2008年5月21日水曜日

いつもお世話になってます

今回も二つのサイトを取り上げる。
今日は感謝の気持ちを込めて日頃お世話になっている二つのサイトをご紹介。もっとも、今さらわたしが紹介しなくても、大勢の人々が訪れているサイトなんですが…。 
一つは Yamadaさんの《ホームページを作る人のネタ帳》
いずれのサイトも、わたしのようなほぼ「後高者」(お分かりでしょ? 国会のセンセイ方が作ってくれました)にとっては難しすぎますが、今回は《ネタ帳》の
【e】サイトパレット http://e0166.com/blogBB/pallet.php

を利用させてもらって、田口元(たぐち・げん)さんのIDEA*IDEA といライフハックブログをとりあげた。ほかにも2000年1月から毎日海外のユニークなサイトを紹介している《百式》というブログや、毎日の目標やToDoを管理できるシンプルなツール、check*pad などを利用させてもらっている。
http://www.ideaxidea.com/cgi-bin/mt/mt-tb.cgi/1556

(下の画像をクリックすると、IDEA*IDEAのサイトへ行きます。)

名言セレクション | IDEA*IDEA【e】
はてなユーザーの評価 livedoorユーザーの評価 Buzzurlにブックマーク
名言セレクション | IDEA*IDEA

2008年4月29日火曜日

二つのサイト

今日は二つのサイトを紹介したい。
前期あるいは後期の高齢者であろうが、その医療制度を長寿医療制度と呼ぼうと、独居老人と云われようと「おひとりさま」とてめえでおっしゃろうと、
どうでもよろしい。とにかく、わたしどもとしては、長い期間を入院などして若い人たちにご迷惑をかけないで、「ぴんぴん、ころり」で旅立ちたいと思っている。
ところで、最近はアンチエイジングだの抗加齢だのといった言葉が流行り始めている。今日はこんなサイトを見ていささか、驚いた。
 人の老化の度合いを調べる抗加齢ドックが注目されている。通常の人間ドックに含まれない検査項目を設け、将来起こりうる生活習慣病などの予防に役立てられるのが特徴。予防医学の切り札として「健康寿命」をのばすと期待されている。
東京都渋谷区の東海大学東京病院は、2006年6月に抗加齢ドックを始めた。検査項目の内容に応じ、12万1800円のAコースと8万8200円のBコース、通常ドックと組み合わせた“簡易版”のCコース(7万9800円)がある。
その上、≪究極100万円コース≫まで紹介されている。アンチエイジングも金がかかるものです。まあ、こちらは若者に迷惑をかける訳じゃあないから、お金持ちのご老体は次のサイトを見て、ご自由にご決断下さい。
 http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/living/122026/

もう一つのサイトは、Lifehacking.jp さん
 
http://lifehacking.jp/2008/04/the-years-are-short/
の「小さな幸せを記録するデバイス」で紹介されている
The Happiness Project http://www.happinessproject.typepad.com/
というサイトで見ることのできる1分間のムービー。
英語の速読の学習にもなる。「小さな幸せを記録するデバイス」の訳文を読んだあとでもトライしてみてはどうでしょう。 前記のサイトを訪問して、右のサイドにある下記をクリックすると、1分間ムービーが見られる。お金は全くいらない。ごうなはこのサイトを知ったことの方がうれしい。

これをクリックするとムービーが見られる。

最後に出る、この言葉もいいですね。年を取るとしみじみそう思う。

The days are long, but the years are short.

(一日は長いが、一年は短い。)

2008年4月25日金曜日

映画「明日への遺言」 2/2回

今年2月25日午前1時台のNHKラジオ第1の【列島インタビュー】で
「今、映画で伝えたいこと」と題したインタビューが小泉堯史監督に対して行われた。聞き手はラジオ深夜便の遠藤ふき子アンカー。この放送は聞かなかったが、これが「ラジオ深夜便 No.94」5月号(NHKサービスセンター)に採録されていたのだ。このなかで1944(昭和19)年生まれの小泉監督が「明日への遺言」について述べていることをいくつかご紹介する。
・この作品の脚本を最初に書いたのは、14、5年前、黒澤明監督の助監督をやっていた頃。黒澤には常々、監督になるなら脚本を書かないとだめ、と言われていた。だから、読んでもらうのが楽しみでせっせと書いた。その中の一つが「明日への遺言」であった。『ながい旅』を読んで岡田中将に魅力を感じたし、「監督ってのは、最前線の司令官だ」と云っていた黒澤監督をもっとよく理解できるのではないか、という思いもあった。
・最初は誰も映画化に賛成しなかった。法廷の場面だけでなく回想場面や家族を描いて広がりをもたせられないか、などと言われたが、原作に添って「法廷の中での岡田中将」をとらえたかった。
・法廷のシーンが中心で動きがなく、しかも、10分近くキャメラを回し続ける場面がほとんどだから、舞台経験のある方がいいと思い、藤田まことさんにお願いした。
・「妻役の富司純子(ふじ・すみこ)さんも、傍聴席で夫の言葉をじっと聴き続けるシーンが多く会話は一切ないのですが、表情だけで妻の心を見事に表現してくださいました。」※
・台詞(せりふ)についても、できるだけ原作を生かして恣意的(しいてき)に作ることは極力しないようにした。英語の台詞もアメリカから取り寄せた公文書に全部照合したうえで書いた。原作もアメリカの公文書をもとに書かれているから。大岡昇平の原作は「事実が自分で歌う」ことを願っている。
※獄中からの手紙にこう書かれている。[ ]内は引用者注。「温子(はるこ)[中将の妻]連日法廷の傍聴御苦労である、話すことは規定が許さんが、私にはそなたの顔の表情の変化を見れば、其の意味は十分に通ずる。笑を交換する丈で結構々々。純子さん[玉川学園長小原国芳の次女。中将の長男陽(あきら)の妻]の御手紙にも、同じ意味のことを書いてあった。それでよい筈。」(原作。p151)

先回書き忘れていたのでここに書いておく。岡田中将を含む東海軍の公判は、1948年5月14日正午をもって結審した。3月8日の開始以来68日間であった。3月19日判決があったことは前述のとおりである。
岡田中将は、判決後も19名の部下の減刑請願や刑務所内の待遇改善に努めた。重労働終身刑の大西一大佐が1958年5月31日釈放されたのを最後に、それ以前に全員が釈放になっている。(B・C級戦犯はこの日をもって全員が釈放された。)

映画に戻る。「明日への遺言」のなかで2カ所、部下たちが小学唱歌「故郷」を歌う場面がある。
この映画が全国公開された際に配られた新聞紙大の紙の表裏に印刷した宣伝紙を、映画館で手渡された。13人の著名人と5人の一般人の、おそらく公開に先立つ試写会の感想が載せられている。そのなかで角淳一(毎日放送「ちちんぷいぷい」パーソナリティ と書かれているが、どんな番組か、どんな司会ぶりか、わたしは知らない)という人がこう書いている。

「故郷」をこんなに凄い歌だとは思わなかった。死を前にした男たちが唄うこの歌は祖国への賛歌であり、国歌でもある。こんなB級戦犯裁判があったことに驚きと感動を覚える。

原作にはない、この唱歌の場面を入れたのは、小泉監督だったのであろうか。前述のインタビュー記事のなかにはふれられていないので、わからない。
この歌について、ごうなは昨年の4月にこのブログでとりあげた。そこでも書いたように、この唱歌が尋常小学校第六学年用として世に出たのは、1914(大正3)年6月である。とっくに陸士を卒業し、この年の12月には鳥取の歩兵第40聯隊附の歩兵中尉となっていたのだから、小学校でこの歌を習ってはいない。むろん、聞いたり、あるいは歌った可能性はありうる。
『ながい旅』から引用する。
 岡田家は代々鳥取藩の藩医で、家が城に近い江崎町にあったのを、長女達子さんは憶えておられる。祖父乙松、祖母志可は夫婦養子であった。乙松氏は家業を継がず、鳥取地裁事務官の職を選んだ。京城の任地で没したのは、岡田資十七歳の時という。
中将は明治二十三年四月十四日生で、十七歳は数え年だから、明治三十九年となる。四十一年、陸軍士官学校へ入学されたのは、中学の成績がよく、軍人が志望だったからであるが、父の早逝に会って、士官学校が学費官給のためでもあったろう。軍人として特に縁故的背景はなく、刻苦して経歴を開かれた方である。(p.12)

