2009年11月22日日曜日
当世キーワード(2009年11月④)
2009年11月15日日曜日
当世キーワード(2009年11月③)
2009年11月8日日曜日
当世キーワード(2009年11月②)
2009年11月1日日曜日
当世キーワード(2009年11月①)
2009年10月19日月曜日
当世キーワード(2009年10月②)
2009年10月6日火曜日
田中菊雄『現代読書法』で知った新渡戸稲造
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2009年10月5日月曜日
当世キーワード(2009年10月①)
2009年9月29日火曜日
当世キーワード(2009年9月③)
最初の二つは、頭髪が減少しつつあるわたしには、関心はありませんが、1個所ずつサイトを紹介しておきます。亀井さんは、「ボブヘアーも、自分らしく生きたいという心の現れ」とおっしゃていましたが…。
◇ボブ男
http://mjwatch.jugem.jp/?eid=973
◇スジ盛りヘアー
http://ameblo.jp/chidu-h/entry-10156055038.html
次のふたつは、生きづらくなってきた現在、生まれるべくして生まれたものでしょう。
◇貸しスーツ
http://job.yomiuri.co.jp/news/ne_09071601.htm
◇ライド シェア
http://notteco.jp/
◇歩き食べ族
これについては、自称、東京・新宿は余丁町のご隠居、橋本尚幸さんのブログ、Letter from Yochomachi が1ヶ月前に取り上げておいでです。そちらをご覧下さい。
http://www.yochomachi.com/2009/07/blog-post_28.html
◇信州プレミアム牛肉
おいしそうだが、お高いンでしょうねえ。
http://www.pref.nagano.jp/nousei/nousei/oisiinet/contents-premium.html
2009年9月23日水曜日
もう一度宮沢賢治
*パルバースさんによる"STRONG IN THE RAIN"の朗読を本誌ホームページしかし、ここでは10月号に掲載されているものしか聞けません。いろいろ探してみましたが、NHKのサイトではだめのようです。
(http://radio.nhk-sc.or.jp)で聞くことができます。
パルバースさんは「雨ニモマケズ」の英訳についてこう語っている。
「雨ニモマケズ」の英訳はいくつかあるのですが、そのどれもが、「マケズ」をそのまま否定形で訳していて、「ちょっと違うな」と思っていました。だからぼくの訳は、“Strong in the rain”で始まっています。「強い」という意味の“strong”で、「よし、やるぞ」という感じを出したかったんです。著作権のこともあるので、前半の英訳をご紹介する。
それは賢治の願望であり、祈りでもあったから。
「雨ニモマケズ/風ニモマケズ/雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ/丈夫ナカラダヲモチ/欲ハナク/決シテ瞋ラズ/イツモシズカニワラッテイル/一日ニ玄米四合ト/味噌ト少シノ野菜ヲタベ/アラユルコトヲ/ジブンヲカンジョウニ入レズニ/ヨクミキキシワカリ/ソシテワスレズ/……」
Strong in the rain
Strong in the wind
Strong against the summer heat and snow
He is healthy and robust
Free from all desire
He never loses his generous spirit
Nor the quiet smile on his lips
He eats four go of unpolished rice
Miso and a few vegetables a day
He does not consider himself
In whatever occurs...his understanding
Comes from observation and experience
And he never loses sight of things
パルバースさんに関連するサイトなどを追加しておきます。
| Strong in the Rain: Selected Poems | |
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2009年9月22日火曜日
