ラベル 読書雑録 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル 読書雑録 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2010年4月10日土曜日

NHK朝ドラ「ゲゲゲの女房」

先週の月曜日(三月二十九日)、NHKテレビで朝の連続ドラマ「ゲゲゲの女房」が始まった。水木しげるの奥さん、武良布枝(むら ぬのえ)の同名の作品のドラマ化である。

今や世界の共通語となった「マンガ」だが、戦前の日本のこどもたち(とくに男の子たち)が夢中になったマンガは、阪本牙城の「タンクタンクロー」(大日本雄弁会講談社の雑誌「幼年倶楽部」1934年(昭和9)1月号から1936年12月号にかけて連載)、島田啓三の「冒険ダン吉」(1931-1939年「少年倶楽部」)、田河水泡の「のらくろ」(1931-1941年「少年倶楽部」)などであった。
1934年生まれのわたしには、幼稚園時代に買ってもらった「キンダーブック」や講談社の絵本はあったが、これらのマンガを掲載している雑誌や布装丁の単行本を読むためには、それらを所有している兄や姉がいる同級生に借りるほかなかった。
その後のマンガで記憶に残っているのは、戦後まもなく、「小学生新聞」(正確な紙名は失念)に連載がはじまった医学生のお兄さんの作品と紹介されていたマンガ(題名はこれまた失念)の絵を好ましく思って、その絵をまねて描いたりしたことがある。そのお兄さんが手塚治虫だった。以来、マンガを読んだことはない。
前世紀の90年代に、たとえば、呉智英や関川夏央たちがマンガを論じているのを読んで、ふーん、と思ったことがあっても、マンガを読んだことはない。

昨年の十一月末に、再放映されたNHKの「プロフェッショナル 仕事の流儀 /闘いの螺旋、いまだ終わらず~漫画家・井上雄彦」を偶然見て驚いた。『バガボンド』と言うマンガが吉川英治の『宮本武蔵』であることもはじめて知ったが、武蔵の大写しの顔を描くためにあれだけ考え、悩み、意を決して一気に描く仕事ぶりと描き上げた絵を見て、さらに驚いた。これもマンガか!

そんなわたしも、娘たちが見ていたテレビを通してであろうか、
ゲッゲッ、ゲゲゲのゲー/朝は寝床で グーグーグー/たのしいな たのしいな/おばけにゃ 学校もしけんも/なんにもない/…
という歌を憶えている。
何年か前、境港市に用事で出かけた折に、妖怪たちのブロンズ像が並ぶ通りを歩いたこともあった。しかし、いまだにそのマンガを読んだことはない。

先週の月曜日(3月29日)から、NHKのテレビ、ラジオの番組が新年度の番組に変わった。番組名の変わったものもあるし、新番組もスタートした。連続テレビ小説、いわゆる「朝ドラ」も、8時から「ゲゲゲの女房」が始まった。脚本は山本むつみ。原作は、ドラマの題名からいっても、水木しげる(武良茂)の妻、武良布枝(むら・ぬのえ)の『ゲゲゲの女房』といっていいだろう。  

水木しげるについては、かつてこのブログでも紹介した『昭和二十年夏、僕は兵士だった』
にあるように、九死に一生を得た体験の持ち主であることも承知していた。(ただ、このドラマが始まった日の早朝、午前0時台から再放映されたNHKスペシャル「鬼太郎が見た玉砕」
http://www.nhk.or.jp/nagoya/kitaro/midokoro.html

を見逃したのは、まことに残念であった。)

このドラマが始まる前に、原作の『ゲゲゲの女房』を読んでみた。さきほど述べたように、
歌の文句は多少覚えてはいたが、どうして「ゲゲゲの鬼太郎」や「ゲゲゲの女房」なのか、まったく分かってはいなかった。鳥取県西部の米子や境港ではどうか知らないが、東部の鳥取では、子供のころ、(いちばん)ビリのことを「ゲゲ」といっていた。「下々」とか「下の下」の意であろうか。現在のこどもたちが使っているか、どうかは知らない。
この本を読んでやっとわかった。

『ゲゲゲの鬼太郎』というタイトルも水木の発案でした。
「オレが小さいころ、シゲル」といえず、自分のことをゲゲルといっていたから、「ゲゲ」とガキ大将仲間から呼ばれていた。だからゲゲゲの鬼太郎でもいいんだ」
水木はそういって笑っていました。(p.152)

これなら「ゲゲゲの女房」すなわち「(みずき)あるいは(むら)しげるの女房」だ。

さて、朝のドラマがはじまって、ちょうど2週間になった。先週は布美枝の子供時代。7歳の布美枝役の菊池和澄(あすみ)、10歳の布美枝(佐藤未来)、祖母役(ナレーションも)の野際陽子らが好演。今週はのっぽのヒロイン、布美枝役の松下奈緒登場。なかなかいい。ワンマン亭主の大杉漣は流石、もの静かで控えめの妻役、古手川祐子もいい。
この2週間のドラマは、原作では[第1章 静かな安来の暮らし]で、20ページあまりのなんの事件もない序章的な部分だ。
脚本の山本むつみは、金曜時代劇「御宿かわせみ」でデビュー以来、幅広いジャンルの作品を手がけてきただけあって、さすがと思わせる。来週からが楽しみだ。

最後に、「NHKウィークリー ステラ」4/2号に掲載されている武良布枝さんの談話の一部をご紹介しておこう。
主人は、何ひとつ私に甘い言葉をかけてくれるわけではないし、ロマンチックなこともぜんぜんなかったですね。でも、一生懸命仕事に打ち込んでいる彼の姿は、私の中では輝いていたんです。本当に努力の人でしたから。あれだけ努力した人間が報われないことはないと、心のうちでは思っていました。(中略)私はもちろんですが、主人も、『ゲゲゲの女房』が朝ドラの原案になったということは、心の中で大いに喜んでくれていると思います。ここまで元気でやってこられて、こうして喜ばしいことがまた生じて――。本当にみなさまに感謝しております。このうえは、多くの方にこのドラマを見ていただけるよう、お祈りしております。(p.11)
  

2010年3月23日火曜日

『ライフログのすすめ』

  *****とは、個人が自分の本・記録・手紙類をたくわえ、また、それらを相当なスピードで柔軟に検索できるように機械化された装置である。
*****は個人的な記憶を拡張するための補助装置である。
…………(中略)…………
*****にたくわえられる資料の大半は、機械にすぐ入力できるマイクロフィルムの形で購入される。あらゆる種類の書籍、写真、最新の雑誌、新聞などがマイクロフィルムで入手され、記憶される。ビジネス書簡類も同様だ。また、直接入力も可能である。(p.61)

いきなり引用文を掲げたが、これは何について、いつごろ、だれによって、書かれたものであろうか? *****とは?

