2010年8月18日水曜日

トランクの中の日本 (1/2回)

あれはいつのことであったか? 正確には思い出せない。後で述べることから、推測すると、1992年か、その翌年のことであったと思われる。
新聞の記事、というより記事とともに掲載されていた一枚の写真に衝撃を受け、心を打たれた。この写真は一昨年の夏、NHK総合テレビでも放映され、多くのブログがとりあげた。

2008年8月7日(木) 午後8時~8時49分、「解かれた封印~米軍カメラマンが見たNAGASAKI~」
(→http://www.nhk.or.jp/special/onair/080807.html)

1995年6月に『トランクの中の日本 米従軍カメラマンの非公式記録』が小学館から発行され、「あの少年に会える」とすぐに買った。

冒頭で推測したのは、この写真集の帯にこう書かれているからだ。
1990年からアメリカで、ついで1992年から日本各地で彼の写真展は開催され、話題を集める。しかし、この夏に予定されていたワシントンのスミソニアン博物館での原爆写真展は、すでに報道されたように在郷軍人の圧力でキャンセルされた。ここにおさめられた57点の写真は、スミソニアンではついに展示されなかった真実の記録である。
さらに同じ帯に「1993年、日本で開かれた写真展で食い入るように写真を見つめる人々。」という説明と写真も載っている。

この写真集は現在でも入手できるので、ここで紹介しておきます。


この写真集に、なぜこのような題名が付けられたのか?
寫眞の撮影者、ジョー・オダネル(Joe O'Donnell)自身の言葉「読者の方々へ」を引用しよう。

私ジョー・オダネルは、アメリカ海兵隊のカメラマンとして、1945年9月2日に佐世保に近い海岸に上陸した。空襲による被害状況を記録する命令を受け、23歳の軍曹だった私は、日本各地を歩くことになった。
私用のカメラも携え、日本の本土を佐世保、福岡から神戸まで、そしてもちろん広島、長崎も含めた50以上の市町村に足をのばした。カメラのレンズを通して、そのとき見た光景の数々が、のちに私の人生を変えてしまうことになろうとは知る由もなかった。
1946年3月、本国に帰還した私は、持ち帰ったネガをトランクに収め、二度と再び開くことはないだろうと思いながら蓋を閉じた。生きていくためにすべてを忘れてしまいたかったのだ。
しかし45年後、戦後の日本各地で目撃した悪夢のような情景からどうしても逃れられないと思うようになった。私はトランクを開けると、湿気からもネズミの害からも奇跡的に無傷だったネガを現像し、写真展を開催した。
この本は私の物語である。私自身の言葉で、私の撮影した写真で、戦争直後の日本で出会った人々の有り様を、荒涼とした被爆地を、被爆者たちの苦しみを語っている。胸をつかれるような寫眞を見ていると、私は否応なく、辛かった1945年当時に引き戻されてしまう。そして、私のこの物語を読んでくださった読者の方々には、なぜひとりの男が、終戦直後の日本行脚を忘却の彼方に押しやることができず、ネガをトランクから取り出してまとめたか、その心情を理解していただけると思う。
1995年4月 ジョー・オダネル

2010年8月3日火曜日

平和な夏は甲子園だ!

平和な夏は甲子園での全国高校野球選手権大会だ。
鳥取県予選では、母校、鳥取西高は初日の第二試合で米子西高に7対2で敗れ、早々と姿を消してしまった。
決勝戦では、昨年城北高校に初の甲子園出場を阻まれた米子北高を、今年も東部の八頭高が4-1で破り、7度目の甲子園を決めた。

8月1日、全国の49代表校が決まった。
昨日、こんなブログを見つけた。
→http://d.hatena.ne.jp/rationality/20100730/1280454982


49代表校の中で初出場は、昨年の半数、6校だ。その中に茨城県代表、水城(すいじょう)高校がある。ブログは、この高校の野球部のことではなく、現校長さんが若かった頃、水戸の定時制・通信制高校で「硬」式野球部を監督、指導なさったときの話だ。

このサイトに多くの人が感想を述べている。感銘を受けたという人もあれば、否定的な声もある。わたしはいい話だと思うから、ご紹介した。

2010年8月1日日曜日

會津八一と戦没学生たち

毎年夏がくると、蝉の声とともにあの戦争の時代を思い出す。子ども時代の体験もあるが、さまざまなメディアがさまざまな視点からあの時代をとりあげるからでもある。

先月28日の夜、NHK-ETVで放映された日曜美術館ー「広目天のまなざし・會津八一と戦没学生が見た奈良の仏」ーを見た。7月18日(日)9:00~9:45に放映されたものの再放送だ。

1943(昭和18)年10月21日午前8時、東京の明治神宮外苑陸上競技場(現・国立競技場)で、文部省主催の「出陣学徒壮行会」が開かれた。
夜来の雨の中、東京及び近県七十七校の学生が制服制帽にゲートルを巻き、剣つき銃を肩にかつぎ、各校の校旗を先頭に行進していく。
東條英機首相、岡部長景文相らの激励を受け、出陣学徒代表が「……生等もとより生還を期さず」と答辞を述べ、観覧席からは各校の校歌が沸き上がり、それらの歌声はいつしか「海ゆかば」「紅(くれない)の血は燃ゆる」の大合唱となり、神宮の杜(もり)にこだました。(『昭和二万日の全記録』講談社などによる)

当時、わたしは国民学校の三年生であったが、大学卒業後、郷里の高校の教壇に立つようになったとき、先輩である同僚のなかには、戦地に向かう大学生としてあの雨中を行進した人、スタンドで雨に濡れた小旗を振りながら涙ながらに歌をうたった女子学生であった人がいたのである。

剣つき銃を肩に雨中行進した学生たちのなかには、当然、早稲田大学の学生たちもいた。
彼らに日本美術を教えていたのが、會津八一(1881年―1956年)であった。


     ↑http://www.nhk.or.jp/nichibi/weekly/2010/0718/index.html

秋艸道人、渾斎の雅号をもち、歌人・書家・美術史家として有名だが、新潟尋常中学校(現県立新潟高等学校)を経て、東京専門学校(早稲田大学の前身)に入学し、坪内逍遙や小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)らの講義を聴講し、1906年早稲田大学英文科卒業。卒業論文にはキーツをとりあげた。1934年、文学博士。1948年、早大名誉教授。戦後は故郷の新潟に在住。(同じ大学学部に学び、卒論に同じキーツを選んだはるか下の後輩として、ただただ、小さくなって平伏するのみである。)


會津八一自身「一回読み切り講義」と称していた美術史の講義は、しばしば、脱線もしたが、最後の決まり文句は「理屈を言わずに、奈良を歩いて来い!」であったという。

前述の学徒出陣の年、昭和十八年の秋、これが最後となる10日間の奈良旅行を行うことになった。會津は半紙を50枚の短冊に切って寺の名前を書いたものを畳に並べて、計画を練った。宿はいつも決まっていて、會津教授の定宿、奈良公園前の「日吉館」だった。



    ↑http://www.nhk.or.jp/nichibi/weekly/2010/0718/index.html

テレビではその旅行に参加した学生の一人、89歳の金田 弘(かなだ・ひろし)さんが登場した。戒壇院四天王像のうち、會津八一に似ているといわれていた廣目天を身近に見たとき、いつでも出征できると思ったという金田さんは、この旅の途中で入隊することになった。別れのあいさつに會津の部屋を訪れたとき、彼はこう言ったという。
君は今でも歌を作っているか。作りたまえ。
良寛や芭蕉も君らの歳では大した歌や句はまったくない。
長生きして実らせよ。井戸水をどんどん汲み出したあとで、本当の地下水が現れる。
命を無駄にするな。学問を続けよ。
金田さんは、姫路の師団に入隊したが、病を得て除隊になった。

奈良の航空部隊に入隊した別の学生は、毎朝のジョギングの途中に、日吉館の看板を手でさすっては走り続けたという。その看板の文字は師の書いたものであった。この学生はフィリピン沖で戦死した。
けふも また
いくたりたちて
なげきけむ
あじゅらがまゆの
あさき ひかげに
この番組の中で會津八一として何度か登場する寺田 農(てらだ・みのり)は、「先生は学生たちが生きて帰ってくることを願っていたのではないか。みずからも守り、生徒たちにも示した學規の最初には、この生を愛すべし、と書かれているし…」と言う。また言う。「なんども見ているうちに先生が廣目天に似てきたのではないか。」


 

戦地に向かう学生たちの多くが小さな仏像の写真を買い求めたという。弥勒菩薩が人気だった。学生たちは母の写真の代わりに仏像の写真を持って往ったのではあるまいか、とも。

唐招提寺に會津八一の遺骨の一部がおさめられている。
おほてらの 
まろき はしらの
つきかげを
つちに ふみつつ
ものをこそ おもへ

付記:実物重視の学問、実学を重んじた會津八一は、3000点もの東洋美術の資料を自らの給与の半分以上を使って集めた。現在は早稲田大学會津八一記念博物館に収められているという。かつて文学部の図書館だったところだ。
→http://www.waseda.jp/aizu/index-j.html

久しく、早稲田の杜を訪れていないよなぁ。

2010年7月14日水曜日

父子男旅・鳥取県

昨13日の朝日新聞「天声人語」の左横にある小さな広告欄(TOYOTA)に、[父子男旅]という文章だけの広告がある。第2回とあるから最近にはじまったものらしい。その文章の後半に、
「男をデカクする景色は、自然とは限らない」。…中略…〈PCで男旅〉男旅サイトの閲覧数が15万を越えた。全国47の男旅MAPと紹介文が面白い。男旅しよう。
とあったから、鳥取県ではどこを取り上げているのか、とのぞいてみた。
下の写真をクリック、拡大してご覧頂きたい。

この文中に紹介されている計画が完成する頃には、わたしは城跡から見下ろすことができる公園墓地の墓石の下に入っているであろうし、寫眞の地図にある[西中―醇風小―西高]を結ぶ線上にある我が家もどうなっていることやら?
いやいや今、現在でも鳥取西高を現在地に置くのかどうか、結論は出ていない。

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2010年7月10日土曜日

もっと簡単に、縦書き

もっと簡単に、三木露風の次の詩を縦書きで読んでみましょう。


ふるさとの
小野の木立に
ふえの音の
うるむ月夜や。

少女子は
熱きこゝろに
そをば聞き
涙ながしき。

十年徑ぬ、
おなじ心に
君なくや
母となりても。

次のアドレスをクリックすると、

→http://taketori.org/index.html

下の写真のような竹取の画面が出ます。このサイトのアドレスが入っているところに、下記の同じアドレス(つまり、今ご覧になっている、この画面のアドレス)
        http//wwwgauna.blogspot.com/

をコピペしていただき、右のボタン[このURLを縦書きで表示する]をクリックすれば、今ご覧の画面がたちどころに縦書きになります。


変わりましたか?

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2010年7月9日金曜日

三度目、縦書きで読みたい

6月31日以来ブログがひと月以上「開店休業」状態になっていた。
こんなことは「開業」以来はじめてのことだ。このグログを訪れる人はたしかに少ない。だからと言って「閉店」する気持ちはさらさらない。

最近、この国では電子書籍が話題になって出版業界も騒がしくなってきた。わたしも大きな関心を持って現状を見つめている。何冊か本も読んでみたし、Web上でもさまざまな情報に目を通している。いささか大げさな言い方をすれば、グーテンベルグ以来の大革命が起こりつつある。
昨日76歳になったが、この歳まで生きたおかげで、この変革を体験できることをよろこんでいる。今後、変革の体験を自分なりに書いていきたい。

とりあえず、今日はこのブログの縦書き表示について書いておく。日本語のブログを縦書きにすることは、(わたしのような者にとっては)難しい。わたしの知るかぎりでは、現在、二つある。

1.涅槃(ねはん)

これには、わたしの使っているブロガー用のものもあるが、わたしのようなプログラミング言語についての知識が皆無の者には難しい。
これを使ってブロガーで縦書きのブログを書いているサイトを二つばかり知っている。

2.竹取JS(たけとりJS)

これは読者の方の協力が必要であるが、今ご覧のサイトをたちどころに縦書き表示してくれる。

上記のアドレスへいって、下の画面のところへ移動して(縦書きの画面だから左へ移動して)、「縦書きにする」(青色文字)をクリックしたままブックマーク・バーまで引っ張ってはなす(drag and drop)と、あとはこのブックマーク「縦書きにする」をクリックすると2番目の画面のようにたちどころに縦書きになります。
パチパチ(拍手) では、本日はこれまで。







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2010年5月31日月曜日

世界禁煙デー

ご覧の通り、今日は世界禁煙デーだ。それでふと思い出して久しぶりにブログを書くことにした。

タバコを始めたのは二十歳になってからだったが、当時から一日二〇本ではおさまらなかった。タバコ銭がなくなると、学生協で五本、十本とバラ売りのたばこを買って、キャンパスのベンチでむさぼるように、吸った。                                          
一度だけ禁煙をしたことがあったが、タバコの煙や匂いがしてくると、どうしてもそちらの方へ顔が向いてしまう。なにかさもしいような気がして、禁煙は一週間あまりでやめてしまった。以来、禁煙しようと思ったことは一度もなかった。喫煙は半世紀以上続いた。

