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2009年12月3日木曜日

ことば巡り③

「ことば巡り」も3日目になったので、今日でおしまいにする。

11月29日のNHKラジオ第1。5時台のおしまいは「音に会いたい」。過ぎ去った遠い昔にしばし戻ってみたいというリスナーたちのリクエストに応えて、さまざまな「昔懐かしい音」を聞かせてくれる。この日、二番目のリクエストは、静岡県のT.M.さん(79歳)から届いた点字の手紙。

小4の頃、ラジオから「紀元は二千六百年」という歌が連日のように流れてくる。昭和十五年、1940年は皇紀二千六百年[引用者注:つまり、天皇の御代になってから2600年目の目出度い年]に当たり、日本中が祝賀ムードに包まれていた。「金鵄(きんし)輝く日本の 榮(はえ)ある光身にうけて いまこそ祝へ[祝え]この朝(あした) 紀元は二千六百年 あゝ 一億の胸はなる 」
ところが、戦局の悪化とともに、ひどいインフレに見舞われた庶民のあいだに、替え歌が生まれ、またたくまに広がった。
「あの替え歌をもう一度聞いてみたいものです。」

「金鵄」上がって15銭
栄えある「光」30銭
今こそ来たる この値上げ
紀元は二千六百年
ああ1億の民は泣く

「金鵄」上がって15銭
栄えある「光」30銭
いちばん高い「鵬翼」(ほうよく)が
苦くて辛くて50銭
ああ1億のカネは減る

わたしも、この歌をリクエストされた方の四つ年下。この年、幼稚園の最上級生だったが、久松山下の堀端を行進する提灯行列の記憶が残っている。翌年、発足した国民学校入学後、この奉祝歌も替え歌も歌っていた。

金鵄(きんし)というのは金色のトビのことで、「神武天皇東征」のとき、天皇の持つ弓の先に止まって、その光り輝く金色が賊軍の目をくらませて、勝利に導いた。金鵄勲章はご存じでしょ?
「金鵄」「光」「鵬翼」はすべて当時売られていたタバコの名前。
この奉祝歌と替え歌の詳しい記事が、下記のアドレスにあります。

歌で思い出した。[深夜便のうた」というのがあって、毎回放送される。10月頃から放送されている「昭和浪漫~第2章~」が気に入っている。作詞・作曲:オオガタミズオ、歌:大川栄策。
 
風に追われるように街を歩いてる
痩(や)せた野良犬も見かけなくなった
路地の屋台で聴いた ギター流し歌
そんな風情もまた 消えて行(ゆ)くのですか
小さな手をつないで 夕焼けこやけの道を
歌って帰った昭和は風の中

裸電球点(とも)した小さな駅から
夢を枕にして あの日 町を出た
あれから幾年月 時は流れたけど
あの日の夢はまだ列車の棚の上
貧しかったけれどみんな元気だった
笑顔と一緒に昭和は夢の中

振り向けば人生の旅は半ば過ぎて
歩いて来た道に悔いはないけれど
これからが青春です もうひと花咲かせましょう
思い出つまった昭和は夢の中
昭和は夢の中

今まで好きでもなかったが、この大川栄策はいいと思う。

YouTubeがありましたよ。興味のある方はどうぞ。

ひと頃よく言われた「明治は遠くなりにけり」というフレーズがあったけれど、昭和に郷愁を覚えるのは、やはり、年取ったんですねえ…。
やがて、午前6時。お母さん方が起き出してきて、ラジオを聞きながら休日の朝の食事の準備に取り掛かるのでしょう。
「映画って、ほんとにいいですね」というキャッチフレーズを使った映画評論家がいたが、ラジオって、ほんとにいいですね。

2009年12月2日水曜日

ことば巡り②

前夜の11時のニュースの後から始まる【ラジオ深夜便】は午前5時に終わり、5分間程度のニュースが終わると、現役のアナウンサーが担当する【ラジオあさいちばん】が始まる。土日はそれぞれ【ラジオ】が【土曜】【日曜】に変わる。土日の担当は、佐塚元章・鈴木有才子の両アナである。

一昨日は今月5回目の日曜日だったので、亀井肇さんの「当世キーワード」の放送はなく、NHK放送文化研究所の田中浩史主任研究員が「美化語」について話した。美化語(びかご)とは、「お話」や「ご本」のように言葉の頭に「お」や「ご」つけた言葉をいう。
田中研究員が佐塚アナに、今年の初めに実施した調査と同じ言葉を示して、美化語を使うかどうかを尋ねる。

1.ビール →「これは、ビールですよ」
2.酢   →「お酢ですね」
3.正月  →「お正月ですね」
4.みかん →「これは、みかん」
5.台所  →「そのままですね」
6.鍋   →「男性の友達と鍋料理を食べるときは、『なべ、いこう』なんて言うが、娘には『今夜は、おと うさん、お鍋がいいな』などという」
7.カネ  →「どちらかといえば、お金がおおいですね。」
8.ソース →「これは、ソース」
9.酒   →「お酒ですね」
10.天気 →「これも使い分けていますね。相手や場所によって使い分け ているんですね」

田中さんによると、今年の調査では、「お正月」「お金」「お酒」は、7~8割の人がおかしくないと言っている。逆に、余り使わない、放送にはふさわしくないと言っているのは、「おビール」「おソース」「おみかん」「お台所」で、前の三つの言葉を支持したのは、それぞれ3%、5%、7%。
判断の分かれたもの、「迷った」というのは、酢、天気、鍋で、いずれも付ける、付けないが半々くらい、年代、性別、どんなグループの中で話しているか、などで異なるという結果であった。
もともと、「お」のつくのは一般に「お宮」「お寺」「お城」のように尊敬の対象になっていたものにつけた。
室町時代になって、女房言葉で、「でんがく」を「おでん」と、ていねいに、上品にいうようになったと言われている。
近代になると、幼稚園言葉というか、幼児向けの言葉で、
 おはな、お絵かき、お机
料理で
 お大根、お紅茶
といったものが加わって、今の言葉になったといわれている。やはり今でも、女性の方が美化語を多く使うことがハッキリ出ている、という。

13年前の1996年にも同様の調査をしているが、それに比べると、男性の美化語の使い方がこの間に急激に増えてきているそうだ。(たとえば、「お正月」は、51%→今回80%)
これからも、時代とか環境とか人間関係で、増えたり減ったりするかもしれない。日本語の中でも、揺れ続けているものの一つといえるかもしれない。