岡田家があったという江崎町には、ごうなも数年暮らしたことがあるが、城山である久松山(きゅうしょうざん)の近くでその姿が大きく見える。また、中将の通った鳥取中学(現在の鳥取西高の前身)は、久松山下、三の丸跡にあった。だから、中将が「故郷」を聞いたり、歌ったりしたことがあったとすれば、「山」は久松山、「川」は袋川を思い浮かべたに違いなかろう。

岡田資中将が日蓮宗の信者であったことはすでに記した。大岡昇平は次のように書いている。
 二十一歳、士官学校生の頃、通りすがりの辻説教に興味を持ったのが、きっかけであった……この頃、軍人には、強く国家意識を持った日蓮宗に共鳴する者が多かった。しかし岡田中将には、狂信的熱狂はみられない。むしろ哲学的瞑想的なものである。死生観において、軍人勅諭五カ条であき足らず、法華経に支えを求めたことに、関心を持ったのであった。(p.201)

当時スガモ・プリズンに教誨師として有名な花山信勝師がいた。ひところ、その著書が評判になったことを覚えている。しかし、中将は彼とは意見が合わず、ことごとに対立したという。「罪を認め、ただ仏の慈悲にすがって南無阿弥陀仏を唱えてあの世へ行けばよい、との花山師の教えでは、死刑囚の荒ぶる心はなかなかおさまらないのであった。」(原作、P.207)

最後に付言する。この映画に感動された方は、ぜひ大岡昇平の『ながい旅』をお読みになってほしい。収録されている岡田中将の手紙、特に、死刑執行前日の1949年9月16日、家族に宛てた遺書を読んでいただきたい。中将の優しい心に接することができる。

◇文庫本は新潮文庫と角川文庫があるが、後者の方が入手しやすいと思う。
ごうなのおすすめ本棚 1


ながい旅 (角川文庫 お 1-2)

2008年4月24日木曜日

映画「明日への遺言」1/2回

13日(日曜日)の朝、有門橋から若桜橋まで袋川沿いの桜土手を、葉桜になりはじめた花を眺めながらのんびり歩いて、駅前商店街の〈鳥取シネマ〉に着いたのが上映10分前の午前9時50分。
この映画は3月1日より全国公開されたが、主人公の元陸軍中将岡田資(おかだ・たすく)の出身地、鳥取市では40日ばかり遅れて、12日からの上映となった。映画の始まる前に観客を数えてみると、50人弱程度で、女性が半数近くいたのは意外だった。
上映時間1時間50分の90%以上が法廷の場面である、異例とも言うべき映画が最後まで観客の心をはなさないところが、この映画の持つ力だろう。

太平洋戦争末期、1944(昭和19)年12月13日以降翌年の7月26日までに、名古屋はB29による38回の空襲を受けた。飛来機数は1,973機、被害は死者8,152、負傷者10,950、罹災者519,205人に及んだ。岡田中将は空襲の始まる前年末に東海軍需監理部長として名古屋へ来ていたが、敗戦の年の2月に東海軍管区司令官兼第十三方面軍司令官となった。
戦後、前述の空襲時に撃墜された機から落下傘で降下し、捕らえられた搭乗員、27名を正式の審理を行わず斬首して殺害した、として岡田中将以下20名の元軍人がB、C級戦犯として裁かれることになる。
岡田元中将がいわゆるスガモ・プリズン、巣鴨拘置所に収監されたのは1946(昭和21)年9月21日である。横浜法廷での審理開始が1948年3月8日になったのは、裁判の重点がA級戦犯に置かれていたからだ。

岡田中将は敗戦後自らが戦犯として裁かれることを覚悟しており、その法廷を最後の戦いの場とすることを決意していた。
1.米軍の爆撃は軍需施設の破壊をねらったものではなく、一般住民を殺戮する無差別爆撃であり国際法にもとるものだ(広島、長崎への原爆投下はその際たるものである)。従って、かかる無法を行った米兵は捕虜ではなく戦犯として処刑した。
2.これらの米兵を処刑した一切の責任は自分にある。
彼はこの2点を基本にして法廷に臨もうとしていた。陸軍士官学校時代に日蓮宗に帰依していた彼は、この法廷でのたたかいを「法戦」と呼んだ。

1948(昭和23)年1月、横浜裁判所で始まった裁判で彼はその「法戦」を戦い抜いた。同年5月19日、絞首刑の判決を受けた。映画にもあったが、判決後ただちに両手に手錠をかけられた彼は、傍聴席の前を通るとき妻の顔を見ながら「本望である」と言う。実際にそう言ったと記録されている。

19名の部下達は全員、死刑にはならなかった。この結果も岡田の願った通りとなった。彼は、刑務所内で若い部下たちの精神的支柱でありつづけた。
1949(昭和24)年9月17日午前0時30分、岡田資は刑死した。
(軍人にとって絞首刑は加辱刑である。しかし、占領軍最高司令官マッカーサーは最後まで銃殺刑を裁可しなかった。)

映画「明日への遺言(あしたへのゆいごん)」は、大岡昇平の『ながい旅』(注1)を映画化したものである。映画の原作というと小説と思われがちだが、むろん違う。ドキュメンタリーというべきだろう。大岡昇平は[後記]のなかで次のように言っている。
……岡田資の名を知ったのは昭和四十年……四十三年以来、作品にすることを考えた。……公判以来三十年経って、アメリカ国立公文書館所蔵の裁判記録が公開され……その実情が記録として判然と姿をあらわして来たのである。一部の人々に知られていたことだったが、これは戦後三十六年、米公文書の公開なしにはないことだった。「ながい旅」という題名には、それまでの時間を含んでいるつもりである。(pp.236-237)
―――――――――――――――――――
昨日ここまで書いていて、外出したところ、偶然、この映画の監督、小泉堯史(こいずみ・たかし)へのインタビュー記事を目にした。そこでとりあえずここまでを公開して、映画についての部分を明日公開したい。

(注1)大岡昇平『ながい旅』 新潮社 1982年5月15日

2008年4月15日火曜日

花は盛りに……

花は盛りに、月はくまなきをのみ見るものかは。



昔、高校時代に習った徒然草一三七段、書き出しの一文だ。別にこの言葉に従ったわけではないが、満開の声を聞いてから、「花見」が「鼻見」になるのを恐れて、一週間ばかり外出しなかった。葉桜になりつつあるが、花はまだまだ残っている。





2008年4月11日金曜日

追悼 毛利彰さん

 イラストレーターの毛利彰(もうり・あきら)さんが、一昨日の早朝、鳥取市内の病院で亡くなったという。今朝の朝日新聞の訃報欄で知った。
鳥取西高では一年下級で、親しくしてはいなかったが、3,4年前であったか、弥生町のバー〈貝〉で二,三度お目にかかったことがある(一度は奥さんと一緒だった)。ネットで見ると住所が市内の相生町になっているから、鳥取に帰ってきていたんだ。ちっとも知らなかった。
ご冥福をお祈りします。

2008年4月10日木曜日

A6手帳あれこれ(3)

