2009年8月6日木曜日

鳥取を愛したベネット父子 (38)

【毎年のように「帰国」したスタンレー】

加藤恭子の『日本を愛した科学者 スタンレー・ベネットの生涯』は、いわゆる「編年体」というか、人物の誕生から死に至るまで年月を追って記述する形式では書かれていない。太平洋戦争戦後、何度来日し、来鳥したか、正確には分からない。『S・ベネットの生涯』からざっと拾い上げてみると、つぎのようになる。

1956(昭和31)年。戦後初めての来日。

  第1回アジア・大平洋州国際電子顕微鏡会議(東京)10月24日~27日
  ◆26年ぶりに日本へ帰った喜びを語っている(p.139)。
  11月1日 早朝鳥取着。久松山に登る。

1959 (昭和34) 年、広島大学訪問(p.173)。
1960(昭和35)年、日本解剖学会総会で特別講演(p.175)。
1962(昭和37)年、3月29日~4月10日、アリスも初来日(p.146~)。

1965(昭和40)年

  このシリーズ第11回(2009/01/06)。スタンレーが「鳥大メディ カル」に寄稿した「鳥取の思い出」(拙訳)の中で次のように書いている。「1965年の夏、妻と いっしょに米子を訪れたとき、鳥取大学の親切な教授方にご一緒していただき、夫婦して大山の頂 上まで非常に快適な登山をする恩恵を受けた。」

1966(昭和41)年8月

  京都で第6回電子顕微鏡学会。(p.227)
  神戸で国際解剖学会議(p.238)。

1974(昭和49)年。

  日本政府より勲二等瑞宝章を授与された。 (p.194.pp.226-227 p.237)
  6月14日、東京医科歯科大で講演。(pp.226―227)

1979(昭和54)年。

  3月~6月、東大医科学研究所に客員教授としてアリスと共に招かれる(p.146)。
  この来日の際に、鳥取も訪れ、 NHK鳥取の「マイク訪問」に出演(p.51)。
 

[1977年、科長を退職。1981年、生殖生物学研究所所長を退職。( pp. 250~251)]

1984(昭和59)年。

  8月26~31日、第3回国際細胞生物学会。(p.256 p.260 )
  9月22日、フレデリックの墓参。ヘンリーの蔵書などを県立博物館へ寄贈。(pp.266-269)
  9月29日、日本を発つ。

1986(昭和61)年。

  8月30日~9月17日、夫婦で最後の来日(p.272)。


1988(昭和63)年来日の予定をキャンセル。手術、入院。(ページ、同上)
1992(平成4)年8月9日、スタンレー死去。享年81歳(p.305)。

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