昨日は宮沢賢治の命日だった
山内修=編著『年表作家読本 宮沢賢治』 (河出書房新社)1981年9月発行
この本は、上段が年譜、下段がそれに沿った解説という構成になっていて、ページ数は印刷されていない。
賢治が亡くなったのは、1933(昭和8)年の9月21日。
二一日、午前一一時半、賢治の寝ている二階から、突然「南無妙法蓮華経」と高々と唱題する声が聞こえてきたので、みな驚いて二階へ上がると、容態は急変していた。父が何かいい残すことはないかと聞くと、国訳の法華経を一千部印刷して、知己友人にわけてほしいという。父は賢治のいうことをまとめて文章にして賢治に確認した。(ここまで読んで何気なく時計を見たら、正に午後1時30分ではないか! 偶然とはいえ、いささか驚いた。)同じページの下段には、賢治の弟、清六の文章が載せられている。
「合掌、私の全生涯の仕事はこの経をあなたのお手許に届け、そしてその中にある仏意にふれて、あなたが無上道に入られんことをお願いする外ありません。昭和八年九月二一日臨終の日に於いて、宮沢賢治」
午後一時三〇分、永眠。(上段)
父はその通りに紙に書いてそれを読んで聞かせてから、「お前も大した偉いものだ。後は何も言うことはないか。」と聞き、兄は「後はまた起きてから書きます。」といってから、私どもの方を向いて「おれもとうとうお父さんにほめられた。」とうれしそうに笑ったのであった。この文章は、書棚から持ってきたもう1冊の本、宮澤清六『兄のトランク』(筑摩書房 1987年9月)のⅣに収められている「兄賢治の生涯」の最終部分(p.238)でもある。
それから少し水を呑み、からだ中を自分でオキシフルをつけた脱脂綿でふいて、その綿をぽろっと落したときには、息を引きとっていた。九月二十一日午後一時三十分であった。
―――*―――*―――*―――*―――*―――
醇風国民学校2年生のとき、教室(特別教室であったと思うが、正確な名称は分からない)の板張りの床に座って、映画「風の又三郎」を見せてもらったのを覚えている。
―――*―――*―――*―――*―――*―――
賢治の作品を英訳したロジャー・パルバース(Roger Pulvers)という在日オーストラリア人(元アメリカ人)がいる。昨年、宮沢賢治賞を受賞した。
今年の5月17日と18日、2回にわたってNHKラジオ深夜便[こころの時代]のインタビューに出演した。この放送をCDに録音していたので、昨夜、聞き直してみた。
冒頭部分で、聞き手の鈴木健次さんが、「宮沢賢治賞を受賞された昨年は賢治の没後75年でしたね」と言ったのにたいして、パルバースさんは、「賢治が他界したのは1933年9月21日午後1時30分でした。2008年のその日その時、ぼくは授賞式出席のため花巻にいたので、賢治が〔イギリス海岸〕と名づけた北上川のほとりに立って、お祈りしました。賢治の魂が北上川の上空を散歩しているような気がしたものですから」と答えている。
彼はカリフォルニア大ロサンゼルス校、ハーバード大学大学院で政治学とソビエト近代史を専攻、ポーランド留学中スパイ容疑をかけられ帰国したが、ベトナム戦争さなかの母国を嫌って、1967年9月に来日した。その時のことを次のように語っている。
日本のことは何も知らなかったが、羽田国際空港に飛びました。そして都内のホテルに宿を取ると、屋台のおでん屋さんに入ったんですね。だから、ぼくが初めて覚えた日本語は、「チクワ」です(笑)。先回、ブログ「
日本語がまったく出来なかったのに、なぜ宮沢賢治を選んで学習したか、彼がなぜすぐれた詩人であるのか、インタビューはなかなか興味深い。しかし、前後合わせて100分前後の分量なので、要約するにも時間がかかる。幸い、雑誌に要約して採録されているから、すぐあとでご紹介する。
今日はこれにて失礼します。以下の情報を役立てていただければ幸甚です。
◇「ラジオ深夜便」9月号 350円
インタビューの要約のあとに「雨ニモマケズ」の英訳も載っている。
次のホームページで、パルバースさん自身の訳詞朗読が聴けます。
http://radio.nhk-sc.or.jp/
◇次の書には、賢治の詩50編とその英訳詩が収録されています。
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2009年9月18日金曜日
当世キーワード(2009年9月②)
【出版社/著者からの内容紹介】◎ 本書概要無駄な告白はしない、余分なパワーは消費しない、交際してもハマらない----不況下で恋愛にも「エコ」を求める男女が増える背景を分析し、新しい恋愛・結婚のあり方を考える。◎【エコ恋愛(ラブ)婚】とは【自分にも周りにもやさしい恋愛・結婚】のこと