4.もう一度スリム化したA6手帳について書く。

カヴァは左右にポケットのあるもの。新潮文庫のYonda? キャンペーン(だったかな?)で文庫本のカヴァにある三角形のマークを何枚か送って頂戴したものだ。色は真っ黒で、丈夫なしおりがついているのも気に入っている。

左右のポケットを利用した遊び紙を数ページずつ作ることができるので、クリアブックは不必要だが、邪魔にならないから一応組み込んでいる。



5.文庫本の日記帳も、新潮文庫、ちくま文庫などがあるが、A6手帳にどうしてもスケジュール欄が欲しい人には、ちくま文庫がいいかも。

月間だけでいいひとは、1ページ4区分された日記用のページを日付を無視、A6手帳として使用できる。日記欄が終わったら、A6手帳を併用すればいい。文庫の方を予定やスケジュール・プラン、ToDoなどに使うのであればむろん、、最初から併用できる。

それにしても(余計なことだが)ほぼ日手帳はどうしてほとんどの文庫本のように、コーティングした紙のカヴァを付けないのだろう? 背には年号だけ印刷してあればいい。使い終わったあと、他の文庫本などと本棚に並べることもできるのに。多くの人は自分でカヴァを作っているんだろうなあ。



6.そうそう、手帳に付いてるペン差しのことだが、アレは要らないと思う。常に手帳を携帯しているような人が筆記用具の1本も携帯していないなんて、考えられない。こだわりのペンを持っている人も少なくないだろうし、ペン差しにあわせてペンを買うなんてばかげている。

もっともペン差しにこだわっている人もいる。

日垣 隆『知的ストレッチ入門』(大和書房 2006年)のなかで、著者は、バーチカル・スケジュール手帳として、能率手帳の「キャレルA6」と高橋書店の「リシェル3」について5項目の比較を行い、後者に軍配をあげている。その項目のひとつが、ペン差しの有無で、むろん、後者にはある(pp.207-208)。



7.ごうなのA6手帳にA6ノートがもう1冊入っているのは、外国語の単語帳である。元来ごうなが愛用しているのは、名刺判のカードである。外国語の単語を覚えるには、その単語を含む短文を学習するのが一番だと思っているから。外国語学習なんて自慢しているのではない。アンチ・ボケリングのためだ。そうはいっても、喫茶店などで前期高齢者末期の老人が単語カードをくりながらもぐもぐ口を動かしているのは、どうもね。

そこで、このA6ノートが役に立つ。ノートの2ページをそれぞれ4等分し、左ページに外国語(英語でなくてもいいぞ! アンチ・ボケリング! アンチ・・・・・!)を、右ページに日本語や、語形変化などを記入する。(左にラテン語、右に英語なんて、カッコいい)

ちょうどいい本がある。もう一度英語学習をしょうという社会人向きの本だが、この本のページを写真で見ていただくのが早かろう。



どうです。これなら、コーヒーを飲みながら(いや、飲むのも忘れて! これも、カッコいい!!)ぶつぶつ、もぐもぐ口を動かしても、「黙読もできん老人が文庫本をぶつぶつ声に出して読んどるわい」という光景ではないか。



8.最後に、もうひとつ。この愛すべきA6手帳は、やはりポケットよりバッグの中に入れておくのがいい。そこで名刺型カードを常にポケットに入れておく。カードは片面印刷の広告紙を名刺型に切断したものだ。このカードのケースがいい。1972年に king が 発売を始めたもの。写真でお見せしてもいいが現在は発売されていないだろうからやめておく。素材はごうなには分からないが、プラスチックみたいなもの。片面は名刺より縦横が数㎜小さい窓で、この窓から顔を出しているカードにメモなどを書き付ける。裏側にもカードを親指で出し入れするための、ずっと小さい窓があるが、この長方形のケースの一方の短辺が取り外しできて、カードの出し入れは簡単にできる。これさえあれば、立ったままでも、机などなくても、さっとメモを書き付けることができる。

東大教授で天文学の泰斗であった堀源一郎先生が、この廃物利用の広告紙裏利用カードの用途を20項目挙げている。( 『書斎の小道具たち』 情報センター出版局 1982年 pp.149-152)

これとペンさえあれば、いつでもメモが書けるし、固いカードでなく、広告紙を使ったカードは、ケースを横長に持って記録すれば、そのままA6手帳に貼り付けることができる。その上赤や黄色のカラフルなぺーじになる。高級な革製のジョッタなどは要りません。

このケースは、もはや入手できないだろうが、広告紙利用のカードはどんどん作って、名刺入れに入れておけばいい。お金のある方は、ぺらぺらのカードのほうがおすすめだ。                     

もちろん、名刺カードケースにはペンホルダーはついていないから、必ずポケットにペンをお忘れなく。ごうなは「前・後期高齢者」用改良型(!?)腰リールにキーとゼブラのペンポッドだけは付けているので大丈夫。最大の問題点は酔っぱらったときなんだよなあ、



9.これで今回の「手帳あれこれ」を終わるが、もう一つおまけに、もう一冊、ご紹介しておく。高島俊男『座右の名文 ぼくの好きな十人の文章家』の、斎藤茂吉の項に、[執拗なる手帳魔―「手帳の記」]なる好文章がある。



さらにもう一つ、Moleskine Pocket Ruled Notebook を使って【「全てを手帳に記録する」、ユビキタス・キャプチャーの実践】という文章を載せた堀E.正岳さんのサイトをご紹介しておく。

 http://lifehacking.jp/2007/04/ubiquitous-capture-habit/



2008年4月9日水曜日

A6手帳あれこれ(2)

 奥野宜之さんは、序文のなかで、「自分の開発した方式は(その人にとって)必ず最高」なのだから、「自分流にアレンジする方がいい」とのべている。わたしの場合、今使用している手帳にせよ、第2A6手帳にせよ、奥野さんの手帳とどこが違うのか? ご参考になるかどうかは分からないが、「ごうな流」を述べるのがこのブログの目的であり、少しでも読者のお役に立つことができれば、うれしい。

1.コンピュータの普及とともに、いろいろな文書がA4を中心に作られるようになってきている。あの「超」の字を流行らせ、やたらと「超」を付けた品のない題名の書籍を氾濫させた野口悠紀夫先生の、またまた「超」の付いた整理手帳は、すべてA4を基本とした用紙を折りたたんだものである。さまざまな+αの用紙もA4である。
奥野さんもA版用紙に印刷したものを切ったり折ったりして、スケジュール表などをA6手帳に補充している。【自己実現寺】さんのサイトで知った【こどらん】さんのノート術も同様だ。
【自己実現寺】さんはA6で統一するために「能率手帳キャレルA6バーチカル2を使用し始めた」と書いていらっしゃるが、A6のCampusノートは(先回書いたように)キャレルのカヴァに差し込んでご使用なのだろうか?