古稀も過ぎたある日の朝、ふと書棚に目をやると、並んだ本の背文字が読みづらいことに気づいた。コーティングされた本のカヴァーの背をウェットティッシュで拭いてみると、くっきりと背文字が現れた。ティッシュを見ると、ベッタリとニコチンで汚れていた。タバコをやめなきゃだめだ、と思った。
ダンヒル・ロングの箱には十本前後のシガレットが残っていた。それは全部吸った。そして喫煙をやめた。

その後も、飲み屋へ行ったときなど、ダンヒルを買って、酒のつまみのようにしてチェーン・スモーキングをやって一箱開けてしまうことをなんどもやってみた。それでも、翌朝以降、禁断症状的なものは現れなかった。現在、喫煙は克服できたと思っている。いわば、その報償状が下の【卒煙式】の記録なのだ。

 
http://sotsuen.jpn.org/ ↓

 






2010年5月9日日曜日

再び、縦書きで読みたい

今年の1月22日の記事に続き、PCで縦書きの文章を読むソフト(すべてフリー)をもう一度ご紹介する。
①【窓の中の物語】これが一番気に入っているのだが、残念ながらWindows XPでないと使えない。わたしはまだまだXPを使うつもりだが、以降の新しいWindowsでも使えるようにしてほしい。
こちらから→http://www.vector.co.jp/magazine/softnews/010303/n0103032.html


②【PageOne】
こちらから→http://www.vector.co.jp/magazine/softnews/090421/n0904212.html?ref=search

③smoopy
こちらから→http://www.vector.co.jp/magazine/softnews/030312/n0303124.html?ref=search

④扉~とびら~
こちらから→http://www.vector.co.jp/magazine/softnews/040310/n0403103.html?ref=search

⑤小町文庫
こちらから→http://www.vector.co.jp/magazine/softnews/031101/n0311013.html




2010年4月30日金曜日

iPad is tangible !

昨日の朝日新聞(p.17 論壇時評)の「あすを探る[科学]」に、【触れてわかる「媒体」の実体】と題した、福岡伸一さんの一文が掲載された。
日本では発売が来月末になる、米国アップル社の新型携帯端末のiPad を在米の知人や友人に頼んで手に入れた人々がその使用感を述べている文章をウェブ上でいくつか読んできたが、この文章に心をうたれた。
iPadで電子書籍iBooksをさわってみて驚いた。文字はくっきり鮮やかで読みやすい。挿絵もカラーで美しい。そして指先で画面に触れると、まるでほんとうの紙のページをめくるような感覚で自由自在に操れるのだ。無線でネットとつながり、好きな本を随時購入できる。それをiPadの中に作った自分の本棚に並べられる。この小さな装置の中に蔵書のすべてがすっぽりおさまり、本を探したり、単語やフレーズを検索することもたやすい。メディアというものの明日に、私はあらためて思いをはせた。
シャーレの中で培養される細胞、水中に棲む魚、地上に生きる人間、それぞれを取り囲んでいる培養液、水、空気・重力・温度などを生物学では媒体=メディア(単数形はメディウム)と呼ぶ。培養細胞、魚はそれぞれの媒体の存在を知らないし、人間は媒体の存在を気にせず、自覚していないが、それぞれがその媒体と確実に接しており、その接点で媒体に支えられている。
   先に、私は、細胞がメディアの存在に気づかないまま、しかしそれに確実に接していると記した。その接し方を(より正確にいえば、生命という球体が媒体とある一点で接していることを)科学用語では、タンジェントという。タンジェントはまた、形容詞タンジブル(tangible)につらなる。触れてわかること。手ざわり感がもてること。
    細胞にとってメディアとは、単に栄養素や酸素や成長因子を溶かしこんだ溶液(ストック)ではない。接する時、接した点で物質とエネルギーと情報の交換が行われる。それが生化学反応を引き起こし、生命という動的な平衡を支える。そのとき初めて細胞にとってメディアはメディアとしての意味を持つ。
  そのように考えると私たちにとってメディアとは何かが見える。…(中略)…それに接すると流れが導かれ、反応を引き起こすもの……そのとき初めて意味を持つ動的なものとしてある。そして、接するときのタンジブルさこそがその実体を示す。
   残念なことに、私は接点としてのiPadをとてもタンジブルなものに感じた。なぜ残念かといえば、紙の書籍や紙の新聞に、私はずっと特別な手触りと愛着を感じてきたからである。
でもそれは私たち旧世代の感傷であろう。これから生まれてくる世代にとって、iPad(あるいはそれに類するもの)は、ハイテクでもなくローテクでもない。アナログでもなくデジタルでもない。彼らにとってそれはタンジブルな第一言語(ネイティブラングエッジ)としてそこにある。
  ヒトが地球上に出現しておよそ700万年。紙がタンジブルだった数千年は、その中の一瞬として、まもなく確実に終わる。しかし、流れとして、その流れ方としてのメディアは私たちとともにあり続ける。

うーん、早く実際にiPadに触れて、そのタンジブルさを実感してみたい。

  参考サイト→  http://www.bloom-cafe.com/archives/221

2010年4月25日日曜日

当世キーワード(最終回)

今日の当世キーワードをアップしようとしたところ、今月からNHKのサイトに、ご覧のように放送の内容が紹介されるようになっていた。
もはや、放送を録音し、テープ起こしをして紹介する必要はないわけだ。これからは下記のサイトに接続すれば、毎週の当世キーワードを読むことができます。

サイトのアドレス→http://www.nhk.or.jp/r1/asa/keyword.html


2010年4月20日火曜日

本のPDF化

我が家で購読している新聞は朝日新聞だが、どの新聞でも元旦には様々な特集のページが組まれていただろう。今年の朝日の場合、その第4部[読むスタイル]の第5ページは、[読むワザ]と題して、大江健三郎(作家)、吉岡忍(作家)、小飼弾(ブロガー)の三人が登場している。大江の欄には本人と書斎の写真、後の二人は書棚をバックにした肖像写真が掲載されている。しかし、3人の蔵書がこんなものでないことは想像に難くない。

いささか枕が長くなったが、ここで取り上げたいのは吉岡さんの記事だ。
約2万冊の蔵書を持つ吉岡さんは、PDFが普及し始めた5年ほど前から本をパソコンに保存しているという。
「まずスキャナーで表紙を取り込み、次に専用カッターで背表紙を裁断して扉から奥付までカード状にする。暑さ1センチずつ両面スキャンができる高速のドキュメントスキャナーにかけると約1分半、3センチの本でも5分以内です」
現在、外付けのハードディスクに約50ギガ分、1500冊ほど入っているそうだ。
「地球の歩き方」シリーズの1冊をクリックしてみると、画面左側に中身の一覧が表示され、読みたいページをクリックすれば、そのページが開く。地図や写真をクリックして拡大表示することもできる。
「目が悪いので仕事場では27インチの画面で本や雑誌を読みます。昔の小さな活字の文庫や漫画も拡大して読めるからとても便利」と吉岡さんは語っている。
デメリットとしては、A4サイズを超える大型本は取り込めないこと、カード化、つまりばらした本は処分せざるを得ないことの2点を挙げているが、最後にこう語っている。
「でも面白いことに、前より本をたくさん読むようになりました。その意味では本が生きたといえる。本は記憶の手がかり。本自体がなくなることはないでしょう」

(以上、新聞を見ながら引用したが、朝日のサイトにみな載っていた!
→http://book.asahi.com/special/TKY201001050299.html )

このブログの終わりに Amazon の広告も掲載しておくが、本のPDF化もそれなりにお金がかかることも事実だ。

そこで新たな商売も生まれてくる。
→http://www.bookscan.co.jp/

これはありがたい、とわたしは喜んでいるが、これは違法だ、いや合法だ、とかしましい。
ツイッターでもツイッた通りだ。

◇昨日,本を1冊100円でPDF化しますというBOOKSCANのサイトを見て、gaunaのような貧乏人はこりゃいいなと単純に喜んだが、今朝になってみれば著作権法違反じゃねえか、とカンカンガクガクがtwitter上でも始まっている。
10:04 AM Apr 17th webから
◇ BookScan代行問題。mehoriさんも合法とtwitしているし、404 Blog Not Found も違法じゃないと言ってるぞ。
6:28 AM Apr 19th webから

冒頭にも名前を挙げた小飼弾さんの意見はこちらから、
→http://blog.livedoor.jp/dankogai/archives/51434363.html

最後に一言。最初に引用した吉岡さんは「昔の小さな活字の文庫」本も拡大して読めるといっているのに、BookScan はこういう古い文庫本などを扱わないとしているのは残念至極だ。書棚の大整理をするには7万円は必要か(ため息)。

2010年4月19日月曜日

龍馬と海舟

昨夜のNHK大河ドラマ「龍馬伝」第16回で、勝海舟が登場した。
時代背景を年表で大雑把に見てみよう。

1860(万延1)年、2年前日米間で結んだ修好通商条約批准のため渡米した幕府の使節団に随行し、咸臨丸船長として太平洋横断に成功したのが、 勝海舟(1823-1899)である。
坂本龍馬(1835-1867)が脱藩したのは、1862(文久2)年だった。この年、海舟を切りに行ったが、説き伏せられて入門した。
後年、海舟は龍馬について、こう語っている。
坂本龍馬。彼(あ)れは、おれを殺しに来た奴だが、なかなか人物さ。その時おれは笑って受けたが、沈着(おちつ)いてな、なんとなく冒(おか)しがたい威権があって、よい男だったよ。(p.85)
坂本龍馬が、かつておれに、先生しばしば西郷の人物を賞せられるから、拙者も行って会ツて来るにより添書をくれといツたから、早速書いてやったが、その後,坂本が薩摩からかへつて来て言ふには、成程西郷といふ奴は、わからぬ奴だ。少しく叩けば少しく響き、大きく叩けば大きく響く。もし馬鹿なら大きな馬鹿で、利口なら大きな利口だらうといつたが、坂本もなかなか鑑識のある奴だヨ。西郷に及ぶことの出来ないのは、その大胆識と大誠意とにあるのだ。おれの一言を信じて、たつた一人で、江戸城に乗込む。おれだつて事に処して、多少の権謀を用ゐないこともないが、たゞこの西郷の至誠は、おれをして相欺(あいあざむ)くに忍びざらしめた。この時に際して、小籌浅略(しょうちゅうせんりゃく)を事とするのはかへつてこの人のために、腹を見すかされるばかりだと思つて、おれも至誠をもつてこれに応じたから、江戸城受渡しも、あの通り立談の間に済んだのサ。(p.70)
上の二つの引用は、明治になって新聞や雑誌に載った海舟の談話をまとめた『海舟談話』による。これは、下に示すように、文庫本で容易に手に入る。
ただ、もしお買い求めになるのであれば、左の講談社学術文庫をおすすめする。その理由は、同書の松浦玲による前書きないしは解題により瞭然だ。

  

2010年4月15日木曜日

NHKラジオ&テレビから

NHKラジオ第1の5時台からの番組[ラジオあさいちばん]では、6時40分過ぎから10分間ほどの[ビジネス展望]という番組がある。
毎週、火曜日は内橋克人さんの担当だが、今週は9日に他界した井上ひさしさんを追悼する内容だった。以下は、山下信アナの質問に答えた内橋さんの話の概要である。

井上さんは膨大な作品を書き続けた作家と言うだけではなく、ひたすら、人間が人間らしく生きられる社会を求めて献身し続けて来られた方です。何よりも、社会が平和であること、平穏であること、人が人として遇される社会であること、そのようなあり方を、どうすればこの厳しい現実の中に実現できるのか、また何が、誰が、どのようでなければならないか、自ら懸命に探し求め、かつその道筋を人々に示してきた、数少ない先達であったと思います。
井上ひさしさんという存在そのものが私たち日本人にとっての。心の基盤というか、道路や水道などのようなインフラストラクチャー、心のインフラだったと思います。井上さんが亡くなったことを知ってから、もう、ポッカリと心に空洞を抱えたままなんです。涙が止まらないんです。

――内橋さんと井上さんはどういう交流がおありだったんでしょうか?
直接的には、鎌倉・九条の会の呼びかけ人に、井上さん、なだいなださん、そして私の3人がなっているんです。私の場合は井上さんから呼びかけていただいたものです。この会は、例の全国的な九条の会の鎌倉版といえると思います。
(その会についての話は省略する。次のサイト参照→http://www.kamakura9-jo.jp/)