佐塚アナ「たいへん興味深い『お』話、ありがとうございました」w。

2009年12月1日火曜日

ことば巡り①

先月のブログは「当世キーワード」だけになってしまったが、11月29日は、5回目の日曜日だったので、亀井肇さんの「当世キーワード」の放送はなかった。しかし、「ことば巡り」と題して、言葉のあれこれを取りあげてみたい。

わたしのような年寄り―老人、(前期・後期)高齢者、じいさん・ばあさん、おいぼれ…)は、夜、床につくのが早い―その結果、目覚めるのが早いので、多くの者が【ラジオ深夜便】の愛聴者になってしまう。おッと、「愛聴者」と書いてしまったが、あってもいいと思うこの言葉は、一般には使用されていないようだ。
似たような言葉を並べてみよう。(○は、使用できる/×はできない)
  
  ○読み取る       ○聞(聴)き取る
  ×読取者         ○聴取者
  ○愛読する       ○愛聴する
  ○愛読書        ○愛聴盤(レコード)
  ○愛読者        ×愛聴者
         ○視聴者
         ×愛視聴者

いま一つ「聴取」という言葉があって、意味は次の二つ。
①事情や状況などをききとること。
②ラジオなどをきくこと。

①から、検察官や司法警察職員が作成する「聴取書」ができ、②から「聴取率」という言葉ができている。テレビの場合は「視聴率」となる。

テレビでは「視聴者のみなさん」と呼びかけ、ラジオでは「リスナーのみなさん」とアンカーがおっしゃる。

政府の行政刷新会議は昨日、国の事業見直しに関する国民の意見を来年1月から募集すると発表した。鳩山首相の名前にちなんだ hatomimi.com を立ち上げて意見を募るという。

「馬耳東風」あらため「鳩耳東風」にならねばいいが…。

とにもかくにも、いろいろと、ややこしいことではある。(つづく)

2009年8月4日火曜日

当世キーワード(2009年8月①)

以前、何度かこのブログで紹介したが、「当世キーワード」をまた取り上げる。

前の晩に深酒していなければ、朝の3時とか、4時頃には目を覚ましラジオを聞いている。
したがって、日曜の朝のラジオ(NHKラジオ)もよく聞いている。

「土曜・日曜あさいちばん」の番組を担当しているキャスターの佐塚元章さんが、NHKラジオのブログに、次のように書いている。
 
「今、この新語・流行語にこだわると、世の中少しは見えてくるかも」の私のコーナー紹介で始まる「日曜あさいちばん 当世キーワード」(日曜午前5時半から放送)は、いつも多くのリスナーから反響をいただきます。新語アナリスト・亀井 肇さんが、昨今世の中で使用されてきた新しい言葉を毎週5~6語紹介してくれます。今年で11年目になる名物コーナーです。私も思わず「うーんなるほど!」と唸(うな)ってしまったり、また「うふふ……」と笑ってしまう言葉ありで、たいへん楽しみにしています。
     http://www.nhk.or.jp/r1-blog/200/23005.html

世の中の動きにうとい老生にとって、この番組は興味深い。「世の中少しは見えてくる」からだ。これらの新語・流行語にこだわ」って、ウェブ上の「世の中」をのぞいてみる。
むろん、たくさんのサイトを見ることができるが、せっかくだから、新語・流行語の1語について、
ひとつのサイトのアドレスをご紹介するのも、おもしろかろうと思った次第。
◆野菜染料  
◆地域版エコポイント
◆熱中症計
◆買い物難民
◆マイタケパウダー
◆アラカルト婚

では、今の世の中を見に、お出かけ下さい。

2008年10月26日日曜日

遙けくも来つるものかな

昨日、[Yobi西暦・和暦のカレンダー]というフリーのソフトをインストールした。特に明治以前の年号を西暦に変換するのに便利だろう、と思ったからだ。[西暦→/←和暦]だけのものくらいに思っていたら、特定の過去から今日、現在までの年数・月数・日数・時間数の秒単位までたちどころに出してくる。そこで自分の誕生日を入れてみた。「74年3ヶ月」くらいは日常会話でもあたりまえだが、  

日数にして、27,138日、時間数では、651,312時間

ということになれば、「遙けくも来つるものかな」の思いを抱きますネ。

一夜明けて、早朝のNHKラジオ第1で例の[当世キーワード」を聞く。今回は珍しくカタカナ語がなくて、すべて漢字。いきなり「痛車」ときた。「イタシャ」と読むそうな。

昔歌ったフォスターの「オールド・ブラック・ジョー」じゃないが、オールドミス(これも古いか?)の意味らしい「晩嬢」――こちらは今朝の放送には出なかった。すでにこのタイトルの本になっているようだが、山本貴代さんの【頭の中をそのまま投影】した手帳の中味を雑誌の写真で拝見していた――この言葉と同様、新しい「漢字語」です。「痛車」の方は文字を見ただけではヨミカタもイミもさっぱりわかりまへん。
さて、その痛車のあとは、宇宙結婚式、勝手(買って、じゃないよ)広告、向老学、新卒紹介事業の4つ。みんなウェブ上で検索すれば出てくるはずだ。昨日は「遙けくも……」の思いを抱いたのだから、向老学だけ、ウェブ上のものをそのまま引用しておきます。
向老学 (こうろうがく) -社会 -2008年10月23日 老人になることを肯定し、受容するための学問。人は誰も年をとり、年齢が上がるにつれて老人となっていくことは否定できないことであり、それを受け入れて「いかに老いるか」を生活者の目で探求していく。名古屋の女性グループ「ウイン女性企画」の高橋ますみが提唱したもの。東京大学大学院教授の上野千鶴子によると「向老学とは生きることそのものを老いに向かうプロセスとしてとらえる」ということであり、老いを迎え入れる学問としている。年をとっても自己主張を行い、自分は能力があり役に立つ人間であると主張する代わりに、たとえ社会的価値がなくとも人間としての尊厳が失われないということを探求するための学問である。 [ 新語探検 著者:亀井肇 / 提供:JapanKnowledge ]
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2008年9月21日日曜日