答はこの引用文の前に次のように書かれている。(本書の末尾にある[注釈および出典]により原名を付す)
コンピューターがビルほどの大きさだった一九四五年に、連邦科学研究開発局の局だったヴァネヴァー・ブッシュ(Vannevar Bush)が『アトランティック・マンスリー(Atlantic Monthly ,July)』誌に「われわれが思考するごとく(As We May Think)」というエッセイを寄稿している。その中でブッシュは、人々が、個人的な素材を集めた自分専用のライブラリーを持てるようになる方法を示し、革新的な未来像を描き出した。ブッシュはこれをメメックス(Memex)と呼んだ。(pp.60-61)
☆ Memex  http://www.yamdas.org/column/technique/ow_memexj.html

改めていうまでもないが、この文章が発表されたのは日本が降伏するひと月ほど前のことだ。九月には占領軍が進駐し、『日米会話手帳』が爆発的な勢いで売れ始め、十月には並木路子の「リンゴの歌」が全国に流れ、わたしは、教科書のあちこちに墨を塗っていた。

この本の著者の一人、ゴードン・ベルも、わたしと同じ、1934年生まれである。表紙カヴァーの著者紹介によれば、こちらはパソコン界の大御所で、この世界のノーベル賞「ゴードン・ベル賞」を設立するなど、現代のコンピューター産業の礎を築いた大物である。生年は同じでもまさに「月とスッポン」だ。(もっと詳しい記述は、本書の「訳者あとがき」にある。)

このお月さんが、自己の人生のありとあらゆる記録をパソコンにぶち込んで電子記録の集大成、ライフログを作り上げようと、スッポンたちをも激励しているのが本書だ。スッポンにもスッポンの生涯があるということだ。

ビル・ゲイツが序文を書いているように、マイクロソフトにかかわってきた人だから、ライフログづくりの道具は、たとえば、マイクロソフトのワンノート(onenote)を使っているがエヴァーノート(Evernote)も取り上げている。

次のサイトも、ご参考までに。→http://news.livedoor.com/article/detail/2853942/

2008年9月25日木曜日

巨人軍の選手はお気の毒

セリーグの優勝争いが混沌としてきた。阪神フアン(不安?)としては、気が気ではない。
それにしても、テレビはもちろん、ラジオでもほとんどが巨人戦の実況で、阪神がどうなっているのか、途中経過が入るのをいらいらしながら待っている。だから、テレビやラジオなんか見たり聞いたりしないで、もっぱらPCで【阪神タイガース公式サイト】ばかりを5分おきくらいに見ていた。それが最近まで1ヶ月近くもPC故障で不可能になったのだから、つらかった。

亡くなった吉村昭が「家内と野球」という短いエッセイを書いている。言わずもがなだろうが、奥さんとは、作家、津村節子である。

彼女は、長嶋がよく打つ、と聞けば、それならその人につづけて打たせれば、と言ったり、捕手は守っている選手の中で一人だけ反対方向に向いているから敵のチームなのね、と言ったりするほどの野球音痴だった。
 放映されるのは、ほとんど巨人戦で、それに気づいた彼女は、こんなことを口にした。
「巨人は毎晩のように試合をしていて、他のチームはその間、休んでいるのね。巨人の選手は休息もとれず気の毒だわ」
 たしかに、そのように考えるのも無理はない。
「巨人軍のファンが多いので、放映するだけなのだ。他のチームも、それぞれ試合をしている。決して休んでいるわけではない」
 野球をテレビで観ている時、彼女が質問すると、思わず身がまえる。しかし、質問が新鮮で、どのように答えるか、それが楽しい。
(後掲書、pp.80-81)

いい夫婦だったんだなあ。

2008年9月23日火曜日

仙崖和尚曰く

1ヶ月近く、PCをDELLへ修理に出している間に、何年間も手を付けていなかった書斎の大掃除を始めた。年末まで3~4ヶ月かけてやらうという遠大な計画(!?)を立てた大掃除だ。ほぼ毎日、少しずつ、しかし徹底的にやろうというわけだ。
書棚を中心に残っている古い書類や日記類のチェック、雑誌や書籍のチェック――のんびり、ある意味では楽しみながら、やっていこうというわけだ。

そんななかで手にした1冊の本。ちょっと開いた第1章の最初の両ページで、目に飛び込んできた仙崖和尚と北斎の言葉。
六十歳は人生の花
七十歳で迎えがきたら「留守」と言え
八十歳で迎えがきたら「早すぎる」と言え
九十歳で迎えがきたら「急ぐな」と言え

葛飾北斎は七十三歳で「富嶽百景」を描いたとき、その前書きで「九十歳にしての奥意を究め、百歳にして神妙ならん、百有十歳にして一点一画にして生きるが如くならん」と自分の志を語っている。人生において「志を立てるのに遅すぎるということはない」(ボールドウィン)というのは本当だ。
(p.24)

川北義則『逆転の人生法則 目からウロコが落ちる89の視点』PHP1991年6月

2008年2月23日土曜日

おすすめ!『語学はやり直せる!』

昨日は思い出話の方へそれてしまい、失礼しました。
黒田龍之助『語学はやり直せる!』に戻ります。
黒田さんの本は以前買ったことはあるが、読み通すことなく、そのまま書棚に休んでいる。しかしこの本は一気に読了した。軽やかな文体のせいもあるのだろうが、何より中身が面白く、有益。中・高生にもおすすめだ。
全体が六つの章にわかれ、各章に10前後の小見出しがある。

第一章 語学がいっぱい 
どの話もおすすめだが、[●マンガを語学に活かす]では、各国語版のマンガ本がいろいろあることをはじめて知った。(時代遅れの年寄りか?)[●字幕で語学を工夫する][●パソコンのキーボードで覚える語学][●多言語なラジオ放送をインターネットで]などでは、それらでいろんな言語が学べることに驚き、あるいは、ごうなは使用していないが、ワープロソフトの Word を使って英語のようなラテン文字以外の文字もいろいろ入力できることをこれまた初めて知った。
第二章 語学を続けるために
[●大切なのはやめないこと][●語学は時間がかかる][●語学は復習が大切] いずれもごもっとも。分かり切ってはいても、じっくりと読んでみてほしい。
第三章 語学の「常識」を疑う
日本国にはびこっている外国語学習の誤った常識が如何に多いか!!
第四章 理想の語学教師を求めて
[●楽しかった先生① 中学時代のK先生][楽しかった先生② 大学時代のC先生]教職志望をもっていない人はこの二つくらいであとは後日読む、でもいいでしょう。
第五章 語学のプロは修業する
この章も今すぐ読まなくてもいいでしょう。
第六章 たとえば英語学習をやめてみる
最初と最後の小見出しは、[●やめるのは一時的][●再び英語学習を見直す]だから、中・高生諸君も驚かないで。この章全体を読んでも得るところがきっとある。

2008年2月22日金曜日

語学はやり直せる!

