出演者について言えば、藤田進(三四郎)と敵対する月形龍之介(檜垣源之助)の二人だけはしっかり覚えていた。
和尚役の高堂国典と柔術師範の志村喬はすぐに分かったが、修道館柔道の師範、矢野正五郎の大河内傳次郎は、時代劇でよく見た彼とは、顔も声も若々しく、「これが大河内傳次郎?」とすぐには分からなかった。
女優は、轟夕起子と花井蘭子の二人きりだが、この映画に出演していた記憶は全くなかった。
何度も映画化されている小説に、吉川英治の『宮本武蔵』がある。あれは高2の夏休みだったと思う。市内の映画館で古い『宮本武蔵』映画が何本か立て続けに上映されたのを見に行ったことがある。お通役が轟夕起子と相馬千恵子の2本を見た記憶がある。当時知っていた轟夕起子は、丸顔で太り気味の女優だったから、若いお通の美しさに驚いた。(調べてみると、二人がお通を演じたのは轟が昭和12年、相馬は18年である。)
テレビで見た『姿三四郎』の轟夕起子も若くて、美しかった。
思い出話はこれくらいにしておこう。
佐藤忠男の労作に『日本映画史』全4巻がある。吉川英治の『宮本武蔵』は、戦前から戦後までなんども映画化されているが、佐藤は『宮本武蔵』と『姿三四郎』の類似性をこの中で指摘している。
扱う時代は江戸時代と明治の違いはあっても、「若くて純情で粗野で強すぎて求道的な」三四郎に「精神的な豊かさを与えようとする師の矢野正五郎と寺の和尚は沢庵、三四郎が惚れてしまう試合の相手の柔術家の娘(引用者注:轟夕起子)はお通、そして三四郎の前には対決しなければならない敵の柔術家たちがつぎつぎと現れて決闘に次ぐ決闘になり、その間、三四郎は、たんなる猛者から、ゆとりと内面的な深味のある真の強者へと成長してゆく。」
そしてこの小説(引用者注:富田常雄『姿三四郎』)は、みずみずしい鮮やかな技巧で映画ファンを唸らせる彼の素晴らしいデビュー作となった。一九四三年、すでに戦争は敗色があきらかになっていた頃である。これはしかし、非常に元気のいい映画だった。黒澤明監督は、この映画を、見事なエンターテインメントとしてつくりあげた。その面白さの第一にあげられるのは、何度もある柔道の闘争や試合の場面のアクションである。ひとつひとつの闘争が、それぞれ違った柔道の術で処理される。しかも、それらはすべて、ただむやみに激しく闘うのではない。はじめは静かに向かい合い、気合いを計り、最良のタイミングで行動が始まると、一瞬にして意表をつく激しい動作が生じてヒーローが相手を投げとばす。あるいは、ヒーローが何度投げられても決して転ばず、軽業のように立ち、さいごに鮮やかに相手を投げとばす。静と動、その間合い、その繰り返しのリズム、それらの巧みな演出が、これらの格闘場面にそれぞれに美しいスタイルを与えていた。注1.佐藤忠男『日本映画史 2 1941-1959』増補版 岩波書店 2006/11/10 pp.63-64
この映画の主役に抜擢された藤田進は、がっしりとした体つきに無骨な顔、朴訥な喋り方、野暮ったい動作など、すべての点で、これまでの二枚目の重要な条件だったスマートさとは遠く、コケの一念とでもいう感じで命令されたことを徹底的に忠実にやりとおすような芝居がよく似合う俳優だった。スターになると、つぎつぎと軍人役を与えられ、『加藤隼戦闘隊』(一九四四〉では、豪胆で沈着な戦闘機部隊の隊長を好演した。ときには激しく部下を叱咤するこの隊長が、ときにはまた、ガキ大将ふうの人なつっこい笑顔を見せるあたりが独特の持ち味で、これぞ、どんな無茶な命令にも耐えてニッコリ笑って死んでいける模範的な帝国軍人と思えた。(注1)
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