ことば拾い:アラカン

8月24日の日曜日の朝、例のNHKラジオ第1の「当世キーワード」を聞いていて、驚いた。「アラカン」という言葉が出てきたからだ。

わたしたちより年齢がかなり上であっても下であっても、「アラカン」と聞けば思いだすのは、そう、「鞍馬天狗」の小父さん、嵐寛壽郎(あらし かんじゅうろう)だろう。ウェブ上にたくさんの記述があるが、ウィキペディア(Wikipedia)にこんな風に書かれている。

1903年12月8日ー1980年。本名、高橋照一。
300本以上の映画に出演した、戦前映画界の大衆のヒーロー。剣劇王阪東妻三郎には三歩下がって道を空けたが時代劇の大剣客スターである。
不世出の天才監督、山中貞雄に活躍の場所を与えた点でも記憶される。通称アラカン。従妹に女優・森光子。

まことに痛快というか、愉快な人物で、
竹中労『鞍馬天狗のおじさんは-聞書アラカン一代』(ちくま文庫)を読むと、アラカンの声が聞こえてくるようだ。この本は『新・代表的日本人』佐高信編著(小学館文庫)も取り上げている。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4094033017/qid%3D1018234885

http://www.amazon.co.jp/gp/search?search-type=ss&index=books-jp&keywords=%E5%B5%90%E5%AF%9B%E5%AF%BF%E9%83%8E&__mk_ja_JP=%E3%82%AB%E3%82%BF%E3%82%AB%E3%83%8A
ビルマ(現在のミャンマー)にはアラカン州があり、アラカン山脈もあるぞ。第二次世界大戦で、日本軍は東からこの山脈を越えて攻撃し、西からまたこの山脈を越えて敗走した。武器、弾薬も乏しく、飢えと病に悩まされた兵士たちはこの世で地獄を味わう悲惨な歴史を遺している。

さて、今の世に流行するという「アラカン」は、いつか取り上げた「アラフォー」の二番煎じの「アラ還」で、還暦前後の年齢者を言うそうだ。
ばかばかしい。

2008年7月28日月曜日

ことば拾い:アラフォーの女、他

アラフォーの女
「日経ビジネスオンライン」(NBonline)を講読している。
どうして、ごうなのような無職のじぃじぃ(GG)がそんなものを読んでいるの?――と不審に思う向きもあろうから一言弁明しておくと、結構年寄り向きの記事もあるんです。書評欄もいい。今朝も「毎日1冊!日刊新書レビュー」欄で【みんな、自分の話がしたくてしょうがない~『煩悩の文法』定延利之著(評:三浦天紗子)】という、ちくま新書を紹介していて、面白そうだから、今度本屋で手に取ってみよう、と手帳にメモした。閑話休題。

三日四日前、この「日経ビ―――」で、[白河桃子の「“キャリモテ”の時代」]というシリーズ物をなにげなくのぞいてみて驚いた。アラフォー女性・エコ王子・草食系男子・三高女子……、なんじゃ、こりゃ!?
ようするに、終わりに近づいてきたらしいTBS系のテレビドラマを見ていれば、直ぐに分かる言葉らしい。

ここでは、「アラフォー」という言葉を取り上げてみたい。「アラウンド・フォーティ=around forty」で「40歳くらい」あるいは「40歳前後」くらいの意味に使っているらしい。
なにもカタカナ語を使う必要はない。なによりも省略のやり方が、乱暴で無神経だ。around をアラ(about をアバ)なんて、わかりっこない! さらにかりに数字だと分かっていても、フォーと言えば4しか意味しない。fourteen も forty も意味することはできない。
調子に乗ってアラサーもできてるらしいが、このサーもさぁ、13か、30か、さぁ、わからねぇ。
日本語も省略の「高三女子」や「中一男子」は分かるが「三高女子」は分からない。GGなどは、昔の第三高等学校に男装の女子学生が潜り込んでいたのかとおもったりする。

昨夜、阪神は中日に4-6で敗れたが、夜10時台のNHK総合の〈サンデースポーツ〉が絶好調阪神の下柳、矢野、金本の3選手を特集していた。その中で女性アナが「阪神タイガースのアラフォー・トリオ!」と叫んだ。
これは、まあ、う~ん、許せる!

「購読」と「講読」
前項の最初の一文を見ていただきたい。「講読」という言葉を使っている。国語事典を引けば、「講読」とは「書物を読み、その意味・内容を解説したり、論じたりすること」と書かれている。
「購読」とは「書籍や新聞・雑誌など買って読むこと」である。
GGは、PCを使い始めてから、この「こうどく」という言葉にいつもこまっている。たとえば、次のサイトにこうある。 
 http://homepage2.nifty.com/datey/koudoku.htm

メイルマガジンを講読するって?

最近、本当にあった話を、ちょっとアレンジして書きます。
私が参加しているある会から来たメイル(A)と、それへのわたしの返事(D)のやりとり。

(A)このたび本会では会員にメールマガジンを発行しますので、講読してください。
(D)はい、購読なら有料でしょうから、購読料はいくらでしょうか。
(A)貝ヘンの「購読」ではなく、ゴンベンの「講読」ですから、無料です。
(D)「購読」のお書き間違いと思いましたので、お尋ねしました。失礼をお詫びします。
しかし、「講読」とは、それを読みながら講義をすることですから、そのマガジンは「講読」するほどのレベルの高い内容なのですね。それが無料ならば喜んで配信を受けましょう。
(A)「講読」とは、インタネット慣用語で無料購読のことをいいます。(この文の強調は、引用者)

思うに、英語の 動詞 subscribe 、名詞 subscription に両義があるために、現状のようなことになっているのだろう。
いずれにせよ、購読料なり、有料と明記されていないかぎり、無料であると判断して、必要な記入事項などを書き込み、申し込んでいる。

このブログの右のサイドバーにも「このブログをメール講読する」(今日は、一番上にもってきています)という窓があります。アドレスを記入して[講読する]というボタンをクリックしていただけば「らむぶらー」に新しい記事が出るたびに、あなたのアドレスにそのことをメールでお知らせしてくれます。むろん無料です。解約も簡単にできるはずです。

少し下の[文字拡大ツール]も「中」をクリックすればブログ内の文字が拡大してずっとよみやすくなります。ぜひ活用してください。サイドバーにはお金のかかるものは何もありません。本の購入は別ですが。