きのう、夜の町で酒を飲んだので、店の前に放置していた自転車を持ち帰るため駅前まで出掛けた。
いささか酒が残っている感があるので〈New Orleans〉へ行く。コーヒーを飲みながら、前日ほとんど「衝動買い」した本を開く。
黒田龍之助『語学はやり直せる!』角川oneテーマ21
おもしろい!!

第一章 語学がいっぱい
●語学のミステリー
●辞書を引くのがとまらない(計7ページ)
ある朝、著者は邦字新聞を読んでいて「はしか」って英語ではなんだっけ、と辞書を引きはじめる。和英辞典→英和辞典→英語の語源辞典→羅(ラテン語)和辞典→和露辞典→露和辞典→英・チェコ辞典→チェコ・英辞典→英・スロベニア辞典などと続く。
これだけ見ているとちっとも面白くないみたい、と思われそうだが、英語学習者への実益とこの本の文体を知っていただくために、二カ所だけ引用する。

 例文を読む。My(younger)brother caught[come down with](the)
measles.「弟がはしかにかかった」。あたり障りのない、無難な例文である。(p.19)
Love is like (the)measles, all the worse when it comes late in
life.「恋ははしかのようなものだ――人生で遅くやって来るほど始末が悪い」
やっぱり「はしか」は若いうちに済ませておくべきなんだな。もっとも、現代医学では必ずしもそうではないようだけど。(p.20)

ごうなはこの7ページ分だけ読んで「よーし、ただちに家へ帰って、久しぶりにブログでこの本の紹介を書こう」と思った。

いや、もっと正直に言えば「●読書は語学の王道」がはじまっている左のページの中にある
…モームの『人間の絆』[ごうな注:「きずな」というルビあり](原題は
Of Human Bondage)は、はじめて読み上げた英語の長編小説……
という文字列が目に入っていた。

高校時代、偶然に見たアメリカ映画「剃刀の刃」に感銘を受けた。まもなく発刊されたモーム原作の翻訳本(上・下の2冊)を読んだ。はじめてモームという作家を知った。当時、三笠書房が出していたモーム選集の中の2冊であった(1951年6月出版)。
ますます感銘のボルテージが上がり、ついにハードカバーの “The Razor's Edge”(WILLIAM HEINEMANN LTD)を三省堂に発注した。
その本が届いてまもなく、あの1952(昭和27)年4月17日の鳥取大火でわが家も全焼した。なんとか持ち出した本の中にこの本もあった。
荒木又右衛門の墓のある玄忠寺の本堂で大勢が雑魚寝する日々が一ヶ月ほど続いた。大学受験の年だからと同情してくれた住職のご厚意で、友人と二人して借りた6畳間で、翻訳書と辞書を頼りに毎日読み続けた。
その後、同期生のH君の薦めで“Of Human Bondage”を辞書だけでなんとか読破した。

上京して最初の下宿は、『剃刀の刃』を翻訳した齋藤三夫さんも住んでいた新宿区赤城元町であった。
早稲田での二人の教授による最初の英書講読は、中学時代から尊敬していた新渡戸稲造の愛読書、Thomas Carlyle の“SARTOR RESARTUS”(研究社小英文叢書『カーライル 衣裳哲学』)と、高2の秋に読んだモームの『讀書案内―世界文學―』(西川正身訳、岩波新書)の原本“Books and You”だった。

喫茶店の窓から見える久しぶりの青空をぼんやり眺めながら、そんなことを取り留めもなく思い出していた。
飲み残していたコーヒーは、すっかり冷たくなっていた。(明日に続く)




2007年6月21日木曜日

鶴見祐輔を尋ねて…/『プルターク英雄伝』

鶴見祐輔は、戦前、小説ばかりでなく伝記も多く著している。手元にある『成城だより』第2巻の巻末を見ると、太平洋出版社は〔鶴見祐輔先生伝記選]と銘打って、
『英雄天才史傳 バイロン』上・下
『英雄天才史傳 ヂスレリー』上・下
『後藤新平傳 帝都復興篇』
『プルターク英雄傳』(近刊)
の4点を挙げている。これらはいずれも戦前の作品の復刻版である。
後藤新平の伝記は、現在、 鶴見祐輔【著】、一海知義【校訂】『決定版 正伝・後藤新平 後藤新平の全仕事』全8巻が藤原書店より出版されている。
因みに、「大風呂敷」などとあだ名された後藤新平は鶴見祐輔の岳父である。

これらの作品の中で『プルターク英雄伝』だけは、むろん翻訳本である。英訳本からの重訳だが、名訳と高く評価されている。残念ながら、現在では入手することは困難である。唯一、入手可能な一冊版を後でご紹介しておく。

谷沢永一はこの訳業を高く評価し、機会あるごとに推奨してきた。
しかし、昨年来、鶴見祐輔を尋ねてウェブの世界を探索して、すばらしいサイトに出会うことができた。
このサイトの管理人は、花房友一という方で、「1955(昭和30)年、兵庫県生まれ。東京大学西洋古典学課修士修了。元翻訳業」の由。アドレスは、

http://www.geocities.jp/hgonzaemon/index.html

である。ここには有益なものが数多くあるが、先ず「鶴見訳で読むとおもしろいプルターク英雄伝」を読んでごらんになるといいでしょう。さらに伝記そのものをお読みになる方には、「鶴見訳プルターク英雄伝の難読漢字集」「鶴見訳英雄伝正誤表(推定)」がきっとお役に立つことでしょう。
高校生が、ごうなのブログを訪ねてくることはあるまいが、高校生にもひじょうに有益なサイトだ。

