街でよく見かける風景のひとつ。――いかにもかったるそうに歩いているお兄ちゃん、あるいはお姉ちゃんのお尻を見ると(いや、別に見たいわけじゃない、必然的に目に入ってくるんです)、犬用の鎖かとおもえるような太い鎖がベルトから尻のポケットにかけて、これまたでれっと、というか、だらりというべきか、ぶらさがっている。それも一本じゃなくて、二、三本ぶらさがっているのもある。その先にあるのは、キーの類か、それとも財布か。ウォレット(wallet)型の財布の端がポッケから顔を出しているのもあるぞ。あの手の財布には鎖を付けることはできないだろう。いや、二つ折りだから、鎖をはさみこむことができる。こんど見かけたら、よ~く観察しよう。
いや、失礼しました。枕がでれ、でれ~となが~くなってしまいました。では、本題に。
今はやりのライフ・ハックス(life hacks)の一つとして、「腰リール」というものがある。商品としてはまだ存在していない(と思う)。文房具店へ行けば、腰リールの材料はすべてそろえることができる。
実を言うと、一昨日、鳥取のような田舎町の店で材料がそろうかなあ、と不安をいだきながら若桜街道の加藤紙店へ行ったら、ありましたよ、必要なものはすべて!
昨年の12月か、今年の1月(と思うが)、NHK-TV(総合)の「おはよう日本」の8時前後に放映される「まちかど情報」で(これまた、あったと思うが)、いろいろ検索してみても確認できなかった。とにかくある日の朝のテレビで、「ゲルインクのボールペンが書きやすい」という情報を得て、その日のうちに、加藤紙店へ行き、そんなものがあるかと尋ねたら、若い女性店員がボールペンばかり並んでいる棚の前に連れて行き、両手を左右にいっぱいのばして「ここからここまで、ぜ~んぶ、ゲルインクのボールペンです」と言った。以来、このボールペンを愛用している。むろん、たとえば日本橋の丸善や銀座の伊東屋なんぞの比ではないけれども、わが町の文房具店もがんばっているんだなと……、えっ? 腰リール? 分かってます。
もう一度繰り返しますが、今はやりのものの一つとして、首からぶら下げる名札がある。わたしどもの現役時代に名札といえば、安全ピンで左の胸あたりにつけるもの。中国における文化大革命時代に、批判され、糾弾される者の首からぶらさげられたものの、ミニチュアみたいなものを、「わたしゃ、こういう者でござんす」と首からぶら下げるなんて、と思うが、今や、日本国中、猫も杓子も首からぶら下げている。病院では、ドクターたちがぶらさげているし、患者たちも番号を書いたのをぶら下げているそうな。プライバシー保護とか称して「××番さ~ん」と院内放送で呼び出すらしい。まるで囚人扱いだね。
わが鳥取の街でも、なにかの全国大会とか、ブロックの研究集会とかがあると、この名札を首からさげ、資料などの入った紙袋を持った人たちがぞろぞろ歩道を歩いているのをよく見かける。
そうだ、中学校や高校時代の同期生会をやるときには、安全ピンつきの名札なんぞやめにして、首からぶら下げるやつにしたらいいかも。むろん名前を書いてもいいけど、当時の白黒写真(カラー写真などあるわけがない! それどころか、記念アルバムもないから、おたがいに交換し合った写真)をアルバムからはがすなり複写するなりして、首からぶらさげるというのはどう? 会がおおいに盛り上がると思うけどいかが?
