2009年12月15日火曜日

昭和十六年十二月八日④

時計を逆戻りさせて、4隻の伊号潜水艦が真珠湾湾口に逆扇形に並んでいたところへ戻ろう。(以下「0012」のように、4桁数字で表示しているのは、現地時間で「午前零時12分」をいう。)
もう一つ付記しておく。これから書く内容は、ほとんどすべて、牛島秀彦の『九軍神は語らず』(講談社文庫)によっている。その親版は、1976年11月に講談社より刊行されている。これは、たいへんな労作で、今回のテレビ番組もこの本によるところが少なくないだろうと、思っている。

12月7日、5隻の母潜水艦から5隻の特殊潜航艇(甲標的)が真珠湾内に向かって発進した。
0042、横山艇。0116、岩佐艇、0215、古野艇。0257、広尾艇。0333、酒巻艇。
湾口は潜水艦の進入を防ぐための防潜網が下ろされていて、米軍の艦船が出入するたびに上げ下げされていた。そのため、潜航艇の前面には8字型のフェンス・カッターが取りつけられていた。彼らは、湾内侵入に成功しても、0800に始まる日本空軍の爆撃が終了するまでは海底で待機し、その後、残存している敵艦船に2本しかない魚雷を発射することになっていた。

0342、湾口付近で作業中の米掃海艇の1隻が、外方3.2キロの海面に小型潜航艇の潜望鏡を発見、付近を哨戒中の駆逐艦ウォードに発光信号。同艦は30分間付近の海上を捜索したが何も発見できなかった。潜望鏡発見の時刻、状況からして、横山艇であったと思われる。
0500直前に掃海艇を入港させるため、防潜網が開かれ横山艇が侵入したと考えられる。

0633、哨戒からもどる途中の偵察機がまたもや国籍不明の小型潜航艇を発見、位置を明確にするため発煙弾二個を投下した。その艇は工作船アンタレスの後ろをぴったりとつけて、湾内に侵入しようとしていた。
駆逐艦ウォードが現場に急行、0645、その艇に90メートルの至近距離から発砲、第2弾目を司令塔に命中させ、さらに爆雷攻撃を加えて沈没させた。
アメリカ海軍は、0756に開始された日本機による奇襲より1時間早く、日本海軍の秘密兵器を撃沈した。(ここでは、この艇をX-1艇としておく。)

0730、日本軍機の空爆開始直前に、駆逐艦ウォードの音波探知機が、新たな挙動不審の潜航艇をとらえた。ウォードは激しい爆雷攻撃を浴びせ、潜航艇はかなりのダメージを受け、多量の油を漏らしながらも追跡を逃れて、湾口攻撃を断念、空爆を避けて湾外へ脱出をはかる米艦をねらった。
1000頃、湾口に姿を現した巡洋艦セントルイスに魚雷二本を発射したが、危うくかわされて、魚雷は水道入口のサンゴ礁にあたって爆発した。
魚雷を二本発射すると、潜航艇の艇首は急に軽くなって海面に跳ね上がり、司令塔までが海上に浮上する。今度はセントルイスが司令塔を砲撃し、ルード船長はこれを撃沈したと、判断した。この撃沈された艇をX-2とする。

0835、応急出動艦モナハンは、日本軍機の空爆中であったが、湾内を航行中、信号兵が、水上機母艦カーチスが「敵潜水艦発見」の信号をあげていると艦橋に報告した。カーチスは日本機の急降下爆撃を受け、甲板上は火の海になっていた。まさか、と思っていたモナハンの艦長に「あの海面に見えるものは何でしょう」と艦橋にいた部下が言った。「どうやら敵潜水艦のようだ」という艦長の言葉が終わらぬうちに、その敵艦がカーチスめがけて魚雷を発射した。至近距離過ぎて魚雷は命中せず、パールシティのドックに命中した。モナハンの艦長はフルスピードを命じ、この潜航艇めがけて突進した。今度はモナハンめがけて魚雷が発射されたが、これもはずれてフォード島の海岸で爆発した。
その間、カーチスは、飛び出すように浮上した潜航艇の司令塔に射撃を浴びせ、艇長を即死させた。フルスピードで進んできたモナハンは潜航艇に激突し、その上を乗り越えた。さらに爆雷攻撃を加え、潜航艇の前部を吹っ飛ばした。無残な姿で撃沈されたのは、岩佐艇であった。

最後に母艦を離れた(0333)酒巻艇は、ジャイロ・コンパスの故障のために出動が遅れていた。そして、無謀にも故障が治らないまま発進したのである。そして0817、真珠湾口水道の東側のサンゴ礁に座礁して、米駆逐艦ヘルムに発見され砲撃を受けた。後進を繰り返しやっと離礁し、砲弾にも当たらず、再び潜航したが、座礁を繰り返し、魚雷発射装置の故障、圧搾空気やバッテリーのガス漏れなどで、艇内の気圧が上昇し、二人の疲労困憊はその極に達していた。真珠湾からはるかに離れた裏オアフのベローズ・ビーチ沖合いのサンゴ礁に座礁したとき、電池が放電しきって進むことができなくなった。上陸を決意した二人は、艇を残し、陸に向かって泳ぎ始めた。酒巻少尉は浜辺に人事不省で倒れているところを、日系二世のデイヴィド・M・阿久井軍曹に捕らえられ、この戦争の捕虜第1号になった。稲垣二曹は、極度の疲労で溺死したか、当時よく出没していた人食い鮫にやられたらしいという。

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