2.わたしの場合、シート類を印刷して補充するようなことはしない。ごうなは元来横着者。そのうえ、70代半ばになろうかという歳になれば、スケジュール表なんてものは不用になる。ウェブ上のスケジュール表やいくつかのリマインダーも試みたが、記入することがほとんどない。宝の持ち腐れである。
A6以下の大きさの年間カレンダーが1枚あればいい。記憶すべき予定がある日はマーカーでその日付をチェックしておく。その日の予定の内容、日時、場所などは、付箋紙に書いて手帳のしかるべき場所に張っておくだけでいい。その日になったら、関係のある付箋紙だけをA6手帳の記入欄の近辺に移動させる。記録の一部とする場合は、付箋紙そのものも記事の一部として、剥がれないようにさらに糊付けしておけばいい。

3.しかし、何でもかでもみなA6手帳に張ってしまうことはしない。A6手帳はどんなにふくれても少し厚めの文庫本を携帯している、といった感じがいい。文字どおり 「all-in-one 」にしなくてもいいと思う。
ごうなの場合、切り抜きの台紙となるB5の用紙(26穴のバインダーにも納められる)も、山根式袋ファイルもまだわんさと(!?)あるので、使わないのはもったいない。
肝心なことは、そういう切り抜きや資料の所在がA6手帳や、コンピュータによる検索で、素早く、かつ正確に分かるようにしておくことだ。何でもかでも小さな手帳の中に、というのはかえって、手間と時間がかかるのではあるまいか。手帳の利便性は、保存した資料の場所を即座にその場でメモする点にあると思う。[検索→手帳→資料]あるいは[検索→資料]、そのいずれの場合があってもいいだろう。小さなものは直接手帳に貼り付けて保存すればいい。大きなものは縮小コピーをしたり、折りたたんだりするのは手間暇かかって面倒だ。

むろん、別の場所に置く資料を分類したりすると大変だ。山根方式も、押し出し方式も越えた「超」整理方式を確立(?)しなければならない。
このことについては、もう少し試行錯誤した上で、ご報告する。いずれにしても、コンピュータによる検索のおかで可能になったわけで、そのへんの工夫ももう少し検討してみたい。
ということで、そろそろ今のA6手帳から第2A6手帳にスリム化しようと思っている。(続く)
【自己実現寺】http://mugenmirai.livedoor.biz/archives/51496973.html
【cafe こどらん】http://blog.livedoor.jp/codran/archives/50684232.html






2008年4月5日土曜日

A6手帳あれこれ(1)

◇◇改めて考えてみるほどのことでもないが、ごうなの手帳歴も40年を越えている。
浮気性かも知れない。名のある手帳はほとんどみな一度は手にしている。既製品だけでなくこの世に一つしかない独自の24時間手帳(5分刻み、ワレット型。1か月分1冊)を印刷所に注文して、十数年使っていたこともある。
今は、この間のブログに書いたように、文庫版のノートを使っている。
この手帳を何と呼べばいいだろうか。『情報は1冊のノートにまとめなさい』の表紙には 万能「情報整理ノート」と書いてあり、序文の中で著者の奥野宜之さんは「100円ノート式」と呼んでおく、と書いている。ここでは【自己実現寺】さんが書いているように、A6手帳と呼ぶことにする。

ごうながA6ノートを使うようになったのは、ほぼ日手帳が最初だ。3か月ほどは、日記帳風に使っていたが、いつの間にか日付や時間軸をまったく無視して、メモだけをどんどん書いていった。ボールペンはもとより、万年筆でもとても書きやすい、あの紙質はピカイチだった。あの紙で横罫だけのシンプルなノートを作ってくれれば直ぐに飛びつくのだが。
紙質を別にして、大きめの文字でどんどんメモを書いていくのにA6の大きさがぴったりで、満足した。文字だけではない。簡単な図なども書くことができる。はがきや文庫本の大きさに慣れ親しんでいるせいかもしれない。
ポケットにはやや大きいかもしれないが、老眼鏡や携帯電話などを持てば、小さいショールダーバッグくらいは必携だからかまわない。

◇◇A6手帳は、今のところコクヨ Campus のAかBだろう。老眼のごうなは罫が[7㎜×18行/48枚]のAを使っている。無印良品の[ノート・6㎜横罫/32枚]は、表紙がしっかりしているし、値段もCampusの半分強だ。100円ショップの製品も悪くない。
「どんどん、なんでもメモってやろう」と、ど~んとまとめ買いするのもいいだろう。

◇◇ A6手帳をそのままポケットに入れても、むろん、かまわない。1冊使い切るのに何か月も要することはないだろう。ちゃちな表紙であっても、手帳がぼろぼろになるなんて、考えられないもの。

◇◇A6手帳だけでなく、[+α]ということになれば、カヴァが必要になる。使い方はいろいろ工夫できるだろう。以下は「ごうな流」だ。

◇◇現在、ほぼ日手帳のカヴァを使っている。名刺やカードなどを入れるポケットと、2本のしおりを活用したいからだ。左右のポケットが2重になっているのも便利だし、カヴァの外側の左に大きなポケットがあるのも有難い。ただ邪魔になるペン差しははずした。このことについてはあとで触れる。

◇◇A6手帳だが、そのまま差し込んで使うにはカヴァが大きすぎる。まず第2A6手帳を作る。
カヴァは何でもいいのだが、2003年に使った能率手帳キャレル(Carell)のそれがぴったりだったので活用した。左右のポケットの深さがたっぷりあるのもいい。さらに、A6手帳の2ページ分のやや厚めの紙を2~3枚ずつ重ねて二つ折りにして左右のポケットに差し込めば、手帳の前後に、4~6ぺーじの遊び紙ができる。ここには、付箋紙を何枚か貼り付けたり、たとえばコレクトの透明ポケット(大きさは名刺判前後のものがいろいろある)などを貼り付ければ何かと便利だろう。
これで立派なA6手帳が出来た。

◇◇現在のごうな流手帳は、すでに述べたように、この第2A6手帳の左表紙をほぼ日手帳の左ポケットに差し込み、右ポケットにはコレクトのA6クリアブックともう1冊のA6手帳の右表紙を差し込んで使っている。

◇◇ わたしにとっては、あくまでも第2A6手帳が本命である。もしクリアブックがどうしても必要ならば、同じコレクトのB7が使えるし、同じA6手帳を3冊バインドすることも可能だ。
(次回では、『情報は1冊のノートに……』についての意見も述べたいと思う。)


2008年4月3日木曜日

満開近し

昨日の午後5時頃の写真。(4月4日鳥取市にも満開宣言が出た。)





今朝9時過ぎの写真。対岸(左岸)にも、所々に桜の木がある。3枚目の写真は午前11時頃。







2008年3月31日月曜日

さくら咲く

中1の孫が今日ケータイで撮った写真。袋川の土手のさくら。もうこんなに咲いたのかと驚く。鹿野街道に通ずる鹿野橋の近くだという。じいじいは脱帽。











2008年3月29日土曜日

よくやった、八頭高チーム!!

甲子園での選抜高校野球大会第8日目の第3試合は、午後2時前、東洋大姫路の先攻で始まった。
八頭高の平木投手は、被安打9であったが今日も四死球ゼロのねばり強い投球で失点1の好投をし、他の選手たちもノーエラーの堅実な守りで平木を助けた。
相手の佐藤投手は初回の第一打者にいきなりデッドボールを与えるなど、四死球は5であったが、次第に調子を上げ、与えたヒットは2本と好投した。
結果は0対1で敗北であったが、よくやったと心からの拍手を送りたい。あこがれの甲子園での喜びと悔しさの体験を活かし、夏の大会へ向かってさらに精進して欲しい。県内の各チームにもいい刺激と激励を与えたと思う。
先回同様、詳しい経過は次のアドレスで。http://mainichi.jp/senbatsu/08/graph/08-3/
  ――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
鳥取市でも、桜の開花宣言が出された。基準木は久松山下の堀端にあるソメイヨシノだが、写真は袋川沿いの土手の桜。(午後4時)


2008年3月28日金曜日

2008年3月25日火曜日

あっぱれ、鳥取県立八頭高校!!

