2009年2月16日月曜日

鳥取を愛したベネット父子 (16)

もう一度1941(昭和16)年12月8日(以下日本時間で記す)に戻ろう。

この日、午前0:17から1時間30分、真珠湾の防潜網が引き上げられ、日本海軍の特殊潜航艇が湾内に潜入。
0:20、米海軍通信局は、傍受した日本の対米通牒(覚書)の暗号解読文を海軍首脳に配布。
1:25、マーシャル米陸軍参謀総長、対米通牒暗号解読文を読む。
2:15,米駆逐艦ウォ―ド、真珠湾口の外側で正体不明の潜水艦(日本軍の特殊潜航艇)を撃沈。
2:30、ワシントンの日本大使館が対米通牒暗号文の解読を終える。
2:36、オアフ島の米軍レーダー、接近する飛行機群を探知したが、日本の攻撃隊と気付かず。
3:19、淵田美津雄第一次攻撃隊長「全機突撃セヨ」と命令打電。(この時間は予定より11分早かった。)3分後、淵田少佐「トラ・トラ・トラ」を発信。
3:28、ハワイ海軍航空隊司令官、全世界に「真珠湾は攻撃された。これは演習ではない」と無線放送。
3:31、真珠湾の米戦艦アリゾナ、火薬庫に爆撃を受けて大爆発を起こし、沈没。
3:42、太平洋上の米軍第八任務部隊(ハルゼー提督指揮、空母エンタープライズ他)、戦闘配置につく。
3:47、ルーズベルト大統領、真珠湾攻撃の報告を受ける。
3:50、ワシントンの海軍省に真珠湾攻撃の第一報。
     駐米日本大使館、対米通牒の全文の浄書を終える。
4:05、野村・来栖両大使、ハル長官に「対米通牒(覚書)」を手交。
4:30、東郷外相、官邸で真珠湾攻撃の報告を受ける。
5:00、ルーズベルト大統領、政府・軍首脳と「戦争会議」を開く。
5:30、第二次攻撃隊、真珠湾から引きあげる。
【以上、『昭和二万日の全記録 第6巻』の pp.112-113 より、抜粋。】

この日、日本軍は真珠湾攻撃よりも早く、午前2時15分にマレー半島コタバルの敵前上陸に成功した。前日の7日、マレー作戦部隊輸送船団に接近中の英軍機を日本陸軍の戦闘機が撃墜した。これが太平洋戦争最初の攻撃であった。
さらに8日には、日本軍は、シンガポール、香港、グアム島攻略を開始した。 10日にはマレー沖海戦で、イギリスの戦艦プリンス・オヴ・ウェールズとレパルスを撃沈。25日には香港を占領した。 





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