓名を言ったあとで、「ぼくは内市の蒲鉾屋の息子である。カーライル曰く、長き夜を泣き明かしたるものにあらずんば、いまだ共に人生を語るに足らず。以上」

ずいぶんとキザなことを言ったものだが、「変わった奴だなあ、と思い、いまでもその言葉を覚えている」とN君は言った。

当時、カーライルの著書をむろん読んでいたわけではない。ただ、そのころ、新渡戸稲造を崇拝していて、彼の愛読書のひとつが、カーライルの『衣裳哲学』であったことくらいは知っていた。
中学時代に、鶴見祐輔原作の映画『母』を見て、その映画の終わりにこのカーライルの言葉が大きく字幕に現れたのを見た記憶がある。

ネットで検索することを覚えてから、いろいろ古いことを調べることができるようになった。映画『母』は、最初、1929(昭和4)年に松竹が作っていて、高峰秀子が5歳の女の子の役で、審査を通って出演したことなどを知った。
これ以外では、1950(昭和25)年に同じく松竹で水谷八重子等が出演して作られていることがわかった。おそらくこの映画を見たのであろう。ただ、この年は毎日日記を記しているが1月ー4月の間にこの映画の記録がない。前年だったのかもしれない。映画のどの場面も記憶にないが、当時流行った三益愛子主演の母物映画とは違うという印象をもったことを覚えている。

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