2008年12月4日木曜日

鳥取を愛したベネット父子(2)

イギリスのジェームズ1世が清教徒を弾圧したため、ピルグリム・ファーザーズがメイフラワー号で新大陸、北アメリカのプリマスに上陸したのは、1620年だった。高校時代に世界史で習った程度の知識しかないわたしにも、その程度のことは記憶にある。
ベネット家の先祖が英国から新大陸に移住してきたのは1680年頃であったという。「クエーカー教徒だったために迫害された彼らは、本国を離れ、ペンシルヴァニア州西部に、兄弟たちとともに定住した。」と、加藤恭子は記している(p.43)。地震のことを英語でアースクエイク(earthquake)というように、クエーカー(Quaker)とは「ふるえる人」という意味である。
中・高生時代に尊敬というより崇拝していた新渡戸稲造もクエーカー教徒だったし、クエーカーと呼ばれるのは、彼らの祈りがあまりに熱心であるがために身体が震えるので、そう呼ばれるのだ、と新渡戸が述べていた記憶があるが、どの書物で読んだのか定かではない。
ふと思いだしたのでこんなことを書いてしまったが、様々な宗派の違いなどはまったく分からない。わたしの関心はあくまでも、ベネット父子の人柄や行為にある。

ヘンリー・J・ベネット(Henry J. Bennett)は、1875(明治8)年に生まれ、ハーバード大学を卒業後、1901(明治34)年11月に米国伝道会の宣教師として鳥取へ赴任した。
1902年か1903年に短期間の宣教師として岡山に赴任していたアンナ・ジョーンズ(1876年生)と婚約した。YMCAの仕事で神戸に在住していたハーバード大時代の同級生の妻がアンナの親友であったという縁だった。
1905(明治38)年7月、フィラデルフィア郊外にあったアンナの両親の家で、結婚式を挙げた。日本に戻った二人はアンナの赴任地、岡山にしばらく留まり、翌年、1906年9月に二人で鳥取へ帰った。
「ヘンリーと私は、金曜の午後六時半にここ(鳥取)へ着きました。岡山から二日の旅でした…」
 と始まるこの手紙は、結婚後のアンナが夫に伴われ、初めて鳥取市に着いたときのものであろう。岡山から鳥取へ、二日の旅! 今なら、汽車で二時間半の行程である。
ヘンリーとアンナは、人力車二人引で中国山脈を越えた。初めは、智頭[ちず]に木曜の夜に着く予定だったが、車夫の足がのろくて、その手前の小さな旅館で一夜を明かさなければならなくなった。だが、その旅館の娘が洗礼を受けていて、こんな辺鄙な場所に信者が、と驚いてもいる。(pp.45-46)
(注:引用文中の[ ]内のひらがなは原文のルビ)


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