2008年7月27日日曜日

今朝の「当世キーワード」から

今朝のNHKラジオ第1の「当世キーワード」から二つ。

【少人数婚】【少人数ウェディング】ともいう。大金を投じて,高級ホテルの宴会場に多数の客を集める披露宴のばかばかしさを反省し、来客の負担をおもんぱかってか、と思ったが、必ずしもそうではないらしい。
レストランを借り切ったり、邸宅風バンケット(晩餐会)だったり、ホテルの特別ルームを使用したり、非日常を楽しむリゾートウェディングや二部制ウェディング等々、招待客の人数は減っても負担は増加する傾向もあるらしい。

【夫婦別寝】これまた【夫婦別床】ともいう。ダブルベッドをシングルに替えることではない。互いに別室で寝ることを指す。
これは合理的だ。互いのイビキや寝言にわずらわされることもなく、ふと目覚めて眠られず、ラジオの「深夜便」を聞こうが、スタンドをつけて読書しようがたがいに迷惑をかけるわけじゃない。
NHKの大河ドラマ「篤姫」が若い女性を中心に大人気で、「家定を死なせないで!」と無理なことを言う者もあるらしい。まあ、大奥なんて、最高の夫婦別寝かも。



2008年7月17日木曜日

ことば拾い:チンプンカンプン

古い手帳を整理していたら、あるページに目が留まった。日付は1995年4月17日である。

場所は市内の弥生町にある〈渚〉というバー。カウンターでひとり飲んでいると、マスターがある植物を目の前において「これ、知っとられるかな?」と、笑いながら言った。
「あゝ、チンプンカンプンだ!」
「そうです。そう言ようりましたなァ。槇(マキ)の実です。」
マスターはわたしより二つ三つ年上だが、同じ世代といっていい。この実を見るのは、この時から数えても半世紀ぶりだった。

当時、醇風国民学校の正門は、鹿野街道に面しており、門を入ると校庭がひろがっていて、校舎は左手にあった。校門からまっすぐ校庭を横切ると校地の境になっている生け垣だった。現在の講堂と玄好町の間にある道路のあたりだ。この生け垣にチンプンカンプンの木が何本も植わっていた。

ひところ、団子三兄弟という歌が流行ったが、倉吉の土産物の打吹団子を知ってる人はそれを思いだして欲しい。ただし、団子の大きさはせいぜい大豆くらいである。団子の色はそれぞれ違っている。
こんなことを書き連ねても読者にチンプンカンプンをイメージしていただけないだろう。写真を見ていただくのが早いことは承知の上で、そうしたのは、わたしの記憶の中ではそうだったからだ。
では写真を見ていただこう。写真のアドレスもご紹介して、御礼を申し上げたい。まずは、打吹団子。
http://www.kouendango.com/history.html
続いて、マキの実の写真2枚。このサイトには9枚の写真があるので、ぜひ訪問して、ご覧下さい。

http://www.hana300.com/inumak1.html

ご覧の通り、「団子」は二つだったのだ。上が実(種)で、下が果托とか果床と呼ばれている部分で、これを食べると甘みがあるという。(食べたことはなかった。)
なぜ記憶のなかでは「団子」は3~4個くらいだったのか。実際のマキの実は二つの色が成長段階で変わるのだそうだ。色が二種類ではなかったので、記憶の中の実の数が増えたのだろう。

最後に、チンプンカンプンについて。チンプンカンプンとは、変換できないが、辞書にはちゃんと出ている。漢字で書くと「珍紛漢紛」、チンプンカン「珍紛漢、珍糞漢、陳奮翰」ともいう。
[儒者の用いた難解な漢語に擬した造語。あるいは外国人の言葉の口まねからともいう]人の話している言葉や内容が全くわからないこと。また、そのさま。例:「きょうの話はとてもむずかしくてチンプンカンだ。」「ロシア語は全くチンプンカンプンだ。」(『大辞林 第二版』より)
〈渚〉のマスターは、亡くなってしまった。
それにしても、昔の小学生はムヅカシイ言葉を知ってたんですねえ。




2008年7月7日月曜日

ことば拾い:カレセン

いつの頃からか知らないが「カレセンという言葉が流行っているそうな。
ウェブ上にある亀井肇さんの【新語探検】によれば、

漢字で書くと「枯れ専」。50~60歳の「枯れたオジサン」たちに惹かれる30代の女性をさす。いわゆる「ちょいワルオヤジ」ではなく、本当に枯れているオジサンが好きなのである。彼女たちが「枯れた男の魅力」として挙げるのが、「一人の時間をもてあまさない」、「路地裏が似合う」、「ビールは缶より瓶」、「ペットは犬より猫が好き」、「一人でふらりと寄れる行きつけの店がある」、「さりげなく物知り」、「金や女を深追いしない」、「人生を逆算したことがある」、「自分の年齢を受け入れている」などである。若いときは自分の世界に没頭して独身だったのが、老いて輝くのである。出版社のアスペクトは『カレセン』と題した単行本を出している。

ここで紹介されている単行本の広告を下に載せておく。クリックして Amazon へ行き、同じ表紙写真の下の「この本の中味を閲覧する」をクリック、さらに「目次」をクリックすれば、カレセンたちのお気に入りの対象である(or らしい)著名人の名前も出ています。

さて、今日はごうなの誕生日。〈枯れ過ぎたじいじい〉としては、ふてくされて、遊んでみよう。

――ヨ・セ・婆ッ派 作曲「爺専場の在りや?」てぇのはどう?
――そんなもの、ないよ。
――ああ、そう。

カレセン―枯れたおじさん専科
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ことば拾い:敵性語

新潮社が従来の文庫に加えて、[新潮OH!文庫〕を創刊したのは、2000(平成12)年の10月だった。過日、本棚の整理をしていたら、この文庫の発売に先駆けて作られた文庫版サイズ・44ページの宣伝用パンフレットが出てきた。一斉に発売される50冊が掲載されている。
その中の一冊が、この写真の、現代用語の基礎知識/編『20世紀に生まれたことば』だ。

下の写真ではよく見えないが、表紙写真の左側上に、取り上げられた言葉のごく一部が縦書きされていて、2行目に、40年【敵性語】とある。つまり、1940(昭和15)年に使われはじめた「敵性語」という言葉を取り上げているのだ。