え、腰リール? わかっています。もうその話になっているんです。
この首から下げる名札に、リール付のやつがあることをはじめて知った。名札を下げるのになぜリールが必要なのか、いまだにわたしには理解できないが(非接触式IDカードに使用できると書いてあるから、それを使うのに便利がいいのだろうが、そんなカードは持っていないし、必要もない)、そういうものがあるんです。わが加藤紙店にも、一個だけあった! これが一番高価で、480円。リールのひもの長さは最長約70センチ。
このひもの先についている名札用のケースをはずして、ここに筆記用具をぶらさげる。手帳の代わりにリングのついた、英単語などを書くカードを使う。あとで紹介する本の写真には、名刺版くらいのカードが写っていたが、わたしは、3センチ×7センチ弱のカードの枚数をを半分にして輪ゴムでとめたものにした。
ボールペンは、ゼブラのペンポッドにした。リングのついたキャップに本体を入れて回すとロックされてペンが落ちない。キャップに収納された全体の長さが7.5センチで、カードの長辺とほぼ同じだ。
以上で腰リールがりっぱにできあがった。わたしは、家の鍵も腰リールにとりつけた。これは、文字通り腰につける(ベルトやズボンのベルト通しの部分などに取り付けることができる)。わたしは、父の形見の一つとして木製の髑髏(しゃれこうべ)の根付けをもっているが、これをこのリールに使うことにした。これで、いつでもメモを書き取ることができる。終われば、手を離すとメモもペンも元の腰へ戻る。
え? そんな面倒なことをしなくても、ポケットや鞄の中に小さな手帳かメモ用紙と、ペンをもっていればいいじゃないか、ですって?
そんなことを言う人は分かっちゃいないんだよなあ。いいアイデアというものは、いつ、どんなところで出てくるか分からないし、生まれてもすぐ、忘却の彼方へと去って二度と戻ってこないことだって、よくあることだ。気候によっては、何も持たず、ポケットもないTシャツだけで散歩することだってあるだろう。
とにかく、いつでも、どこでも、なんでも、メモしてやるぞ、という心意気の象徴でもあるんです、腰リールは。
一昨夜、或る店で腰リールを完成させて、共立女子大の鹿島 茂教授に笑われるかもしれないが(この文意が分からない人は朝日新聞社が発行している「一冊の本」を購読していない人です。むろん購読しておらず、分からなくてもかまいません)酒を飲みながら何度も「ドーダ」「ドーダ」と自慢した。
翌日、飲み屋を出た頃の記憶がまったくなく、代金を支払ったかどうか、その店に電話で問い合わせる有様であった。腰リールをぶらさげても、酒を飲み過ぎてはいけない、という教訓です。
【参考資料】
1.田口 元ほか『ライフハックプレス~デジタル世代の「カイゼン」術~』
2.自己実現寺:「腰リール」のリールはどれにする? - livedoor Blog(ブログ)
http://mugenmirai.livedoor.biz/archives/50487833.html
2007年3月24日土曜日
2007年3月15日木曜日
ウェブという新世界 3
梅田望夫は、『ウェブ進化論』第五章の「2 ネットで信頼に足る百科事典は作れるか」でウィキペディアを取り上げ、「3 Wisdom of Crowds」の中では、その一つとして、ソーシャル・ブックマークについて述べている。
『ウェブ進化論』を読む以前からウィキペディアの存在は知っていた。しかし、梅田さんの文章を読みながら、ふと、気になる言葉を思い出し、ウィキペディアに当たってみた。それは、「豆腐ちくわ」である。
豆腐ちくわとは、文字通り、豆腐で作った竹輪だ。むろん、豆腐だけで竹輪が作られるわけがない。魚肉のすり身と豆腐を混ぜたもので作るが、あくまでも豆腐の風味を持っていなければいけない。いかなる種類の魚肉とどんな豆腐を、どのような比率で混ぜ合わせるかによって、製品のできに違いが出てくるのは、当然。
今日のような豆腐ちくわを製造しているのは、昔も今も、鳥取市内を中心とする県東部のいわゆる竹輪屋、蒲鉾屋(水産練り製品製造業者というべきか)だけである。
この豆腐ちくわに関する記述をウィキペディアの中に見いだしたとき、ある種の感動を覚えた。しかし、同時に懸念が的中したことでがっかりもした。
全体的にはよく書かれてはいるが、もっとも問題のある記述は次の二カ所だ。
【1】豆腐ちくわを最初に本格的製造したのは、鳥取市の「ち○○商店」である。
【2】最も多く生産している「ち○○商店」では豆腐と魚のすり身を7対3の割合で混ぜ、魚肉は……
