2007年4月12日木曜日

知的生産の技術 3

1988年11月、梅棹忠夫編『私の知的生産の技術』(岩波新書)が発行された。『知的生産の技術』から20年近くが過ぎたことになる。岩波新書創刊50周年を記念した論文募集に二百数十編の応募があり、12編の入選作品が掲載されている。
編者の梅棹忠夫は、すでに視力を失っているが、冒頭に「『知的生産の技術』その後」と題したエッセイを寄せている。ここで彼は多くのことを語っているが、二つにしぼって紹介する。

《……わたしは「生産」ということばをもちいたが、知的生産によってお金をもうけたり、ものをつくりだしたりしようというのではない。知的生産は人生をたのしむためにおこなうのである。文字による知的生産は人生をたのしむためにおこなうのである。文字による知的生産にならんで、さまざまな情報生産のための技術が開発されたならば、われわれの人生はどれほどかたのしく、充実したものになってゆくだろうか。
《……そこ(=この本:引用者注)でとりあげているのは能率の問題ではない。それはむしろ精神衛生の問題なのだ。いかにして人間の心にしずけさと、ゆとりをあたえるかという技術の問題なのである。心のしずけさと心のゆとりのうえにたって、ゆたかな知的たのしみを享受しようという話なのである。》(p.17)

《「私の」という限定づきの原稿募集であったせいでもあろうが、応募原稿の大部分は、それぞれの筆者のじっさいの体験に根ざしたものであって、普遍化された技術論ではない。その意味では、これらの原稿はかなりの程度に自分史の一部であり、あるいは筆者たち自身の知的生活誌の一部でもある。それだけにいずれも具体性がつよく、よむものに感銘をあたえる。
《職業的にいうと、自営業者、主婦などもおおいのだが、やはり教師そのほかの知的職業のひとが目だつのは、当然といえば当然であろう。意外にすくなかったのは、いわゆる会社員など企業の内部で実務にたずさわっている人たちである。
《知的生産のおこなわれた現場に注目すると、おもしろいことに、そのほとんどが自宅である。すくなくとも自宅に活動の中心をおいている。会社で、あるいはオフィスでというのはむしろすくないのである。これはさきほどの会社員の応募が比較的すくなかったこととむすびつけてかんがえるとおもしろい。
《企業のなかでも、知的生産の技術の開発がおおいにすすみ、その応用がおおきな利益を会社にもたらすこともじゅうぶんにありうるはずである。しかし、知的生産者たちの関心は、企業よりも、むしろ自己のほうにむけられているのかもしれない。》(pp.18-19)


いささが長すぎる引用をしてしまったが、この本を買った人、あるいは読んだ人は、『知的生産の技術』を買った人、あるいは読んだ人よりもはるかに少ないだろうと思うからである。


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