この言葉は現在は死語である。広辞苑にも大辞林にも載っていない。ただ「敵性」という言葉はあって、
「敵国または敵国人である性質。戦争法規の範囲内において、攻撃・破壊・掠奪および捕獲などの加害行為をなし得べき性質。「―国家」(広辞苑)

こんな恐ろしいことが書かれている。つまり「敵性語」とは、攻撃、破壊してもいい、いや、そうすべき「敵性国家の言語」というわけだ。

映画「姿三四郎」のなかでも書いたように、ごうなは1941(昭和16)年に国民学校に入学した。すでに中国と戦争をしていたが、この年、米、英、オランダとの戦争も始めた(この敵国4カ国を指す「ABCD対日包囲陣」という言葉もあったっけ)。
漢字も中国から学んだものだが、これを敵性語・敵性文字だとしたら、新聞も読めなくなるし、教育勅語だって校長先生が「奉読」できないではないか。敵性語とは、カタカナ語を指した。しかし、オランダ語にしても、英語にしても江戸時代からわれわれの「蒙」を啓くためにどんなに役立ってきたことか。それを「敵性語排除」とは、まことに児戯に等しいことだ。

当時、醇風国民学校では、いろいろな式典の他に毎週月曜日に朝礼があって、全職員生徒が講堂に集合し、校長訓話があった。それに加えてレコード鑑賞もあった。
どんな曲を聴いたかまったく記憶がない。ただ、いつも先生方は生徒を横から眺めるように一列横隊に並んでいたのだが、その時間が来ると男性のK先生が一歩前へ出て「おんばんかんしょ―(音盤鑑賞)」と宣告したのをはっきり覚えている。

よく漫才などで、当時の野球は〈セーフ〉を〈よし〉、〈アウト〉を〈ひけ〉などと言ったと笑わせているが、われら「少国民」は野球はやらなかった。だが「敵性語」を完全に排除することができるわけがない。
夏には〈アイスキャンデ―〉をしゃぶり、冬には〈スキー〉をやった。3年生のときには〈グライダ―〉を作ったし、上級生たちは〈プロペラ〉機を作り〈ゴム〉を巻くのに〈ワインダ―〉を使う者もいた。戦争映画だって「加藤隼戦闘隊」は「〈エンジン〉の音ゴウゴウと隼は行く」と歌い、「轟沈」の主題歌には「青い〈バナナ〉も黄色くうれて」とあって、僕らの口は唾でぬれた。
1943(昭和18)年9月10日の鳥取大地震の後では、あちこちで〈ジャッキ〉が活躍したし、たくさんの〈バラック〉が建設された。
戦時中も「敵性語」はしぶとく生きていたのである。

現代に至っては、かつての「敵性語」は百花繚乱。
今日もどこかで〈××× in 鳥取〉が客を招いている。

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2008年7月6日日曜日

ことば拾い:ひるすぎ

NHKラジオ第1で、毎週日曜日の午前5時半すぎに、亀井肇さんの「当世キーワード」という数分間の番組がある。毎回、当世の流行り言葉を五つ六つ紹介、解説する。
6月29日は5回目の日曜日で、亀井さんの番組はなく、NHK現代ことば研究室(正式な名称は失念)の某氏(お名前も失念)が登場。この研究室で、「ひるすぎ」という言葉は具体的に何時頃を指すと思うか、電話で無作為抽出調査した。その結果(これまた、極めておおざっぱに言うと)、高齢者は12時から12時15分くらいまでを指すと答えた。若い年齢層の答えは12時半近くから13時過ぎの間と、かなり時間帯の幅が広がったという。この結果について、報告者は、若年層の答えは学校や会社で実際に昼食をとる時間帯のイメージが強いのではないか、と述べていた。

さて、「ひるすぎ/昼すぎ」を辞書で引くと「正午を少し過ぎた頃」とある。
ところが、「昼」を調べると、「①日の出から日没までの太陽が昇って明るい間、ひるま、日中。②まひる。正午。また、その前後。午時(ひるどき)。③ひるめし、昼食。」とある。
さらに、十二支の「午(うま)」は方角では「南」、時刻では「真昼の12時、あるいは午前11時~午後1時の間」を指す。

だから、年配者の使い方も若年層の使い方も間違いではない。しかし、人によって受け取り方が違うのでは不都合が生じうる。結局、「正午過ぎ」「12時半頃」「1時過ぎ」などとより明確な言い方をするべきか。

さて、今朝は第1日曜日。亀井さんが登場しましたよ。次の五つを紹介。皆さん、いくつ分かりますか?
ファッションセラピー、PTCA、ネリカ米、猫カフェ、脱メタボ体

2008年5月22日木曜日

ことば拾い:ハナイカダ / Wagyu

◇ハナイカダ

今年の4月15日のブログ「花は盛りに…」のなかで、袋川を流れてゆく花筏の写真を載せた。俳句の季語(春)と覚えていて「散った桜の花びらが帯状に水に浮かんで流れて行くのを筏にみたてていう語」として使った。

ところが、20日の早朝、NHKラジオ第1でハナイカダという花があることを知って驚いた。

さきほど、花筏の定義として「 」内に述べたのは、手元にある『大辞林 第二版』からの引用だ。なるほど、この辞書でも③として「ミズキ科の落葉低木」云々と書かれている。こうなるとネットで検索した方がいい。たくさんのサイトがあるが、そのなかの二つをご紹介。







http://www.hana300.com/hanaik.html◇Wagyu

今朝午前0時台のラジオ深夜便、ワールドネットワークの時間に、モントリオール在住の関陽子さんのレポートの中で。

Wagyu という英単語が生まれているという。むろん語源は日本語の「和牛」だ。しかし、Wagyuは日本の牛の意味ではなく、牛肉のなかで霜降りの多い、高級なものを指すのだという。

さっそく WIKIPEDIA を見たら写真入りで詳しく説明している。本来の和牛についてもこう書いていますぞ。

There are four major breeds of Wagyu (wa means Japanese, and gyu- means cattle, or simply "Japanese cow"): Japanese Black, Japanese Brown, Japanese Polled, and Japanese Shorthorn. Japanese breed names include: Tajima, Tottori, Shimane, Kochi and Kumamoto.