【1】については、このように断定的に述べる根拠はなにもない。
【2】については、事実を述べているのであろうが、【1】と併せて、この商店名のみを繰り返しているのは、宣伝臭が強すぎてウィキペディアのもつ意義、意図からみて、いかがなものか、と思う。
この項の〔変更履歴〕を見ると、2006年の2月12日より、何度も加除変更が重ねられ、最新版は2007年2月26日になっている。冒頭に書いたように、気になる言葉を思い出し、ウィキペディアで検索したのは、この項目が最初に書かれてから、一ヶ月ほど経ったときだったことになる。
この豆腐ちくわについての記述は、「ち○○商店」もしくは同店の依頼を受けた者によって書かれたものであることは、容易に推測されよう。わたし自身はそう確信している。
さて、『進化論』のなかで梅田さんはソーシャル・ブックマークについて次のようにのべている。
〈豆腐ちくわを最初に本格的製造したのは、鳥取市の「ち○○商店」である〉に疑義あり
というコメントを付した。
「ち○○商店」の社長は、わたしより若い人であるが、鳥取の特産物としての豆腐ちくわの宣伝を、長年にわたり、精力的かつ熱心にやってきている人である。そのための創意、工夫もいろいろやってきている。この点において、他店は熱意も努力も全くと言っていいほどに欠けている。だから、わたしはこの社長に対して敬意をいだいている。
しかし、疑義はたださなければならない。わたしは、この文章を「ごうな」というハンドルネームで書いているが、プロフィールを見ただけでわたしが誰か、社長には分かると思う。このブログではこれ以上言わない。いずれ、何らかの方法で私見を述べたい。
今回は以上のような文章になってしまったが、ウィキペディアを含めて、ウェブという新世界に対するわたしの思いや期待は、先回述べた通りであることに変わりはない。
『ウェブ進化論』を読む以前からウィキペディアの存在は知っていた。しかし、梅田さんの文章を読みながら、ふと、気になる言葉を思い出し、ウィキペディアに当たってみた。それは、「豆腐ちくわ」である。
豆腐ちくわとは、文字通り、豆腐で作った竹輪だ。むろん、豆腐だけで竹輪が作られるわけがない。魚肉のすり身と豆腐を混ぜたもので作るが、あくまでも豆腐の風味を持っていなければいけない。いかなる種類の魚肉とどんな豆腐を、どのような比率で混ぜ合わせるかによって、製品のできに違いが出てくるのは、当然。
今日のような豆腐ちくわを製造しているのは、昔も今も、鳥取市内を中心とする県東部のいわゆる竹輪屋、蒲鉾屋(水産練り製品製造業者というべきか)だけである。
この豆腐ちくわに関する記述をウィキペディアの中に見いだしたとき、ある種の感動を覚えた。しかし、同時に懸念が的中したことでがっかりもした。
全体的にはよく書かれてはいるが、もっとも問題のある記述は次の二カ所だ。
【1】豆腐ちくわを最初に本格的製造したのは、鳥取市の「ち○○商店」である。
【2】最も多く生産している「ち○○商店」では豆腐と魚のすり身を7対3の割合で混ぜ、魚肉は……
【1】については、このように断定的に述べる根拠はなにもない。
【2】については、事実を述べているのであろうが、【1】と併せて、この商店名のみを繰り返しているのは、宣伝臭が強すぎてウィキペディアのもつ意義、意図からみて、いかがなものか、と思う。
この項の〔変更履歴〕を見ると、2006年の2月12日より、何度も加除変更が重ねられ、最新版は2007年2月26日になっている。冒頭に書いたように、気になる言葉を思い出し、ウィキペディアで検索したのは、この項目が最初に書かれてから、一ヶ月ほど経ったときだったことになる。
この豆腐ちくわについての記述は、「ち○○商店」もしくは同店の依頼を受けた者によって書かれたものであることは、容易に推測されよう。わたし自身はそう確信している。
さて、『進化論』のなかで梅田さんはソーシャル・ブックマークについて次のようにのべている。
《対象となる記事に印(ブックマーク)をつけて、簡単なコメントやキーワードを付して「ネットのあちら側」に置くもの。「面白いものを選び、簡単にコメント等を付す」……この言葉の意味するところと違うかも知れないが、ソーシャル・ブックマークの一つであり、梅田さんも関係している「はてなブックマーク」をウィキペディアの豆腐ちくわの項に付し、
それは「個」が自分のために行い「あちら側にオープン」にしておくところがミソだ。》
