2009年1月15日木曜日

鳥取を愛したベネット父子 (12)

春の芽吹きを紹介したブログをアップしたら、また雪が毎日降り始めた。
10日には鳥取市内で早朝の積雪が28センチになったし、昨日の朝も午前9時現在25センチであった。しかし、桜の花の芽は、じっと耐えているのであろう。
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先回はスタンレーの心の中に残っていた少年時代の鳥取をご紹介したが、今回は、鳥取の人たちの心に残っている少年、スタンレーの姿をみ見ることにしょう。
以前ご紹介した歌人の伊谷ます子が語るところによれば、
幼い日に遊んだ鳥取をなつかしがり「鰈はえーカナ」等と、その頃の魚売りの小母さんの口真似を覚えている程のユーモアが(一部省略)あります。進駐軍が鳥取に来ている頃、若い米兵が街を歩いていると、ベネット氏の近所に住んでいた八百屋のお婆さんが立ち止まって「アリャーリャー、スタンデーさんが大きゅうなって」とさも懐かしそうにしばらくその後姿を眺めていました。外人と云えば皆ベネットさんに見えたのでしょう。
(『鳥取県百傑伝』p.645)
わたしがこどものころでも、賀露のあたりからやって来た小母さんたちが、「カレー(=鰈)はええかなー」とか「今どれの(=取れたばかりの、新鮮な)カレーは、いらんかなー」と、リヤカーや自転車の荷台に積んだ魚類を行商していたものだ。
これも蛇足だが、境内から早稲田の大隈講堂を望むことのできた赤城神社のそばに下宿していた頃(昭和30年前後)、「アサリ、シジミよ~」という売り声をよく聞いたものであった。

以前取り上げた1979年のNHK鳥取放送局での「マイク訪問」という番組で、伊谷ます子が「とってもきれいな坊ちゃんでね。お行儀がよかった」と言ったのを受けてスタンレーは、「私はいくらでもいたずらをしました」と述べている。
加藤恭子が鳥取へ取材に来たときに、尾崎誠太郎から直接聞いたと思われる、こんな話もある。
日曜学校で一緒だった尾崎誠太郎とスタンレーは、お祈りの間も、よくお互いの頭をつっつき合った。片方がちょっとかまって押すと、もう一方は相手の頭をちょっとたたく。ヘンリーは、教壇の上から、そんな二人をじっと見ていたそうである。(いずれも、『S.ベネットの生涯』p.57)

【付記】これまでなんどか引用文献から発言を紹介させていただいた伊谷ます子さんは、1983(昭和58)年死去。1900年前後のお生まれで、行年82~83歳であった。なお、子どもさんのうち、三女は鳥取西高時代の同期生である。

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