会場である【あおや郷土館】を訪れるのは初めだった。この日は土曜日だったが、高校総体の日で、近くの青谷高からときどき生徒たちの歓声が聞こえてきたが、車もめったに通らず、街路樹の梢からウグイスの鳴き声が聞こえてくるほどのどかであった。
展示されていたのは、学研の「歴史群像シリーズ」の表紙を飾った戦国武将たちの19点のイラストだった。若い頃の油絵などの展示も期待していたので、ちょっとがっかりした。
しかし、郷土館入り口の立て看にも「館蔵資料展 毛利彰 イラストレーション」と書かれており、かつて鳥取西高の玄関に飾られていた油絵などの記憶から自分が勝手に抱いていた期待であった。
この展示は4月1日より始まっていた。彼が亡くなったのは4月9日であったから、生前毛利さん自身が許可したものであったに違いない。
昨日(6月7日)の朝日新聞の【惜別】欄にこう書かれていた。
「芸術という言葉が嫌いだ。銭湯の富士山を立派に描く人を尊敬する。自分の仕事はそういう仕事」と語った。注文を受けて売れる絵を描く。いずれは消える商業イラストをきちんと仕上げる。それを誇る職人だった。
隣の展示室には、「因幡の源左(げんざ)」と呼ばれている妙好人、足利喜三郎(1842~1930)の深い阿弥陀信仰から出た語録を中心にした展示があり、あつい信仰心から出る、その言葉に改めてこころを打たれた。
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