2008年2月27日水曜日

地名の誤り

2月22日(金)のNBonline(日経ビジネス)の【書物漂流】欄に、松島駿二郎さんが、「吊革にぶら下がって文学を読もう」と題して、ちくま日本文学の中の3冊を取り上げていた。『寺島修司』『芥川龍之介』と『尾崎翠』である。http://blog.nikkeibp.co.jp/cgi-bin/mt/mt-tb.cgi/161554



この文庫の中で、ドッペルゲンガー(引用者注:すぐ前の文中に【ドイツ語で「同行二人」という意味】と書かれている)という意識がいちばんはっきりと出ているのが「第七官界彷徨」という中編だろう。1931年(昭和6年)に発刊された。その後、翠は故郷の島根県に帰り、ひっそりと隠棲したという。
この引用文の「島根県」は「鳥取県」の誤りだ。

山陰と言っても東西ふたつの県で、どちらが東か西か、分からない人が結構いるし、両県が一つになって、山陰とは島根県あるいは鳥取県だと思っている人も少なくない。



尾崎翠が生まれたのは、現在の鳥取県岩美郡岩美町だ。鳥取砂丘の東隣にあって「山陰の松島」とも言われる浦富海岸を有し、湯かむり唄で知られる岩井温泉も歴史は古い。尾崎翠の誕生の地はこの岩井温泉の地だ。

晩年は鳥取市内でひっそりと暮らした。墓は市内の寺にある。

次のサイトに菩提寺と、墓の写真がある。

 http://www.7th-sense.gr.jp/tottori/tottori_tot000926.html



このサイトで菩提寺、養源寺の「場所は鳥取駅から県庁方向に向かう若狭街道を進み、若狭橋を越えて、アンチックな丸福珈琲店の角を右に入って200メートルぐらい。門の脇に石柱が立っているので、分かりやすいです。お墓は本堂を回り込んで、一番奥。」とあるが「若狭街道」「若狭橋」は「若桜街道」「若桜橋」の誤り。

写真はよく撮れているが、同じ場所を一昨日撮ったものを掲載しておく。

養源寺で思い出したことがある。漱石の『坊つちやん』の最後を引用する。

死ぬ前日おれを呼んで坊つちあん後生だから清が死んだら、坊つちあんの御寺へ埋めて下さい。御墓のなかで坊つちあんの來るのを楽しみに待つて居りますと云つた。だから清の墓は小日向の養源寺にある。










http://blog.nikkeibp.co.jp/cgi-bin/mt/mt-tb.cgi/161554



この文庫の中で、ドッペルゲンガー(引用者注:すぐ前の文中に【ドイツ語で「同行二人」という意味】と書かれている)という意識がいちばんはっきりと出ているのが「第七官界彷徨」という中編だろう。1931年(昭和6年)に発刊された。その後、翠は故郷の島根県に帰り、ひっそりと隠棲したという。
この引用文の「島根県」は「鳥取県」の誤りだ。

山陰と言っても東西ふたつの県で、どちらが東か西か、分からない人が結構いるし、両県が一つになって、山陰とは島根県あるいは鳥取県だと思っている人も少なくない。



尾崎翠が生まれたのは、現在の鳥取県岩美郡岩美町だ。鳥取砂丘の東隣にあって「山陰の松島」とも言われる浦富海岸を有し、湯かむり唄で知られる岩井温泉も歴史は古い。尾崎翠の誕生の地はこの岩井温泉の地だ。

晩年は鳥取市内でひっそりと暮らした。墓は市内の寺にある。

次のサイトに菩提寺と、墓の写真がある。

 http://www.7th-sense.gr.jp/tottori/tottori_tot000926.html



このサイトで菩提寺、養源寺の「場所は鳥取駅から県庁方向に向かう若狭街道を進み、若狭橋を越えて、アンチックな丸福珈琲店の角を右に入って200メートルぐらい。門の脇に石柱が立っているので、分かりやすいです。お墓は本堂を回り込んで、一番奥。」とあるが「若狭街道」「若狭橋」は「若桜街道」「若桜橋」の誤り。

写真はよく撮れているが、同じ場所を一昨日撮ったものを掲載しておく。

養源寺で思い出したことがある。漱石の『坊つちやん』の最後を引用する。

死ぬ前日おれを呼んで坊つちあん後生だから清が死んだら、坊つちあんの御寺へ埋めて下さい。御墓のなかで坊つちあんの來るのを楽しみに待つて居りますと云つた。だから清の墓は小日向の養源寺にある。










http://blog.nikkeibp.co.jp/cgi-bin/mt/mt-tb.cgi/161554



この文庫の中で、ドッペルゲンガー(引用者注:すぐ前の文中に【ドイツ語で「同行二人」という意味】と書かれている)という意識がいちばんはっきりと出ているのが「第七官界彷徨」という中編だろう。1931年(昭和6年)に発刊された。その後、翠は故郷の島根県に帰り、ひっそりと隠棲したという。
この引用文の「島根県」は「鳥取県」の誤りだ。

山陰と言っても東西ふたつの県で、どちらが東か西か、分からない人が結構いるし、両県が一つになって、山陰とは島根県あるいは鳥取県だと思っている人も少なくない。



尾崎翠が生まれたのは、現在の鳥取県岩美郡岩美町だ。鳥取砂丘の東隣にあって「山陰の松島」とも言われる浦富海岸を有し、湯かむり唄で知られる岩井温泉も歴史は古い。尾崎翠の誕生の地はこの岩井温泉の地だ。

晩年は鳥取市内でひっそりと暮らした。墓は市内の寺にある。

次のサイトに菩提寺と、墓の写真がある。

 http://www.7th-sense.gr.jp/tottori/tottori_tot000926.html



このサイトで菩提寺、養源寺の「場所は鳥取駅から県庁方向に向かう若狭街道を進み、若狭橋を越えて、アンチックな丸福珈琲店の角を右に入って200メートルぐらい。門の脇に石柱が立っているので、分かりやすいです。お墓は本堂を回り込んで、一番奥。」とあるが「若狭街道」「若狭橋」は「若桜街道」「若桜橋」の誤り。

写真はよく撮れているが、同じ場所を一昨日撮ったものを掲載しておく。

養源寺で思い出したことがある。漱石の『坊つちやん』の最後を引用する。

死ぬ前日おれを呼んで坊つちあん後生だから清が死んだら、坊つちあんの御寺へ埋めて下さい。御墓のなかで坊つちあんの來るのを楽しみに待つて居りますと云つた。だから清の墓は小日向の養源寺にある。










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