(昨年5月30日の)会が終わって、井上さんと控え室で歓談し、そこを出てぐるっと廻って海岸の正面玄関の方へ出るんですが、二人で一緒に歩いたんです、夜の道を。鼎談の中で私は、人が人として生きられる世の中とは、ということで、その条件を五つほど挙げたのですが、その言葉をよく覚えていてくれましてネ、あの言葉に共感したと、具体的に口にして頂きました。忘れられない思い出となってしまいました。
井上さんは、いざ、というときには自ら行動を起こされるんですネ。それも、何でもない、そんなたいそうなことじゃないよ、といった日常の感覚のなかで、行動を起こされるんですね。しかし、底光りのするような、ものすごい社会批判の目と思想性ですね、それに胆力というものを私ははっきりと感じてきました。井上さんという存在そのものが支えだっ
たと思います、多くの人々にとっても。

(次いで、山下アナの求めに応じて、井上の二つの作品を挙げているが、題名だけの紹介にとどめておく。『吉里吉里人』と編著の『社史に見る太平洋戦争』新潮社 1995年 )

――心に残る井上さんの言葉は?
たくさんあるんですが、長い間、私の心に刻まれてきた言葉があります。
「むずかしいことをやさしく、やさしいことを深く、おもしろいことを真面目に、真面目なことを愉快に、そして愉快なことはあくまで愉快に。」
こういうお言葉です。
ある出版社へ参りますとネ、その編集室に長い間、井上さん直筆の原稿を額縁に入れて飾っておりました。たくさんの色鉛筆、赤だけでなく、緑や紫などの色鉛筆で何度も何度も推敲された原稿を額縁に入れていました。
深い交流ではありませんでしたけれど、2歳違いの井上さんに私は支えられてきた、支えられていると感じ、思っております。
(2歳年上の市橋克人さんはそう、締めくくった。)

             ★    ☆     ★     ☆     ★

第3週目に入っている朝ドラ「ゲゲゲの女房」は、今朝、無事見合いを終わって5日後に挙式と決まった。メールを見ていたら、白無垢の花嫁姿の写真が紹介されていたので、ご覧あれ。

http://journal.mycom.co.jp/news/2010/04/14/050/index.html
     




2010年4月12日月曜日

当世キーワード(4月②)

昨日のNHKラジオ第1、亀井肇さんの当世キーワードです。

(1) 葬式鉄
「お弔い鉄」ともいう。
JRや私鉄の鉄道の路線や列車が、ダイヤ改正などで廃止されるときに、その最後の日に集まる鉄道マニアたちのこと。廃止される路線の出発ホームの写真を撮ったり、ダイヤ改正で運転されなくなる列車の姿を撮影するために集まってくる。
そうすることで、友人や知人が亡くなったときと同じような、お別れの気持ちを表明するわけ。


(2)タクシー料金節約サイト
タクシーに乗車する前に、インターネットで、目的地までの最短距離の運賃で予約したり、相乗り相手を探すことで運賃を安くすることができるサイトのこと。
ケータイ電話上のあるサイトでは、全国的に約250のタクシー業者が加入していて、出発地と目的地を入力すると、自動的に運賃と所要時間が算出されてタクシーの予約もできる。
運賃は最短ルートで決まり、渋滞でも加算されないことになっていて、通常のメーター料金よりも安くなることが多い。相乗り相手を探す会員制サイトでは、出発地、目的地と出発日時を入力すると、よく使う出発・目的地として近い地域で登録している会員向けに相乗り募集のメールが送られる。相乗りのインターネット版ともいえよう。

(3)台湾紅茶
ウーロン茶で有名な台湾で生産される紅茶。
台湾を日本が統治していた1920年代後半に、総督府中央研究所に勤務していた技師が,海抜約800メートルの盆地にある、南投県魚池郷の、寒暖の差が大きい気候条件などが紅茶の栽培に適していると判断して、インド産のアッサムなどと台湾の原種を交配させるなどして、独自の紅茶をつくりあげた。
1930年代から60年代まで隆盛を極めていたが、1970年代以降、安い茶葉を混合した粗悪品が出まわって、一挙にその信用を失い、1980年代以降は市場からほとんどその姿を消してしまっていた。
1999年の台湾大地震後の復興策の一環として紅茶復活が提案され、それが新しいお茶として人気を集めるようになった。

(4)婚前契約
結婚する男女が、一緒に暮らす前にお互いが合意した約束が守られなかった場合には、賠償金を支払うことを明記した契約書を交わす結婚の方式をいう。慰謝料や遺産目当ての結婚を防ぐために、考えられたと言われている。
アメリカの有名プロゴルファー、タイガー・ウッズの浮気が発覚したとき、夫婦がそれを取り交わしていたことがわかり、注目されるようになった言葉。
5年前に結婚したウッズ夫妻は婚姻が10年以上続いたら、それ以降に万一別れることになったら、妻のエリンさんに2000万ドル、約18億円を支払うという内容の契約だったといわれてるそうな。

(5)調査器具付きレシピ本
料理のレシピ本を読んでも、調査器具がないので、その料理を作ることができない、といった主婦の声に答えた料理本。こっちを見ていただく方が早いかも。

http://www.onsen-tamago.net/korehoshii/1817.html/trackback

レシピ本と器具を別々に買うよりは割安になる、と亀井肇さんは言ってました。





2010年4月10日土曜日

NHK朝ドラ「ゲゲゲの女房」

先週の月曜日(三月二十九日)、NHKテレビで朝の連続ドラマ「ゲゲゲの女房」が始まった。水木しげるの奥さん、武良布枝(むら ぬのえ)の同名の作品のドラマ化である。

今や世界の共通語となった「マンガ」だが、戦前の日本のこどもたち(とくに男の子たち)が夢中になったマンガは、阪本牙城の「タンクタンクロー」(大日本雄弁会講談社の雑誌「幼年倶楽部」1934年(昭和9)1月号から1936年12月号にかけて連載)、島田啓三の「冒険ダン吉」(1931-1939年「少年倶楽部」)、田河水泡の「のらくろ」(1931-1941年「少年倶楽部」)などであった。
1934年生まれのわたしには、幼稚園時代に買ってもらった「キンダーブック」や講談社の絵本はあったが、これらのマンガを掲載している雑誌や布装丁の単行本を読むためには、それらを所有している兄や姉がいる同級生に借りるほかなかった。
その後のマンガで記憶に残っているのは、戦後まもなく、「小学生新聞」(正確な紙名は失念)に連載がはじまった医学生のお兄さんの作品と紹介されていたマンガ(題名はこれまた失念)の絵を好ましく思って、その絵をまねて描いたりしたことがある。そのお兄さんが手塚治虫だった。以来、マンガを読んだことはない。
前世紀の90年代に、たとえば、呉智英や関川夏央たちがマンガを論じているのを読んで、ふーん、と思ったことがあっても、マンガを読んだことはない。

昨年の十一月末に、再放映されたNHKの「プロフェッショナル 仕事の流儀 /闘いの螺旋、いまだ終わらず~漫画家・井上雄彦」を偶然見て驚いた。『バガボンド』と言うマンガが吉川英治の『宮本武蔵』であることもはじめて知ったが、武蔵の大写しの顔を描くためにあれだけ考え、悩み、意を決して一気に描く仕事ぶりと描き上げた絵を見て、さらに驚いた。これもマンガか!

そんなわたしも、娘たちが見ていたテレビを通してであろうか、
ゲッゲッ、ゲゲゲのゲー/朝は寝床で グーグーグー/たのしいな たのしいな/おばけにゃ 学校もしけんも/なんにもない/…
という歌を憶えている。
何年か前、境港市に用事で出かけた折に、妖怪たちのブロンズ像が並ぶ通りを歩いたこともあった。しかし、いまだにそのマンガを読んだことはない。

先週の月曜日(3月29日)から、NHKのテレビ、ラジオの番組が新年度の番組に変わった。番組名の変わったものもあるし、新番組もスタートした。連続テレビ小説、いわゆる「朝ドラ」も、8時から「ゲゲゲの女房」が始まった。脚本は山本むつみ。原作は、ドラマの題名からいっても、水木しげる(武良茂)の妻、武良布枝(むら・ぬのえ)の『ゲゲゲの女房』といっていいだろう。  

水木しげるについては、かつてこのブログでも紹介した『昭和二十年夏、僕は兵士だった』
にあるように、九死に一生を得た体験の持ち主であることも承知していた。(ただ、このドラマが始まった日の早朝、午前0時台から再放映されたNHKスペシャル「鬼太郎が見た玉砕」
http://www.nhk.or.jp/nagoya/kitaro/midokoro.html

を見逃したのは、まことに残念であった。)

このドラマが始まる前に、原作の『ゲゲゲの女房』を読んでみた。さきほど述べたように、
歌の文句は多少覚えてはいたが、どうして「ゲゲゲの鬼太郎」や「ゲゲゲの女房」なのか、まったく分かってはいなかった。鳥取県西部の米子や境港ではどうか知らないが、東部の鳥取では、子供のころ、(いちばん)ビリのことを「ゲゲ」といっていた。「下々」とか「下の下」の意であろうか。現在のこどもたちが使っているか、どうかは知らない。
この本を読んでやっとわかった。

『ゲゲゲの鬼太郎』というタイトルも水木の発案でした。
「オレが小さいころ、シゲル」といえず、自分のことをゲゲルといっていたから、「ゲゲ」とガキ大将仲間から呼ばれていた。だからゲゲゲの鬼太郎でもいいんだ」
水木はそういって笑っていました。(p.152)

これなら「ゲゲゲの女房」すなわち「(みずき)あるいは(むら)しげるの女房」だ。

さて、朝のドラマがはじまって、ちょうど2週間になった。先週は布美枝の子供時代。7歳の布美枝役の菊池和澄(あすみ)、10歳の布美枝(佐藤未来)、祖母役(ナレーションも)の野際陽子らが好演。今週はのっぽのヒロイン、布美枝役の松下奈緒登場。なかなかいい。ワンマン亭主の大杉漣は流石、もの静かで控えめの妻役、古手川祐子もいい。
この2週間のドラマは、原作では[第1章 静かな安来の暮らし]で、20ページあまりのなんの事件もない序章的な部分だ。
脚本の山本むつみは、金曜時代劇「御宿かわせみ」でデビュー以来、幅広いジャンルの作品を手がけてきただけあって、さすがと思わせる。来週からが楽しみだ。

最後に、「NHKウィークリー ステラ」4/2号に掲載されている武良布枝さんの談話の一部をご紹介しておこう。
主人は、何ひとつ私に甘い言葉をかけてくれるわけではないし、ロマンチックなこともぜんぜんなかったですね。でも、一生懸命仕事に打ち込んでいる彼の姿は、私の中では輝いていたんです。本当に努力の人でしたから。あれだけ努力した人間が報われないことはないと、心のうちでは思っていました。(中略)私はもちろんですが、主人も、『ゲゲゲの女房』が朝ドラの原案になったということは、心の中で大いに喜んでくれていると思います。ここまで元気でやってこられて、こうして喜ばしいことがまた生じて――。本当にみなさまに感謝しております。このうえは、多くの方にこのドラマを見ていただけるよう、お祈りしております。(p.11)
  

2010年4月4日日曜日

当世キーワード(4月①)

今朝のNHKラジオ第1、亀井肇さんの放送から。

1)ママデスク
愛知県に本社がある家具メーカーが昨年から売り出した。
子どもの机の隣に親の座るスペースのある机。親が家事の合間に隣に座って子どもの勉強の手伝いなどをしてやることができる。最近の傾向として、子ども部屋でなく、親がいるリビングルームで勉強するケースが増えている。
共働きで、親が子どもとふれあう時間が少ない、という背景もあるらしい。

2)顔が見える野菜
あるスーパーの大手が、生産履歴を開示して販売している野菜。
2002年から扱っているが、安全の観点から、生産時に使用する農薬の量を3割削減することを前提に、その上で、個別の生産者の名前や顔、栽培方法、商品へのこだわりなどをパソコンやケータイなどを通じて、ネットで提供している。
例えば、熊本県のJAから出荷されているトマトの場合、生産者からのメッセージとして、土壌診断の結果をもとに、ミネラル資材を多く使用して土作りを行う栽培方法を導入、農薬の使用回数を抑えるように努力している、といったメッセージが伝えられている。
価格は通常商品よりも10~20%ていど高いが、消費者は安全を評価して購入することが多い。

3)メディカル ツーリズム
医療サービスと観光とを組み合わせたパッケージ・ツアーをいう。
医療機関がホテル並みの施設とサービスを用意して患者を迎え入れ、高度の医療技術も低価格で提供する。
欧米の医療費があまりにも高額になりすぎたため、医療費の安いアジア諸国に渡航して、現地の病院で治療を受けるケースが増えているといわれている。とくに、インドへのメディカルツーリズムが増えているという。有名で医療技術が高いことに加えて、かつてイギリスの植民地であったために、英語が通じる気楽さがアメリカ人やイギリス人などに受けたようだ。
欧米のみならず、中国やアラブなどの富裕層をターゲットとして、各国政府ともお客獲得に懸命になっている。
日本でも、千葉県の病院や福島県のクリニックなどが、今春から参入しているらしい。