ごうなのおすすめ本棚 1


プルターク英雄伝






2007年6月18日月曜日

鶴見祐輔を尋ねて…/続・ウェブへ

昨日書いたように『酔醒漫録』というブログは今も続いているが、バックナンバーは去年の7月までになっているので、これから載せる引用文は、昨年6月にコピーしていたものであることをお断りしておく。なお『酔醒漫録』のURLをはっておくので関心をお持ちの方は、どうぞ。
 4月9日(日)ホテルの窓から見える京橋界隈は快晴。桜花の散る風の流れが爽やかでもあった。大阪駅に出て喫茶店で朝食をとりながら読書。大丸に寄って洋菓子をいくつか買い、花売り場でチューリップを中心に春らしい花々をたっぷり注文する。御堂筋線で桃山台。時間があったので駅前花壇の囲い石に座り、舞い散る桜をぼんやりと眺める。タクシーで目的地へ。約束の時間は午後1時。まだ20分あったので訪問宅前の駐車場で待機する。地主だった名家のたたずまいは周囲の家々とは違い、風趣を醸し出している。何をどう聞くべきなのかをしばし思案。午後1時ちょうどにインターフォンを押した。しばらくすると鉄扉が開いた。木村久夫さんの妹さんの孝子さんだ。今日は大正7年4月9日に生まれた久夫さんの誕生日なのだ。存命ならば88歳。その生命が不当にも絶たれたのはいまから60年前の5月23日、シンガポールのチャンギー刑務所でのことである。木村さんは『哲学通論』の余白に記した遺書のなかにこう書いていた。

私の仏前及び墓前には、従来の供花よりも「ダリヤ」や「チューリップ」などの華やかな洋花を供えて下さい。これは私の心を象徴するものであり、死後は殊に華やかに明るくやって行きたいと思います。美味しい洋菓子もどっさり供えて下さい。(中略)そして私一人の希望としては、私の死んだ日よりはむしろ私の誕生日である四月九日を仏前で祝って欲しいと思います。私は死んだ日を忘れていたい。我々の記憶に残るものは、ただ、私の生まれた日だけであって欲しいと思います。

仏前と墓前に洋花を供え、孝子さんのお話を伺う。やはりと納得したこともあれば新しい発見も数々だ。いちばんの問題は「きけ わだつみのこえ」に収録された「遺書」では木村さんの思いの全体像が伝えられていないことである。いつしか午後7時を過ぎていたので、近く再び訪問することにした。午後7時半に辞去しタクシーで新大阪駅。53分の「のぞみ46号」に乗る。缶ビールを飲みながら孝子さんにお借りした鶴見祐輔さんの『成城だより 3 夢を抱いて』(太平洋出版社)を読む。扉には「捧 木村久夫君 ご霊前 昭和二十年二月 著者」と筆で書かれている。「荘厳なる死」という文章は木村さんの恩師である塩尻公明さんが当時『新潮』に書いた「或る遺書について」に触発されたものである。まだ「きけ わだつみのこえ」が出版されていないときに、木村さんの遺書の全容は塩尻さんの文章で知るしかなかったのである。


長い引用になって恐縮だが、木村久夫の遺書についても知って欲しいという思いをもっているからだ。塩尻公明の著作は、1951年に創刊された現代教養文庫(社会思想研究会出版部)に数冊入っており、そのなかに『ある遺書について』も入っている。しかし、わが家の書棚から古い文庫本を探し出すのはきわめて困難な状況にあるので、あきらめている。

すでに述べたように、中学時代に買った『成城だより』は鳥取大火ですべて焼失してしまったので、ネットで検索している。昨年、1,000円程度で一冊出ていたのですぐ発注したが入手できなかった。ところが、どうしたことか、今年になってAmazonの「ユーズド」に数巻出ているが、いずれも一万数千円に値上がりしているではないか。
第1巻が鳥取県立図書館にあり、先月借り出して数十年ぶりに読んだ。きわめて粗悪な用紙に小さな活字で印刷されていて老人の目には非常に読みづらい。B5版二百数十ページの本が、同じくらいのページ数の文庫本より軽い。
第1巻を読んだ直後、第2巻の〈自由への闘ひ〉を或る古書店からリーズナブルな値段で入手でき、いま、机上にある。

さて、引用文の終わり近くにある鶴見祐輔の献本の日付について触れておきたい。
第2巻の中に「ある読者からの手紙」という一文がある。内容の紹介は略させていただくが文末に(一九四八・四・二八午後)とあって、そのあとに次のような付記がある。
この稿を記して後二ケ月、私は新潮六月號に出た『ある遺書について』と題する鹽尻公明氏の文章を見て、ひどく感動した。それはシンガポールで冤罪のため絞首刑に處せられた木村久夫君の獄中の遺書である。これくらい凄惨な犠牲者は、今度の戦争でも少い。そのことは私は成城だよりの後の巻に詳しく記しておいた。(八月十九日記)

この第2巻が発行されたのは昭和23年12月20日である。したがって、第3巻に鶴見俊輔が筆で書いていた献辞の日付は、
昭和二十「四」年二月
の誤りではあるまいか。鶴見自身が誤記したのか、引用者の誤記か、わからないが。

【追記】(6月19日)昨日このブログを公開したあとで、有田芳生さんにメールで献辞の日付の件をお尋ねしたところ、今朝、次のような確認のご返事をいただいた。
直筆コピーを確かめましたところ、鶴見さんは「昭和二十四年二月」と書いています。
「成城だより」第3巻が発売されたのが昭和二十四年一月ですから矛盾はないと思います。
有田さん、ありがとうございました。心より御礼申し上げます。

