2008年7月7日月曜日

ことば拾い:敵性語

新潮社が従来の文庫に加えて、[新潮OH!文庫〕を創刊したのは、2000(平成12)年の10月だった。過日、本棚の整理をしていたら、この文庫の発売に先駆けて作られた文庫版サイズ・44ページの宣伝用パンフレットが出てきた。一斉に発売される50冊が掲載されている。
その中の一冊が、この写真の、現代用語の基礎知識/編『20世紀に生まれたことば』だ。

下の写真ではよく見えないが、表紙写真の左側上に、取り上げられた言葉のごく一部が縦書きされていて、2行目に、40年【敵性語】とある。つまり、1940(昭和15)年に使われはじめた「敵性語」という言葉を取り上げているのだ。

この言葉は現在は死語である。広辞苑にも大辞林にも載っていない。ただ「敵性」という言葉はあって、
「敵国または敵国人である性質。戦争法規の範囲内において、攻撃・破壊・掠奪および捕獲などの加害行為をなし得べき性質。「―国家」(広辞苑)

こんな恐ろしいことが書かれている。つまり「敵性語」とは、攻撃、破壊してもいい、いや、そうすべき「敵性国家の言語」というわけだ。

映画「姿三四郎」のなかでも書いたように、ごうなは1941(昭和16)年に国民学校に入学した。すでに中国と戦争をしていたが、この年、米、英、オランダとの戦争も始めた(この敵国4カ国を指す「ABCD対日包囲陣」という言葉もあったっけ)。
漢字も中国から学んだものだが、これを敵性語・敵性文字だとしたら、新聞も読めなくなるし、教育勅語だって校長先生が「奉読」できないではないか。敵性語とは、カタカナ語を指した。しかし、オランダ語にしても、英語にしても江戸時代からわれわれの「蒙」を啓くためにどんなに役立ってきたことか。それを「敵性語排除」とは、まことに児戯に等しいことだ。

当時、醇風国民学校では、いろいろな式典の他に毎週月曜日に朝礼があって、全職員生徒が講堂に集合し、校長訓話があった。それに加えてレコード鑑賞もあった。
どんな曲を聴いたかまったく記憶がない。ただ、いつも先生方は生徒を横から眺めるように一列横隊に並んでいたのだが、その時間が来ると男性のK先生が一歩前へ出て「おんばんかんしょ―(音盤鑑賞)」と宣告したのをはっきり覚えている。

よく漫才などで、当時の野球は〈セーフ〉を〈よし〉、〈アウト〉を〈ひけ〉などと言ったと笑わせているが、われら「少国民」は野球はやらなかった。だが「敵性語」を完全に排除することができるわけがない。
夏には〈アイスキャンデ―〉をしゃぶり、冬には〈スキー〉をやった。3年生のときには〈グライダ―〉を作ったし、上級生たちは〈プロペラ〉機を作り〈ゴム〉を巻くのに〈ワインダ―〉を使う者もいた。戦争映画だって「加藤隼戦闘隊」は「〈エンジン〉の音ゴウゴウと隼は行く」と歌い、「轟沈」の主題歌には「青い〈バナナ〉も黄色くうれて」とあって、僕らの口は唾でぬれた。
1943(昭和18)年9月10日の鳥取大地震の後では、あちこちで〈ジャッキ〉が活躍したし、たくさんの〈バラック〉が建設された。
戦時中も「敵性語」はしぶとく生きていたのである。

現代に至っては、かつての「敵性語」は百花繚乱。
今日もどこかで〈××× in 鳥取〉が客を招いている。

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