4)コリア ヘチ
野球の関西独立リーグに参入するために結成された、韓国人と在日韓国人の球団。選手は21人で、監督は、韓国プロ野球団の4番打者だったパク・チョルーさん。大阪市内で寮生活を送りながら、今シーズンは72試合を戦うことにしている。
「ヘチ」は、朝鮮王朝を守護した神獣で、ソウル市のシンボルマークともなっている。国際親善と宣伝にも使えるということから、ソウル市が使っているマスコットの無料使用も認められている。
関西独立リーグは、ソウルでも6試合が行われることになっている。

5)ちょっと暮らし
北海道庁が2005年から始めた北海道移住促進のプロジェクト。北海道への移住とか、2地域居住を考えている人たちに、そのきっかけを経験してもらおうというもの。
北海道で暮らしたいと考える人がそのまますぐに移住してくれればいいが、住宅の購入、家族の同意など、乗り越えねばならないハードルがいくつもある。
そこで、学校統廃合で空き家になった教職員住宅に目をつけて、市町村が主体となって、住宅や体験メニューを用意して、希望者に「試住」してもらい、一定期間過ごしてもらおうというプロジェクト。
2005年に14の市町村が道移住促進協議会を設立し、現在は83市町村が参加するまでになっている。「ちょっと暮らし」の参加者は、昨年度の上半期だけで、875人になっているという。

2010年3月30日火曜日

ブルームーン

今夜の月は、1月につづいて今年二度目のブルームーン。昨日は雨。今日も午前中は晴れていたが午後からは,曇りがち。それでも、夜の空は晴れて、再びブルームーンを眺めることができた。写真は失敗だが、午後9時半頃にケータイで撮影したもの。

http://www12.plala.or.jp/m-light/notebook/BlueMoon.htm


2010年3月23日火曜日

『ライフログのすすめ』

  *****とは、個人が自分の本・記録・手紙類をたくわえ、また、それらを相当なスピードで柔軟に検索できるように機械化された装置である。
*****は個人的な記憶を拡張するための補助装置である。
…………(中略)…………
*****にたくわえられる資料の大半は、機械にすぐ入力できるマイクロフィルムの形で購入される。あらゆる種類の書籍、写真、最新の雑誌、新聞などがマイクロフィルムで入手され、記憶される。ビジネス書簡類も同様だ。また、直接入力も可能である。(p.61)

いきなり引用文を掲げたが、これは何について、いつごろ、だれによって、書かれたものであろうか? *****とは?

答はこの引用文の前に次のように書かれている。(本書の末尾にある[注釈および出典]により原名を付す)
コンピューターがビルほどの大きさだった一九四五年に、連邦科学研究開発局の局だったヴァネヴァー・ブッシュ(Vannevar Bush)が『アトランティック・マンスリー(Atlantic Monthly ,July)』誌に「われわれが思考するごとく(As We May Think)」というエッセイを寄稿している。その中でブッシュは、人々が、個人的な素材を集めた自分専用のライブラリーを持てるようになる方法を示し、革新的な未来像を描き出した。ブッシュはこれをメメックス(Memex)と呼んだ。(pp.60-61)
☆ Memex  http://www.yamdas.org/column/technique/ow_memexj.html

改めていうまでもないが、この文章が発表されたのは日本が降伏するひと月ほど前のことだ。九月には占領軍が進駐し、『日米会話手帳』が爆発的な勢いで売れ始め、十月には並木路子の「リンゴの歌」が全国に流れ、わたしは、教科書のあちこちに墨を塗っていた。

この本の著者の一人、ゴードン・ベルも、わたしと同じ、1934年生まれである。表紙カヴァーの著者紹介によれば、こちらはパソコン界の大御所で、この世界のノーベル賞「ゴードン・ベル賞」を設立するなど、現代のコンピューター産業の礎を築いた大物である。生年は同じでもまさに「月とスッポン」だ。(もっと詳しい記述は、本書の「訳者あとがき」にある。)

このお月さんが、自己の人生のありとあらゆる記録をパソコンにぶち込んで電子記録の集大成、ライフログを作り上げようと、スッポンたちをも激励しているのが本書だ。スッポンにもスッポンの生涯があるということだ。

ビル・ゲイツが序文を書いているように、マイクロソフトにかかわってきた人だから、ライフログづくりの道具は、たとえば、マイクロソフトのワンノート(onenote)を使っているがエヴァーノート(Evernote)も取り上げている。

次のサイトも、ご参考までに。→http://news.livedoor.com/article/detail/2853942/

2010年3月21日日曜日

当世キーワード(2009年10月③)

亀井肇さんの当世キーワード(NHKラジオ第1)。

1)ガンブラー
現在も猛威を振るっているコンピュータ・ウィルス。当ブログ、「らむぶらー」と似た名前で気になっておりますが、みなさん、くれぐれもお気をつけください。

http://dic.yahoo.co.jp/newword?index=2010001605&ref=1

2)ドラペディア


http://www3.u-toyama.ac.jp/doraemon/


http://knol.google.com/k/%E3%83%89%E3%83%A9%E3%81%88%E3%82%82%E3%82%93-knol-%E3%83%89%E3%83%A9%E3%83%9A%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%A2-%E7%9B%AE%E6%AC%A1#

3)炊飯蒸篭(すいはんせいろ)

http://dic.yahoo.co.jp/newword?category=&pagenum=21&ref=1&index=2010001595

4)ご当地プレート


http://dic.yahoo.co.jp/newword?category=&pagenum=21&ref=1&index=2010001603


5)旅チャリ


http://dic.yahoo.co.jp/newword?index=2010001614&ref=1



2010年3月14日日曜日

当世キーワード(2010年03月②)

NHKラジオ第1の当世キーワード。今回は下記の5つの言葉であるが、いずれも亀井肇さんが、YAHOO! 辞書の【新語探検】に執筆しているのと同じなので、ズバリ、そのサイトのアドレスのみ紹介する。

①メタボ予防茶
  http://dic.yahoo.co.jp/newword?index=2010001566&ref=1

②未利用魚

 http://dic.yahoo.co.jp/newword?index=2010001568&ref=1

③ホワイト エレファント パーティー

 http://dic.yahoo.co.jp/newword?index=2010001587&ref=1

④電子教科書

http://dic.yahoo.co.jp/newword?index=2010001586&ref=1

⑤3R(スリー アール)節約術

http://dic.yahoo.co.jp/newword?index=2010001593&ref=1

2010年3月4日木曜日

高校入試

今日は鳥取県立高校入試の第1日である。
最初の孫がわたしの母校を受験した。
やっぱり、気になってしょうがない。

Posted via email from gauna's posterous

2010年3月2日火曜日

こりゃ、驚いた!!

先月末、iGoogle へいったら、こんなロゴが出ていた(現在は出ていない)。

正月でもあるまいに、どうして? と思ったが、追求することもなく、そのままにしていた。

ところが、昨日の「マイコミジャーナル」にこんな記事が載っていた。

本日3月1日、Google (google.co.jp) のトップページを飾っている"和風のロゴ"は、小学6年生の川島寛乃さんが描いたものだ。ロゴデザインコンテスト「Doodle 4 Google」のグランプリ作品で、日本の優美さと繊細さを表現した作品として高い評価を受けた。

驚いた。感心した。すばらしい 

Posted via email from gauna's posterous

2010年2月27日土曜日

今年二度目のブルームーン

今年は1月1日が満月だったから30日も満月、すなわちブルームーンであった。
だから、明後日、月曜日の3月1日がまた満月で、3月30日もまた満月になる。
今年は1年に二度、ブルームーンを仰ぐことのできる珍しい年なのだ。
この両日の夜空が晴れることを祈りましょう。

2010年2月25日木曜日

posterous を始める

ながらく、投稿もしないままになっていたが、そろそろこのサイト(posterous)
を活用しなければ、と思う。
今回は、メールで投稿してみるトライアルだ。
この Rambler にもアップされている。

Posted via email from gauna's posterous

2010年2月18日木曜日

こりゃ便利! ごうな百態

このごうな百態は、数年前、「寄居虫のつぶやき」という個人紙を発行していた頃、坂田ひとみ(鳥取在住)さんに描いていただいたものだ。今後もウェブ上で使おうと思い、画像をスキャナで取り込んだ。 

これらの画像を取り込むのに、画像つめこまーというフリーのソフトがあって、簡単に8枚の画像をこのように1枚にまとめることもできるし、2枚や4枚をまとめることもできる。

 http://www.vector.co.jp/soft/win95/art/se413407.html

こういう便利なフリーソフトを作ってくださる方に感謝!

新規詰め込み画像

新規詰め込み画像012 新規詰め込み画像4枚

2010年1月22日金曜日

縦書きで読みたい

ブログは横書きの世界だ。横書きでなければ書けない言語が多いから、当然と言えば当然だが、縦書きでブログが書けたら、と思うことがある。
短歌や俳句のブログをやってる人は、縦書きを望んでいるだろう。どちらもやらないわたしも、縦書きで読めたらいいな、と思うことがよくある。
なによりも困るのは、何回かに分けて連続するブログを書くときだ。15回の続きものを書くと、初回のブログは15回分を下って読むことになる。しかも、1回分ごとに[上→下]、2回目の上までいって、また1回分を[上→下]……。このくり返しだ。

縦書きのブログがまったくないわけではない。たとえば、

こういうのは、フリーではないよね。
今日もグーグル検索をやって70ページばかり見たが「縦書きブログサービスは企業さま向けのものです。現在、個人さま向けには行っておりません。悪しからずご了承をお願いいたします」みたいなのが、二、三あっただけだ。

そこで、ブログの中から15回続けた「米原万里の父」のテキスト・ファイルを、縦書きができるエディタ(Virtical Editor) に流し込み、ひとつのテキスト文書にまとめた。このエディタでは、ルビも簡単につけることができる。これで新しい縦書きの文書「米原万里の父と祖父」ができた。

ご存知のように、漱石や子規などの作品をはじめ多数の文学作品などを無料で提供している「青空文庫」のようなものがある。「青空文庫」形式に対応の縦書きテキストビューワーがいくつもあって、縦書き、ルビつきの文章を楽に読むことができる。 ほんとうにありがたいことだ。わたしはその中のひとつ、「窓の中の物語」を愛用している。ぜひこれをインストールしていただきたい。(無料だし、気に入らなけばアンインストールしていただけばいい。) ↓ 下のいずれからでも,インストールできます。(わたしのブログを読まなくても、青空文庫などを読むことができますからネ。)

そうは言っても、わたしのブログを読んでほしいわけです。そのためには15回分の新しい「米原万里の父と祖父」をお渡ししなければなりません。

クラウドの時代になりました。「雲!」のなかから受け取っていただくのがいいと思います。クラウドもいろいろありますが、わたしは DropBox の中に置きました。

友人、知人にメールで案内をする予定ですが、こういうかたちで読んでみてやろうという方がいらっしゃれば、下記にメールをいただければ、ご案内します。
 gauna@helen.ocn.ne.jp

そんなややこしいことをしなくても、いいじゃないか、という方はぜひご教示ください。(下の写真は、クリックすれば、大きくなります。)

        ↑「設定」をクリックし、下の「各種設定」をクリックすれば ↓
      
↑右下の、□”青空文庫”ルビ対応 には必ずチェックを入れてください。

2010年1月5日火曜日

『昭和二十年夏、僕は兵士だった』

梯久美子(かけはし・くみこ)の『昭和二十年夏、僕は兵士だった』を「まえがき」の最初および最後と、目次だけを引用してご紹介する。
↓下の画像をクリックしてください。梯さんが直接、あなたに語りかけます。

 昭和二〇年夏。戦争は、敗けて終わった。二〇代の若者の多くが、兵士として終戦を迎えた(本書でいう兵士とは、兵卒の意味ではなく、戦うための人員として戦争に動員された人のすべてを指す)。生き残ったかれらは、仕事を見つけ、あるいはもう一度学校で学び直し、社会へと出ていった。
 廃墟の中から新しい日本を作ったのは、かれら若い兵士だった世代である。敗戦国の兵士たちが、戦後を生きるとはどういうことだったのか。戦争の記憶は、かれらの中に、どのような形で存在し、その後の人生にどう影響を与えてきたのだろうか。
 …………
 この本の中で話を聞いた……五氏は、終戦時に一八歳から二六歳だった。現在はそれぞれの分野の第一人者であり、功成り名を遂げた人たちと言っていいだろう。
 かれらもまた、あの夏、ひとりの兵士だった。ゼロからスタートして、何者かになったのである。その半生は、戦争に敗けた国が、どのようにして立ち上がっていったかの物語でもある。

(もくじ)
賭博、男色、殺人―――。
南の島でわたしの部下は、何でもありの荒くれ男たち。…………金子兜太
でもわたしは彼らが好きだった。

脚にすがってくる兵隊を
燃えさかる船底に蹴り落としました。         …………大塚初重   
私は人を殺したんです。一八歳でした。

逃げるなら大陸だ。
私は海峡に小舟でこぎ出そうと決めました。     …………三國連太郎
徴兵忌避です。女の人が一緒でした。

もうねえ、死体慣れしてくるんです。
紙くずみたいなもんだな。               …………水木しげる
川を新聞紙が流れてきたのと同じです。

マリアナ沖海戦、レイテ沖海戦、そして 沖縄特攻。
二〇歳の頃に経験したことにくらべれば、      …………池田武邦
戦後にやったことなんか大したことない。

以上の五氏について、改めてご紹介する必要もあるまいが、簡単に記しておく。

金子兜太(かねこ・とうた)1919年生まれ。俳人。句集多数。
大塚初重(おおつか・はつしげ)1926年生まれ。日本考古学会の第一人者として、登呂遺跡をはじめ、多くの発掘を手がける。
三國連太郎(みくに・れんたろう)1923年生まれ。1951年映画「善魔」で主演デビュー(当時わたしは高1で、この映画を見た。)
水木しげる(みずき・しげる)1922年生まれ。今年の3月からNHKの連続テレビ小説『ゲゲゲの女房』が始まりますネ。
池田武邦(いけだ・たけくに)1924年生まれ。戦後、霞ヶ関ビル、京王プラザホテル、新宿三井ビル、ハウステンボス等を手がけた建築家。いずれ、このブログであらためて取り上げたいと思っている。

2010年1月1日金曜日

迎春

2010年 明けましておめでとうございます!