2007年6月17日日曜日

鶴見祐輔を尋ねて…/ウェブへ

昨年の6月、鶴見祐輔の『成城だより』で検索したら、二つのサイトがヒットした。
一つは、村井仁(敬称略)のサイト(だった、と思う)。今回検索にかけたところ、Not Found と出た。幸いコピーをとっていたので、ご紹介できる。当時の村井の肩書きは「自民党国会議員」であったが、同年8月の長野県知事選挙で田中康夫前知事を破って当選したから、今は「長野県知事」だ。ご紹介するのは、1952(昭和27)年、長野県松本市の旭町中学校を4回生として卒業した村井が、母校のおそらく創立50周年に行った記念講演の記録か、あるいは記念誌に寄稿したものと思われる。
「母校旭町中学校50周年に寄せて--旭町中学校の生徒の皆さんに--」
私が中学生の頃に読んで影響を受けた本に、戦前からの政治家・小説家で戦後厚生大臣にもなった鶴見祐輔先生が追放を受けているときに書いた「成城だより」という本がある。そこに出ているエピソードは印象的である。鶴見祐輔先生は明治の終わりに東大を出た。同級生で公爵の跡取り息子がいたが、この人が二度も外交官試験を受けて、失敗、諦めて貴族院議員になったという話を外国人にしたら信じて貰えなかったという。外国、特に英国では外交は貴族の仕事で、試験の成績の善し悪しで決めるのは理解できないというのである。明治の終わりに東大に学ぶのだからこの公爵氏はもとより大変な秀才だったろうが、それでも当時の外務省は名門の出身だからといって妥協せず、外交官にふさわしいと外務省が判断するそれなりの基準に合致しなければ採用しなかったのだ。もっと言えば日本はコネも権勢も利かない部分が厳然とある社会だったのだ。

二つめは、テレビの「ザ・ワイド」でおなじみの有田芳生(敬称略)の『酔醒漫録』というサイトだ。このサイトは2006年6月30日で閉鎖する(6年間続いたらしいこのブログはにんげん出版で二冊出版され、さらに昨夏、二冊同時に出版された)というこどだった。
ところが、まだ続いている。今夏の参議院選挙の全国区に新党日本の候補者として出馬することになったのが、このサイト継続の理由(のひとつ)と思われる。現在、田中康夫ともいっしょに街宣をやっているらしい。
今回、村井仁と有田芳生のご両人のサイトを取り上げるのが何か因縁話めいているように思われるが、あくまで「鶴見祐輔を尋ねて…」の偶然の結果である。
(以下、明日につづく)

2007年6月16日土曜日

鶴見祐輔を尋ねて…/『成城だより』

1949(昭和24)年10月1日の日記によれば、一週間ほど前に太平洋出版社へ送金していた『成城だより』の[第五巻 永遠の師〕と〔第六巻 筆は剣よりも強し〕を入手し、早速前者を100ページほど読んでいる。
翌日には、246ページまで読了、後者を80ページ読んでいる。5日には、240ページまで読了。気に入って、第一巻から第四巻まで発注している。
それらがいつ届いたか、記録していないが、
第一巻 冬来たりなば 10月23日読了。
第二巻 自由への闘ひ 10月26日読了。
第三巻 夢を抱いて  10月28日読了。
第四巻 文明の行くえ 10月29日読了。さらに、翌1950年、〔第七巻 感激の生活〕を1月3日読了。

中学3年の夏から、毎日日記をつけるようになったが、高校入学までの間に、新渡戸稲造の『修養』を毎日のように筆写し、『世渡りの道』や『自警録』を読み、『内村鑑三 思想選書』を何冊か、尾崎行雄の著作、漱石、露伴の小説なども読んでいるから、かなり精力的に読書している。

さて、『成城だより』は何巻まで発行されたか、〔第八巻 自由と秩序〕が出版されていることはわかっているが、この巻は購入の記録もない。高校入学後かもしれないと思い、日記に当たってみた。どうやら、『成城だより』を購読したのは第七巻までであったらしい。新しい高校生活を始めて読書するゆとりもなかったのだろう。日記の記述は日々の授業についての記述ばかりといっていい。

ただ一つ、大きな記憶違いをしていたことに気付かされた。
はじめての中間考査の最終日である6月12日の午後、映画『母』を見て、感激したという記述があったのだ。
14日のブログで書いた、この映画の字幕であのカーライルの言葉を覚えた、というのは間違いだったことになる。映画の終わりにこの言葉を見た記憶は間違いないとおもう(小説の序文に引用されていることからしても)。そうだとすれば、
『成城だより』のいずれかの巻で、著者はこの言葉を再び記述していた→自己紹介の時引用した→映画でこの言葉を再確認した
ということではなかったか、と思う。
この推測を今確かめることはできない。所有していた『成城だより』は1952年の鳥取大火ですべて焼失してしまったから。

ごうなのおすすめ本棚 1


修養







2007年6月15日金曜日

鶴見祐輔を尋ねて…/小説『母』

映画そのものはもう見ることはできない。小説を図書館などで見れば、あのカーライルの言葉がどこかにあるかもしれない。
そう考えて、とりあえずネットで検索してみた。
あった! 講談社学術文庫で入手可能であることがわかった。どうしてこの小説が「学術文庫」なの? と首をかしげたが、とにかく手に入りました。

あった! あった! ありましたよ、「母としての日本婦人(序にかえて)」の中に。
いっさいの偉大なるものは、悲しみと苦しみとのうちから生まれた。……長き夜を泣き明かしたるものにあらずんば、いまだ共に人生を語るに足らず、とカーライルの言ったように、何らかの苦悩を経験したものでなくては、貴き何物をも所有していないのだ。(同書 p.9)
本書の出版は、1987年9月である。娘の鶴見和子(鶴見俊輔は弟)がこの版にまえがきを寄せていて、次のようなことがわかる。

◇この小説は、講談社の初代社長野間清治の要請により、雑誌「婦人倶楽部」に1927(昭和2)年5月号から2年間連載され、完結と同時に同社から出版された。
◇1931年には著者自ら英訳して、ニューヨークのレイ・D・ヘンケル社より出版された。
◇戦前戦後を通じて三度映画化され、新派の舞台でも上演された。
◇戦後、太平洋出版社から復刻版、角川書店から文庫版が出版された。
◇今回の出版は澤地久枝が『ひたむきに生きる』(講談社現代新書)のなかで、「さいしょに出会った本」として、この小説に若い世代の立場から新しい光をあててくれたことがきっかけとなった。

それで、この文庫本の解説として澤地は「『教養』の普遍性」と題する一文を寄せている。一カ所だけ引用する。
知識を求めていた人たちは、ここである安らぎを得、気持ちのよい刺激をあたえられたのではないかと想像する。名もない、学問や教養には無縁の人々が、熱っぽい視線で『母』を読む。一冊の通俗性のある小説本としてではなく、教養書として――。
そこに、『母』の役割と、昭和の日本人の姿が見えるとわたしは感じている。
この澤地の言葉が、この小説をうまく紹介していると思う。先日、米原万里の男女共同参画的便器をご紹介したが、「男女共同参画社会」の実現を熱っぽく説く女性も、すでにこの小説に登場しているのだ。