選抜高校野球第4日目。選抜初出場の八頭高が栃木の宇都宮南高1A対0で見事、初戦に勝利した。両校とも県立の高校であり、チームカラーも似ていると言われていた。
1対0のスコアと、ヒット数、八頭6、宇都宮3という数字を見れば貧打戦という見方をする人もあろうが、そうではない。
第1に、エラーは、宇都宮に1だけ。両チームともヒットになってもおかしくない当たりを好捕するファインプレーがあった。第2に、タイプの違う両投手の好投があった。
八頭の平木良典投手は、投球数が9回を投げきって79球であった。
両チームのきびきびしたプレーに試合時間も1時間30分を切り、今大会最短であった。
いつまで続くサイトか分からないが、次のアドレスで試合の詳しいデータが見られる。
 http://mainichi.jp/senbatsu/08/graph/04-2/

八頭高の次の相手は、優勝候補の一つとされている兵庫の東洋大姫路だ。恐れることはない。今日のように堂々と戦ってもらいたい。
自らの母校でもある八頭高の小椋孝昭校長は、今月末で定年退職する。このチームの大会での活躍は大きな餞(はなむけ)のひとつと言えよう。
…………………………………………………………
◇袋川の土手の桜のつぼみ:今日の午前9時頃。


2008年3月22日土曜日

ごうなのおすすめ本棚

表紙の多くを表示できないのが残念ですが、丸元淑生さんの著書を中心にご紹介します。

http://booklog.jp/users/gauna57

◇追記:今日気づいたのだが、去年腰リールのことを書いたとき、お世話になり、その上コメントまで頂戴したブログ【自己実現寺】さんが、3月12日に、奥野宣之『情報は1冊のノートにまとめなさい』をとりあげていた。http://mugenmirai.livedoor.biz/archives/51484756.html

「ばいぼーさん」というブログが18日にコメントしていたと、驚いたのだが、それよりも6日も早いではないか。
しかも、早速、A6のノートを買って実践をはじめている。
今後、どんな工夫や改善が提案されるか、楽しみだ。

ごうなも昨日書いたように、いろいろ工夫してみるつもりだ。

2008年3月21日金曜日

日本一場所がわからない県

昨夜7時半から1時間15分にわたって、NHKテレビ総合で、さまざまなランキングの最下位とされた地域の住民たちが、ワースト脱出のために奮闘するシリーズの最終回が放映された。
「日本一場所がわからない県」の島根県は、同県を舞台とした人気漫画や4月から始まるNHKの朝ドラに出演する女優の三倉茉奈・佳奈、落語家の林家木久扇らの協力によりPR作戦を展開する。

ところが、PRに来ていた女性アナが掲げるプラカードには「島根県は鳥取県の左側です」と書かれているではないか! 鳥取県はワースト5位だよ!!
これじゃ目くそが鼻くそに頼っているようなものじゃないか!!! 

先月末のブログ「地名の誤り」でも書いた通りだ。

遠くは、東京なんぞ草ぼうぼうの荒れ地だった時代、陰暦で10月を神無月(かみなづき)というのは、この月、日本中の神々が出雲大社に集まるからで、こちらでは神有月(かみありづき)というとか、大きな袋を肩にかけた大国主命が出雲の国から因幡へやってきたときに丸裸にされた白兎を助けてやったとか、歌舞伎芝居の祖は出雲の阿国であるとか……
明治時代、ラフカディオ・ハーンが松江の武家の娘と結婚し、新婚旅行に鳥取へもやって来たとか……
最も近くは、石見銀山が世界遺産になったとか……

な~ンも知ちゃいない連中がわんさといるんだから。
悲しむことはない。知る人ぞ知るでいきましょう。

奥野宣之『情報は1冊のノートにまとめなさい』Nanaブックス


月曜日(3月17日)の午後、久しぶりに〈cosmo〉へ行った。類書の書棚に一冊だけあったこの本のタイトルが目に飛び込んできた。目次と本文をぱらぱらと見て、直ぐに買った。そのあと(因幡宿〉へ寄って飲んだものだから読まなかったが、内容はほぼ理解できていた。
翌日一気に読了。

・1章 情報を1冊にするメリット(活用・手間・継続性・携帯性・コスト・検索性)
・2章 情報を一元化する技術(メモ術・スクラップ術・切り張り術)
・3章 時間管理術(自作スケジュールシート・予定・記録・日記)
・4章 断片メモの保存法(基礎データ・アルバム・スクラップ術)
・5章 メモを活かすアイデア術(発想カード・ひとりブレスト・マインドマップ)
・6章 分類しない検索術(タグ検索・キーワード検索・携帯検索)

私が現在やっていること、やろうとしていることが全部述べられている。
基本は二つだ。
1)メモは、紙に書き付けるのが一番。
2)パソコンで索引を作り、検索機能を活用する。
若い著者が既にこのシステムを作り、活用していることに敬意を表したい。
私も手帳は100円ないし50円程度の文庫版にしている。あと、半年ばかり実践したら、このブログで報告したい。

なぜ、この本の広告に気づかなかったのだろうと思い、奥付を見たら、
2008年3月20日  初版第1刷発行
になっている。
それでも、18日の火曜日に検索したところ、紹介しているブログがすでにあった。恐れ入谷の鬼子母神だ。(古すぎるか? ) 「ばいぼーさん」というブログだ。
http://bibo-san.cocolog-nifty.com/blog/2008/03/post_e260.html

2008年3月17日月曜日

このブログを携帯電話で読む

いつもお世話になっているクリボウさんのサイトで、ブログを携帯電話でも読くことを可能にする方法を教わった。  http://www.kuribo.info/

Google Mobile Proxy (http://www.google.com/gwt/n)へ行くと、非常にシンプルな画面が現る。

[Enter a URL]の窓に自分のサイトのアドレスを入れ、[go]ボタンを押下すれば、たちどころに、自分のブログを携帯で読みやすいように変換してくれるのだ。

携帯では、このブログの場合、らむぶらー で検索していただけばこのサイトが現れます。「お気に入り」に登録していただけば、携帯で簡単にお読みいただけます。お試し下さい。

なお、携帯でGmail を使っていない方は、次のアドレス http://gmail.com を入力し登録してください。
Gmail は無料です。

2008年3月11日火曜日

自然の作った傑作!?

昨日の午後4時半を過ぎた頃であったろうか、〈ニューオリンズ〉へ行った。

いつものように窓際の席に座って、晴わたった空を眺めたり、手帳を出してメモを記入したりしながらコーヒーを飲む。

ふと、顔を上げた。正面の壁を見て驚いた!



店の名前で分かるように、マスターはジャズ狂である。

階段を上がった正面の厚い硝子のドアと、今いる席の横の大きな窓硝子には、若い頃の Sonny Rollins がサックスを吹いている横顔と、その下に店名のNew Orleans の英文字が描かれている。



ふと、顔を上げたとき、いつもは何もない正面の壁にその横顔と英文字が描かれているではないか! 

西に傾いた日の光がつくった壁画だった!(写真1)



自然の作った「傑作」なら、ここにもあるよ、とマスターに言われてカウンターへ行き、また驚いた。

こんな大根って? あるかのかよう!![写真2]

あくまでも一本のダイコンであることを証明するのが、3枚目の写真だ。



この店にはこういう珍品を持ち込む客ばかりではない。男女を問わず、土産を持参したり、生花や人形や美術展で買った絵はがきや、知恵の輪や……、とにかくいろいろなものを持ってくる客が多いのである。



(とうていイケメンとは言い難い?)マスターの名誉のために言っておくが、ここは、コーヒーをはじめとする飲み物、軽食、つまみ……、すべて、すばらしい店である。

では、ごゆっくりと写真を見てください。

写真1





写真2





写真3



2008年3月7日金曜日

追悼 丸元淑生さん

今朝、朝日新聞のお悔やみ欄を見て驚いた。丸元淑生さんが、食道がんで昨日亡くなったという。74歳。生年はごうなと同じだが、早生まれなので今日の時点では一歳年上になる。
無論、お目にかかったことはないが、丸元さんを知ったのは1982年に発行された『丸元淑生のシステム料理学ー男と女のクッキング8章ー』(文春文庫)による。
当時、朝食に、そば粉のパンケーキを作って食べたり、大学時代に一度も行ったことはなかった築地の市場へ、出張で上京した折りに出掛けてみたりしたのも、〈もやし研究会〉の存在を知ったのも、丸元さんの著書を読んだからであった。

本棚を改めて眺めてみると食に関するものだけで、文庫本が5冊(うち2冊は翻訳本)単行本が7冊、ムックが1冊、「超健康! 丸元淑生の家庭料理」というビデオ(VHS4巻セット)などがある。(ビデオは娘にやろうと思っていてそのままになっていたことを思い出した!)