今朝の鳥取はこの冬初めて、積雪25センチを越えました。

(写真はいずれも中3の孫が今朝撮影したものです。)

2009年12月31日木曜日

サヨナラ、2009年

今年もいよいよ暮れていく。
「昭和十六年十二月八日」は、今日で終えることができたけれど、「鳥取を愛したベネット父子」は未完のままである。新年の1月中には終えたいと思う。

今夜は、NHKテレビで恒例の「紅白歌合戦」があるけれど(もう60回にもなるんだね)、
中島みゆきの「重き荷を負いて」でもPCで聞くとしょう。
足元の石くれをよけるのが精一杯
道を選ぶ余裕もなく 自分を選ぶ余裕もなく
目にしみる汗の粒をぬぐうのが精一杯
風を聴く余裕もなく 人を聴く余裕もなく
まだ空は見えないか まだ星は見えないか
ふり仰ぎ ふり仰ぎ そのつど転けながら
重き荷を負いて 坂道を登りゆく者ひとつ
重き荷も坂も 他人には何ひとつ見えはしない
まだ空は見えないか まだ星は見えないか
這いあがれ這いあがれと 自分を呼びながら 呼びながら
【映像】↓
【歌詞】↓

そうだ、大川栄策の「昭和浪漫~第2章~」もまた聞いてみよう。

では、よいお年を!!

昭和十六年十二月八日⑦最終回

なぜ横山艇についての報告が見あたらないのか?
なぜ今回発見された横山艇は、三つに分断されているのか、なぜそれぞれの部分にチェインやワイヤーが乱雑に巻き付けられていたのか? 

今回の調査に同行した軍事評論家のパークス・スティーベンスンさんは米海軍が戦争中に引き上げ、切断して捨てたのだと、推定した。
開戦直後、米国では、なぜ日本軍の真珠湾攻撃を許したのか、議会を中心に、調査や検討が行われていた。そういう最中に横山艇は発見されたのではないか? 米軍艦艇による敵潜水艦発見の通信が米海軍司令部に無視されたこともあった。追求を免れるための隠蔽だったのではないか、という。日本が軍神として騒いでいても、われわれにとっては何でもないのだということを示すためだったかもしれない、ともいう。

徹底的に分解調査された酒巻艇は、復元されて米国中を巡回した。戦意高揚のために利用されたのだ。ルーズベルト大統領も「見物」し、六千万ドル以上の戦時国債を売ったという。
一方日本では、捕虜になった酒巻少尉を消し去り「九軍神」を作った。軍部のなかには酒巻が自殺することを望む者もいたという。事実、彼自身二回自殺に失敗している。酒巻は米国で得た情報を手紙で遺族に知らせたりもしている。
(『九軍神は語らず』の巻末にある《主要参考文献》の中に『捕虜第一号』新潮社 1949、『俘虜生活四ヶ年の回顧』東京講演会 1947 があげられているが、いずれも未読である。)

米国においても、日本においても、彼らはプロパガンダに利用されたのだ。
日本では、軍人、学者、小説家、が競うように「九軍神」を讃える文章を書き、歌人、俳人、詩人たちも讃歌をつくった。
かつて、個人紙に今回と同じテーマをとりあげた。そのとき引用した文章を今回も引用しておきたい。幸田露伴の孫、青木玉の『小石川の家』からの引用である。
 …どんなに 祖父が怒っても戦争は拡大し、中国各地に兵は進められて行った。親類の甥達は召集を受け、近所で毎日のように御用聞きに来ていた魚屋の息子も炭屋の跡取りも佐倉の連隊へ集められ外地へ行く先も知らされず送り出されて行った。
祖父は自身老いて力なく、国を守るべき息子はとうに先立っている。たまらなかったに違いない。古書を扱っていた人に中国の雲南の地図を取り寄せさせて、新聞やラジオのニュースを聞いて、どこへ兵士が派遣されたか自分も地図の上で道を辿った。この地方はどんな気候で地形はどうなっている。今の季節はどんな風が吹き、雨はどんな降り方をするか、炎熱酷暑、洪水泥濘、ろくな食べ物もなく、風土病に冒されれば全滅の憂き目に逢う。軍を預かる者は何を考えているのだ。古くからこの地であった戦さに、かくも無謀な兵の進め方をした者は無い、と怒りと悲しみで活火山のようになった。遂に真珠湾攻撃の特攻隊、人間魚雷、病んで仰臥したまゝ白髪も、白くなった鬚も震えて、
「ああ若い者がなあ、若い者が」
と号泣し 、私は居たたまれず部屋から飛び出してしまった。(pp.124-125)
露伴翁こそ、あの時代にあって、まともな精神を持ち続けた稀有な人物の一人であったと思う。

最後の特殊潜航艇の艇長となった植田一雄さんは、言った。「十名の若者たちは、わずか一ヶ月足らずの訓練を受けて出陣したのだ。不運にも戦果をあげることはできながったが、それはそれでいいではないか。軍神になぞしなくてもいい。任務を果たすべく、努力を尽くしたんだ。」
植田さんと同じように訓練を受けて出陣した4000名の若者たちが命を捨てた。

68年の歳月が流れた今も、真珠湾沖合い6キロ、水深400メートルの海底に放置されたままの横山艇。植田さんはいう。「あの司令塔に乗っておられたことは、間違いないですからねえ。」

別れるときがきた。植田さんは、遺族や戦友から預かった写真を調査艇の丸窓にかざしながら、呼びかける。「みなさん、お元気で、おふたりによろしくとおっしゃていました。横山さーん、上田さーん、安らかにお休みください……」






2009年12月30日水曜日

昭和十六年十二月八日⑥

5隻の特殊潜航艇のうちい4隻については確認できているのだから、今回発見されたのは、当然、横山艇である。これまで引用してきた『九軍神は語らず』のなかでも、横山艇が開戦日の午後10時41分に「トラトラトラ」を打電したとき、その艇は確かに、「真珠湾内に在ったが、爆雷に悩まされ、二本の魚雷は、すでに発射されていた。死場所を求めて…湾内を三日間さまよったあげく、壮烈な最期を遂げた。」と、牛島秀彦は書いているだけである。

横山艇の母潜水艦、伊十六潜(艦長、山田薫中佐 http://74.125.153.132/search?=cache:DxFqjklK4pQJ:www2.ocn.ne.jp/~srekishi/sensuikantyou.html+%E4%BC%8A%EF%BC%91%EF%BC%96%E5%8F%B7%E6%BD%9C%E6%B0%B4%E8%89%A6%E3%80%80%E8%89%A6%E9%95%B7%E3%80%80%E5%B1%B1%E7%94%B0%E8%96%AB&cd=1&hl=ja&ct=clnk&gl=jp)の電信兵だった岡山在住の出羽吉次さん(90歳)が、このテレビで次のように証言した。

横山さんとは階級は違うが、同い年で、潜水艇の建設段階からいっしょに仕事をした。横山艇が母潜を離れるとき、自分が最後に電話で話をした。元気で帰って来て下さいと言ったら、母潜に戻って「送り狼」
を連れてくるようなことはしない。こちらは二人ですむ。親艦の100人を助けるためにも、絶対に帰ってこない、と答えたという。
出羽さんは、その日ずっと横山艇に波長を合わせて待機していた。夜、10時41分、突然、「キラ」と一回だけ受信した。出羽さんは、日誌に、「キラ」(「トラ」)完受ス、と記入し、その旨通信長に報告して判断をまかせた、という。

映画の題名にもなってみなさんがご承知のように「トラトラトラ」は、「ワレ奇襲ニ成功セリ」の暗号電文でった。モールス信号ではトラは「・・―・・/・・・」だ。キラは「―・―・・/・・・」。つまり、トとキのちがいは、最初の「・」と「―」の1音の違いだ。
いずれにせよ、このキラを大本営はアリゾナ撃沈と結びつけ「九軍神」をでっち上げたのだ。

牛島秀彦も、アリゾナ撃沈は、時間的にも、特殊潜行艇によるものではないことを、ハッキリ言っているが、牛島の死の9年後に、出版された自叙伝のなかで、真珠湾攻撃の総指揮官だった淵田美津雄は次のように書いている。
 私が、十二月二十六日(引用者注:昭和十六年)拝謁で上京していたとき、大本営の潜水艦主務参謀の有泉龍之介中佐が、私のところへやって来て、「淵田中佐、アリゾナの撃沈を特別攻撃隊の戦果に呉れないか」と、もちかけたのである。私は苦笑した。
「別に功名争いするわけではないし、特殊潜航艇は特攻だから、その功績を大々的に吹聴してあげたいのはやまやまだけれどね、アリゾナは無理だよ。それはね、アリゾナはフォード島東側の繋留柱にかかっていたのだが、その外側にヴェスタルという工作艦が横付けしていたので、アリゾナには魚雷は利かなかったのだよ。従って特殊潜航艇の魚雷による轟沈などと発表したのでは、あとあと世界の物笑いになるよ」
 有泉中佐…は憤然として出て行ってしまった。(注1)
今回の調査の際、特別の許可を得て、二人の潜水夫が沈んでいるアリゾナの側面を調べたが、魚雷の当たった痕跡は発見できなかった。
また、横山艇についての記録はアメリカ側には全くない、というか残されていなかった。次回、最終回で述べたい。

注1 中田整一編/解説『真珠湾攻撃総隊長の回想 淵田美津雄自叙伝』
  講談社 2007年12月8日発行 p.140
  テレビでは、淵田の自筆原稿を紹介していた。




2009年12月24日木曜日

昭和十六年十二月八日⑤

第②回の冒頭に書いたように、今月6日の夜、NHKスペシャルがアメリカ公共放送WGBHとの国際共同制作「真珠湾の謎~悲劇の特殊潜行艇」を放映した。

17年前、ハワイ大学の海洋調査船が真珠湾沖合6キロで、偶然、日本海軍の特殊潜行艇の残骸を発見した。今年3月、日米の共同調査団がこれを調査することになった。使用された深海調査艇は、水深2000メートルまで10時間潜水可能で、水圧に耐えるカメラも装備していた。
搭乗できるのは三人で、日本人は植田一雄さん(83歳)が参加した。

真珠湾攻撃から2年後の1943年12月8日に封切りされた松竹映画「海軍」は、真っ先に真珠湾へ突入した横山正治少佐(軍神となって二階級特進)をモデルとしたもので、大本営海軍報道部が企画したものであるが、植田さんは、この映画を見て感激し、16歳で海軍兵学校に入学した。
特殊潜航艇は改良され、5人乗りの「蛟龍(こうりゅう)」となり、植田さんは艇長となって、特攻訓練を受けたが、戦後は、海上自衛隊を経て退役した。

深海調査艇は、水深380メートルのところで特殊潜航艇らしきものを発見、植田さんは、8の字のネット・カッターを確認して、日本海軍の特殊潜航艇だと断定した。さらに二本の魚雷は発射されており、これこそが横山艇に間違いないと言った。

もう一度、開戦時の真珠湾に戻る。
真珠湾からはるかに離れた裏オアフのベローズ・ビーチ沖合いのサンゴ礁に座礁した酒巻艇は、翌朝発見され、米軍によって分解され徹底的に調査、研究された。

水上機母艦カーチスと応急出動艦モナハンに魚雷を発射した岩佐艇は、その2隻によって撃沈され。2週間後引き上げられたが、損傷があまりにも大きかったので、「葬送の儀式を行ったうえ、…乗員二名の遺体を収めたまま当時建築中の潜水艦基地の基礎固めに用いられた。」「1947(昭和22)年3月、ハワイの米軍当局は、遺品として、真珠湾底の泥にまみれた海軍大尉の袖章を日本に送還、遺族(特別攻撃隊隊員中、大尉は岩佐直治隊長のみ)に送付された。」(『九軍神は語らず』 p.78&79)