2007年6月13日水曜日

打ちのめされるようなすごい本 2

この本のあとがきは、井上ひさしが「[解説]思索の火花を散らして」と題して記している。その中で彼はこう述べている。
大事なのは、彼女の文章が、いつも前のめりに驀進(ばくしん)しながら堅固で濃密なことだ。別にいえば、文章の一行一行が、箴言(しんげん)的に、格言的に、屹立している。そこで私たちは気楽にめくって、気に入ったところを読めばいい。そのときの気分によって、一行一行が励ましの特効薬になり、慰めの妙薬になり、なによりも思索の糸口になる。 

その通りなのだが、取り上げられている二百数十冊への書評を最初から通読してみれば、米原万里が、その晩年を何とどのように闘い、どのような思いを抱いて生きてきたのかが見えるように思われる。

先に紹介した『発明マニア』に付された「小さい頃から発明好き」と題した、こども時代の万里についての一文を寄せている井上ユリは、万里の実妹で、井上ひさしの奥さんである。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――  
〈米原万里の最初にして最後の小説〉

ごうなのおすすめ本棚 1


オリガ・モリソヴナの反語法



http://app.blog.livedoor.jp/dankogai/tb.cgi/50530455



2007年6月8日金曜日

打ちのめされるようなすごい本 1

2005年9月29日、NHK-TVの「生活ほっとモーニング」は、9月11日に
熊本県上天草市で開催された〈食育・健康フェア〉を放映した。
米原万里は、〈健康エッセー〉で「わたしの健康法」と題して短い講演をした。卵巣ガンの摘出手術を受けたが、1年4ヵ月で再発。食生活をはじめ生活習慣を変え、その成果で10キロ以上やせ、身体も快調になったと語っていた。しかし、その言葉通り少しほっそりした彼女の映像が最後になってしまった。翌年の5月25日、死去した。56歳だった。

『打ちのめされるようなすごい本』は、彼女の書評の集大成である。pp.300~315の「癌治療本を我が身を以て検証」は、さまざまな体験本を読みまくり、さまざまの治療法にトライした記録である。

冒頭に紹介したテレビを見たあと、新潟で安保徹さんに直接お会いして、のんびりと治療してくれれば、と願っていたが、闘う米原万里には、できないことだったのだろう。

http://app.blog.livedoor.jp/dankogai/tb.cgi/50530455

ごうなのおすすめ本棚 1


打ちのめされるようなすごい本

2007年6月7日木曜日

発明マニア/米原万里

昨年五月米原万里が亡くなる直前まで、二年半にわたって「サンデー毎日」に掲載された全てを集めたもの。本書の帯の惹句に言う。
「米原万里的、ワンダーランド。/絶筆の連載/究極の温暖化対策から日本人男性の誇りと自信向上計画、イビキ防止器具まで―/この世の、あらゆる難問を解決する119の発明」

すべての発明には、新井八代のイラストがついている。イラストの署名はローマ字でARAIYAYOとある。ARAI/YAYOと読まないで、ARA/IYAYOと読むのでしょうね。むろん、万里ちゃん本人だ。
さて、119もの発明のなかで、どれをご紹介するべきか、迷うけれども、二つの理由で、「2 男女共同参画的便器」をとりあげることにする。

第一は、わが家のかみさんが、便所の掃除をするたびに、こうのたもうからである。「おじいさんが、しつこく言うものだから男性用便器を置いてしまい、トイレが狭くなってしまって……」

本書のこの項の冒頭に紹介されている男性二人の言葉を引用する。

1.「その遠慮会釈のない激辛な論評ゆえにあちこちで恐れられ煙たがられているジャーナリストの日垣隆さん」(と、あの万里ちゃんが書いている):
日本の家庭における父権、夫権の失墜は、西洋式便器の普及にともないアサガオ(=男性専用の小便用便器)が一般家庭から駆逐されたのと軌を一にしている。

2.某テレビ局のTプロデューサー:
そうなんですよねえ、用を足すたびに便座を上げるのが面倒だからさぼると、便座にしぶきがかかって、後で、『いやだ、パパ、汚~い』とか、『もーあなた、何度言ったら分かるの! ちゃんときれいにふいといて下さい』とか嫌みや非難に耐えなくてはならなくなる。辛いですよねえ、肩身が狭いですよねえ。

ごうな曰く「闘いなくして、父権、夫権の確立なし!」

次いで、ソ連邦時代、某テレビ局の三人の男性に通訳として同行した万里さんのソ連での経験談が綴られている。話をはしょって言えば、会議の後、同行「三」人で男性用トイレへ入ったところ、便器の位置が高すぎて、足の短い彼らは機銃掃射をすることあたわず、やむなく大便用の個室に入って用をすませた。
そこで、万里さんは昇降式の男子用便器の発明に取り組むが、女性と同じ姿勢で小の方もすます男性が増えてきているようなのでこの発明を断念するというお話。「それよりも何よりもアサガオが家庭どころか日本国内から姿を消す日も近いのではないか、と敬愛してやまない日垣隆さんに同情を禁じ得ない今日この頃である。」と結んでいる。
なお、わが家の男性用便器はアサガオ型ではなく、縦長型で前面は尿と流れる水が溢れない程度の高さであるから、孫たちはよちよち歩きができるようになった頃から堂々と男らしく用をすますことができたのである。

えッ、なに? 「男女共同参画的便器」を取り上げた二番目の理由ですか?そうそう、忘れていました。わが家の便器自慢の話じゃなかった。 

もうだいぶ以前のことで、どこで見たのか忘れてしまったが、便器の上方にこんな張り紙があった。 

朝顔のそとにもらすな竿の露

なかなかいいじゃありませんか。もうこんな張り紙も不用になったんですかねえ。


ごうなのおすすめ本棚 1


発明マニア


http://app.blog.livedoor.jp/dankogai/tb.cgi/50530455







2007年6月6日水曜日

終生ヒトのオスは飼わず/米原万里

「鬼籍簿」の、昨年のページに彼女の名前を記載した後で何冊かの著書が発行されたが、おそらく最後のものと思われる『終生ヒトのオスは飼わず』が発刊された。

「ガッキィファイター」2007年5月31日号(通巻 第241号)で、日垣隆 (全文責任執筆)さんが、こんなことを書いている。
俺たちオスがね、もし「ヒトのメスを飼う」とか「飼わない」と公言したら、どうなのか。女性の書き手だから許される、というタイトルはまだ、あるわけです。