ご冥福をお祈りする。

2008年3月5日水曜日

こりゃ便利! Lynchr

いつもお世話になってる[百式]さんから、便利なものを教えていただいた。
アップした画像にお手軽にメモがつけられる『Lynchr』だ。
 http://www.100shiki.com/archives/2008/03/lynchr.html#trackback
先回のブログに載せた尾崎翠の菩提寺の写真で、山門の名前を刻した石柱の文字がまったく見えないが、次のような文字が刻されている。
ほんとは、うまくいってない。[百式]さんのとこで見られるようになるはずなんです。
とりあえず、この写真をクリックしてください。拡大された画面は上下・左右に移動させてご覧になれます。

2008年2月27日水曜日

地名の誤り

2月22日(金)のNBonline(日経ビジネス)の【書物漂流】欄に、松島駿二郎さんが、「吊革にぶら下がって文学を読もう」と題して、ちくま日本文学の中の3冊を取り上げていた。『寺島修司』『芥川龍之介』と『尾崎翠』である。http://blog.nikkeibp.co.jp/cgi-bin/mt/mt-tb.cgi/161554



この文庫の中で、ドッペルゲンガー(引用者注:すぐ前の文中に【ドイツ語で「同行二人」という意味】と書かれている)という意識がいちばんはっきりと出ているのが「第七官界彷徨」という中編だろう。1931年(昭和6年)に発刊された。その後、翠は故郷の島根県に帰り、ひっそりと隠棲したという。
この引用文の「島根県」は「鳥取県」の誤りだ。

山陰と言っても東西ふたつの県で、どちらが東か西か、分からない人が結構いるし、両県が一つになって、山陰とは島根県あるいは鳥取県だと思っている人も少なくない。



尾崎翠が生まれたのは、現在の鳥取県岩美郡岩美町だ。鳥取砂丘の東隣にあって「山陰の松島」とも言われる浦富海岸を有し、湯かむり唄で知られる岩井温泉も歴史は古い。尾崎翠の誕生の地はこの岩井温泉の地だ。

晩年は鳥取市内でひっそりと暮らした。墓は市内の寺にある。

次のサイトに菩提寺と、墓の写真がある。

 http://www.7th-sense.gr.jp/tottori/tottori_tot000926.html



このサイトで菩提寺、養源寺の「場所は鳥取駅から県庁方向に向かう若狭街道を進み、若狭橋を越えて、アンチックな丸福珈琲店の角を右に入って200メートルぐらい。門の脇に石柱が立っているので、分かりやすいです。お墓は本堂を回り込んで、一番奥。」とあるが「若狭街道」「若狭橋」は「若桜街道」「若桜橋」の誤り。

写真はよく撮れているが、同じ場所を一昨日撮ったものを掲載しておく。

養源寺で思い出したことがある。漱石の『坊つちやん』の最後を引用する。

死ぬ前日おれを呼んで坊つちあん後生だから清が死んだら、坊つちあんの御寺へ埋めて下さい。御墓のなかで坊つちあんの來るのを楽しみに待つて居りますと云つた。だから清の墓は小日向の養源寺にある。










http://blog.nikkeibp.co.jp/cgi-bin/mt/mt-tb.cgi/161554



この文庫の中で、ドッペルゲンガー(引用者注:すぐ前の文中に【ドイツ語で「同行二人」という意味】と書かれている)という意識がいちばんはっきりと出ているのが「第七官界彷徨」という中編だろう。1931年(昭和6年)に発刊された。その後、翠は故郷の島根県に帰り、ひっそりと隠棲したという。
この引用文の「島根県」は「鳥取県」の誤りだ。

山陰と言っても東西ふたつの県で、どちらが東か西か、分からない人が結構いるし、両県が一つになって、山陰とは島根県あるいは鳥取県だと思っている人も少なくない。



尾崎翠が生まれたのは、現在の鳥取県岩美郡岩美町だ。鳥取砂丘の東隣にあって「山陰の松島」とも言われる浦富海岸を有し、湯かむり唄で知られる岩井温泉も歴史は古い。尾崎翠の誕生の地はこの岩井温泉の地だ。

晩年は鳥取市内でひっそりと暮らした。墓は市内の寺にある。

次のサイトに菩提寺と、墓の写真がある。

 http://www.7th-sense.gr.jp/tottori/tottori_tot000926.html



このサイトで菩提寺、養源寺の「場所は鳥取駅から県庁方向に向かう若狭街道を進み、若狭橋を越えて、アンチックな丸福珈琲店の角を右に入って200メートルぐらい。門の脇に石柱が立っているので、分かりやすいです。お墓は本堂を回り込んで、一番奥。」とあるが「若狭街道」「若狭橋」は「若桜街道」「若桜橋」の誤り。

写真はよく撮れているが、同じ場所を一昨日撮ったものを掲載しておく。

養源寺で思い出したことがある。漱石の『坊つちやん』の最後を引用する。

死ぬ前日おれを呼んで坊つちあん後生だから清が死んだら、坊つちあんの御寺へ埋めて下さい。御墓のなかで坊つちあんの來るのを楽しみに待つて居りますと云つた。だから清の墓は小日向の養源寺にある。










http://blog.nikkeibp.co.jp/cgi-bin/mt/mt-tb.cgi/161554



この文庫の中で、ドッペルゲンガー(引用者注:すぐ前の文中に【ドイツ語で「同行二人」という意味】と書かれている)という意識がいちばんはっきりと出ているのが「第七官界彷徨」という中編だろう。1931年(昭和6年)に発刊された。その後、翠は故郷の島根県に帰り、ひっそりと隠棲したという。
この引用文の「島根県」は「鳥取県」の誤りだ。

山陰と言っても東西ふたつの県で、どちらが東か西か、分からない人が結構いるし、両県が一つになって、山陰とは島根県あるいは鳥取県だと思っている人も少なくない。



尾崎翠が生まれたのは、現在の鳥取県岩美郡岩美町だ。鳥取砂丘の東隣にあって「山陰の松島」とも言われる浦富海岸を有し、湯かむり唄で知られる岩井温泉も歴史は古い。尾崎翠の誕生の地はこの岩井温泉の地だ。

晩年は鳥取市内でひっそりと暮らした。墓は市内の寺にある。

次のサイトに菩提寺と、墓の写真がある。

 http://www.7th-sense.gr.jp/tottori/tottori_tot000926.html



このサイトで菩提寺、養源寺の「場所は鳥取駅から県庁方向に向かう若狭街道を進み、若狭橋を越えて、アンチックな丸福珈琲店の角を右に入って200メートルぐらい。門の脇に石柱が立っているので、分かりやすいです。お墓は本堂を回り込んで、一番奥。」とあるが「若狭街道」「若狭橋」は「若桜街道」「若桜橋」の誤り。

写真はよく撮れているが、同じ場所を一昨日撮ったものを掲載しておく。

養源寺で思い出したことがある。漱石の『坊つちやん』の最後を引用する。

死ぬ前日おれを呼んで坊つちあん後生だから清が死んだら、坊つちあんの御寺へ埋めて下さい。御墓のなかで坊つちあんの來るのを楽しみに待つて居りますと云つた。だから清の墓は小日向の養源寺にある。










2008年2月23日土曜日

おすすめ!『語学はやり直せる!』

昨日は思い出話の方へそれてしまい、失礼しました。
黒田龍之助『語学はやり直せる!』に戻ります。
黒田さんの本は以前買ったことはあるが、読み通すことなく、そのまま書棚に休んでいる。しかしこの本は一気に読了した。軽やかな文体のせいもあるのだろうが、何より中身が面白く、有益。中・高生にもおすすめだ。
全体が六つの章にわかれ、各章に10前後の小見出しがある。