《……今はまだ「個」の数が少ない上に偏りがあって、ブックマークの分析によってネット「全体」の変化や人気動向を理解できる段階には至っていないが、「個」の数が増えて分布性能が上がるにつれ、そんな「全体」としての価値も高まっていくだろう。》
〈豆腐ちくわを最初に本格的製造したのは、鳥取市の「ち○○商店」である〉に疑義あり
というコメントを付した。
「ち○○商店」の社長は、わたしより若い人であるが、鳥取の特産物としての豆腐ちくわの宣伝を、長年にわたり、精力的かつ熱心にやってきている人である。そのための創意、工夫もいろいろやってきている。この点において、他店は熱意も努力も全くと言っていいほどに欠けている。だから、わたしはこの社長に対して敬意をいだいている。
しかし、疑義はたださなければならない。わたしは、この文章を「ごうな」というハンドルネームで書いているが、プロフィールを見ただけでわたしが誰か、社長には分かると思う。このブログではこれ以上言わない。いずれ、何らかの方法で私見を述べたい。
今回は以上のような文章になってしまったが、ウィキペディアを含めて、ウェブという新世界に対するわたしの思いや期待は、先回述べた通りであることに変わりはない。
2007年3月11日日曜日
ウェブという新世界 2
昨年の3月、梅田望夫の『ウェブ進化論―本当の大変化はこれから始まる』(ちくま新書)を読んだ。第一刷発行が2月10日なのに、もう第五刷になっていた。12月には、梅田望夫と平野啓一郎の対談による『ウェブ人間論』(新潮新書)が上梓された。いずれも広く世に受け入れられているようだから、わたしのような者が、内容をご紹介することもあるまい。
とにかく、ウェブという新世界のすばらしさと、さらなる発展の方向を理解させてもらったと思っている。英国の詩人、キーツ(John Keats.1795―1821)に、ジョージ・チャプマンの英訳によってホーマーの詩を読んだ歓びを、新世界を眺望する思い、と述べた詩があるのを、思い出した。
むろん、ウェブの世界にも悪はある。わたしが始めた、このブログの世界にしても、「ブログ炎上」という言葉が存在することを承知している。
梅沢は『進化論』のあとがきの中で、常にオプティミズム(楽天主義)を意識してこの本を書いた、と述べている。わたしも、せめてあと10年ほど生きて、「インターネット」「チープ革命」「オープンソース」の三大潮流が相乗効果を起こしながら作り出す「次の10年」をこの目で見たい、と願っている。
とにかく、ウェブという新世界のすばらしさと、さらなる発展の方向を理解させてもらったと思っている。英国の詩人、キーツ(John Keats.1795―1821)に、ジョージ・チャプマンの英訳によってホーマーの詩を読んだ歓びを、新世界を眺望する思い、と述べた詩があるのを、思い出した。
むろん、ウェブの世界にも悪はある。わたしが始めた、このブログの世界にしても、「ブログ炎上」という言葉が存在することを承知している。
梅沢は『進化論』のあとがきの中で、常にオプティミズム(楽天主義)を意識してこの本を書いた、と述べている。わたしも、せめてあと10年ほど生きて、「インターネット」「チープ革命」「オープンソース」の三大潮流が相乗効果を起こしながら作り出す「次の10年」をこの目で見たい、と願っている。
2007年3月6日火曜日
ウェブという新世界 1
コンピュータを購入したのは2003年の暮れも押し詰まった頃だった。
それまでの10年近く、ワープロ専用機(書院)で文章を書いていた。だから、コンピュータになっても、縦書きもできるエディタ、QXにのみ、関心があった。メールだのインターネットなどにはさほど関心がなかった。
QXエディタは多機能である。クリップがどんな働きをするものなのかさえ知らない初心者には、分からないことばかり。途方に暮れる毎日だった。このエディタを使いこなしたい、という願いで、ウェブの世界へ入っていった。そして、その新しい世界はほんとうにすばらしい世界であることを知った。
QXエディタのことを書くつもりはないので、具体的に細かく紹介はしない。このエディタを愛する人々が大勢いて、初心者の質問に懇切、ていねいに答えてくれる。
このエディタを使いやすく、あるいは便利にする機能を付け加えるためのマクロを作っている人が大勢いる。それらのマクロを機能別にグループ化し、使い方を解説している人がいる。
こういうことは、なにもQXエディタに限ったことではない。同じく有償のWZエディタ、フリーの Tera Pad などについても同様である。
さらには、たくさんのフリーソフトや安価なシェアウエアのソフト類がある。この2、3年に、わたしがダウンロードして使ってみたり、現に使用しているものでも、優に100を超えている。