「女性は子どもを産む機械」発言で顰蹙やら批判を買っている大臣がいるが、これはアタマがよろしくないので、そうなったのです。
「ヒト」というのは、ネコやイヌと同様、生物の分類上の言い方だから、メス・オスでも♀・♂でも、いいんじゃないでしょうか。
もっとも、日垣さんはこのことを本人に直接言ったと書いているから、それに対して万里ちゃんが何と言ったか、知りたいですね。いずれにしても、「ねこちゃんにご飯をあげる」、いやいやそれどころか、「この花瓶を窓際に置いてあげる」「ここにピンクのカーテンをつるしてあげる」なんていわれるほうが、気持ち、悪いっすよ。

本書は、二部に分かれているが、第1部の「毛深い」家族の話より、「ふとっちょの」家族の方に興味があるので、いずれ、そのことについて書きたい。


ごうなのおすすめ本棚 1


終生ヒトのオスは飼わず



http://app.blog.livedoor.jp/dankogai/tb.cgi/50530455






2007年5月27日日曜日

茨木のり子 2

2006年12月5日の朝日新聞に、茨木のり子の遺稿を集めて最後の詩集が出版されることを報じた記事が載った。その最後のパラグラフを引用する。

死後、寝室の枕元で小さな木箱が見つかった。何度も触った跡があり、箱には安信さん(茨木の亡夫:引用者注)の戒名と「骨」の文字。中には骨が数かけ入っていたという。

同じような話を思い出した。佐高信『わたしを変えた百冊の本』(講談社文庫)の中にあった、
97『住井すゑと永六輔の人間宣言』住井すゑ・永六輔 光文社
からの孫引きである(pp.348-349)。

 亡夫の犬田卯の遺骨を持っていらっしゃるそうですね、と永が問いかけると、
「これね、遺骨にしてそれを地下へ埋めるということは忍びないですよ。できないですよ。だから書斎の箪笥のいちばんいい場所にあります。もう何十年もたちますけれども、ときどきは骨をかきまわしてやってます」
と住井は笑い、
「ぬかみそじゃないんだから」
と永がまぜっ返すと、
「好きな男の骨なんだもの、ときどきさわって話しかけるっていう意味よ」
と住井は答えている。

朝日新聞が紹介していた茨木の最後の詩集『歳月』は今年二月の命日に花神社より発行された。彼女の甥、宮崎治が書いた「あとかき」にあたる 「Y」の箱 という一文の冒頭を引用する(p.128)。「Y」とは夫のイニシャルである。彼女愛用の無印良品のクラフトボックスに全ての遺稿が入っており、その箱の上にそのイニシャルが小さく書かれていた。

『歳月』は、詩人茨木のり子が最愛の夫・三浦安信への想いを綴った詩集である。
伯母は夫に先立たれた一九七五年五月以降、三十一年の長い歳月の間に四十篇近い詩を書き溜めていたが、それらの詩は自分が生きている間には公表したくなかったようである。
何故生きている間に新しい詩集として出版しないのか以前尋ねたことがあるが、一種のラブレターのようなものなので、ちょっと照れくさいのだという答えであった。
そして伯母はその詳細について多くを語ることなく、二〇〇六年二月十七日、突然伯父の元へと旅立ってしまった。

正確に言えば、39篇の詩はすべて夫への挽歌である。昨日のブログの最初にご紹介した詩からは想像できないような、別の激しさをもった熱い思いがあふれている。
最後に、この詩集の中でもっとも短いと言う理由だけで、「占領」という詩をご紹介する。
姿がかき消えたら
それで終わり ピリオド!
とひとびとは思っているらしい
ああおかしい なんという鈍さ

みんなには見えないらしいのです
わたくしのかたわらに あなたがいて
前よりも 烈しく
占領されてしまっているのが


ごうなのおすすめ本棚 1


倚りかからず




歳月







2007年5月26日土曜日

茨木のり子 1

自分で勝手に作った「鬼籍簿」の昨年の部には、数人の命日とメモがある。
その中の一人、山村修(8月14日歿)に続いて今日は,茨木のり子について誌す。
それぞれの土から/陽炎(かげろう)のように/ふっと匂い立った旋律がある/愛されてひとびとに/永くうたいつがれてきた民謡がある/なぜ国歌など/ものものしくうたう必要がありましょう/おおかたは侵略の血でよごれ/腹黒の過去を隠しもちながら/口を拭って起立して/直立不動でうたわなければならないか/聞かなければならないか/私は立たない 坐っています
〈「鄙(ひな)ぶりの唄」の前半〉

もはや/できあいの思想には倚りかかりたくない/もはや/できあいの宗教には倚りかかりたくない/もはや/できあいの学問には倚りかかりたくない/もはや/いかなる権威にも倚りかかりたくはない/ながく生きて/心底学んだのはそれぐらい/じぶんの耳目/じぶんの二本足のみで立っていて/なに不都合のことやある

倚りかかるとすれば/それは/椅子の背もたれだけ〈「倚りかからず」〉

詩人、茨木のり子は、昨年、2月19日に亡くなった。79歳だった。彼女は、生前に「死亡通知」を書いていた。

このたび私 '06年2月17日クモ膜下出血にて この世におさらばすることになりました。これは生前に書き置くものです。

私の意志で、葬儀・お別れ会は何もいたしません。
この家も当分の間、無人となりますゆえ、弔慰の品はお花を含め、一切お送り下さいませんように。
返送の無礼を重ねるだけと存じますので。

「あの人も逝ったか」と一瞬、たったの一瞬思い出して下さればそれで十分でございます。
あなたさまから頂いた長年にわたるあたたかなおつきあいは、見えざる宝石のように、私の胸にしまわれ、光芒を放ち、私の人生をどれほど豊かにして下さいましたことか…。

深い感謝を捧げつつ、お別れの言葉に代えさせて頂きます。

ありがとうございました。

二〇〇六年三月吉日
準備されていた手紙は、死亡の日付と死因が空欄。そこを埋めて郵送してほしい、と以前から甥(おい)の宮崎治さん(42)夫妻は頼まれていた。「身内だけでひっそりと荼毘(だび)にふし、一か月後に手紙を出す。それが伯母の希望でした」。死去がすぐに報道されたため、郵送時期を早めた。[以上、生前の遺書については2006年3月16日付読売新聞に掲載された(小屋敷晶子)の記事による]