前回、X-1艇とした特殊潜航艇は、「1960(昭和35)年6月13日、真珠湾湾口からダイヤモンド・ヘッドへ向かって、1.8キロ、深さ23メートルの海底から引き揚げられた。」「牡蠣(かき)が艇全体に付着して、艇番号もわからず、司令塔に砲弾痕…電池室付近に爆雷攻撃を受けた痕跡があるほか、艇体の破損は少なかった。/二本の魚雷は装着されたままで、未発射。その火薬は、約十九年間も海底にありながら、有効だった。/衝撃的なことは、艇内に、二名の乗組員の遺骨、遺歯がなかったことだ。遺留されたものは、作業衣一着、靴一足、一升瓶一本のみで、艇内は整理されていた。/…米海軍当局は、『搭乗員は沈没と同時に艇外に脱出、逃亡したものと推測される』とした。」(同上書 pp.73-74)
さらに、「司令塔ハッチの掛金が内側からはずされている」という米側の報告と、万一の場合には浮上上陸して敵陣に切り込むために、携行する日本刀と拳銃も艇内になかったことから、牛島秀彦はこう推測している。「搭乗員二名は、艇を浮上させ、司令塔ハッチを開いて、斬込みを敢行せんがために、海上に脱出した。」さらに、「真珠湾湾口からわずか一・八キロ。この海域は、裏オアフの海上とは違って波浪も穏やかで、人喰い鮫もめったに出ない。/また脱出したと見られる時刻には、未だ日本機による空爆も始まっておらず、海は、“平穏で、すばらしいハワイの海”なはずである。/…たかだか一・八キロの沖合いから陸地めざして泳ぎつくことは、『帝国海軍の遠泳の訓練』に比べれば、全く文字どおり屁の河童(ヘのカッパ)ではないか。/…オアフ島で、日本海軍軍人による斬込事件はない。/事実は小説より奇なり―。『九軍神』中二名(もしくは一名)が、脱出に成功をなし、ずうっとハワイの人となって生きつづけている可能性はある。」(同上書 pp.74-75)

日本軍の空爆の始まる前、6時45分にウォードが撃沈したX-1艇は無人だったことになる。このX-1艇は、1961(昭和36)年夏、日本に返還され、原形に復元されて、海上自衛隊第一術科学校教育参考館に安置されている。(同上書 p.73)

開戦当日の朝、巡洋艦セントルイスを湾口で魚雷攻撃したX-2艇は、魚雷を危うくかわしたセントルイスによって撃沈された。この艇は2002年に引き上げられている。

したがって、今回発見された特殊潜航艇は、横山艇ということになる。

2009年12月15日火曜日

昭和十六年十二月八日④

時計を逆戻りさせて、4隻の伊号潜水艦が真珠湾湾口に逆扇形に並んでいたところへ戻ろう。(以下「0012」のように、4桁数字で表示しているのは、現地時間で「午前零時12分」をいう。)
もう一つ付記しておく。これから書く内容は、ほとんどすべて、牛島秀彦の『九軍神は語らず』(講談社文庫)によっている。その親版は、1976年11月に講談社より刊行されている。これは、たいへんな労作で、今回のテレビ番組もこの本によるところが少なくないだろうと、思っている。

12月7日、5隻の母潜水艦から5隻の特殊潜航艇(甲標的)が真珠湾内に向かって発進した。
0042、横山艇。0116、岩佐艇、0215、古野艇。0257、広尾艇。0333、酒巻艇。
湾口は潜水艦の進入を防ぐための防潜網が下ろされていて、米軍の艦船が出入するたびに上げ下げされていた。そのため、潜航艇の前面には8字型のフェンス・カッターが取りつけられていた。彼らは、湾内侵入に成功しても、0800に始まる日本空軍の爆撃が終了するまでは海底で待機し、その後、残存している敵艦船に2本しかない魚雷を発射することになっていた。

0342、湾口付近で作業中の米掃海艇の1隻が、外方3.2キロの海面に小型潜航艇の潜望鏡を発見、付近を哨戒中の駆逐艦ウォードに発光信号。同艦は30分間付近の海上を捜索したが何も発見できなかった。潜望鏡発見の時刻、状況からして、横山艇であったと思われる。
0500直前に掃海艇を入港させるため、防潜網が開かれ横山艇が侵入したと考えられる。

0633、哨戒からもどる途中の偵察機がまたもや国籍不明の小型潜航艇を発見、位置を明確にするため発煙弾二個を投下した。その艇は工作船アンタレスの後ろをぴったりとつけて、湾内に侵入しようとしていた。
駆逐艦ウォードが現場に急行、0645、その艇に90メートルの至近距離から発砲、第2弾目を司令塔に命中させ、さらに爆雷攻撃を加えて沈没させた。
アメリカ海軍は、0756に開始された日本機による奇襲より1時間早く、日本海軍の秘密兵器を撃沈した。(ここでは、この艇をX-1艇としておく。)

0730、日本軍機の空爆開始直前に、駆逐艦ウォードの音波探知機が、新たな挙動不審の潜航艇をとらえた。ウォードは激しい爆雷攻撃を浴びせ、潜航艇はかなりのダメージを受け、多量の油を漏らしながらも追跡を逃れて、湾口攻撃を断念、空爆を避けて湾外へ脱出をはかる米艦をねらった。
1000頃、湾口に姿を現した巡洋艦セントルイスに魚雷二本を発射したが、危うくかわされて、魚雷は水道入口のサンゴ礁にあたって爆発した。
魚雷を二本発射すると、潜航艇の艇首は急に軽くなって海面に跳ね上がり、司令塔までが海上に浮上する。今度はセントルイスが司令塔を砲撃し、ルード船長はこれを撃沈したと、判断した。この撃沈された艇をX-2とする。

0835、応急出動艦モナハンは、日本軍機の空爆中であったが、湾内を航行中、信号兵が、水上機母艦カーチスが「敵潜水艦発見」の信号をあげていると艦橋に報告した。カーチスは日本機の急降下爆撃を受け、甲板上は火の海になっていた。まさか、と思っていたモナハンの艦長に「あの海面に見えるものは何でしょう」と艦橋にいた部下が言った。「どうやら敵潜水艦のようだ」という艦長の言葉が終わらぬうちに、その敵艦がカーチスめがけて魚雷を発射した。至近距離過ぎて魚雷は命中せず、パールシティのドックに命中した。モナハンの艦長はフルスピードを命じ、この潜航艇めがけて突進した。今度はモナハンめがけて魚雷が発射されたが、これもはずれてフォード島の海岸で爆発した。
その間、カーチスは、飛び出すように浮上した潜航艇の司令塔に射撃を浴びせ、艇長を即死させた。フルスピードで進んできたモナハンは潜航艇に激突し、その上を乗り越えた。さらに爆雷攻撃を加え、潜航艇の前部を吹っ飛ばした。無残な姿で撃沈されたのは、岩佐艇であった。

最後に母艦を離れた(0333)酒巻艇は、ジャイロ・コンパスの故障のために出動が遅れていた。そして、無謀にも故障が治らないまま発進したのである。そして0817、真珠湾口水道の東側のサンゴ礁に座礁して、米駆逐艦ヘルムに発見され砲撃を受けた。後進を繰り返しやっと離礁し、砲弾にも当たらず、再び潜航したが、座礁を繰り返し、魚雷発射装置の故障、圧搾空気やバッテリーのガス漏れなどで、艇内の気圧が上昇し、二人の疲労困憊はその極に達していた。真珠湾からはるかに離れた裏オアフのベローズ・ビーチ沖合いのサンゴ礁に座礁したとき、電池が放電しきって進むことができなくなった。上陸を決意した二人は、艇を残し、陸に向かって泳ぎ始めた。酒巻少尉は浜辺に人事不省で倒れているところを、日系二世のデイヴィド・M・阿久井軍曹に捕らえられ、この戦争の捕虜第1号になった。稲垣二曹は、極度の疲労で溺死したか、当時よく出没していた人食い鮫にやられたらしいという。

2009年12月14日月曜日

昭和十六年十二月八日③

ちょっとわき道にそれるが、今回のブログ記事を書くのにモタモタしていたら、昨13日の朝日新聞の【昭和史再訪】が12月8日の太平洋戦争開戦を取りあげて、(ハワイ=石川雅彦)がこんなことを書いていた。

……敗戦による国の崩壊へと突き進む起点が「真珠湾」だった。
 日本からはるか6千キロ。現在でもジェット機で7時間かかる。真珠湾をながめ、私は「よく、まあ、 こ んなところまで」と無謀さにあきれる。
 日本海軍は空母6隻に最新鋭の零戦を載せてハワイに向かった。だがそれは、真珠湾以降を 考えない日本海軍の「総力戦」だった。

引用した部分のなかでも、とくに零戦で真珠湾攻撃をしたなんて、ウソを書いてはいけない。

真珠湾攻撃総隊長であった淵田美津雄の自叙伝(注2)から引用しておく。
 オアフ島に向かう第一波空中攻撃隊の進撃隊形は、私の総指揮官機が先頭に立って、その直後に、私が直率する水平爆撃隊四十九機が続いている。右側に五百米離れて、…雷撃隊四十機…。左側には…降下爆撃隊五十一機…。そして…制空隊四十三機の零戦が、これら編隊軍の上空を警戒援護しながら、随伴しているのであった。(p.110)
二波にわたって発進した飛行機は、360機であった。

注2.編/解説 中田整一『淵田美津雄自叙伝』講談社 2007年12月8日

2009年12月12日土曜日

昭和十六年十二月八日②

去る6日(日)のNHKスペシャルで、「真珠湾の謎―悲劇の特殊潜航艇」が放映された。

1941年11月18日午後8時、大型巡洋潜水艦丙型の伊号潜水艦の4隻が、広島県倉橋島からハワイ真珠湾へ向かって出港した。各艦は特殊潜航艇を搭載していた。もう1隻は搭載する潜航艇の転輪羅針儀(ジャイロ・コンパス)が故障のため、翌19日午前2時16分出港した。
艦名・艦長:特殊潜航艇指揮官・同付は下記の通り。

伊22・揚田清猪中佐:岩佐直治大尉・佐々木直吉一曹
伊16・山田 薫中佐:横山正治中尉・上田 定(かみた・さだむ)二曹
伊18・大谷清教中佐:古野繁実中尉・横山薫範(しげのり)二曹
伊20・山田 隆中佐:広尾 彰少尉・片山義雄二曹
伊24・花房博志中佐:酒巻和男少尉・稲垣 清二曹

特殊潜航艇の10名の出身県は、岩佐大尉・群馬、横山中尉・鹿児島、古野中尉・福岡、広尾少尉・佐賀、酒巻少尉・徳島。佐々木一曹・島根、上田二曹・広島、横山二曹・鳥取、片山二曹・岡山、稲垣二曹・三重。(なお、母艦、伊16号の山田薫艦長も鳥取県出身である。)

士官の最年長は岩佐大尉の27歳、最年少は広尾少尉の22歳で、いずれも江田島の海軍兵学校出身
、艇付の最年長、最年少は佐々木一曹の28歳、片山二曹の24歳だ。

後で改めて紹介するが、『九軍神は語らず』の著者、牛島秀彦は「選別された十名は、いずれも申し合わせたように、…地方出身者であり、都会出身者は、一人もいない。」「彼等の大半は、農家出身で、子だくさんのなかで育ち、貧しく、寡黙で、剛毅木訥型だ。」と述べている。(23ー24ページ)

広島の倉橋島から出航した各潜水艦は、昼間は潜行、夜間は水上航行でハワイを目指した。開戦二日前の12月6日の日没までに、真珠湾湾口から185キロ圏に到達し、夜間に浮上して最後の特殊潜航艇発進準備を完了した。開戦前夜、5隻の母潜水艦は湾口を包むように逆扇型の隊形に並んでいていた。湾口までの距離は10~23キロであった。

2009年12月10日木曜日

昭和十六年十二月八日①

12月8日。「天声人語」は次のように結ばれていた。
▼今日が何の日か知らない若い世代が、ずいぶん増えていると聞く。わが身も含めて4人に3人が戦後生まれになった今、風化はいっそう容赦ない。伝える言葉に力を宿らせたいと、かつて破滅への道を踏み出した日米開戦の日に思う。
翌9日の「朝日川柳」にはこんな句が採られている。
   語りたい八日聞く人誰もいず

天声人語子に励まされ、この川柳に苦笑いしながら、このブログ記事を書く。

昭和16年12月8日(以下日時は東京時間)、午前7時、ラジオは臨時ニュースを伝えた。「臨時ニュースを申し上げます。臨時ニュースを申し上げます。大本営陸海軍部午前六時発表―帝国陸海軍は本八日未明、西太平洋においてアメリカ、イギリス軍と戦闘状態に入れり」のアナウンスが二度繰り返された。この日は月曜日であったから、醇風国民学校でも宮代校長が朝礼の壇上で開戦を告げ、少国民としての心構えを訓示したはずである。
「はずである」と書いたのは、ラジオの臨時ニュースも校長訓話もまったく記憶にないからだ。