このように大きな恩恵を与えてくれる人々のうちの何人かに、メールで個人的に質問やら、お願いやらをしたことがあるが、みなさんからいただくご返事は、まことに丁寧であり、親切なものであった。
まことに有り難い、うれしい世界ではないか。
それまでの10年近く、ワープロ専用機(書院)で文章を書いていた。だから、コンピュータになっても、縦書きもできるエディタ、QXにのみ、関心があった。メールだのインターネットなどにはさほど関心がなかった。
QXエディタは多機能である。クリップがどんな働きをするものなのかさえ知らない初心者には、分からないことばかり。途方に暮れる毎日だった。このエディタを使いこなしたい、という願いで、ウェブの世界へ入っていった。そして、その新しい世界はほんとうにすばらしい世界であることを知った。
QXエディタのことを書くつもりはないので、具体的に細かく紹介はしない。このエディタを愛する人々が大勢いて、初心者の質問に懇切、ていねいに答えてくれる。
このエディタを使いやすく、あるいは便利にする機能を付け加えるためのマクロを作っている人が大勢いる。それらのマクロを機能別にグループ化し、使い方を解説している人がいる。
こういうことは、なにもQXエディタに限ったことではない。同じく有償のWZエディタ、フリーの Tera Pad などについても同様である。
さらには、たくさんのフリーソフトや安価なシェアウエアのソフト類がある。この2、3年に、わたしがダウンロードして使ってみたり、現に使用しているものでも、優に100を超えている。
このように大きな恩恵を与えてくれる人々のうちの何人かに、メールで個人的に質問やら、お願いやらをしたことがあるが、みなさんからいただくご返事は、まことに丁寧であり、親切なものであった。
まことに有り難い、うれしい世界ではないか。
2007年2月24日土曜日
ボズウェルの『ジョンソン伝』
イギリス人だったら誰でも知っているとされているサミュエル・ジョンソン。歴史の中のイギリス民衆の生活を描いたトレヴェリアンは、著書『イギリス社会史』の中で、約1740―1780年を「ジョンソン博士時代のイングランド」と名付けて三つの章を書いている。
日本では、ボズウェルの『ジョンソン伝』によって、彼の名前は知られていると言っていいだろう。吉田松陰の伝記も書いたR・L・スティーヴンソン(そう、『宝島』の作者です)はこう言っている。
《私は聖書を読むと同じように、毎日少しずつボズウェルを読む。私はわが死の日まで、ボズウェルを読むつもりだ。》
ボズウェルは、ジョンソンといっしょにいるときはいつでも、彼独特の速記法でジョンソンの言葉を一言一句ももらさずに書き留めた。「偉大なる常識人」とも呼ばれるジョンソンの言葉を、伝記のいたるところにつめこんだ。
この本が、世界の伝記文学中の最高峰の一つとされていて、イギリス人は「ドクター・ジョンソンもこう言っている」と聞けば、納得すると言われる所以だ。
岩波文庫の神吉三郎訳『サミュエル・ヂョンスン傳』は、上巻が1941年、中巻が1946年、下巻が1948年に出版された。
ところが、この岩波文庫本は、わたしの大学生時代でも、神田の古書街をはじめ、どこへ行っても、下巻を見つけることができなかった。ウェブで見ても、この状況に変わりはないようだ。
岩波文庫本は抄訳であるが、1981―1983年に、中野好之訳『サミュエル・ジョンソン伝』全3巻がみすず書房より発行された。これは本邦初の全訳であるが、各巻8000円の高価本だ。(前に引用したスティーヴンソンの言葉は、この本の第1巻の箱の裏面に印刷されたものの写しである。)
こういう古典を若い人たちにも読んで欲しいと思うが、現状では図書館を利用してもらうしかしようがないだろう。Amazon あたりで調べてみると、ペーパーバックなら、原書が千数百円で手にはいる。英語を勉強している人は挑戦してみてはどうだろう。
後で原文と翻訳を少しだけご紹介するが、岩波文庫本はリクエスト復刊されても、若い人には読みづらいかもしれない。新訳で出してもらえないだろうか。
あるいは、全訳本をどこかで文庫本にできないだろうか。
日本の出版界の現状に一抹のさびしさを覚えるのは、決してわたしだけではあるまい 。
ボズウェルによるジョンソンの伝記が出版されたのは18世紀の末。日本では、寛政時代の終わり頃で、本居宣長が古事記伝を完成させた頃である。今から200年以上昔の英文ということになるが、英語は、日本語ほど変化していないから恐れることはない。