第一章 語学がいっぱい 
どの話もおすすめだが、[●マンガを語学に活かす]では、各国語版のマンガ本がいろいろあることをはじめて知った。(時代遅れの年寄りか?)[●字幕で語学を工夫する][●パソコンのキーボードで覚える語学][●多言語なラジオ放送をインターネットで]などでは、それらでいろんな言語が学べることに驚き、あるいは、ごうなは使用していないが、ワープロソフトの Word を使って英語のようなラテン文字以外の文字もいろいろ入力できることをこれまた初めて知った。
第二章 語学を続けるために
[●大切なのはやめないこと][●語学は時間がかかる][●語学は復習が大切] いずれもごもっとも。分かり切ってはいても、じっくりと読んでみてほしい。
第三章 語学の「常識」を疑う
日本国にはびこっている外国語学習の誤った常識が如何に多いか!!
第四章 理想の語学教師を求めて
[●楽しかった先生① 中学時代のK先生][楽しかった先生② 大学時代のC先生]教職志望をもっていない人はこの二つくらいであとは後日読む、でもいいでしょう。
第五章 語学のプロは修業する
この章も今すぐ読まなくてもいいでしょう。
第六章 たとえば英語学習をやめてみる
最初と最後の小見出しは、[●やめるのは一時的][●再び英語学習を見直す]だから、中・高生諸君も驚かないで。この章全体を読んでも得るところがきっとある。

2008年2月22日金曜日

語学はやり直せる!

きのう、夜の町で酒を飲んだので、店の前に放置していた自転車を持ち帰るため駅前まで出掛けた。
いささか酒が残っている感があるので〈New Orleans〉へ行く。コーヒーを飲みながら、前日ほとんど「衝動買い」した本を開く。
黒田龍之助『語学はやり直せる!』角川oneテーマ21
おもしろい!!

第一章 語学がいっぱい
●語学のミステリー
●辞書を引くのがとまらない(計7ページ)
ある朝、著者は邦字新聞を読んでいて「はしか」って英語ではなんだっけ、と辞書を引きはじめる。和英辞典→英和辞典→英語の語源辞典→羅(ラテン語)和辞典→和露辞典→露和辞典→英・チェコ辞典→チェコ・英辞典→英・スロベニア辞典などと続く。
これだけ見ているとちっとも面白くないみたい、と思われそうだが、英語学習者への実益とこの本の文体を知っていただくために、二カ所だけ引用する。

 例文を読む。My(younger)brother caught[come down with](the)
measles.「弟がはしかにかかった」。あたり障りのない、無難な例文である。(p.19)
Love is like (the)measles, all the worse when it comes late in
life.「恋ははしかのようなものだ――人生で遅くやって来るほど始末が悪い」
やっぱり「はしか」は若いうちに済ませておくべきなんだな。もっとも、現代医学では必ずしもそうではないようだけど。(p.20)

ごうなはこの7ページ分だけ読んで「よーし、ただちに家へ帰って、久しぶりにブログでこの本の紹介を書こう」と思った。

いや、もっと正直に言えば「●読書は語学の王道」がはじまっている左のページの中にある
…モームの『人間の絆』[ごうな注:「きずな」というルビあり](原題は
Of Human Bondage)は、はじめて読み上げた英語の長編小説……
という文字列が目に入っていた。

高校時代、偶然に見たアメリカ映画「剃刀の刃」に感銘を受けた。まもなく発刊されたモーム原作の翻訳本(上・下の2冊)を読んだ。はじめてモームという作家を知った。当時、三笠書房が出していたモーム選集の中の2冊であった(1951年6月出版)。
ますます感銘のボルテージが上がり、ついにハードカバーの “The Razor's Edge”(WILLIAM HEINEMANN LTD)を三省堂に発注した。
その本が届いてまもなく、あの1952(昭和27)年4月17日の鳥取大火でわが家も全焼した。なんとか持ち出した本の中にこの本もあった。
荒木又右衛門の墓のある玄忠寺の本堂で大勢が雑魚寝する日々が一ヶ月ほど続いた。大学受験の年だからと同情してくれた住職のご厚意で、友人と二人して借りた6畳間で、翻訳書と辞書を頼りに毎日読み続けた。
その後、同期生のH君の薦めで“Of Human Bondage”を辞書だけでなんとか読破した。

上京して最初の下宿は、『剃刀の刃』を翻訳した齋藤三夫さんも住んでいた新宿区赤城元町であった。
早稲田での二人の教授による最初の英書講読は、中学時代から尊敬していた新渡戸稲造の愛読書、Thomas Carlyle の“SARTOR RESARTUS”(研究社小英文叢書『カーライル 衣裳哲学』)と、高2の秋に読んだモームの『讀書案内―世界文學―』(西川正身訳、岩波新書)の原本“Books and You”だった。

喫茶店の窓から見える久しぶりの青空をぼんやり眺めながら、そんなことを取り留めもなく思い出していた。
飲み残していたコーヒーは、すっかり冷たくなっていた。(明日に続く)




2008年2月20日水曜日

Webにあるフリーの便利物:Backpack

これはメモやいろいろな記録をWeb上に保存できる便利物です。

Lifehacking.jp さんの「Backpack でプロダクティブになる10通りの使用例」をご覧になればどういうことができるか、よくわかります。



     http://lifehacking.jp/2007/05/10-ways-to-be-productive-with-backpack/



【図1】【図2】はノートのページ。いろいろなノートを作ることができます。

【図3】は Writeboard を自分用に Gaunaboard の名称にしていますが、Lifehacking.jp さんが書いているように、

ちょっとしたコラボに: ちょっとしたテキストを離れた場所にいる人でなおしながら作り上げる必要がある場合、Backpack に直結している Writeboard で文書を共有してリアルタイムにかいてゆくことができます。私は共有こそしていませんが、最近のブログの記事は writeboard 上に下書きがたくさん散乱していて、そこから選んで推敲しています。
ごうなも共有していません。

【図4】は、meme memo(み~むめも)です。こちらも Backpack 同様さまざまな使い方のできる便利物です。

好きなだけフォルダを作って、その中に何枚でもカードを書いて、収納できます。こちらも公開できるフォルダを作ることもできるし、なかなかカラフルで楽しいですよ。直接訪問してみてください。

http://www.memememo.com/



【図1】







【図2】







【図3】







【図4】



2008年2月19日火曜日

ラジオで聞いた話

(1)17日の日曜日。NHKラジオ第1の午前5:30分過ぎの亀井肇さんの[当世キーワード]で、アメリカで始まった Book Crossing というものの存在を知った。早速ネットで検索してみる。
http://www.bookcrossing.com/

日本にも出来ていた。参加を呼びかける文章にこう書いてある。
本を愛する人達のコミュニティー、BookCrossing(ブッククロッシング)へようこそ!
BookCrossing(ブッククロッシング)とは、本を愛する人たちによる「本に世界を旅させる」活動です。

読み終わった本に、BCID番号を記入したステッカーを本に貼り、友達に渡したり、ベンチにおいてきたり、カフェに忘れてきたりします。
本を手にした人が、本に書かれているBCID番号をBookCrossing.jpのウェブサイトで検索すると、どんな旅をしてきたかが分かります。
現在位置や本の感想(ジャーナル)をウェブサイトで報告して、また本を世界に解き放つ。 そして、本は旅を続けていく…。

アメリカで始まったブッククロッシング。
2007年7月現在、登録本数は全世界で4百万冊を超え、本好きの会員から放たれた本が日本全国、世界中を旅しています。

読み終わった本を、そのまま本棚にならべておくよりも、
ブッククロッシングで旅立たせてみませんか?