2008年2月19日火曜日

ラジオで聞いた話

(1)17日の日曜日。NHKラジオ第1の午前5:30分過ぎの亀井肇さんの[当世キーワード]で、アメリカで始まった Book Crossing というものの存在を知った。早速ネットで検索してみる。
http://www.bookcrossing.com/

日本にも出来ていた。参加を呼びかける文章にこう書いてある。
本を愛する人達のコミュニティー、BookCrossing(ブッククロッシング)へようこそ!
BookCrossing(ブッククロッシング)とは、本を愛する人たちによる「本に世界を旅させる」活動です。

読み終わった本に、BCID番号を記入したステッカーを本に貼り、友達に渡したり、ベンチにおいてきたり、カフェに忘れてきたりします。
本を手にした人が、本に書かれているBCID番号をBookCrossing.jpのウェブサイトで検索すると、どんな旅をしてきたかが分かります。
現在位置や本の感想(ジャーナル)をウェブサイトで報告して、また本を世界に解き放つ。 そして、本は旅を続けていく…。

アメリカで始まったブッククロッシング。
2007年7月現在、登録本数は全世界で4百万冊を超え、本好きの会員から放たれた本が日本全国、世界中を旅しています。

読み終わった本を、そのまま本棚にならべておくよりも、
ブッククロッシングで旅立たせてみませんか?

なお、BookCrossingに参加して楽しんでいただくためにお金はかかりません。
アメリカを中心に50万人が参加していると聞いたが、日本会員は2/18現在2013名の由。参加ご希望の方は下記へどうぞ。
 http://bookcrossing.jp/

(2)今日の同じくNHK[きょうも元気で!わくわくラジオ]の午前10時台。村上信夫アナによる[ときめきインタビュー]は「バレエも人生も前向きに」と題して、バレリーナの森下洋子さんだった。全体がすばらしい、感動的なインタビューであったが、一つだけご紹介する。

森下さんは広島の出身である。彼女の祖母は被爆して全身にやけどをした。死者として多くの死体の間に置かれていて息を吹き返したのだ。「わたしゃ、生きている内に念仏をあげてもらってるんじゃから」と言いながら明るく生きたという。
被爆の跡を隠そうともせず平気で銭湯へも行ったそうだ。被爆を嘆くことも、恨むこともなく、常に明るく前向きに生きた祖母の姿を見ながら、森下さんは世界的バレリーナへの道を一筋に歩んできたという。

2007年8月14日火曜日

ことば拾い:「隣の芝生」/補遺

朝日新聞社のPR誌「一冊の本」に毎号広告が出ていて、そのなかに外山滋比古の推薦文が載っている
戸田 豊編著『現代英語ことわざ辞典 A Dictionary of Modern English Proverbs』リーベル出版(2003/05/18)
を一度手に取ってみたいと思っていた。

過日、図書館へ行った折りに、この辞書で、このブログで取り上げた
The grass is always greener on the other side of the fence.
を調べてみた。いろいろなヴァリエーションはもちろんあり、五つの【類形】が紹介されているが、この英文が現在基本であるらしい。二つの点について前回の補遺としておこう。
【参考】ローマの詩人オウイデイウス(Ovid,43B.C.―A.D.17?)の『愛の技術』に同じ考えを表す次の言葉がある。
Fertilior seges est alienis semper in agris, vicinumque pecus grandius uber habet.                                  〈Ars Amatoria,Ⅰ.l.349〉
(他人の畑の穀物は、つねに自分のよりは豊に見えるものである。また隣家の家畜はより大きな乳房を持っている[多産である]。――樋口勝彦訳)
日本語の【類諺】として、「隣の糂汰味噌 」のほかに「隣の糠味噌」、「隣の花は赤い」のほかに「隣の牡丹餅はうまい[大きく見える]」/「隣の飯はうまい」/「隣の物は粥でもうまい」/「よその花は赤い」を挙げている。

2007年8月13日月曜日

ことば拾い:シイラの先走り

夏になると、シイラという魚を思い出す。あの精悍な面構えと、体長が1~2メートルもある大型魚で、濃い緑色の身体が金色に輝いたりもする。そんな姿が、子供心にも印象的だったのであろう。

高級魚ではないから、竹輪、蒲鉾のような水産練り製品にも使われるようであるが、わが家では使用しなかったように思う。ただ、シーズンになると、1尾か2尾大きな奴が届けられて、刺身をはじめ、いろいろ調理して食していた。
ごうなは、こどもの頃より、魚を見たり、釣ったりするのは大好きだったが、口にするのは嫌いで、刺身も、煮魚もまったく食べなかった。したがって、シイラの味も今もって知らないのである。

そんな者がなぜシイラの話をするのか。それは、シイラを思い出すたびに、「シイラの先走り」という言葉も思い出すからだ。なにか、出しゃばったようなことをするな、といった意味で使われていたように思うが、なぜシイラなのか分からなかった。

シイラの習性と関係があるに違いないと思って、ネットで調べてみたが、
浮遊物に集まる、という習性から日本では「水死体を食う」として忌み嫌う地方がある。そのため「死人旗」(しびとばた)などという別名で呼ぶ地域もある。もっとも人間に限らず動物の遺骸が浮遊している場合、それを食べに来ない魚類の方が珍しい。
浮いた流木や海草やゴミといった障害物に生息する小魚などは容赦なく食い尽くし、共食いもするほどで、さらに引きが強烈で、その獰猛な性格により世界的にもゲームフィッシングの好ターゲットとなっている。夏から初秋にかけてが釣り期で、特にルアーアングラーにとっては夏の風物詩的なものになっている。(注1)
なぜ「シイラの先走り」なのか、いっこうに分からない。

忘れもしない、今年の6月20日の午前3時頃の「ラジオ深夜便」で須磨佳津江アンカーが2週間前に読んだ投書に対する投書を読んでいた。その中で、「シイ〔 〕の先走り」と言ったように聞いた。〔 〕のなかの音はラではなくナであったようだった。寝ぼけ眼で起き出して、広辞苑を引いてみた。
 しいな【粃・秕】シヒナ   殻ばかりで実のない籾(もみ)。また、果実の実らないでしなびたもの。しいなし、しいなせ、しいら、しいだ。
「しいら」も良かったわけだ。しかし、魚のシイラではない。
県立図書館へ行って、何冊かの辞書にあってみた。
秕者(しいらもの)の先走り(久留米)  未熟な者ほど先走りして、役にも立たないのに騒ぎ立てる。▽粃=中国地方から北九州にかけて、実の入らない米麦をいう。しいなの方言。【類】しいな〈しいら〉穂の先走り/しいな者の先走り/しいら子先立ち(壱岐)/名のない星は宵から出る    (注2)
ウエブには魚のシイラについてこんな記述もあった。
●漢字「粃」。粃は身のないイネの籾。シイラの皮が硬く、身が薄いことからきたという。(『新釈 魚名考』栄川省造 青銅企画出版) (注3)
こうしてみると、ごうなが「シイラの先走り」として記憶していたこともいい加減なことでもなかったわけだ。

