ふたりが鳥取に「着いてみると、手配しておいた家がまだ整っておらず、十日間は入居できないという。台所で鶏を飼っていたらしく、ひどく汚いうえに、壁塗りも終わっていない。前の住人が皮膚病だったそうで、家中に消毒薬の臭いが立ち込めていたなど、困難な新婚生活の出発のようである。」と、加藤恭子は書いている。(p.46)
これが最初の回で「ベネットさんの家」として紹介した家であろう。当時は「異人屋敷」と呼ばれていたらしい。いつ頃までそう呼ばれていたかわからない。
わたしの小学校時代、ベネット一家はすでに住んではいなかったが、「ベネットさんの家」と呼んでいた。ひと月ばかり前に鳥取西高時代の同期生二十人ばかりが集まったとき、そのことを醇風小学校出身の二、三人に尋ねてみたが、「ベネットさんの家」と異口同音に答えた。
夫妻が赴任した鳥取教会は、『鳥取教会百年史Ⅰ』(鳥取教会百年史編纂委員会、一九九〇年)によると、創立は明治二十三年(一八九〇年)とある。わたしの二人の娘も通った愛真幼稚園も、道路を隔ててその前にある鳥取教会も、場所は昔と変わってはいない。「ベネットさんの家」から歩いて15分もかからないくらいの距離だ。
夫妻は協力して種々の事業に従事した。少し前から、前任の宣教師の自宅で行われていた児童保育のプレイ・スクールを拡張して、鳥取幼稚園を創設。これは現在も愛真幼稚園として幼児教育が行われている。また、昭和5年(1930年)には、幼稚園の敷地内に「南窓館」というクリーム色二階建ての洋館を建て、若い人たちの活動の拠点とした。日曜学校のほかにも、家政科、英語科、タイプ科などを作り、文化センターとしての役割も果たした。
教会関係者が保存している古い写真を見ると、明治四十一年(一九〇八年)の若き日のヘンリーは、秀でた額にがっちりと張った顎の芯の強そうな青年。隣に坐る夫人は、髪を後部でまとめているらしい。立衿の白っぽいロングドレス姿である。(pp.46-47)
現在の教会は1984(昭和59)年に完成した。「白でアクセントをつけた煉瓦の二階建てで」「三角屋根の頂点に十字架を頂く白と茶色の鐘楼がひと際目立つ」とその印象を加藤恭子は書いている。(p.48)
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