当時の校長訓話がどのようなものであったか、兵庫県の加古川国民学校の「式日訓話記録」から冒頭部分を引用してみよう。12月11日に行われた「対米英戦争宣戦の大詔奉読式訓話」である。
何時になったらば、アメリカ、イギリスに対する宣戦の大詔を拝する事が出来るのかと、我々一億の国民は、実に待ちに待って今日に至りましたが、勿体無くも去る八日、アメリカ合衆国及イギリスに対し、宣戦の大詔を御煥発になりました。
我々国民として、感激此の上もない次第であると存じます。恐らく皆さんや私共が一生を通じて、こうした大詔を拝する事は、これが最後であろうと思います。私はこれで大詔を拝する事は三回目であります。日清日露両戦争と、此の度の対米英戦争と三回であります。
一昨日に、即ち十二月八日、午前十一時三十分、ラジオを通じて、宣戦の大詔が御煥発になった事を知って、只それだけの事を皆さんにお知らせしました。続いて十一時四十五分、宣戦の大詔の奉読あり、東條首相の「宣戦の大詔を拝して」と題する涙のこぼれる様なお話があったのでありました。
幸に十時頃にサイレン吹鳴禁止の命令(引用者注:空襲警報などをサイレンで知らせるため、学校の授業の開始、終了などをサイレンで知らせることを禁止したと思われる。)があったのと同時に、校長室のラジオをかけておいて、仕事をしていたので、この事が一早く知る事が出来、皆さんにお知らせもし、詔書の拝読や、首相のお話も、校内放声装置のお蔭で、聞く事が出来ました事は、他の学校でも数多く無い事でしょう。
……国力からいっても、軍備からいっても、経済力からいっても、世界一々々々と自分から誇っているし、又実力も持っているアメリカ合衆国並に地球上太陽の没する事のないという、広い領地を持つイギリスが、この太平洋方面の作戦の大事な基地にしている、アメリカのハワイや、ミッドウエイや、ウエイク、フィリッピン、又イギリスの香港、マレー、シンガポール等を電光石火の如く、八日午前三時を期して、米英両国の軍隊が立上がるひまもない程に爆撃し、又軍艦を轟沈する等、陸海軍の手ぎわのよさ、このニュースを聞いた皆さんの嬉しさ、私共の感激は死んでも忘れる事は出来ないと思います。(後略)注1.pp.270-271
長い引用になってしまったが、これで全体のざっと三分の一である。なお、原文は旧仮名遣いになっているが、現代仮名遣いに改めた。(続く)

注1.『加古川市史料2 加古川小学校式日訓話記録』加古川市史編さん室
   平成5年3月31日

2009年12月6日日曜日

当世ーワード(2009年12月①)

12月第1週の、当世キーワード(NHKラジオ第1・亀井肇)は、次の六つ。
青いバラ・邸宅カフェ・コンビニ用書籍・記憶の銀行・横手焼きそば・目的別積立預金。このなかから三つをご紹介しよう。

◆邸宅カフェ
ヨーロッパの豪華な邸宅を模したカフェのこと。邸内には特別注文のアンティーク風の家具が並んでいて、お客さんは一階の入口付近でお菓子とドリンクを購入して、好みの席まで運んでいって、気ままに自由にくつろぐことができる。神戸市に本社のある洋菓子メーカーが今年5月神戸市に開いたもので、コンセプトはリカルディーナという架空の王女さまが住んでいるヨーロッパ地中海沿いに建てられた邸宅としている。休日には兵庫県外からの客も訪れて、行列ができる賑わいを見せているという。

ネットで調べてみると「メニューは700~800円のドリンク類と、300~500円の約15種類あるケーキ。売れ筋はドリンクが付いたケーキセット」だそうな。

◆コンビニ用書籍
コンビニ大手の三社が出版取次大手の会社と組んで、販売する書籍。複数の出版社をまたいで、背表紙のデザインを統一してお客さんの目を引くようにしている。現在のところ中堅出版社の7社が参加を表明している。出版社はある作家の作品を先ずハードカバーの単行本で売り出して、一定期間経った後に文庫本として売り出すのが一般的なのだが、それをさらにコンビニ用書籍として売り出し、一作品あたりの収益を拡大しようとしている。分野としては、ビジネス、自己啓発、雑学、健康、ファッションなどを想定している。

◆記憶の銀行
イタリヤ北部の都市、トリノの若者四人が立ち上げたNPOのメモロというところが運営するオンラインのアーカイブ。イタリヤの高齢者が体験した第二次世界大戦中のファシズムとレジスタンス、その後の復興、繁栄などを貴重な財産として後世に残すために、ビデオカメラなどに収めて記録に残す運動。核家族化が進む中で、高齢者が体験したことを子どもたちに語り継ぐことで、家族のあり方を再構築したいという思いもあるようだ。

各国にも広がっているようだ。本家と日本の場合とアドレスは、下記をどうぞ。
   http://www.memoro.org/it/
   http://www.memoro.org/jp-jp/index.php

2009年12月4日金曜日

Google日本語入力が公開された!

これまで日本語入力にATOK17を使っていたのだが、新しいATOkの無料のトライアルを使ってみた。期限が切れて元に戻してから、調子が悪くて困っていた。
ところが、今月に入ってから「Google日本語入力」が使えるようになったことを知り、早速インストールした。むろんフリーだし、なかなかいい。こちらに切り替えることにした。こちらからインストールできます。

いろいろ説明しているサイトはたくさんあるが(親切な人が大勢いらっしゃるんですねえ)、下記のサイトが詳しいです。

2009年12月3日木曜日

ことば巡り③

「ことば巡り」も3日目になったので、今日でおしまいにする。

11月29日のNHKラジオ第1。5時台のおしまいは「音に会いたい」。過ぎ去った遠い昔にしばし戻ってみたいというリスナーたちのリクエストに応えて、さまざまな「昔懐かしい音」を聞かせてくれる。この日、二番目のリクエストは、静岡県のT.M.さん(79歳)から届いた点字の手紙。

小4の頃、ラジオから「紀元は二千六百年」という歌が連日のように流れてくる。昭和十五年、1940年は皇紀二千六百年[引用者注:つまり、天皇の御代になってから2600年目の目出度い年]に当たり、日本中が祝賀ムードに包まれていた。「金鵄(きんし)輝く日本の 榮(はえ)ある光身にうけて いまこそ祝へ[祝え]この朝(あした) 紀元は二千六百年 あゝ 一億の胸はなる 」
ところが、戦局の悪化とともに、ひどいインフレに見舞われた庶民のあいだに、替え歌が生まれ、またたくまに広がった。
「あの替え歌をもう一度聞いてみたいものです。」

「金鵄」上がって15銭
栄えある「光」30銭
今こそ来たる この値上げ
紀元は二千六百年
ああ1億の民は泣く

「金鵄」上がって15銭
栄えある「光」30銭
いちばん高い「鵬翼」(ほうよく)が
苦くて辛くて50銭
ああ1億のカネは減る

わたしも、この歌をリクエストされた方の四つ年下。この年、幼稚園の最上級生だったが、久松山下の堀端を行進する提灯行列の記憶が残っている。翌年、発足した国民学校入学後、この奉祝歌も替え歌も歌っていた。

金鵄(きんし)というのは金色のトビのことで、「神武天皇東征」のとき、天皇の持つ弓の先に止まって、その光り輝く金色が賊軍の目をくらませて、勝利に導いた。金鵄勲章はご存じでしょ?
「金鵄」「光」「鵬翼」はすべて当時売られていたタバコの名前。
この奉祝歌と替え歌の詳しい記事が、下記のアドレスにあります。

歌で思い出した。[深夜便のうた」というのがあって、毎回放送される。10月頃から放送されている「昭和浪漫~第2章~」が気に入っている。作詞・作曲:オオガタミズオ、歌:大川栄策。
 
風に追われるように街を歩いてる
痩(や)せた野良犬も見かけなくなった
路地の屋台で聴いた ギター流し歌
そんな風情もまた 消えて行(ゆ)くのですか
小さな手をつないで 夕焼けこやけの道を
歌って帰った昭和は風の中

裸電球点(とも)した小さな駅から
夢を枕にして あの日 町を出た
あれから幾年月 時は流れたけど
あの日の夢はまだ列車の棚の上
貧しかったけれどみんな元気だった
笑顔と一緒に昭和は夢の中

振り向けば人生の旅は半ば過ぎて
歩いて来た道に悔いはないけれど
これからが青春です もうひと花咲かせましょう
思い出つまった昭和は夢の中
昭和は夢の中

今まで好きでもなかったが、この大川栄策はいいと思う。

YouTubeがありましたよ。興味のある方はどうぞ。

ひと頃よく言われた「明治は遠くなりにけり」というフレーズがあったけれど、昭和に郷愁を覚えるのは、やはり、年取ったんですねえ…。
やがて、午前6時。お母さん方が起き出してきて、ラジオを聞きながら休日の朝の食事の準備に取り掛かるのでしょう。
「映画って、ほんとにいいですね」というキャッチフレーズを使った映画評論家がいたが、ラジオって、ほんとにいいですね。

2009年12月2日水曜日

ことば巡り②

前夜の11時のニュースの後から始まる【ラジオ深夜便】は午前5時に終わり、5分間程度のニュースが終わると、現役のアナウンサーが担当する【ラジオあさいちばん】が始まる。土日はそれぞれ【ラジオ】が【土曜】【日曜】に変わる。土日の担当は、佐塚元章・鈴木有才子の両アナである。

一昨日は今月5回目の日曜日だったので、亀井肇さんの「当世キーワード」の放送はなく、NHK放送文化研究所の田中浩史主任研究員が「美化語」について話した。美化語(びかご)とは、「お話」や「ご本」のように言葉の頭に「お」や「ご」つけた言葉をいう。
田中研究員が佐塚アナに、今年の初めに実施した調査と同じ言葉を示して、美化語を使うかどうかを尋ねる。

1.ビール →「これは、ビールですよ」
2.酢   →「お酢ですね」
3.正月  →「お正月ですね」
4.みかん →「これは、みかん」
5.台所  →「そのままですね」
6.鍋   →「男性の友達と鍋料理を食べるときは、『なべ、いこう』なんて言うが、娘には『今夜は、おと うさん、お鍋がいいな』などという」
7.カネ  →「どちらかといえば、お金がおおいですね。」
8.ソース →「これは、ソース」
9.酒   →「お酒ですね」
10.天気 →「これも使い分けていますね。相手や場所によって使い分け ているんですね」

田中さんによると、今年の調査では、「お正月」「お金」「お酒」は、7~8割の人がおかしくないと言っている。逆に、余り使わない、放送にはふさわしくないと言っているのは、「おビール」「おソース」「おみかん」「お台所」で、前の三つの言葉を支持したのは、それぞれ3%、5%、7%。
判断の分かれたもの、「迷った」というのは、酢、天気、鍋で、いずれも付ける、付けないが半々くらい、年代、性別、どんなグループの中で話しているか、などで異なるという結果であった。
もともと、「お」のつくのは一般に「お宮」「お寺」「お城」のように尊敬の対象になっていたものにつけた。
室町時代になって、女房言葉で、「でんがく」を「おでん」と、ていねいに、上品にいうようになったと言われている。
近代になると、幼稚園言葉というか、幼児向けの言葉で、
 おはな、お絵かき、お机
料理で
 お大根、お紅茶
といったものが加わって、今の言葉になったといわれている。やはり今でも、女性の方が美化語を多く使うことがハッキリ出ている、という。

13年前の1996年にも同様の調査をしているが、それに比べると、男性の美化語の使い方がこの間に急激に増えてきているそうだ。(たとえば、「お正月」は、51%→今回80%)
これからも、時代とか環境とか人間関係で、増えたり減ったりするかもしれない。日本語の中でも、揺れ続けているものの一つといえるかもしれない。

佐塚アナ「たいへん興味深い『お』話、ありがとうございました」w。

2009年12月1日火曜日

ことば巡り①

先月のブログは「当世キーワード」だけになってしまったが、11月29日は、5回目の日曜日だったので、亀井肇さんの「当世キーワード」の放送はなかった。しかし、「ことば巡り」と題して、言葉のあれこれを取りあげてみたい。

わたしのような年寄り―老人、(前期・後期)高齢者、じいさん・ばあさん、おいぼれ…)は、夜、床につくのが早い―その結果、目覚めるのが早いので、多くの者が【ラジオ深夜便】の愛聴者になってしまう。おッと、「愛聴者」と書いてしまったが、あってもいいと思うこの言葉は、一般には使用されていないようだ。
似たような言葉を並べてみよう。(○は、使用できる/×はできない)
  
  ○読み取る       ○聞(聴)き取る
  ×読取者         ○聴取者
  ○愛読する       ○愛聴する
  ○愛読書        ○愛聴盤(レコード)
  ○愛読者        ×愛聴者
         ○視聴者
         ×愛視聴者

