最初は例の「直立不動の少年」。
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焼き場に一〇歳くらいの少年がやってきた。小さな体はやせ細り、ぼろぼろの服を着てはだしだった。少年の背中には二歳にもならない幼い男の子がくくりつけられていた。その子はまるで眠っているようで見たところ体のどこにも火傷の跡は見当たらない。
少年は焼き場のふちまで進むとそこで立ち止まる。わき上がる熱風にも動じない。係員は背中の幼児を下ろし、足元の燃えさかる火の上に乗せた。まもなく、脂の焼ける音がジュウと私の耳にも届く。炎は勢いよく燃え上がり、立ちつくす少年の顔を赤く染めた。気落ちしたかのように背が丸くなった少年はまたすぐに背筋を伸ばす。私は彼から目をそらすことができなかった。少年は気を付けの姿勢で、じっと前を見つづけた。一度も焼かれる弟に目を落とすことはない。軍人も顔負けの見事な直立不動の姿勢で彼は弟を見送ったのだ。
私はカメラのファインダーを通して、涙も出ないほどの悲しみに打ちひしがれた顔を見守った。私は彼の肩を抱いてやりたかった。しかし声をかけることもできないまま、ただもう一度シャッターを切った。急に彼は廻れ右をすると、背筋をぴんと張り、まっすぐ前を見て歩み去った。一度もうしろを振り向かないまま。係員によると、少年の弟は夜の間に死んでしまったのだという。その日の夕方、家にもどってズボンをぬぐと、まるで妖気が立ち登るように、死臭があたりにただよった。今日一日見た人々のことを思うと胸が痛んだ。あの少年はどこへ行き、どうして生きていくのだろうか?(pp.96-97)
[長崎の小学校にて]
この教室を訪れたとき、私は壊れた窓や校庭であったはずの場所が完全に破戒されている様を見て、深い悲しみに襲われた。子供たちは驚くほど規律正しく手も動かさずに静かに座っていた。私は教室に侵入者のように現れたが、子供たちは私に目を向ける様子もなく、ただじっと先生の話を注意深く聞いていた。そして先生も私を無視して、授業を続けているのであった。疎外感がこみ上げ、私はさっさと写真を撮るとそこを後にした。(pp.94-95)
ただ、この写真をもう一度アップしたのは、子どもたちの目を見て欲しかったからだ。写真に写っている最前列の子どもたちの足は男女ともみな素足だ。机の上には教科書やノートもない生徒もいる。なんの授業かも分からない。しかし、教師の顔を見上げている、子どもたちの真剣な目を見てほしい。
わたしも6年間国民学校に通った世代だ。焼き場に立っている少年も、この教室の少年少女たちもたぶん同じ年齢だ。違っていても2歳は違っていまい。これらの写真を見るたびに、熱いものがこみあげてくる。
これらの写真を残してくれたジョー・オダネルさんは、奇しくも、2007年の8月9日、長崎・原爆の日に亡くなった。85歳だった。