では、原文と二つの翻訳文をご紹介しよう。まず、教育もしくは躾について。
蛇足ではあるが、この訳文では、1行~2行目の「間違いなくその時代に比肩する者のない」と考えているのはラントン氏であるように受けとれる。そのように信じているのは「わたくし」、すなわちボズウェルである。
上の引用文をパソコンに打ち込みながら、昔、あるユーモア作家に『賢兄愚弟』というタイトルの小説があったことを思い出した。いや、そんなことより、妹にバカ呼ばわりされた浪人中の兄が彼女を惨殺したという、まことに悲惨な最近の事件を思わずにはいられない。家庭内に、ジョンソンが指摘しているような問題があったかどうか、分からないけれども。
さて、どうしてわたしが次の文章を引用するのか、みなさんにはすぐにお分かりいただけるでしょう(笑)。
そうなんです。「ランブラー」とは、この偉大なるジョンソン博士が自ら作った雑誌に自ら付けた名前だったのです。
rambler という言葉は、たとえば、中・高生から使える学習研究社の「ニュー ヴィクトリー 英和辞典」(これはとてもいい辞書です)にも出ていて、
ぶらぶら歩く人;漫然と話す[書く]人;
と説明されている。さらに、動詞の ramble についても、
ぶらぶら歩く(かなり長い距離を歩くことを含意する);取り止めもなく話す;漫然と書く(on)
と、ていねいに書かれている。
さて、このブログの名前は、こうこうだ、と2,3行ですむことを、このようにだらだらと書き連ねるのだから、ふさわしい命名だと思いながらも、(また、いくらボズウェルがケチをつけていようとも)この有名な誌名を借用することにはためらいがあった。
グランブル(grumble:ぶつぶつ不平不満を言う)という動詞もあるので、グランブラー(不平不満居士)にしようとも考えていたのだが、亀井さんの放送を聞いて、流行に便乗することにした次第。
しかし、こんな風にダラダラと書き連ねるのは、やっぱり当世風ではないですよ、ねえ。
ボズウェルによるジョンソンの伝記が出版されたのは18世紀の末。日本では、寛政時代の終わり頃で、本居宣長が古事記伝を完成させた頃である。今から200年以上昔の英文ということになるが、英語は、日本語ほど変化していないから恐れることはない。
では、原文と二つの翻訳文をご紹介しよう。まず、教育もしくは躾について。
《Mr.Langton one day asked him how he had acquired so accurate a knowledge of Latin,in which, I believe, he was exceeded by no man of his time;he said,‘My master whipt me very well. Without that,Sir,I should have done nothing.’He told Mr.Langton,that while Hunter was flogging his boys unmercifully, he used to say,‘And this I do to save you from the gallows.’Johnson,upon all occasions,expressed his approbation of enforcing instruction by means of the rod.‘I would rather(said he)have the rod to be the general terrour to all,to make them learn,than tell a child,if you do thus,or thus,you will be more esteemed than your brothers or sisters. The rod produces an effect which terminates in itself. A child is afraid of being whipped,and gets his task, and there's an end on't;whereas, by exciting emulation and comparisons of superiorities, you lay the foundation of lasting mischief; you make brothers and sisters hate each other.’