(注1)ウィキペディア
(注2)鈴木棠三『新編 故事ことわざ辞典』創拓社 1992年8月1日発行
(注3)市場魚貝類図鑑
http://www.zukan-bouz.com/suzuki3/sonota/sira.html

最後に、ウェブ検索でヒットした一文をご紹介しておきたい。中神 勝(なかがみ・まさる。京都ノートルダム女子大学 人間文化学部 生活福祉文化学科教授 、 名誉教授)という方の「子ども」と題した一文の一部である。
4、しいなの先ばしり
私は虚弱児の観察のなかで乳児期において歩行器の使用が多く見受けられたことに驚いた。乳児時に歩行器を使わず、充分ハイハイをさせてから歩かせることの重要さを力説したい。どの子も同じ道すじを通って発達する。たとえば首がすわる→寝返りをする→お座りをする→一人歩きをするというふうである。歩けるようになってから首がすわるなどということは決してない。ハイハイは二足歩行の生活を健康に過ごしていくための第一歩であり、歩く動作の基本となる。力いっぱい、這う生活をさせることが大切である。東北のある地方では
子どもの満1歳のお誕生日に搗いた餅を背中に背負わせて祝うという。子どもは餅の重みで歩きにくく、否応なしにハイハイをすることになる。充分にハイハイをしてから歩いて欲しいという願いであろう。また、稲はあまりに成長が早いと実のない“しいな”が多くなり、“しいなの先走り”と言われたりする。やたらとスピードを期待する現代に考えてみたい問題である。

http://hojin.notredame.ac.jp/kikanshi/prism/02/02pdf/_04.pdf









2007年7月19日木曜日

ことば拾い:千人針と15銭

千人針を実際に見聞した人は、ごうなの世代が最後だろう。
銭は「金銭」や「銭湯」ということばの中に生きているが、お金の単位で、1銭=1/100円で、1円は100銭である。週刊朝日編『値段史年表』によれば、大びん1本のビールの小売標準価格は、
昭和22年4月  59円61銭
〃23年9月 162円20銭
〃24年7月 126円50銭
…………………………
昭和62年   310円
といった具合で、実際に1銭玉や5銭玉や10銭玉を見たり使ったりしたのは、やはり戦前生まれの人だろう。
まして「千人針」など、「それって、なに?」ということになるに決まっている。#

昨日の早朝、うとうとしながらラジオ深夜便を聞いていたら、宇田川清江アンカーが大正生まれの女性のお便りを読んだ。その人が5歳くらいの頃、お母さんが出征(=軍隊の一員として戦地に行くこと)する兄のため千人針を作って、10銭玉と5銭玉を縫いつけた。「その理由を母に尋ねたところ、云々」という内容だった。こどもの頃、千人針を女性たちが作っているのを見たことはあったが、お金の話は初耳だったので、ブログに書こうと思った。

書き始めて数行前の # のところまできたとき、ふと、5銭玉なんてあったかなあ、と思った。そこで「5銭玉 10銭玉」で検索してみたところ、数個のサイトが出てきた。
最初の[街のクマさん 炎のダイエット日記]
http://machino-kuma.at.webry.info/200705/article_30.html

を見れば、なぜ兵士たちが10銭玉や5銭玉を身につけて戦地へ行ったか、すぐわかる。
この検索でも千人針を紹介しているサイトがわかるが、「千人針」で検索すると、10個ほど出てくる。なかでも、「第12回戦時生活資料展 千人針」
http://www.nishi.or.jp/~kyodo/tenji/senji/12/sen1.htm
が写真も多くてわかりやすいだろう。
ただ何か丸い物が縫いつけられているのはわかるが、写真が小さくてよくは見えない。現在の5円玉、50円玉と同じで、穴が開いているからしっかり縫いつけることができた。

かつてこの国でも成人男子はみな武器を手に戦場へおもむき、婦女子は、父を夫を息子を孫を兄を弟を、陸や海や空の戦場へと送り出さねばならない時代があった。
10銭は9銭を超え、5銭は4銭を超える――苦戦を超え、死線(死戰)を超えて帰ってきて来てほしい。赤い糸の縫い玉が鋼鉄の玉となって、敵弾を跳ね返して欲しい。
こういう思いを単なる語呂合わせ、地口の類にすぎない、と一笑に付す人もいるだろう。現実としてありえないことを求める愚かでむだな願いだと冷笑する人もいるかもしれない。
しかし「名誉の戦死を」「死んで護国の鬼となれ」「散兵戰の華と散れ」「醜の御楯(しこのみたて)たれ」「撃ちてし止まむ」などなどの言葉や歌やスローガンが氾濫し、挙げ句の果には「一億玉砕」などの狂気の沙汰を指導者たちがわめいていた時代であったことを忘れてはいけない。
語呂合わせであろうと、愚かしい願いであろうと、それは「生きて帰ってきて欲しい」という真実の願い、心底からの願いであった。





2007年7月17日火曜日

ことば拾い:栃麺棒

街に出て、夕刻にちょっといっぱいやっていくか、と赤提灯のある店ののれんをくぐることがある。歳をとってからは、××の会とか◯◯さんと話があるとか、といったようなことではない。ただ、飲みたいのである。
そういうときに、よく行く店の一つは永楽温泉町の〈因幡宿〉だ。
昨年、そろそろ忘年会のシーズンに入る頃であったと思う。店にはいると、板敷きの間のテーブルを囲んでかなりの年配者を含む数人の男性客が飲んでいた。彼らに背を向けて、いつものようにカウンターの端に坐って、これまたいつものように、おでんの豆腐と里芋で芋焼酎の湯割を飲む。
とつぜん、背後の客の一人が言った「いやあ、トチメンボーをふっちゃって…」という言葉が耳に入った。
「トチメンボー?! ずいぶんと、久しぶりに聞いたなあ」と思わずつぶやくと、前に立っていた店のチーフが「何ですか、それって?」と尋ねた。

