2008年7月10日木曜日

鳥取のむかしばなし

2008/07/10(木)
梅雨も明けたような天気なので、近くのスーパーで助六寿司の弁当を買って、久松山の二の丸へ行ってみた。かれこれ10年ぶりになろうか。
携帯電話で撮った写真を3枚、お見せする。目が悪い上に、腕も悪いので結果はご覧の通りだが、お許しいただきたい。

【写真1】お堀にかかっている擬宝珠(ぎぼし)橋から見るとたくさんの鯉に驚く。わたしたちが高校生だった頃はまだ堀全体に蓮が植わっていて、野球部の一年生たちは、グラウンドの網のフェンスを越えて堀に落ちたボールを、探して拾い上げるのに苦労していたものだ。現在は、別の場所に野球部専用の練習場ができているから、そんな苦労があったことなど、今の生徒たちはまったく知らないだろう。

【写真2】二の丸から見下ろした鳥取西高の正面玄関。右手の屋根が、体育館、その後方と、左側・正面の二つの高い建物は、鳥取県庁。生徒だった頃、ここへ登って弁当を食べたものだが、その当時はまったく違っていた。正面玄関の位置は同じだが、旧鳥取一中の木造校舎だったし、右手には奉安殿の跡があった。

【写真3】二の丸にある稲荷神社。桂蔵坊という狐がまつられている。桂蔵坊は賢くて、足の速い狐で、鳥取―江戸間を三日三晩で往復して、藩の大切な使いをしていたという。幼稚園の頃、祖母から何度も聞かせてもらった昔話のひとつだった。
県立博物館主催の「鳥取県の民話を聞く会」で、石山易枝さんの語っている動画が見聞できるので、次のアドレスをクリックしてください。鳥取弁もきかれますよ。
http://www.pref.tottori.lg.jp/secure/156392/keizoubou.asx

ごうなは、ここで一句!!???   遠き日や老いたる祖母の春炬燵

【追記】久しぶりに母校の校舎を眺めて懐旧の情を抱いたのだが、翌11日の新聞で、この日、小幡義之先生が94歳でお亡くなりになったことを知った。かつての同僚であり大先輩だった。今夏も街に流れるであろう「きなんせ節」の作曲者でもあった。ご冥福をお祈りする。







0 件のコメント:

コメントを投稿