2007年8月13日月曜日

ことば拾い:シイラの先走り

夏になると、シイラという魚を思い出す。あの精悍な面構えと、体長が1~2メートルもある大型魚で、濃い緑色の身体が金色に輝いたりもする。そんな姿が、子供心にも印象的だったのであろう。

高級魚ではないから、竹輪、蒲鉾のような水産練り製品にも使われるようであるが、わが家では使用しなかったように思う。ただ、シーズンになると、1尾か2尾大きな奴が届けられて、刺身をはじめ、いろいろ調理して食していた。
ごうなは、こどもの頃より、魚を見たり、釣ったりするのは大好きだったが、口にするのは嫌いで、刺身も、煮魚もまったく食べなかった。したがって、シイラの味も今もって知らないのである。

そんな者がなぜシイラの話をするのか。それは、シイラを思い出すたびに、「シイラの先走り」という言葉も思い出すからだ。なにか、出しゃばったようなことをするな、といった意味で使われていたように思うが、なぜシイラなのか分からなかった。

シイラの習性と関係があるに違いないと思って、ネットで調べてみたが、
浮遊物に集まる、という習性から日本では「水死体を食う」として忌み嫌う地方がある。そのため「死人旗」(しびとばた)などという別名で呼ぶ地域もある。もっとも人間に限らず動物の遺骸が浮遊している場合、それを食べに来ない魚類の方が珍しい。
浮いた流木や海草やゴミといった障害物に生息する小魚などは容赦なく食い尽くし、共食いもするほどで、さらに引きが強烈で、その獰猛な性格により世界的にもゲームフィッシングの好ターゲットとなっている。夏から初秋にかけてが釣り期で、特にルアーアングラーにとっては夏の風物詩的なものになっている。(注1)
なぜ「シイラの先走り」なのか、いっこうに分からない。

忘れもしない、今年の6月20日の午前3時頃の「ラジオ深夜便」で須磨佳津江アンカーが2週間前に読んだ投書に対する投書を読んでいた。その中で、「シイ〔 〕の先走り」と言ったように聞いた。〔 〕のなかの音はラではなくナであったようだった。寝ぼけ眼で起き出して、広辞苑を引いてみた。
 しいな【粃・秕】シヒナ   殻ばかりで実のない籾(もみ)。また、果実の実らないでしなびたもの。しいなし、しいなせ、しいら、しいだ。
「しいら」も良かったわけだ。しかし、魚のシイラではない。
県立図書館へ行って、何冊かの辞書にあってみた。
秕者(しいらもの)の先走り(久留米)  未熟な者ほど先走りして、役にも立たないのに騒ぎ立てる。▽粃=中国地方から北九州にかけて、実の入らない米麦をいう。しいなの方言。【類】しいな〈しいら〉穂の先走り/しいな者の先走り/しいら子先立ち(壱岐)/名のない星は宵から出る    (注2)
ウエブには魚のシイラについてこんな記述もあった。
●漢字「粃」。粃は身のないイネの籾。シイラの皮が硬く、身が薄いことからきたという。(『新釈 魚名考』栄川省造 青銅企画出版) (注3)
こうしてみると、ごうなが「シイラの先走り」として記憶していたこともいい加減なことでもなかったわけだ。

(注1)ウィキペディア
(注2)鈴木棠三『新編 故事ことわざ辞典』創拓社 1992年8月1日発行
(注3)市場魚貝類図鑑
http://www.zukan-bouz.com/suzuki3/sonota/sira.html

最後に、ウェブ検索でヒットした一文をご紹介しておきたい。中神 勝(なかがみ・まさる。京都ノートルダム女子大学 人間文化学部 生活福祉文化学科教授 、 名誉教授)という方の「子ども」と題した一文の一部である。
4、しいなの先ばしり
私は虚弱児の観察のなかで乳児期において歩行器の使用が多く見受けられたことに驚いた。乳児時に歩行器を使わず、充分ハイハイをさせてから歩かせることの重要さを力説したい。どの子も同じ道すじを通って発達する。たとえば首がすわる→寝返りをする→お座りをする→一人歩きをするというふうである。歩けるようになってから首がすわるなどということは決してない。ハイハイは二足歩行の生活を健康に過ごしていくための第一歩であり、歩く動作の基本となる。力いっぱい、這う生活をさせることが大切である。東北のある地方では
子どもの満1歳のお誕生日に搗いた餅を背中に背負わせて祝うという。子どもは餅の重みで歩きにくく、否応なしにハイハイをすることになる。充分にハイハイをしてから歩いて欲しいという願いであろう。また、稲はあまりに成長が早いと実のない“しいな”が多くなり、“しいなの先走り”と言われたりする。やたらとスピードを期待する現代に考えてみたい問題である。

http://hojin.notredame.ac.jp/kikanshi/prism/02/02pdf/_04.pdf









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