2009年3月17日火曜日

鳥取を愛したベネット父子 (20)

前回紹介した『若い人に語る戦争と日本人』のなかで保坂正康さんは、三年八ヶ月あまり戦われた太平洋戦争を次の五つの期間に分けている。(p.153)

(一)昭和十六年十二月八日から十七年五月まで――勝利
(二)昭和十七年六月から十八年四月まで――挫折
(三)昭和十八年五月から同年十二月まで――崩壊
(四)昭和十九年一月から昭和二十年二月まで――解体
(五)昭和二十年三月から同年八月十五日まで――降伏

この(二)の「挫折」の最初となるのが、ミッドウェー海戦である。

1942(昭和17)年4月18日の米軍機による初の本土空襲に衝撃を受けた軍令部は、かねてからの主張であったアメリカとオーストラリア間を遮断し、中部太平洋、南西太平洋方面の制海権を確保するための作戦を展開しようとした。
その企図は、ソロモン群島を制圧し、ニューカレドニア、ニューヘブリデス、サモアへの進出、さらにこれと並行してニューギニア南方のポートモレスビーへ進攻しようというものであった。

5月7日から8日にかけて行われた珊瑚海海戦は、世界史上初の空母対空母の戦いであったが、日米ほぼ互角の損害を出した。
この海戦に次いで行われたのが、6月5日のミッドウェー海戦である。詳しい経緯は省略して、結果のみを記す。
日本側は、主力空母4隻、重巡1隻、飛行機285機、将兵3,054人(そのほとんどが優秀なパイロットであった)を一挙に失った。米側の損害は、空母1、駆逐艦1、飛行機150、死傷者307であった。
以後、日米の優劣は完全に逆転し、日本軍は一挙に退勢に向かった。
この日本軍の敗退の原因はいくつが挙げられるであろうが、その一つは、日本軍の暗号を米軍側が解読していたことにある。

開戦時、真珠湾攻撃の前に、在米大使館への指示電報が解読され、米国の首脳部は事前に日本軍の攻撃を予知していたことはすでに触れた。
・このミドウェー海戦でも、珊瑚海海戦後の日本艦隊の次の進路を必死に探っていた米海軍情報部は暗号解読に成功し、これを迎え撃つ準備を整えていた。
・翌1943(昭和18)年4月18日(むろん偶然だが、前年の東京初空襲と同日)、前線の兵士激励に向かった山本五十六長官の搭乗機が待ち伏せしていた米軍機にブーゲンビル島上空で襲撃され、長官は戦死した。これも米側が事前に暗号を解読し、長官の行動を4日前から知っていたからだ。

しかも、米側が暗号解読によって事前に日本軍の行動を知っていたことに、日本側はまったく気づいていなかったのである。

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