2007年5月10日木曜日

〈狐〉の書評

昨年の日記を紹介する。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
2006/07/10(Mon).
〈Cosmo〉で偶然『〈狐〉が選んだ入門書』を見つけた。「山村 修」という著者名があるではないか。ついに〈狐〉が正体を現したのだ!
2004年1月7日に発行された『水曜日は狐の書評 日刊ゲンダイ匿名コラム 狐』の巻末にある植田康夫の「解説」によると、 

1999年5月19日発売(紙面上の日付は翌30日)から2003年7月30日発売(紙面上の日付は翌31日)までの掲載分を時系列で収め、『水曜日は狐の書評』という署名で、ちくま文庫の一冊となった。……(中略)…… 8月以降は、筆者の健康上の理由でコラムは休載となっている。

この「8月以降」が何年なのか、不明だが、たぶん2003年であろう。 
狐こと、山村氏は本書カヴァ―にある略歴によれば、1950年生まれ、慶大仏文卒で、現在は随筆家。なお、本書の発行日は、今日の日付である。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
この人の最初の著書は、
『狐の書評』 本の雑誌社
で所有していたはずだが、いくら書架を探してもみつからない。手元にあるのは、
『野蛮な図書目録』 洋泉社 1996年9月
   『狐の読書快然』  洋泉社 1999年8月
『水曜日は狐の書評』ちくま文庫 2004年1月
の3冊。
日記にも書いているとおり、偶然発行日にでくわした(実際には、その何日か前には、書店に出ていたのであろうが、新聞などの広告も見ておらず、まったくの偶然だった)『〈狐〉が選んだ入門書』に山村修という名前を見たとき、長年あこがれていた人にやっと出会えたという驚きと喜びでいっぱいだった。
この本の「あとがき」にも書かれているが、1981年2月から25年間続いたという書評生活で取り上げた本の数は1000冊に近いのではあるまいか。書評の文章は700~900字くらいだが、どの本も読みたくなる。毎週1回、彼の書評を読むことができる人々がほんとうにうらやましかった。きっと、わたしも毎週とりあげられた本を買って読み、そこそこの読書家になっていたかもしれない。
『水曜日は――』の「まえがき」と、『〈狐〉が選んだ入門書』の「あとがきにかえて」のなかで、
匿名の者は、名前をもたないのだから、まして肉体などはない。これまで、そう思い込んで書いてきた。ところがどうやら悲しくも肉体はあって、それが少しばかり故障を生じ、日刊ゲンダイでの連載は二〇〇三年八月から降板した。いまは狐の巣穴に戻って遊んでいる。

私は――身体的な事情があって、昨日(二〇〇六年三月三十一日)付で早期退職をしたばかりですが――、
と、書いていた村山修は、この年の8月14日、肺ガンで亡くなってしまった。
今年1月、最後の68冊への書評を集めた『書評家〈狐〉の読書遺産』(文春新書)が発刊された。その本のカバーの著者紹介欄に、著書の一つとして挙げられている『禁煙の愉しみ』のタイトルが悲しい。


水曜日は狐の書評 ―日刊ゲンダイ匿名コラム


“狐”が選んだ入門書


書評家〈狐〉の読書遺産

2007年4月26日木曜日

ライフハックス 3

 これまで見てきたように、ライフハックスとは、梅棹忠夫の「知的生産の技術」と相通ずるものなのだ。このブログの「知的生産の技術 3」でわたしが引用した梅棹の最初の言葉(p.17 の引用文)は、先回引用した田口 元の言葉と重なると言ってもいいではないか。

さて、現在このハックスという言葉をタイトルに含む本が続々発行されている。わたしの目についたものを列記してみる。

  • 大橋悦夫・佐佐木正悟『スピード ハックス 仕事のスピードをいきなり3倍にする技術』日本実業出版社
  • 佐々木正悟『ライフハックス―鮮やかな仕事術』MYCOM新書
  • 原尻淳一・小山龍介『IDEA HACKS! 今日スグ役立つ仕事のコツと習慣』東洋経済新報社
  • 館神龍彦『デジタル・ハック 仕事のパワーを10倍アップするパソコン術』中経出版
  • 『ネットでライフハック 仕事をらくらく片付ける超便利ウェブツール』インプレスR&D

最後に挙げたのは著作というより、題名にあるように、ウェブ上にあって誰でも簡単に自分のパソコンに取り込むことのできる便利なツールを紹介しているものだ。 

これらの著者の生年は、原尻(1972-)佐々木(1973-)大橋(1974-)小山(1975-)である。田口さん、館神(たてがみ)さんは、3冊以上の著作があるが、生年はわからない。しかし、写真を見るとやはりお若い。

著作はなくてもさまざまなソフトをつくって、パソコンユーザーに多大な恩恵を与えてくれている人たちが大勢いて、多くは若い人たちであることは間違いあるまい。
ここでもう一度、「知的生産の技術 3」でわたしが引用した『私の知的生産の技術』(pp.18-19)の梅棹の言葉を思い出して欲しい。

いまや、梅棹の予想を超えて、日本のみでなく、全世界的に、自宅や職場で、知的生産の技術やGTDやハックスが日々生まれ、広がっていっている。


ごうなのおすすめ本棚 1


IDEA HACKS! 今日スグ役立つ仕事のコツと習慣

2007年4月18日水曜日

ライフハックス 2

 先月の「腰リール」と、先回のブログでご紹介した本のなかで、「百式」というサイトを主宰している田口 元は、次のような説明をしている。

◆ハック(ス)とは、もともと技術用語で、プログラマが自分の仕事を片付けるために書く
自分用の小さなプログラムのこと。
◆ライフハックス系のブログでは、数多くの便利なソフト、仕事や情報管理のやり方などが取り上げられている。
◆「仕事をシンプルで楽しくするような習慣を生みだそう」という考え方が根底にある。

《lifehacksの定義について考えるときに個人的に思い浮かべるのはトヨタの「カイゼン」(改善)です。「カイゼン」も、どのやり方が「カイゼン」というわけではありません。日々の作業をより効果的にするために日々どこが変えられるのか、それを考え続ける文化が「カイゼン」なのです。》     『Life Hacks Press~デジタル世代の「カイゼン」術~』pp.3-4

われわれは、ハッカー(hacker)という言葉を最初に知ったが、真のハッカーとは、上に述べられているようなことをする人なんだ。


【参考】田口 元さんのサイト: http://www.100shiki.com/