その翌々日の場面(8月3日、第106回)。前日の大雨で帰れなくなった秋山の代わりに桜子の編曲した曲が放送されることになる。マロニエ荘の住人たちはラジオの前に集まり、放送が始まる。「岡野貞一作曲、有森桜子編曲『ふるさと』」というアナウンスが今度ははっきりと聞こえた。
1953(昭和28)年、大学受験に失敗したわたしは、生まれて初めて、京都で一人暮らしの浪人生活を始めた。やがて郷愁病に罹ることになる。
鴨川の川辺を散歩しながら、よくこの歌を口ずさんだ。
山は久松山、川は袋川や狐川、そして千代川であった。「志を果たして」とは、当面「入試合格を果たす」ことであったが、五科目の国立はおぼつかなかった。いずれにせよ、この歌の作曲者が鳥取市出身の岡野貞一であることなどまったく知るよしもなかった。
文部省唱歌と呼ばれるこれらの歌―正確に言えば、『尋常小学読本唱歌』を前身とする『尋常小学唱歌』(全6冊)が出版されたのは、明治44年から大正3年にかけてのことだ。
これらの中の、たとえば、「春の小川」(第4学年用)や「朧月夜」「故郷」(第6学年用)の作曲者が岡野貞一であり、作詞者は、よく岡野とコンビを組んだ長野県出身の高野辰之であったことなどが明らかになったのは、昭和で言えば、早くても30年代の後半、あるいは40年代のことであったと思う。冒頭で挙げた朝ドラの場面は「大東亜戦争」のさなかのことで、岡野貞一の名前を告げるアナウンスがラジオから流れる、なんてことはありえなかったのである。
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