When Johnson saw some young ladies in Lincolnshire who were remarkably well behaved,owing to their mother's strict discipline and severe correction, he exclaimed, in one of Shakespeare's lines a little varied,
‘Rod,I will honour thee for this thy duty.’ 》
《或る日ラントン氏が彼(引用者注:ジョンソン)に、どうして彼が間違いなくその時代に比肩する者のないあの正確なラテン語の知識を身につけたのか、と聞いたのに対して彼は答えた。「僕の先生はよく鞭で僕を打った。君、それがなければ僕は何一つまなばなかったろう。」彼がラントン氏に伝えた話によると、ハンター氏は自分の生徒を容赦なく鞭打つ度毎にいつも必ず、「俺はお前たちを絞首台から救うためにこうするのだ」と叫んだという。ジョンソンは機会あるごとに、鞭の力を借りて躾を強制する方法の是認を表明していた。「彼らに勉強をさせるためには(と彼は言った)鞭を揮って皆を恐がらせる方が、子供に向かってお前はこれこれのことをすればお前の兄弟姉妹よりも先生に賞められるぞ、と言うよりもよいと思う。鞭が生み出す効果はその当座に限られる。子供は鞭打たれるのを恐れて勉強をする。それでお終いになる。ところが競争や優劣の比較の気持ちを刺激すれば、持続的な弊害の種が蒔かれる。君は兄弟や姉妹を互いに憎しみ合わせるわけだ。」
リンカンシャでジョンソンは、母親の厳しい規律と喧しい躾によって上品で非常に行儀のよい何人かの若い淑女たちと会合した席で、シェークスピアの詩行の一つを少し変えた言葉でこう叫んだ、
鞭よ、汝のこの職分の故に我は汝を讃える。》(中野訳)
蛇足ではあるが、この訳文では、1行~2行目の「間違いなくその時代に比肩する者のない」と考えているのはラントン氏であるように受けとれる。そのように信じているのは「わたくし」、すなわちボズウェルである。
上の引用文をパソコンに打ち込みながら、昔、あるユーモア作家に『賢兄愚弟』というタイトルの小説があったことを思い出した。いや、そんなことより、妹にバカ呼ばわりされた浪人中の兄が彼女を惨殺したという、まことに悲惨な最近の事件を思わずにはいられない。家庭内に、ジョンソンが指摘しているような問題があったかどうか、分からないけれども。
さて、どうしてわたしが次の文章を引用するのか、みなさんにはすぐにお分かりいただけるでしょう(笑)。
《Johnson was, I think, not very happy in the choice of his title,―“The Rambler;”which certainly is not suited to a series of grave and moral discourses; which the Italians have literally,but ludicrous-ly, translated by Il Vagabondo; and which has been lately assumed as the denomination of a vehicle of licentious tales,“The Rambler's Magazine.” He gave Sir Joshua Raynolds the following account of its getting this name:“What must be done, Sir, will be done. When I was to begin publishing that paper, I was at a loss how to name it. I sat down at night upon my bedside, and resolved that I would not go to sleep till I had fixed its title. The Rambler seemed the best that occured, and I took it.”》
《ヂョンスンの『漫歩者(引用者注:ルビ/ラムブラ―)』といふ題名の選び方はあまり感服できないと思ふ。それは眞面目な道徳的説話の連續にとつては確かに適切でない。イタリー人はこれを文字通り「イル・ヴァガボンド(譯者註、『放浪兒』の意)」と譯してゐるが、滑稽を免れない。又近頃は如何がわしい物語りを載せる機關に『ラムブラーズ・マガジーン』といふ標題が採用されてゐる。ヂョンスンはサー・ヂョュア・レノルヅにこの名をつけた由来を語った、「どうでもしなくてはならぬことは、どうにかできるものだよ、君。わしがあの雑誌を始めることになつた時、何といふ名をつけたらよいか解らなくて困つた。わしは夜、ベットの前に坐り込み、題名を定めてしまはないうちは眠らないことに決心した。思ひ浮かんだうちで『ラムブラー』が一番良ささうに思へたのでそれに決めた。」》(神吉訳)
