2008年6月29日日曜日

映画「姿三四郎」1/2

1943(昭和18)年の8月も終わる頃、一人の少年が早朝の鹿野街道を歩いていた。1941年の4月に以前の小学校が「国民学校」と改称され、少年がその初等科3年生になった年の夏休みも終わろうとしていた頃で、「大東亜戦争」が始まってから1年9カ月が過ぎようとしていた。
前夜からの雨はあがっていたが、アスファルトで舗装された道はまだ濡れていて黒く光っている。少年は素足で、身につけているのはランニングシャツと短パンだけ。さすがに早朝の空気は冷たかった。普段彼が通っていた醇風国民学校は行程の半ば過ぎにあったが、学校に近づくまでには、体は十分に温まった。
彼が休み中に通っていたのは、久松山下にある公園の砂場の「鍛錬場」。鹿野街道を堀端に出て右折し、たくさんの蓮の花が咲いている堀にかかる大手橋を渡ると右手が鳥取一中のグラウンドで、道を隔てた左手が「鍛錬場」だった。ここで柔道の基本を学ぶのだ。
額の汗をぬぐいながら空を見上げると、昨夜の嵐の名残か、大きな黒雲が久松山の後ろから南東の方向へかなりの早さで流れて行く。少年は3カ月ほど前に見た映画「姿三四郎」の最後の決闘の場面を思い浮かべていた。「よ~し、三四郎のように強くなるぞ」。

映画「姿三四郎」を思い出すたびに、上に書いたような、遠い昔の自分の姿をいつも思い出す。そしてこの映画で思い出すといえば、いつも二つの場面だけであった。
自分の行動を師に叱られた三四郎(藤田進)が、道場となっている寺の庭の小さな池に跳び込み、そのまま池の中で杭につかまって一夜を過ごし、早朝、眼前の小さな一輪の蓮の花が開くのを見て、柔道の神髄に開眼する場面。
もう一つは、最後に、三四郎と月形龍之介演じる柔術家が、強い風の吹く草原のような場所で決闘する場面であった。

今年4月、テレビのBS②で「没後10年 黒澤明特集」の放送が始まった。彼の監督作品全30本の一挙放送だ。そして「姿三四郎」は、5月6日に放映された。この作品の監督が黒澤明であり、しかも彼の第一作目の映画であったこ
とも、初めて知った。この放送を見て、最後の決闘の場面は、わき上がる雲の映像がきわめて印象的であることを知り、「少年」があの日、黒雲の飛ぶのを見て三四郎を思いだしたわけを納得した。

この作品が出来たのが1943年3月であったこともわかったので、鳥取県立図書館でその年の3月以降の日本海新聞を調べたところ、同年5月6日(木)の紙面の広告を確認することができた。それによれば、この「東寶映画異色大作」は5月6日から12日までの一週間「本週は公休なし」で帝國館(戦後の第一映劇)において上映されたことがわかった。

この映画の原作が富田常雄の『姿三四郎』であり、紘道館は講道館、師範の矢野正五郎は嘉納治五郎、三四郎は当時、講道館四天王の一人と言われた西郷四郎であることは、いつしか知るようになっていた。

この小説を読んだことはないが、ブログを書くにあたって、ウェブを検索したところ、このあたりを詳しく書いているサイトがあった。やや古いサイトだがご紹介しておく。
http://www.iscb.net/mikio/9709/25/index.htm

0 件のコメント:

コメントを投稿