足の向くまま、気の向くまま、好き勝手なことを書きます。漫歩、漫談、その記録の万歩計です。
……冷たい水を入れた大きなコップをかたわらに、愛用のウイスキー・グラスを傾けつつ、無心に盤を囲むのが、多忙な彼にとっての何よりの楽しみだった。(p.254)
「夢を描いて悔なき人生」、その座右銘を刻んだ顕彰碑が、昭和四十年七月一日、鳥取商工会館前に建てられたときには、欣然として除幕式に元気な姿をみせた章三であったが、それに先立って昭和三十九年十一月三日には生存者叙勲の栄に浴して、勲二等瑞宝章を受けた。同十一月二十八日、鳥取市民体育館で開催された祝賀会で、満場の参会者を前にした章三は、朗々とした音声でその生涯を回顧し、自らの幸福を感謝した。寿命百二十才説を信奉して、悔なき生涯を事業に捧げたこの巨人が、彼を敬愛する郷党に対する、最後の謝辞であった。昭和四十二年十月十九日午後十一時五十五分、米原章三は智頭町の自宅に、八十四才をもって永眠する。葬儀は知事石破二朗らが葬儀委員となって、同月二十五日午後一時、鳥取市民体育館で盛大に執行された。参列するもの県内外より千余名であった。戒名は慈恩院殿寿岳簡堂大居士である。
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