このことばをはじめて知ったのは、中2か3年のとき、漱石の『吾輩は猫である』を読んだときだ。
越智東風が美学者の迷亭にある西洋料理店につれて行かれたときの話をする。迷亭は、なめくじや蛙はいやだからトチメンボーをくれ、と注文する。ボイ(筆者注:現在はボーイと表記されていますが、漱石の書き方が原音に近いですネ)は、トチメンボーの材料は切らしているのでメンチボーになさったらと勧めるが、迷亭は、いやトチメンボーが食べたいとゆずらない。
むろん、そんな食べ物はないのであって、二人は何も食べずに店を出たあとで、橡面坊をネタに使ったと、迷亭は笑う。(『猫』二)

偶然とはおもしろいというか、摩訶不思議というか、〈因幡宿〉でこのことばを耳にしてひと月もしないうちに、再びこのことばに出会ったのだ。暮れに読んだ鶴見祐輔の『母』の中で。
希臘(ギリシャ)の神話(しんわ)に出てくる半人半羊(はんじんはんよう)の人のように、男性は女性を追うものである。ということを男女生活の基礎(きそ)にしている西洋にいた彼は、ホホホホホと、笑いながら走り降りていった少女の後ろ姿を、そのまま呆然(ぼうぜん)と見送って、髪の毛を両手でむしって、ウーンと目を剥(む)くような栃麺棒(とちめんぼう)ではなかった。(pp.26-27 カッコ内はルビ)

漱石のいう「橡面坊」は鶴見祐輔が書いているように「栃麺棒」とも書き、広辞苑にも載っているが『大言海』が詳しい。こちらは「狼狽坊」と表記し、説明がいささか古めかしいので現代風に書き換えてご紹介しよう。

トチの実を砕きうどん粉を混ぜて栃麺を作るためには、非常に手早く棒を使って延ばさなければ、麺が収縮してしまう。このように手際よく棒を扱うことを「栃麺棒を振る」という。そのあわてふためいた有様を「とちめく」と言い、その名詞形の「とちめき」を擬人化して「とちめき坊」という。その音便〈=発音上の便宜から、もとの音とは違った音に変わる現象)で「とちめんぼう」。「赤き坊」を「赤ん坊」と言うのと同じだ。
事が非常に急がれるので「うろたえ、まどうこと」「あわてること」また「あわてもの」。「夕立にとちめんぼうをふる野かな」という句もある。このめんぼうで打たれることに言寄せ、略して「めんくらう」という。また、この「とち」を上二段活用させて「とちる」「とっちる」という。以上ともに「うろたえあわて、まごつく」という意味である。また、この「とち」を「あわて仕損じる」意味で「どぢを踏む」と濁るのは、いまいましく、憎らしげに言うのである。「踏む」は「あわてている足取り」をいう。また「あわてもの、まぬけもの」の意味に転じて「どぢな奴」などという。―さて、上記の鶴見祐輔の「栃麺棒」はどの用例になるでしょうか?

日本語もなかなか奥が深いですねえ。





2007年7月16日月曜日

ことば拾い:隣の芝生

「他人のものはなんでもよく見えることのたとえ」として「隣の芝生」という言葉が使われるようになったのはいつの頃からであったのだろうか。
手元にある『広辞苑』(Canon WORDTANK搭載)と『大辞林』(第二版机上版)には載っていない。NHKが1976年1月から2月に銀河テレビ小説として放映した橋田壽賀子のドラマ「となりの芝生」以来のことかもしれない。

高校生も使っている『ジーニアス英和辞典』でgrass を引けば、ちゃんと載っている。
The grass is always greener (on the other side of the fence
[hill 〕). 《ことわざ》隣の芝は青い;他人のものは何でもよく見える《◆単にThe ~ is greener. ともいう》

この英語のことわざがいつごろから使われていたのかわからない。

先月のこのブログで取り上げた鶴見祐輔の小説『母』の「序にかえて」と言う文章の中に、こんなことばがある。「他人庭上(たにんていじょう)の花を美くしとする心境(しんきょう)」(p.7 カッコ内はルビ)
これは、おそらく、あの英語のことわざを鶴見が訳したものではあるまいか。この序文には「昭和四年五月十日」の日付がある。当時の日本で、芝生の庭を持った隣家なんてほとんどなかったであろう。「他人庭上の花」と理解しやすいことばに変えたのだと思う。

そう言えば『大辞林』には「隣の花は赤い」が挙げられているが、鶴見訳の現代版かもしれない。
さらに、両国語辞書がともに挙げているのが、「隣の糂汰味噌」(となりのじんだみそ)ということばである。
いかにも古くからのことばのように思われるが、『大言海』で糂汰味噌の項を見ても、そういうことわざ的なことばは取り上げていないから、鶴見の「他人庭上の花」と同工異曲で、あの英文を訳したものかもしれない。
現代風に言えば「隣の味噌はうまい」ということだ。
なお、このブログの冒頭の「他人のものはなんでもよく見えることのたとえ」は、苑・林両辞書共通の説明文である。 







2007年4月18日水曜日

ライフハックス 2

 先月の「腰リール」と、先回のブログでご紹介した本のなかで、「百式」というサイトを主宰している田口 元は、次のような説明をしている。

◆ハック(ス)とは、もともと技術用語で、プログラマが自分の仕事を片付けるために書く
自分用の小さなプログラムのこと。
◆ライフハックス系のブログでは、数多くの便利なソフト、仕事や情報管理のやり方などが取り上げられている。
◆「仕事をシンプルで楽しくするような習慣を生みだそう」という考え方が根底にある。

《lifehacksの定義について考えるときに個人的に思い浮かべるのはトヨタの「カイゼン」(改善)です。「カイゼン」も、どのやり方が「カイゼン」というわけではありません。日々の作業をより効果的にするために日々どこが変えられるのか、それを考え続ける文化が「カイゼン」なのです。》     『Life Hacks Press~デジタル世代の「カイゼン」術~』pp.3-4

われわれは、ハッカー(hacker)という言葉を最初に知ったが、真のハッカーとは、上に述べられているようなことをする人なんだ。


【参考】田口 元さんのサイト: http://www.100shiki.com/