場所は市内の弥生町にある〈渚〉というバー。カウンターでひとり飲んでいると、マスターがある植物を目の前において「これ、知っとられるかな?」と、笑いながら言った。
「あゝ、チンプンカンプンだ!」
「そうです。そう言ようりましたなァ。槇(マキ)の実です。」
マスターはわたしより二つ三つ年上だが、同じ世代といっていい。この実を見るのは、この時から数えても半世紀ぶりだった。
当時、醇風国民学校の正門は、鹿野街道に面しており、門を入ると校庭がひろがっていて、校舎は左手にあった。校門からまっすぐ校庭を横切ると校地の境になっている生け垣だった。現在の講堂と玄好町の間にある道路のあたりだ。この生け垣にチンプンカンプンの木が何本も植わっていた。
ひところ、団子三兄弟という歌が流行ったが、倉吉の土産物の打吹団子を知ってる人はそれを思いだして欲しい。ただし、団子の大きさはせいぜい大豆くらいである。団子の色はそれぞれ違っている。
こんなことを書き連ねても読者にチンプンカンプンをイメージしていただけないだろう。写真を見ていただくのが早いことは承知の上で、そうしたのは、わたしの記憶の中ではそうだったからだ。
では写真を見ていただこう。写真のアドレスもご紹介して、御礼を申し上げたい。まずは、打吹団子。
http://www.kouendango.com/history.html
続いて、マキの実の写真2枚。このサイトには9枚の写真があるので、ぜひ訪問して、ご覧下さい。
http://www.hana300.com/inumak1.html
ご覧の通り、「団子」は二つだったのだ。上が実(種)で、下が果托とか果床と呼ばれている部分で、これを食べると甘みがあるという。(食べたことはなかった。)
なぜ記憶のなかでは「団子」は3~4個くらいだったのか。実際のマキの実は二つの色が成長段階で変わるのだそうだ。色が二種類ではなかったので、記憶の中の実の数が増えたのだろう。
最後に、チンプンカンプンについて。チンプンカンプンとは、変換できないが、辞書にはちゃんと出ている。漢字で書くと「珍紛漢紛」、チンプンカン「珍紛漢、珍糞漢、陳奮翰」ともいう。
[儒者の用いた難解な漢語に擬した造語。あるいは外国人の言葉の口まねからともいう]人の話している言葉や内容が全くわからないこと。また、そのさま。例:「きょうの話はとてもむずかしくてチンプンカンだ。」「ロシア語は全くチンプンカンプンだ。」(『大辞林 第二版』より)〈渚〉のマスターは、亡くなってしまった。
それにしても、昔の小学生はムヅカシイ言葉を知ってたんですねえ。
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