いま一つ「聴取」という言葉があって、意味は次の二つ。
①事情や状況などをききとること。
②ラジオなどをきくこと。

①から、検察官や司法警察職員が作成する「聴取書」ができ、②から「聴取率」という言葉ができている。テレビの場合は「視聴率」となる。

テレビでは「視聴者のみなさん」と呼びかけ、ラジオでは「リスナーのみなさん」とアンカーがおっしゃる。

政府の行政刷新会議は昨日、国の事業見直しに関する国民の意見を来年1月から募集すると発表した。鳩山首相の名前にちなんだ hatomimi.com を立ち上げて意見を募るという。

「馬耳東風」あらため「鳩耳東風」にならねばいいが…。

とにもかくにも、いろいろと、ややこしいことではある。(つづく)

2009年11月22日日曜日

当世キーワード(2009年11月④)

今朝のNHKラジオ第1、亀井肇さんの当世キーワードより。

◆着地型旅行
これまでの観光旅行は首都圏や大都市などにある旅行会社が企画して参加者を集め、その参加者を地方の観光地に送り込む、というハッチ型旅行が主流であった。
それに対して、地元の旅行会社や団体や企業などが企画して主催する現地発着の旅行を着地型旅行という。最大の特徴は、地域の特色を生かした体験とか交流を重視していることにある。
2007年5月に旅行業法の施行規則が改正されて、中小の地元の旅行会社でもその地方のパッケージツアーなら企画できるようになったことから盛んに企画されているようだ。

◆エコ果物
葉の部分を再利用したパイナップルとか、二酸化炭素の排出枠をつけたバナナなど、環境に配慮した果物をいう。
果物の大手輸入商社は、昨年秋、一房あたり1キロの排出枠をつけたバナナを発売している。このバナナを買えば、輸出の時に排出される二酸化酸素などを考慮しても、一房500グラム程度の二酸化酸素削減につながる。
青果物販売大手の会社は、食べられない葉の部分を産地のフィリッピンであらかじめ取り除いたパイナップルを今年の4月から販売している。取り除いた葉の部分は農地に植えると再び実がなるために、年間3トン程度の葉のゴミ削減に連なるわけだ。
環境問題に関心のある消費者の需要を掘り起こしているらしい。


◆ボトム・オブ・ピラミッド(BOP)
アメリカ、ミシガン大学ビジネス・スクールのプラハラード教授が提唱したもので、経済ピラミッドの底辺ということを意味している。人口が多く、購買力の向上が見込まれる途上国の低所得者層を指している。
世界の有力企業はこの層を取り込むことに懸命になっているが、先進国向けの高価格帯商品の需要が先細りしていて、途上国の低所得者層をターゲットに切り換えているわけだ。
世界銀行の関連団体によると、BOPは、年間所得3000万ドル未満で暮らしている40億人の低所得者層が該当し、潜在的な市場規模は5兆ドルにのぼるという試算もある。
こうしたBPOに低・中価格帯の商品を売り込むと同時に、所得向上につながる仕事を提供して、貧困削減と新しい市場獲得の両立を目指しているようだ。


◆ラーメン ロボット
ラーメンを完全に調理するロボット。産業ロボットを製造している会社が作っている。
お客の注文を受けると、人間用の調理器具を使って、スープの調合、麺ゆでなどを素早くこなし、1分35秒で完成させる。できあがると、「一丁あがり」と電子音で威勢よく知らせる。
店長と副店長の、2台のアーム型ロボットが、お客さんをお待ちしてるそうな。醤油ラーメン、塩ラーメンと注文してもOKだそうで~す。


◆書道パフォーマンス
書道に音楽とダンスの要素を取り入れたパフォーマンス。白い着物に袴をはいた女子高生たちが一斉に筆をとって紙に向かい、キビキビとした動きで展開しているという。
今から11年前にテレビで放映された全国高校生文化祭グランプリで、福岡県立築上(チクジョウ)中部高校=現在は、県立青豊(セイホウ)高校=の書道部がDA PUMPの“Feelin' Good”の歌詞を横十数メートルの紙に歌いながら書き上げたのが最初とされている。
これが各地の女子高生たちに広がって、全国大会も昨年から「書道パフォーマンス甲子園」に発展している。

2009年11月15日日曜日

当世キーワード(2009年11月③)

NHKラジオ第1、亀井肇さんの当世キーワードより。ところで今日、11月15日は「かまぼこの日」です。なぜ? こちらをどうぞ。
いや、これは当世キーワードとは、何の関係もありません。

◆オリエンタル ウェスタン
イタリア製ウェスタンのことをマカロニ・ウェスタンと読んでいたが、韓国製のものをいう。

◆貼るワクチン
大手製薬会社などが開発を進めている、皮膚に貼り付ける新しいタイプのワクチンで、約1センチ角のシール状のワクチン。微細な突起が約1000本出ていて、腕などに押しつけるように貼る。
短い突起は皮膚の中までしか入らず、神経には達しないために痛みはほとんどなく、事故の心配もない。
皮膚には、ワクチン成分を認識し、ウィルスをやっつける抗体の作成に導く特殊な免疫細胞が皮下組織などより多く存在するので、効果が出やすいといわれている。実用化され、承認されるのは数年後といわれている。

◆どうぶつ しょうぎ
将棋のルールを簡素化し、駒を動物のキャラクターに置き換えたこども向けの将棋。詳しくはこちらでどうぞ。

◆エレベスト
世界一の山、エレベストではなく、「エレベーターをこよなく愛する人」という意味だ。編集プロダクション代表、梅田カズヒコさんによる命名。
ある出版社の編集者が「団地萌え」が流行した時期に、これと対抗するものとしてエレベーターを考え、それを本にすることを梅田さんに提案したという。「団地萌え? なんじゃ、そりゃ?」という人、こちらをどうぞ。 
「エベレスト」も、こちらをどうぞ。

◆スチームポット
陶器製の鍋と底に敷く簀の子とがセットになっているポット。
鍋の底に貼った水を加熱して、上がってくる蒸気で簀の子にのせた食材を蒸し上げるという仕組みになっている。
油を使わずに火を通すことができて、余分な油は簀の子の間から落ちるため、ローカロリーな食事を楽しむことができる。簀の子を使わなければ、土鍋としても使用することができる。
こちらが分かりやすいかな。








2009年11月8日日曜日

当世キーワード(2009年11月②)

今朝のNHKラジオ第1、亀井肇さんの当世キーワードより

◆タートルトーク
東京ディズニーランドで、今年の10月からはじまった新しいアトラクションの名前。ディズニーの人気映画のファインディングにも登場しているウミガメのクラッシュウが主人公で、客はコンピュータグラフィックスで再現された海の中で、クラッシュウと双方向で会話を楽しめる。
専用のマイクを通じて、クラッシュウが投げかけてくる質問に客が答えたり、逆に、クラッシュウが話しかけたりして楽しむ。
クラッシュウ役の声優が客からは見えないが、全体を見渡せる位置にいて、質問した客の服装とか、ジェスチャーなどについて質問したりして、客と同じ場所にいることを前面に押しだしている。

◆ラーメン フォーク
円形のスプーンの先にフォークのついたもの(実物の形は、後掲のアドレスなどでごらんあれ!)。学校給食で使用されている先割れスプーンにヒントを得て、名古屋のあるラーメン店、スガキヤが1978年に開発した。創業60周年の今年を記念して、デザイナーの高橋正実さんが刷新した。
麺とスープがよくからみ、箸よりもおいしく食べられると大人にも子どもにも好評。そのシンプルで使いやすいデザインが高い評価を得て、モダンアートの殿堂、アメリカ・ニューヨ-ク近代美術館、MoMAのミュージアムショップの大人気商品となっている。

◆音鉄(オトテツ)
鉄道オタクのなかで、電車の出す音や駅周辺の音に強い関心を寄せる人を指して、音鉄と呼ぶ。
もともとは電車のエンジンの音に関心を持って、それぞれのエンジン音や車輪の出す音について、その音を聞き分けて、それがどのような電車であるかを当てて自慢しあっていた。
それが次第に範囲を拡げて、車内に流される音楽とか、車掌のアナウンス、駅のアナウンスや発車メロディにまで興味が広がってきている。
最近では駅ごとに発車メロディが異なっていて、その発車メロディを模した目覚まし時計なども発売されている。
また発車メロディとクラシックを組み合わせた「山手線上のアリア」といったクラシックCD の電クラ(=電車クラシック)といったものも発売されてきている。

◆美人時計
インターネットのサイトで、時刻を書いたボードを持った美女の写真が1分ごとに切り替わるものが、美人時計である。
1人の「持ち時間」は4分間で、1分ごとにポーズが全身から顔のアップまで少しずつ変わるために、見ていると徐々に美人が迫ってくるような感じがする。
サイトでは、24時間で360人の美女が登場する。運営会社では、普通の女性のありのままの美しさを引き出したいということで、公募とか芸能事務所への依頼は行わず、スタッフが新宿や渋谷などの繁華街に出かけて、女性と出演を交渉して撮影している。
女性からのイケメンを見たいという要望に答えて、美男時計も今月からオープンしているらしい。

◆併願割引
大学受験の際に、ある学部の受験生が同じ大学の別の学部を受験する場合に、
2回目以降の受験料を割引する制度。
関西方面の大学からはじまり、全国的に普及してきている。ある大手予備校の調査によると、今年度においては全国の私大の半数を超える300校以上が取り入れているという。
来春から導入するある大学の例では、全学科で同じ試験日となる一般入試の場合、1学科目の受験料は35,000円であるが、2学科目は15,000円引きの2万円ですむようになっている。
関心のある向きは、ネットで調べてみてください。


2009年11月1日日曜日

当世キーワード(2009年11月①)

今朝のNHKラジオ第一、亀井肇さんの「当世キーワード」から。

①提案型書店
JR東京駅前にある大型書店が始めた。訪れる消費者に対して、「人生で夢見る出来事」とか「フフフと笑ってみたいときに読む本」といったテーマや内容ごとに、独自の分別陳列で商品を売っている書店。
これまでの書店は、委託販売制度に守られて、取次会社が配本したものを並べて販売するだけであった。売れなかった本も無償返品できるため、販売努力が足りないという反省から生まれた。
それぞれの分野の知識に強い店員を育て、その知識に基づいて仕入れを行い、それを消費者に対して提案していこう、としている。

②地図でユニセフ
世界各地の子どもたちが直面している問題について、地図やイラストを用いて、わかりやすく解説した、32ページ・オールカラーのパンフレット。
1テーマを2ページ見開きで解説している。
日本ユニセフが作成して、全国の小学生や希望者に配布している。
アフリカ諸国で大きな問題となっている5歳未満児の死亡率が高いことを伝えるページでは、率の高低で色分けをした地図を載せている。ほかにも、安全な水が使えるとか、小学校に通うことができるといった、子どもたち直面している、さまざまな問題について解説している。

③ICカードで出席管理
学生証をICカードにして、そのカードで授業の出席を管理するシステム。
教室のドア付近に読み取り端末を設置して、学生が講義前にカードをかざすと出席したことが確認される。5分たつと遅刻者となってしまう。
講義中に出席をとる時間が省略されて、教師はそれだけ講義に集中できる。これまでは、出席簿の読み上げ方式とか、出席カードの記入方式などが行われていたが、代返などをする学生が跡を絶たなかった。
ICカードで出席を取るようにすると、学生証の中に学内で使える電子マネーなども入っていて、カードを他人に貸すことはないので代返もなくなるといわれている。

④チルド弁当
いくつかのコンビニで売り出した冷蔵弁当のこと。これまでコンビニで販売する弁当は、18度前後の温度で配送、陳列していたために、製造から消費期限まで15時間ていどであった。
ところが、チルド弁当は5度以下で冷蔵保管しているために、61~85時間くらい保たせることができる。販売するときには電子レンジで温めて消費者に渡す。冷やしてもご飯が固くならないように炊き方に工夫をし、味も従来の弁当と変わらないという評判になっている。

⑤せんべろ
1000円でべろべろになるまで飲むということを「せんべろ」という。高級なクラブやバーに行けば、ビール1杯でも1000円を超えてしまうが、格安な店を探せば1000円で充分に飲むことのできる店がまだまだあるようだ。
リーマン・ショック以来、100年に一度という日本経済の景気悪化のなかで、家計がきびしくなり、奥さんから小遣いはほんの雀の涙程度しか貰えない。そこで、格安の立ち飲みの店とか980円均一などの店を、様々な情報を駆使しては探し出して、行くことになる。
もちろん、こうした店は一人ででふらふらと立ち寄ることができるが、コップに満々とつがれた日本酒とか焼酎を数杯飲めば充分に酔うことができる。ビジネスマン向けの雑誌などでも、こうした「せんべろ」の店の紹介を行う特集が増えてきているらしい。

ひとごとではない。「せんべろ」を探さなくちゃあ。