2007年7月19日木曜日

ことば拾い:千人針と15銭

千人針を実際に見聞した人は、ごうなの世代が最後だろう。
銭は「金銭」や「銭湯」ということばの中に生きているが、お金の単位で、1銭=1/100円で、1円は100銭である。週刊朝日編『値段史年表』によれば、大びん1本のビールの小売標準価格は、
昭和22年4月  59円61銭
〃23年9月 162円20銭
〃24年7月 126円50銭
…………………………
昭和62年   310円
といった具合で、実際に1銭玉や5銭玉や10銭玉を見たり使ったりしたのは、やはり戦前生まれの人だろう。
まして「千人針」など、「それって、なに?」ということになるに決まっている。#

昨日の早朝、うとうとしながらラジオ深夜便を聞いていたら、宇田川清江アンカーが大正生まれの女性のお便りを読んだ。その人が5歳くらいの頃、お母さんが出征(=軍隊の一員として戦地に行くこと)する兄のため千人針を作って、10銭玉と5銭玉を縫いつけた。「その理由を母に尋ねたところ、云々」という内容だった。こどもの頃、千人針を女性たちが作っているのを見たことはあったが、お金の話は初耳だったので、ブログに書こうと思った。

書き始めて数行前の # のところまできたとき、ふと、5銭玉なんてあったかなあ、と思った。そこで「5銭玉 10銭玉」で検索してみたところ、数個のサイトが出てきた。
最初の[街のクマさん 炎のダイエット日記]
http://machino-kuma.at.webry.info/200705/article_30.html

を見れば、なぜ兵士たちが10銭玉や5銭玉を身につけて戦地へ行ったか、すぐわかる。
この検索でも千人針を紹介しているサイトがわかるが、「千人針」で検索すると、10個ほど出てくる。なかでも、「第12回戦時生活資料展 千人針」
http://www.nishi.or.jp/~kyodo/tenji/senji/12/sen1.htm
が写真も多くてわかりやすいだろう。
ただ何か丸い物が縫いつけられているのはわかるが、写真が小さくてよくは見えない。現在の5円玉、50円玉と同じで、穴が開いているからしっかり縫いつけることができた。

かつてこの国でも成人男子はみな武器を手に戦場へおもむき、婦女子は、父を夫を息子を孫を兄を弟を、陸や海や空の戦場へと送り出さねばならない時代があった。
10銭は9銭を超え、5銭は4銭を超える――苦戦を超え、死線(死戰)を超えて帰ってきて来てほしい。赤い糸の縫い玉が鋼鉄の玉となって、敵弾を跳ね返して欲しい。
こういう思いを単なる語呂合わせ、地口の類にすぎない、と一笑に付す人もいるだろう。現実としてありえないことを求める愚かでむだな願いだと冷笑する人もいるかもしれない。
しかし「名誉の戦死を」「死んで護国の鬼となれ」「散兵戰の華と散れ」「醜の御楯(しこのみたて)たれ」「撃ちてし止まむ」などなどの言葉や歌やスローガンが氾濫し、挙げ句の果には「一億玉砕」などの狂気の沙汰を指導者たちがわめいていた時代であったことを忘れてはいけない。
語呂合わせであろうと、愚かしい願いであろうと、それは「生きて帰ってきて欲しい」という真実の願い、心底からの願いであった。





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