なお、BookCrossingに参加して楽しんでいただくためにお金はかかりません。
アメリカを中心に50万人が参加していると聞いたが、日本会員は2/18現在2013名の由。参加ご希望の方は下記へどうぞ。
 http://bookcrossing.jp/

(2)今日の同じくNHK[きょうも元気で!わくわくラジオ]の午前10時台。村上信夫アナによる[ときめきインタビュー]は「バレエも人生も前向きに」と題して、バレリーナの森下洋子さんだった。全体がすばらしい、感動的なインタビューであったが、一つだけご紹介する。

森下さんは広島の出身である。彼女の祖母は被爆して全身にやけどをした。死者として多くの死体の間に置かれていて息を吹き返したのだ。「わたしゃ、生きている内に念仏をあげてもらってるんじゃから」と言いながら明るく生きたという。
被爆の跡を隠そうともせず平気で銭湯へも行ったそうだ。被爆を嘆くことも、恨むこともなく、常に明るく前向きに生きた祖母の姿を見ながら、森下さんは世界的バレリーナへの道を一筋に歩んできたという。

2008年2月17日日曜日

今朝の雪

雪は現在も降っているが、鳥取(旧)市内ではこの冬最大の積雪だと思う。

そこで、ケータイで初めて撮影してみた。この写真では分からないが雪は降りつつある。

市内吉成のアメダスによると、撮影した午前9時の

積雪深は28センチ。

上の写真は、元旦のブログにのせた写真と同じ場所だ。

久松山は降雪のため見えない。

下はこの写真の左側。

(この日の最大積雪深は午後1時、41センチとなった。)







2008年2月16日土曜日

Webにあるフリーの便利物:trunc

Vistaには「サイドバー」と呼ばれるデスクトップアクセサリー機能が付いているそうだが、Google やYahoo! などにもある。時計やカレンダーをはじめ様々なガジェットはたしかに便利だ。

しかし、パソコンを立ち上げるたびに、この種のガジェット類が顔を出すのがわずらわしくなってくるものだ。

今重宝しているのは、ご紹介する trunc だ。必要なときに呼び出せばいい。とくに下図3番目の「ブログ」を愛用している。ご覧のように気になるブログを登録しておく。最新のもののタイトルが5つ並んでいる。全文を読みたければ、クリックするだけでそのブログのサイトに行ける。

もちろん、他にもいろいろなアイテムを追加することができる。

図1



図2



図3



2008年2月15日金曜日

有名人取扱説明書

今日もお遊びのページの紹介です。

次のアドレスへ接続すると、画面が現れます。

http://u.p0k.net/torisetsu/



別に有名人でなくても、人間でなく物でもかまいません。また、「説明書」のほかに、「名前占い」や「たりないもの」も作れます。下の画面は、画面そのものか、ポップアップするSnapShotの中をクリックすれば大きくなります。



2008年1月23日水曜日

網膜剥離と白内障(1)

◆はじめに
昨年来、どうしたものかと迷っていたのだが、ごうなの眼病について書いておくことにする。

小学生時代は身体が大きいほうだったから、教室での席は後ろのほうであった。自分の席から黒板の文字が見にくくなって(むろん、視力検査の結果もあってのことであろうが)近視の眼鏡を使用するようになったのは、中3のときであった。以来眼鏡は持っていたが、かけたりはずしたりの時代がながく続いた。
むろん、加齢にともなって老眼も使用するようになってはきたが、視力の検査は職場での健康診断や、眼鏡が合わなくなって眼鏡店でやってもらうだけであった。

◆突然の発症
青天の霹靂とでもいうべき事態を迎えたのは、還暦を過ぎてからのことでだった。
忘れもしない、1996年のことである。
(以下、過去に書いた文章の一部を引用する。)

 五月の連休も終わる日の昼下がりのことだった。遅い食事を終えて自分の部屋に戻った。畳の上の新聞を取ろうと、立ったまま腰を曲げて手を伸ばしたとたんに、右目の左端からぱっと黒い煙のようなものが吹き出してきた。思わず右手でその目をおおって机の前へ行き、静かに腰を下ろして両目をつむった。
 飛蚊症(ひぶんしょう)といって、蚊というよりも黒い糸屑のようなものが目の前を動きまわることは、何年も前から時々あった。眼科で診察を受けたこともある。だが、今回は違う。痛みはまったくない。
 しばらくすると、その煙は消えた。そっと両眼をあけたみる。だいじょうぶ、目は見える。目の前のものは見えるが、薄いベールでも通してみているように、少しかすんでいる。片目ずつ交互につむってみると、右目で見たときだけ、そんな状態だった。白い紙をじっと見ると、とても小さな黒点が升目を作ったように整然と並んでいるようだ。これは、いったい、どうしたことか。
 今思うとぞっとするが、まことに無知ほど恐ろしいものはない。おまけに、ぼくは根っからの「超」楽天家である。いや、先天的小心性楽天家とでも言うべきだろう。要するに、真実を知るのが怖かったのかもしれない。最近はナポレオンになったみたいに、三四時間も眠ると目が覚めて床を離れてしまう。疲れのせいだろう、と高を括った。悪くても、白内障かなんかの前触れかもしれない。その夜、しっかり飲んで眠りについた。
 翌日……の晩もしっかり飲んで、ぐっすり眠った。次の日、……目の状態は依然として変わらない。〈これは、体のどっかが故障しているのかもしれない。明日こそ、総合病院へいってみよう。〉やっと、決心する。この日はかるく飲んで寝た。


2008年1月12日土曜日

再出発

新年も10日あまり過ぎてしまった。

昨年の入院以来、ほとんどこのブログを書いていない。なんとなく、続ける意欲がなくなってしまっていた。



入院前日に書いたブログ「余計なお世話」の1-3〔このブログを検索〕で、そのすばらしい機能が失われてしまったことをなげいた。「ブロガー」へも不満と要望を送った。

今日ふと、どうなったかなあ、と思って試してみた。元通りになっているではないか! うれしかった。下にその画像を掲載している。ぜひ活用していただきたいと思う。

とは言え、このブログにそんな検索機能があろうとなかろうと、このブログを訪れる人の有無には関係あるまい。でも、ブログを続ける意欲がわいてきた。もう一度出発だ!!



→下の画像をクリックすると文字が大きくなります。

(あるいは、右の検索欄に例えば 有田芳生 と入れて検索してみてください。)





2008年1月1日火曜日

新年のご挨拶

2008年、明けましておめでとうございます。

昨夜遅くから降り始めた雪は、今朝になっても降り続いている。
車の通る音もほとんど聞かれない。静かだ。本当に静かだ。
こんな元日を迎えたのは何年ぶりのことであろうか。

年賀に来た二人の孫は、新春を祝う席についていた時間をのぞけば、外にとびだして、子犬のように喜々として遊んでいる。

アメダス(鳥取市吉方)によれば、最大積雪深は、22㎝(11時)、最低気温はマイナス0.3℃(8時)である。
写真はわが家の二階の窓から見た雪景色(午後1時半頃)。山は久松山。

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2007年12月19日水曜日

ご無沙汰しました

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ながらくご無沙汰いたしました。今年も後2週間弱になってしまいました。

退院後、このブログについて「今までのようなことでいいのだろうか」などいろいろ考えています。しかし、「下手な考え休むに似たり」で、ブランクの期間が長くなってしまった。やっぱり初心にかえって、足の向くまま、気の向くまま、のんびりとぶらぶら歩きを楽しむことにする。

とりあえず今日のところは、4コマまんがを楽しんでください。

このマンガにポインタをもっていくと現れる【snap shots】の中をクリックするとマンガ画面と会話の文字も大きくなって読みやすくなります。

こんなマンガを作ってみたい方は下記のサイトへどうぞ。

http://crocro.com/auto4koma/index.cgi

なお、二人の会話をすこし替えたマンガは→http://z.la/bpekm