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小山晴子「かしわの力で海岸林をつくる」
NHKのR1blo に次のように紹介されている。
小山晴子(こやま はるこ)さんは、40年間調べ続けた海岸林のマツとカシワの木の共生に関する本「マツ枯れを超えて ~カシワとマツをめぐる旅~」を出版しました。著書では、マツ枯れを防ぎ、これからの海岸林をつくる担い手は、カシワであると提言しています。カシワ(柏)の葉は、柏餅をくるんでいたから、子ども時代からおなじみだけれど、米や麦などをたいて飯をつくることを「かしぐ(炊ぐ)」というが、そのとき、よくカシワの枝や葉を燃したことから「カシワ」という名前がついたそうだ。小山さんの話ではじめて知った。
海岸林は、風、飛砂、潮、霧などを防ぎ、田畑や住宅地を守っています。しかし、約200年前に植えられたマツによる海岸林はマツ枯れのため、その対応策が急がれています。
なぜ、カシワが海岸林に有効なのかお話ししていただきます。
http://www.nhk.or.jp/r1-blog/050/26112.html
鳥取市では砂丘の砂を減らさないように努めているが、日本全体としては、大切な土地を浸食や砂漠化から守ることは重要なのだ。
著書は2冊あるようだが最新のものは、
『マツ枯れを越えて-カシワとマツをめぐる旅』
小山晴子/著 秋田文化出版/発行 2008.11
本書では、枯れていく海岸の防砂林を調べていく中でわかってきた
カシワの木とマツの関係について述べられています。人間と樹木の関
わり方について考えさせられる一冊です。著者の前作「マツが枯れる」
の続編として発行されました。
鳥取県立図書館にはなかったが、秋田にはあるから、各県の図書館で取り寄せてもらい、帯出できるだろう。
秋田県立図書館
http://www.apl.pref.akita.jp/kensaku/kyodo/2009_1.html
| マツ枯れを越えて―カシワとマツをめぐる旅 | |
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2009年9月17日木曜日
鳥取大震災 3/3回
…鳥取震災の日の前ぶれの雨のすさまじさも、眼に刻みこまれている。墨のような黒雲が、まるでハヤテのように走ってきてひろがり、イキナリ夜になったと思うほどまっくらになって、たちまち物凄い雨が鳥取の街をたたきつけた。はねかえる白い水シブキが、高さ数米にも見えた。県庁前から市役所あたりまで、見る間に川になってしまった。あの時の雨の異常さは、あとで人々に奇怪な感触さえ残したが、鳥取を一瞬のうちに恐怖の底にたたきこんだ大地震は、雨がようやく小止みになった直後に起こった。(注)
2009年9月13日日曜日
鳥取大震災 2/3回
…当時の記録は、戦争中の防諜事情もあって、殆ど残されてはいない。わずかに、特高警察の記録した『鳥取震災小誌』が、その面影を偲ばせるばかりである。
あれから四十五年(引用者注:1988年)、戦後経済の飛躍的発展により、震災被害の残象は、どこにも見当らないほどに復興をみた。現在、少なくとも五十歳以下の市民で、鳥取大地震の悲劇を知る人は、全くいないといってよい。それほどに鳥取震災は、もはや風化し去ったのである。
わたしたちは、これらの災害をよき教訓として日々の暮らしに生かし、明るく住みよい鳥取市づくりを目指していきたいものです。そんな願いを込めた『鳥取の災害』を、家庭や職場にぜひ揃えてほしいとお勧めする次第です。
2009年9月10日木曜日
鳥取大震災 1/3回
一九四三(昭和十八)年九月十日、午後五時三十六分五十七秒、突如として、鳥取地方に大地震が起こった。この地震で鳥取の町並みは一瞬のうちに崩れ去ってしまった。地震の規模は、直下型烈震で、マグニチュード七・四を記録した。この、震度の大きさからいえば、一九二三(大正十二)年の関東大震災、一九三三(昭和八)年の三陸沖地震につぐものといえよう。だが倒れた家や死傷者の率からすれば、かつて例のないほどの激しい地震であったことがわかる。
