2008年11月29日土曜日

鳥取を愛したベネット父子 1

書斎の大掃除がなかなか進まない。11月も半ばになった頃、書棚を整理しながら1冊の本を手にして片付け仕事がストップしてしまった。
加藤恭子・編著『ノンフィクションの書き方 上智大学コミュニティ・カレッジの講義と実習』はまの出版 (1998年4月)

裏表紙の見返しの遊び紙に鉛筆で「bk.19980719」と記入している。あゝ、もう10年も過ぎてしまったのか、と驚いた。
この本を読んでいて、この編著者に『日本を愛した科学者――スタンレー・ベネットの生涯』という著書があることを知ったのであった。

このブログの、映画「姿三四郎」1/2回(本年6月29日)で、台風一過の早朝、雨に濡れた鹿野街道を久松山下の堀端の公園へ向かう少年の姿を小説風に描いてみた。
醇風国民学校(現在、小学校)を過ぎて堀端に出るまでの半ばあたりで、県庁や地裁のある国道29号線が鹿野街道と十文字に交わっている。十文字の縦棒を鹿野街道、横棒を29号線とすると、縦棒の上に久松山があり、十字の右下の角に洋風の建物があった。「べネットさんの家」と呼んでいた。
私たちが小学校に入学したのは1941(昭和16)年で、4月1日をもって、小学校は国民学校初等科となり、この年の12月8日、「大東亜戦争」が始まった。べネットさん一家はすでにアメリカに帰国していたが、私たちはその洋風の家をべネットさんの家と言っていた。

そんなわけで、なぜ、東京生まれで早稲田大学仏文出身の加藤恭子さんがスタンレー・ベネットの生涯を書いたのだろうと思ったし、スタンレー・ベネットとは、どんな人物であったか知りたいと思った。
当時、コンピュータを使っていたら、直ぐに検索で調べたであろうが、その時はいずれ図書館にでも行って調べてみようと思っていた。そして、そのまま忘れてしまっていたのである。

今回はただちに行動した。コンピュータでこの本が県立図書館にあることを確かめ、すぐに行ってこの本を帯出した。そして、一気に読んだ。





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