そうなんです。「ランブラー」とは、この偉大なるジョンソン博士が自ら作った雑誌に自ら付けた名前だったのです。
rambler という言葉は、たとえば、中・高生から使える学習研究社の「ニュー ヴィクトリー 英和辞典」(これはとてもいい辞書です)にも出ていて、
ぶらぶら歩く人;漫然と話す[書く]人;
と説明されている。さらに、動詞の ramble についても、
ぶらぶら歩く(かなり長い距離を歩くことを含意する);取り止めもなく話す;漫然と書く(on)
と、ていねいに書かれている。
さて、このブログの名前は、こうこうだ、と2,3行ですむことを、このようにだらだらと書き連ねるのだから、ふさわしい命名だと思いながらも、(また、いくらボズウェルがケチをつけていようとも)この有名な誌名を借用することにはためらいがあった。
グランブル(grumble:ぶつぶつ不平不満を言う)という動詞もあるので、グランブラー(不平不満居士)にしようとも考えていたのだが、亀井さんの放送を聞いて、流行に便乗することにした次第。
しかし、こんな風にダラダラと書き連ねるのは、やっぱり当世風ではないですよ、ねえ。
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流行語「ランブラー」
毎週日曜日、NHKラジオ第1の朝6時台に「当世キーワード」という短い番組がある。新語アナリストの亀井肇が今の流行語をいくつか取り上げて、解説してくれる。
10年ほど前、「チョベリバ」(超ベリーバッド→最悪)、「ルーズソックス」(現在は膝上の「オーバー・ニール・ソックス」が流行の由)などが流行語であった時代から、亀井さんにはお世話になっている。
昨年12月の第一日曜日の朝、たまたまこの番組を聞いていたところ、「ランブラー」という言葉が出てきて、一瞬わが耳を疑った。
ブログを始めてみようかな、と考えていて、サイトの名前の候補にしていたからだ。
念のため、ウェブ検索にかけてみた。
「新語探検」というサイトがあって、(2006年12月08日)の日付で亀井さんが次のように書いていた。
10年ほど前、「チョベリバ」(超ベリーバッド→最悪)、「ルーズソックス」(現在は膝上の「オーバー・ニール・ソックス」が流行の由)などが流行語であった時代から、亀井さんにはお世話になっている。
昨年12月の第一日曜日の朝、たまたまこの番組を聞いていたところ、「ランブラー」という言葉が出てきて、一瞬わが耳を疑った。
ブログを始めてみようかな、と考えていて、サイトの名前の候補にしていたからだ。
念のため、ウェブ検索にかけてみた。
「新語探検」というサイトがあって、(2006年12月08日)の日付で亀井さんが次のように書いていた。
《イギリスで「ぶらぶら歩く人」を意味する。もともとはよい意味ではなかったが、自然のなかでの行動が見直されるようになり、ウォーキングやトレッキングが盛んになるとともに「大切な人、仲のいい人と話しながらウォーキングする人」という意味に変わってきている。「ランブラー」には「とりとめもなく話す人」という意味もあり、その2つの意味がつながったとも解されている。……気楽にウォーキングに出かけることができる。急がず、ゆっくりと、仲間と楽しく喋りながら、風景を楽しんだり、リラックスしながら歩く人が多い。アウトドア雑誌『BE-PAL』(小学館)で特集されてから注目を浴びるようになった。iBE-P@L著者:亀井肇 / 提供:JapanKnowledge》
はじめまして、どうかよろしく
ブログとは「現代の新しい日記」、と聞く。
高校時代に習った紀貫之の『土佐日記』の冒頭を思い出す。
懐かしいですねえ。
わたしの場合は、「今はやりのブログといふものを、古希を過ぎたる
じいじいもしてみむとてするなり」といったところでしょうか。
「古希を過ぎたるじいじい」にはちがいないが、平均寿命が延びて
きたせいか、こんな英語が使われはじめたらしい。
65~74歳を young old (若年老人、前期高齢者)、75歳以上を
高校時代に習った紀貫之の『土佐日記』の冒頭を思い出す。
《男もすなる日記といふものを、女もしてみむとてするなり。》
懐かしいですねえ。
わたしの場合は、「今はやりのブログといふものを、古希を過ぎたる
じいじいもしてみむとてするなり」といったところでしょうか。
「古希を過ぎたるじいじい」にはちがいないが、平均寿命が延びて
きたせいか、こんな英語が使われはじめたらしい。
65~74歳を young old (若年老人、前期高齢者)、75歳以上を
old old (後期高齢者)と呼ぶという。わたしは young old です!
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