「……平和な各家庭においては、楽しい夕餉の支度に忙しく、官庁や会社等においても、残暑の名残りまだ消えやらぬ暑苦しい一日の勤めを終えて、やっと解放された気持ちで帰途につきつつあった。……略……道を歩いていた者は、瞬間に地上に投げ出されている自分を見出した。立ち上がろうにも立てないのである。そこかしこの家々からおこる悲痛な叫び声に続いて、バラバラと身一つで逃れ出る人びと。かくてこの瞬間に、家々の建物は、目の前で凄まじい土煙を立てて崩れて行ったのである。ほんの一瞬の出来ごとであるが、今までの平穏な世界は一変して、この世ながらの生地獄と化し、倒れた家の下敷きとなって瞬時に生命を失う者、悲痛な声をふりぼって助けを求める者、親を呼び子を求めて号哭する声は巷に充ち溢れ、あわれ罪なくして親を奪われ、傷つき、住むに家なく、逆上狂乱して右往左往する人々の姿は痛ましいというか、全く凄惨きわまりない、阿鼻叫喚の地獄であった。……略」(この引用文中の省略は『鳥取の災害』の著者)
尚、其ノ夜震災ニヨル火災発生ス。校下ニテハ鹿野町・元魚町・川端四丁目尻ニ起リ、倒壊・焼失ノ厄ニ遭遇セル家庭多数ニ上ル。コノ大被害ノ外ニ、本校児童中、下校後家庭ニアリテ家屋ノ下敷トナリ、惨死ヲ遂ゲタル者一六名ノ多数ニ及ビシコト、マコトニ哀悼痛惜ノキワミデアル。ココニ罹災遭難児童ノ名ヲ記録シ、冥福ヲ祈ル。
2009年9月6日日曜日
当世キーワード(2009年9月①)
自動車販売は減っているが自転車は人気だ。百貨店は苦しんでいるがユニクロは絶好調だ。エコ志向、ナチュラル志向、レトロ志向、和風好き、コミュニティ志向、先進国より世界遺産、農業回帰…新しい価値観が台頭してきたのだ。シンプル族が日本を変える。
2009年9月1日火曜日
今日から9月
◇Twitter を始めてみる気にさせてくれたサイト
2009年8月26日水曜日
自分の画像
2009年8月6日木曜日
鳥取を愛したベネット父子 (38)
【毎年のように「帰国」したスタンレー】
加藤恭子の『日本を愛した科学者 スタンレー・ベネットの生涯』は、いわゆる「編年体」というか、人物の誕生から死に至るまで年月を追って記述する形式では書かれていない。太平洋戦争戦後、何度来日し、来鳥したか、正確には分からない。『S・ベネットの生涯』からざっと拾い上げてみると、つぎのようになる。
1956(昭和31)年。戦後初めての来日。
第1回アジア・大平洋州国際電子顕微鏡会議(東京)10月24日~27日
◆26年ぶりに日本へ帰った喜びを語っている(p.139)。
11月1日 早朝鳥取着。久松山に登る。
1959 (昭和34) 年、広島大学訪問(p.173)。
1960(昭和35)年、日本解剖学会総会で特別講演(p.175)。
1962(昭和37)年、3月29日~4月10日、アリスも初来日(p.146~)。
1965(昭和40)年
このシリーズ第11回(2009/01/06)。スタンレーが「鳥大メディ カル」に寄稿した「鳥取の思い出」(拙訳)の中で次のように書いている。「1965年の夏、妻と いっしょに米子を訪れたとき、鳥取大学の親切な教授方にご一緒していただき、夫婦して大山の頂 上まで非常に快適な登山をする恩恵を受けた。」
1966(昭和41)年8月
京都で第6回電子顕微鏡学会。(p.227)
神戸で国際解剖学会議(p.238)。
1974(昭和49)年。
日本政府より勲二等瑞宝章を授与された。 (p.194.pp.226-227 p.237)
6月14日、東京医科歯科大で講演。(pp.226―227)
1979(昭和54)年。
3月~6月、東大医科学研究所に客員教授としてアリスと共に招かれる(p.146)。
この来日の際に、鳥取も訪れ、 NHK鳥取の「マイク訪問」に出演(p.51)。
[1977年、科長を退職。1981年、生殖生物学研究所所長を退職。( pp. 250~251)]
1984(昭和59)年。
8月26~31日、第3回国際細胞生物学会。(p.256 p.260 )
9月22日、フレデリックの墓参。ヘンリーの蔵書などを県立博物館へ寄贈。(pp.266-269)
9月29日、日本を発つ。
1986(昭和61)年。
8月30日~9月17日、夫婦で最後の来日(p.272)。
1988(昭和63)年来日の予定をキャンセル。手術、入院。(ページ、同上)
1992(平成4)年8月9日、スタンレー死去。享年81歳(p.305)。
2009年8月4日火曜日
当世キーワード(2009年8月①)
「今、この新語・流行語にこだわると、世の中少しは見えてくるかも」の私のコーナー紹介で始まる「日曜あさいちばん 当世キーワード」(日曜午前5時半から放送)は、いつも多くのリスナーから反響をいただきます。新語アナリスト・亀井 肇さんが、昨今世の中で使用されてきた新しい言葉を毎週5~6語紹介してくれます。今年で11年目になる名物コーナーです。私も思わず「うーんなるほど!」と唸(うな)ってしまったり、また「うふふ……」と笑ってしまう言葉ありで、たいへん楽しみにしています。http://www.nhk.or.jp/r1-blog/200/23005.html



