2007年5月4日金曜日

映画「わかれ雲」 4

津村の批評文について言えば、制作技術上の指摘はよく分からなかったが、中村是好、岡村文子、三津田健らベテランについての言及は理解できたし、行ったことはなかったけれど、「信濃風物詩」という言葉の中身も分かったような気がしていた。しかし、もっとも心に残ったのは「川崎弘子のおちぶれ者の女中自体が五所的人物の哀愁」と津村が述べている、川崎弘子だった。
彼女が美人女優としてもてはやされていたことは知っていたが、出演した映画を見た記憶はない。ただ「人妻椿」で見たことがあったんじゃないかなあと思い、ウェブ上でもいろいろ調べてみたがわからない。

明治時代の夭折した画家、青木繁(1882-1911)は、その代表作「海の幸」(1904)と「大穴牟知命(オホナムチノミコト=大国主命)」(1906)の中に、同じ画塾の学生であった福田たねの顔を描き込んいるといわれている。結婚はしなかった二人の間に生まれた男の子は古事記の山幸彦・海幸彦から幸彦と名付けられた。後の福田蘭童である。尺八の名手、釣りの達人などと呼ばれているが、わたしたちより若い人たちには、“ヒャラーリ、ヒャラリーコ、……”の笛吹童子の方が懐かしかろう。
福田蘭童はプレイボーイとも言われていて、川崎弘子と結婚したときには、いろいろと騒がれたらしい。蘭童の息子が石橋エータローで、はな肇とクレージーキャッツのピアニストとして活躍したが、蘭童の先妻の子である。

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