2009年2月2日月曜日

鳥取を愛したベネット父子 (14)

1939(昭和14)年スタンレーは海軍予備軍に応募した。妻のアリスによれば、ドイツと日本における軍国主義の台頭に悩み、ことにヒトラーのチェコスロヴァキア侵攻以後は、ヒトラーを阻止しなければの思いが強かったらしい。
すでに日本語の知識があることを告げていたスタンレーは、1943(昭和18)年7月初旬に入隊となった。ワシントンD.C.から、フロリダの海軍基地へ、そこで海兵隊所属が決定され、カリフォルニア州サンディエゴで訓練を受けた。その後ニューカレドニアに派遣され、11月末にガダルカナルへ到着したらしい。いよいよ日本軍と戦うこととなる。
加藤恭子は次のように述べている、
「生まれ故郷の日本に対して戦うのは、辛くはなかったでしょうか?」
 という質問に、妻のアリスは、
「いいえ、戦ったのは、日本人に対してではありませんもの。日本の軍国主義指導者に対してでしたから」
 と答える。
 鳥取育ちの妹、メアリー・クラーク(Mary Clark)は,
「苦しんでいました。同胞が同胞に対して戦うようなものだと…」
 と答える。
 どちらも、真実なのであろう。(pp.14-15)
今回は、引用も含め、次の本によって書いた。

スタンレー・ベネット 加藤恭子/今井萬亀子[編訳]『戦場から送り続けた手紙―ある米海軍士官の太平洋戦争―』The Japan Times 1995年7月

以後、『戦場からの手紙』と略称する。



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